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5.5巻
5.5-3
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課題に一通り目を通したヒューイは、ふいに席を立つと、本棚から赤みがかった革装丁の本を取り出した。それをアマリーに差し出して言う。
「これは、薬草茶の本でね。まずはこの辺りから覚えていくといい。実際に薬草を採ってきて、お茶にして飲んでみるのもいいしね」
アマリーはヒューイから本を受け取ると、早速ページを開いてみた。
それは気軽に楽しめるハーブティーを扱った本で、彼女も知っているようなものをはじめ、様々なお茶が効能と共に記してあった。
「薬は、量や配合次第では毒になることもあるんだ。材料となる草花も、部位によって毒にも薬にもなったりするからね。だからこそ、正しい使い方をきちんと学ぶ必要がある」
彼の説明に、アマリーはコクコクとうなずく。
確かに花や葉は毒でありながら、根だけは薬になるといった薬草が存在する。それを図鑑などで知ったアマリーは、薬草というものの奥深さを改めて感じていた。
「だけど、薬草茶にはそこまで大きな問題になる薬草を使わないから、薬草を学ぶにはちょうどいい。花屋にあるものを加工してみるのもいいし、ハーブティーを扱う店なんかでも手に入るんじゃないかな。自分でも試してみたら、効能だけではなく、味や香りなんかの特徴もわかるから。それを後で文章にまとめてみるのも勉強になる」
「はい」
ひたすら薬草の知識を詰め込み、それを加工する方法を実践する――そんな授業をぼんやりと考えていたアマリーだったが、意外にも楽しみながら学ぶ方法を教えてもらい、良い意味で裏切られた。
(最初はすごく不機嫌そうだったし、身なりもだらしない感じで、大丈夫かしらなんて思ったけど……なんだか放課後が楽しみになりそう!)
若干失礼な感想を持ちながら、アマリーの顔はワクワクとした気持ちのまま綻ぶのだった。
†
「先生、これは二十グラムでいいんですよね?」
「そうそう。あとこちらの煮詰めたものと混ぜて、しばらく置いておけば完成だ」
アマリーが問いかけると、ヒューイは自分の作業をしつつ、次の指示を出した。それを聞いた彼女は、迷うことなく言われた通りの作業をこなす。
アマリーが放課後にヒューイのところに通いだしてから、三ヶ月が経った。
最近では講義の後に、彼の研究作業を手伝うことが増えた。
ちなみに、彼女が『ヒューイの研究所』と呼んでいるこの家は、数代前の学院長が趣味で建てた宿舎らしい。
当時のレングランド学院長は、学院で用意された王都にある宿舎や、学院の寮が好みに合わず、自身の特権によって、この場所に農家風の家を建設したという。
その学院長が引退してからは、希望する教師が使用していた。しかし設備が古く不便なことから不評で、しばらくの間、空き家となっていたのだ。
それをヒューイが、自分でリフォームすることを条件に借り受け、今に至る。
「よし、完成」
翠色の液体が入った瓶を机の上に置き、アマリーは満足げに腰に両手を当てた。ヒューイに報告しようと振り向くと、彼は何やら真剣な顔で作業をしている。アマリーはそれを好奇心を隠せぬ様子で見ながら声をかけた。
「ヒューイ先生、それは?」
「魔物避けの薬だよ。魔生物学の研究所から頼まれたんだ。近々行う魔物の駆除に必要になるんだそうだ」
「魔物避け、ですか」
「ああ。すべての魔物に有効というわけではないが、獣から変化したと思われる魔物にはよく効くんだ。獣避けの薬を強化する形で作っているから、そのせいかもしれないが」
アマリーはヒューイの説明に熱心に相槌を打ちながら、彼が持つ赤紫の瓶を眺めた。
(薬草学って本当に奥深いわ。人を癒すだけじゃなくて、人の生活をより良くするための薬というのもあるんだもの)
学べば学ぶほど、興味が尽きない。
もともと勉強がさほど好きではないアマリーだ、単調な授業であれば、すぐに飽きていただろう。
だからこそ自主性を重んじ、かといって突き放すでもなく適切な指導をしてくれるヒューイは、アマリーにとって理想的な教師といえた。もっとも――
「うわぁっ!」
ガシャンッ、というガラスの割れる音で我に返ったアマリーは、目の前の光景に深々とため息をついた。
何をどうやったのか。ヒューイの足元にはガラスの欠片や、粉にした薬草などが、あちこちに散らばっている。彼は青ざめた顔で、散乱したガラスから一歩身を引く。頭上に突き出した手に魔物避けの薬瓶を握ったままだ。
「……先生」
「う……」
「何をやってるんですか」
呆れたようにつぶやいたアマリーに、ヒューイは言葉を詰まらせる。
「いや、机の上に色々乗っていたから、どけようと……」
「それで何故、この惨状に?」
「……何故だろうね」
アマリーが半目でヒューイを見ると、彼は乾いた笑みを浮かべながら頬を掻いた。
「はぁ……仕方ありませんね。片付けますから、どいて下さい。あ、その瓶は渡してもらっていいですか。先生が持ってるとそれまで壊しそう」
「う……、すみません」
ヒューイは情けない顔で謝ると、そそくさとその場を離れ、部屋の隅に置かれていた椅子に腰掛ける。その姿は、まるで叱られた子供のようだ。
(もう、本当に研究以外はどこか抜けてるんだから……)
心の中で文句を言いながら、アマリーはテキパキと割れたガラスを片付け、その周辺と、ついでに机の上を掃除した。
大貴族の令嬢とは思えない手際の良さで仕事を終えると、彼女は部屋の隅で小さくなっているヒューイを見る。
「はい、終わりましたよ」
「ありがとう、助かったよ」
ホッとしたような笑顔で、ヒューイが礼を言う。アマリーはそれに首だけ振って応えると、机上の魔物避けの薬が入った瓶に蓋をした。
「これは無事でよかったですね」
「そうだな。結構貴重な材料が入ってるから、無駄にしてたら大変だったよ。助かった」
「というか、先生が使う道具には、すべて〈強化〉の魔法でもかけておくべきですよね」
「そ、そこまではしなくていいと思うが」
ヒューイが否定すると、アマリーはわざとらしく肩を竦める。
「自分が破壊魔だっていう自覚がないんですか? ここ三ヶ月で、どれだけの器材や瓶が壊れたことか……おかげでわたし、掃除がとても得意になりましたよ」
アマリーはそう言いながら、その時の大変さを思い出すように遠い目をした。
あれは、放課後、ヒューイの研究所に通うことになってからすぐのこと。
まず最初に彼女がしたのは、勉強ではなく各部屋の掃除だった。
初日に通された書斎は、ヒューイの書類仕事用の部屋だったため、机の上が雑然としている程度で済んでいた。が、他の部屋は、入った途端アマリーが硬直するほど荒れ果てていたのだ。
壁や床のあちこちに、何か得体のしれないものが零れて出来た染みや跡。物は散乱し、薬箪笥や机の引き出しはどれもきちんと閉められておらず、泥棒が入った後のような有様だった。
「は、はは……」
あまりにも衝撃的な光景に、アマリーは思わず引き攣った笑い声をあげてしまったほどだ。そんな状態の彼女を見ても、ヒューイは悪びれることなく、軽い調子で笑っている。
「悪いね。忙しくて掃除に手が回らないんだ」
(忙しくて手が回らないなんて生易しい状況じゃないでしょ、これ!)
アマリーは心の中で盛大に突っ込むと、おもむろに制服の袖をまくった。
「とりあえず、今日はここの掃除をしますね! それで一日終わってしまいますが、明日も来ますので講義はその時でお願いします!」
有無を言わせぬ彼女の迫力に、逆らうのは得策ではないと思ったのだろう。ヒューイは「わ、わかった」と怯えた表情で了承した。
返事に満足すると、アマリーは気合いを入れて部屋の掃除に取り掛かる。
そして、ようやく掃除を終え、アマリーが道具を片づけるため他の部屋のドアを開けると――目の前にはさきほどの書斎と同じくらい荒れ果てた部屋。それを目の当たりにした彼女は、愕然とした。
しかも片づけたそばから、すぐにヒューイが物を壊したり散らかしたりと、さらに仕事を増やすのだ。
結局アマリーは、三日連続で通い詰め、すべての部屋の掃除を終わらせた。もちろん、その間、講義はおあずけだったのだ。
(ヒューイ先生って、研究者としても教師としても優秀な方だと思うけど、どうして生活能力だけはないのかしら……)
アマリーは苦笑するヒューイを横目に思う。
(でもこんな大きな欠点があるからこそ、こちらも気負わずにいられるのかもしれない)
最初は呆れていたアマリーだが、最近ではヒューイのこういった抜けている部分がなんだか可愛らしいとまで思えてきた。先生であり、十も年齢が上の男性なのに、だ。
(やけに長女気質を刺激されるっていうか……わたしってば、根っからの世話焼きだったのね)
自分の新たな側面を自覚したアマリーは、以後、彼の世話を焼くのがすっかり板についてしまったのだった。
†
そうして時は過ぎ――
アマリーがヒューイに教えを乞うてから、一年の歳月が流れた。
「アマリーさん、悪いがこれを選別するのを手伝ってほしい」
ヒューイが出先から戻るなり、いつものように研究室で手伝いをしているアマリーに言った。
彼女がヒューイの指す方に目を向けると、買い込んできたのか、それともどこかで採取してきたのか、たくさんの種類の草花が入った大きな籠が置かれていた。
「どうしたんですか、これ」
「先週行った校外学習の成果だよ」
「校外学習の?」
目を丸くするアマリーに微笑み、ヒューイは籠の中から中身を取り出す。
校外学習はその名の通り、学院の外で行われる授業だ。薬草を採取したり、棲息する動物を観察したりと場所によって課題は異なる。今年は薬草採取がテーマだったため、アマリーもはりきって参加したのだった。
「教師が確認して毒草や取り扱いが危険なものを除いたら、教材や研究所で使用するんだ」
「なるほど、これは確認後に寄付されたものなんですね……そういえば、校外学習で集めた薬草がどうなるかだなんて気にしたことなかったです」
「まぁ、そうだろうね。大体はよくある薬草だから、教材などの消耗品として使われることが多いよ。ただし、稀に希少な薬草も手に入るから、校外学習といえど、なかなか侮れないんだ」
「へぇ」と感心しながら、アマリーはヒューイに近づいて籠の横にしゃがみこむ。そして、薬草の仕分けを手伝いだした。
迷うことなく、しかも正確に仕分けていくアマリーを見て、ヒューイは口元を緩める。
アマリーが後期の薬草学の講座を受けられるまで――そう期間限定で決められた放課後の勉強会は、結局のところ一年近く経ってもまだ続けられていた。
それは、勉強会をやめたくないため、終了の話題を出さないでいるアマリーのせいかもしれない。しかも最近では、一日おきという取り決めもなくなり、アマリーは時間の許す限り研究室に通うようになっていた。
それだけ一緒に過ごしていれば、それなりに打ち解けてくるというもの。
半年近くの間ヒューイから「リヒトルーチェ嬢」と呼ばれていたアマリーだが、「アマリーシェ嬢」を経て、最近ようやく「アマリーさん」へと進化した。
そして彼女は、いつの間にかヒューイの手伝いどころか、助手と言えるほどの力を身に付けていた。
彼から特に褒められたことはないが、なかなか役に立てていると思うのは、決してアマリーの自惚れではないはずだ。もっとも、お掃除要員なのは相変わらずだが。
「アマリーさんが手伝ってくれるようになって、仕事がやりやすくなったよ」
ふとした拍子にヒューイが言ってくれる言葉に、アマリーは心から嬉しくなる。
「先生の教え方が良いからですよ」
「そうかな? 僕はあまり人付き合いが良い方ではないし、口下手だから、誰かに教えることに関しては、まったく自信がないんだよ」
自嘲するようなヒューイの言葉に頭を振り、アマリーは以前から不思議に思っていたことを訊いてみた。
「――ヒューイ先生は、伯爵位をお持ちですよね? それなのに、どうしてレングランド学院で非常勤講師をしているんですか?」
伯爵という身分がありながら、一研究員として研究に没頭するなど、普通に考えればありえない。
彼女の疑問に、ヒューイはしばし躊躇った後、ゆっくりと話し出した。
「幼い頃から薬草学に興味があってね。幸いにもその才もあったみたいで、国の役に立つ研究成果をあげることが出来たんだ。ほら、前に作った魔物避けの薬とか。あれで多少なりとも被害が減った実績もあって、それで国から予算がもらえることになった。領地は現役を退いた父が見ていてくれるし……僕はまぁ、研究すること自体が仕官していると捉えてもらっているから、伯爵家を継いだ今でも研究に専念出来ているんだ」
「それってすごいことですよね」
アマリーは感心したようにつぶやく。
レングランド学院で研究を続けている時点で、研究者としては十分認められているといえる。その中でも国から予算をもらえる研究者は、一流どころか超一流と言ってもいいくらいだ。
アマリーがそう賞賛すると、当の本人は天を仰いで苦笑いを浮かべる。
「さぁ、どうだろうね。僕は研究が好きだからやっているだけだし。それにさっきも言ったけど、人に教えることには自信がないから、出来れば教壇に立ちたくないんだ。だけど、研究者としても若者の育成はしなくちゃいけないと思うからね」
「うーん、でもわたしはヒューイ先生に教えてもらえて、すごく勉強が楽しいです。だから、そんなにご自身を卑下することはないと思いますけど」
「そっか……うん、アマリーさん、ありがとう」
てらいのないアマリーの言葉に、ヒューイは一瞬面食らったようだが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「――ッ!」
アマリーは、見たこともないヒューイの全開の笑顔に動揺してしまい、咄嗟に立ち上がろうとした。
「あっ……」
「危ない!」
急に立ち上がったせいで、バランスを崩したアマリーの身体が後ろに傾く。
(この後ろって、確か薬品がしまってあるガラス棚よね……まずいわ、怪我しちゃうかも)
アマリーは倒れ込みながらも、暢気にそんなことを考える。
すると次の瞬間、思いがけず力強い腕に抱きとめられた。
(えっ……?)
大きな手で肩と腰を支えられ、次いで全身がすっぽりとぬくもりに覆われる。
アマリーは混乱した頭で、なんとかこの状況を把握した。
(ヒューイ先生に抱きしめられている!?)
理解した途端、未だかつて経験したことがないほど激しい羞恥が彼女を襲う。
「ああああのっ! も、もう、大丈夫ですから!」
アマリーは顔を真っ赤にして、彼との間に挟まれた両腕で押し、密着していた身体を離した。そしてヒューイの顔を見上げると、ハッと顔を強張らせる。
眉間に皺を寄せ、奥歯を噛み締めて苦悶の表情を浮かべるヒューイ。いつもは彼の若葉色の瞳を覆っている分厚い眼鏡が不自然にずれている。
彼の肩越しに見えるのは、大きなガラス棚だ。二人分の体重を乗せてぶつかったためか、はめ込まれたガラスはほとんど砕け散ってしまっている。扉の木枠には、尖ったガラスが残るのみだ。
「ヒューイ先生!」
アマリーは慌ててヒューイから離れる。そして、床に散らばったガラスの破片に気をつけながら、彼の後方を覗き込んだ。
棚に残ったガラスの鋭い切っ先に血が付着しているのを見て、彼女は大きく息を呑む。
「先生、血が……!」
思わず声をあげたアマリーを、ヒューイは穏やかな声で宥めた。
「少し擦っただけだと思うから、大丈夫だよ」
「でも……」
「君の方は怪我はないかい?」
ヒューイはそう言うと、心配そうにアマリーの顔を覗き込む。
アマリーの目の前には、眼鏡のレンズ越しではない、鮮やかな若葉色の瞳。彼女は、またしても顔に熱が集まるのを感じながら、ゆっくりうなずいた。
「わ、わたしは大丈夫です」
「そうか……君が無事でよかった」
ヒューイもホッとしたのだろう。アマリーの言葉を聞いて、にっこりと微笑んだ。その笑顔にアマリーは思わず目を伏せる。
(な、なんでわたし、先生を直視できないのー!)
顔に熱が集まり、心臓がドクンドクンと激しく鼓動を打つ。自分を必死に落ち着かせようと、アマリーは下を向いたまま、何度も深呼吸を繰り返した。
「本当に大丈夫かい?」
上から落ちてくる心配そうな声に、アマリーはようやく意を決して彼の顔をまっすぐ見る。
「ほ、本当に大丈夫ですよ。それより先生の方が怪我を……」
「これくらいなら、僕の治癒魔法でも治せるから気にしなくていいよ。それにしても、助けようとして被害を拡大してしまった気がするな……」
少しばかり落ち込んだ様子で告げるヒューイに、アマリーはブンブンと大きく首を横に振る。
「そんなことありません! 先生のおかげでわたしは怪我一つなかったんですっ」
「ははっ。ありがとう。そう言ってもらえると気が楽になるよ」
「本当です。怪我がなかったのは先生のおかげです!」
必死に訴えるアマリーに、ヒューイは目を細めて彼女の頭を軽く撫でる。
「君を守れてよかったよ」
何気なくつぶやかれた言葉に深い意味はないのかもしれない。だが、アマリーには、その言葉が宝物のように胸に染みこんでいった。
†
「……そんな感じ、です」
顔を真っ赤にしてヒューイとの思い出を語り終えたアマリーは、最後はおどけた調子でそう言った。
そんな彼女に、「くっ……可愛すぎですわ、アマリー様!」などと思いながらも、表面上は至極真面目な表情でエレイナはうなずく。
「なるほど、あのエストランザ様がまさか……」
「『あの』って何よ、『あの』って」
エレイナの言外の含みに気づき、アマリーは不満そうな顔で抗議する。
「いえ、失礼ですが、あの方にそのような機敏な動きが出来るとは、少しばかり意外でしたので。その、普段はおっとりというか、ぼんやりというか……」
「エレイナ、それはちょっと失礼よ。それにそういう世話が焼けるところも良いのよ」
「というか世話が焼けるから、恋に落ちたのですか?」
正直、アマリーの好みは謎だ、と思いつつエレイナは尋ねる。
「そんなことは……それだけじゃないし……」
エレイナの質問に、アマリーは答えながらも目を泳がせた。
「でもそれは、男性としてどうなのでしょうか……」
エレイナが思わずつぶやくと、アマリーは慌ててヒューイを擁護する。
「せ、先生の良いところはそれだけじゃないわよ!」
「他にもあるのですか?」
「そりゃ、普段のどこか抜けてるところとかなんかも、可愛くてほっとけないとは思うけど、研究に没頭している時はかっこいいっていうか、なんていうか……」
頬を染めて恥ずかしそうに言うアマリーを見て、エレイナはまたしても内心で身悶える。
(恥じらうアマリー様、なんて可憐なのかしら! ……というか、このお姿を見ていると、エストランザ様が非常にむかついてくるのは何故でしょう)
ぐっと握り拳を固めたエレイナに気づくことなく、アマリーははにかみながら話し続ける。
「でもね、好きだなって自覚したのは、さっき話した……棚から庇ってくれた時なの」
そう言ってアマリーは、『あの時』を思って夢見るような表情になった。
「なるほど、いわゆるギャップというものですか。いつもは頼りなさそうなのに、危機が迫った時に男らしさを発揮すると、どんな男性でも格好よく見えるという」
エレイナのあまりの言いように、アマリーはぷっと頬を膨らませる。
「なんでそんな言い方するのよ、エレイナ」
「すみません」
あまり悪いとは思っていなさそうな口調で謝られ、アマリーはさらにふくれっ面になった。
(まぁ確かに、普段のヒューイ先生を知っている人なら、あの時の先生の行動なんて想像も出来ないでしょうけど……)
そんな感想を抱く時点で、アマリーにもエレイナを責める資格はないのだが、彼女も『自分が貶すのは良いが、他人に言われると腹が立つ』という心理に陥っていたので仕方ない。
「それに……」
(あの時のヒューイ先生の格好良さは、わたしだけが知っていればいいんだもの)
「アマリー様?」
途中で言葉を噤んだアマリーを、エレイナが不思議そうに見てくる。それに気づきながらも、彼女は軽く笑って誤魔化した。
「とにかく、そんな感じなのよ!」
どんな感じだと思いつつも、エレイナは賢明にもそれ以上何も言わず、コクリとうなずいた。しかし、ふと大事なことに気づいて口を開く。
「あの、アマリー様」
「なぁに?」
「失礼ですが、聞いているとアマリー様がお慕いしているだけ、ともとれるのですが……」
「え? わたしの片想いだから、それはそうね」
エレイナの疑問にあっさり答えるアマリー。だが、それを聞いたエレイナはとても平静ではいられなかった。
「えぇぇぇぇ!?」
常にない驚きの叫びをあげるエレイナに、アマリーは目を丸くする。
「ちょっと、どうしたのよエレイナ。落ち着いて」
アマリーはエレイナを落ち着かせようと、両手を上下に振って制する。すると、エレイナは身を乗り出してその手をがっしりと掴んだ。
「これは、薬草茶の本でね。まずはこの辺りから覚えていくといい。実際に薬草を採ってきて、お茶にして飲んでみるのもいいしね」
アマリーはヒューイから本を受け取ると、早速ページを開いてみた。
それは気軽に楽しめるハーブティーを扱った本で、彼女も知っているようなものをはじめ、様々なお茶が効能と共に記してあった。
「薬は、量や配合次第では毒になることもあるんだ。材料となる草花も、部位によって毒にも薬にもなったりするからね。だからこそ、正しい使い方をきちんと学ぶ必要がある」
彼の説明に、アマリーはコクコクとうなずく。
確かに花や葉は毒でありながら、根だけは薬になるといった薬草が存在する。それを図鑑などで知ったアマリーは、薬草というものの奥深さを改めて感じていた。
「だけど、薬草茶にはそこまで大きな問題になる薬草を使わないから、薬草を学ぶにはちょうどいい。花屋にあるものを加工してみるのもいいし、ハーブティーを扱う店なんかでも手に入るんじゃないかな。自分でも試してみたら、効能だけではなく、味や香りなんかの特徴もわかるから。それを後で文章にまとめてみるのも勉強になる」
「はい」
ひたすら薬草の知識を詰め込み、それを加工する方法を実践する――そんな授業をぼんやりと考えていたアマリーだったが、意外にも楽しみながら学ぶ方法を教えてもらい、良い意味で裏切られた。
(最初はすごく不機嫌そうだったし、身なりもだらしない感じで、大丈夫かしらなんて思ったけど……なんだか放課後が楽しみになりそう!)
若干失礼な感想を持ちながら、アマリーの顔はワクワクとした気持ちのまま綻ぶのだった。
†
「先生、これは二十グラムでいいんですよね?」
「そうそう。あとこちらの煮詰めたものと混ぜて、しばらく置いておけば完成だ」
アマリーが問いかけると、ヒューイは自分の作業をしつつ、次の指示を出した。それを聞いた彼女は、迷うことなく言われた通りの作業をこなす。
アマリーが放課後にヒューイのところに通いだしてから、三ヶ月が経った。
最近では講義の後に、彼の研究作業を手伝うことが増えた。
ちなみに、彼女が『ヒューイの研究所』と呼んでいるこの家は、数代前の学院長が趣味で建てた宿舎らしい。
当時のレングランド学院長は、学院で用意された王都にある宿舎や、学院の寮が好みに合わず、自身の特権によって、この場所に農家風の家を建設したという。
その学院長が引退してからは、希望する教師が使用していた。しかし設備が古く不便なことから不評で、しばらくの間、空き家となっていたのだ。
それをヒューイが、自分でリフォームすることを条件に借り受け、今に至る。
「よし、完成」
翠色の液体が入った瓶を机の上に置き、アマリーは満足げに腰に両手を当てた。ヒューイに報告しようと振り向くと、彼は何やら真剣な顔で作業をしている。アマリーはそれを好奇心を隠せぬ様子で見ながら声をかけた。
「ヒューイ先生、それは?」
「魔物避けの薬だよ。魔生物学の研究所から頼まれたんだ。近々行う魔物の駆除に必要になるんだそうだ」
「魔物避け、ですか」
「ああ。すべての魔物に有効というわけではないが、獣から変化したと思われる魔物にはよく効くんだ。獣避けの薬を強化する形で作っているから、そのせいかもしれないが」
アマリーはヒューイの説明に熱心に相槌を打ちながら、彼が持つ赤紫の瓶を眺めた。
(薬草学って本当に奥深いわ。人を癒すだけじゃなくて、人の生活をより良くするための薬というのもあるんだもの)
学べば学ぶほど、興味が尽きない。
もともと勉強がさほど好きではないアマリーだ、単調な授業であれば、すぐに飽きていただろう。
だからこそ自主性を重んじ、かといって突き放すでもなく適切な指導をしてくれるヒューイは、アマリーにとって理想的な教師といえた。もっとも――
「うわぁっ!」
ガシャンッ、というガラスの割れる音で我に返ったアマリーは、目の前の光景に深々とため息をついた。
何をどうやったのか。ヒューイの足元にはガラスの欠片や、粉にした薬草などが、あちこちに散らばっている。彼は青ざめた顔で、散乱したガラスから一歩身を引く。頭上に突き出した手に魔物避けの薬瓶を握ったままだ。
「……先生」
「う……」
「何をやってるんですか」
呆れたようにつぶやいたアマリーに、ヒューイは言葉を詰まらせる。
「いや、机の上に色々乗っていたから、どけようと……」
「それで何故、この惨状に?」
「……何故だろうね」
アマリーが半目でヒューイを見ると、彼は乾いた笑みを浮かべながら頬を掻いた。
「はぁ……仕方ありませんね。片付けますから、どいて下さい。あ、その瓶は渡してもらっていいですか。先生が持ってるとそれまで壊しそう」
「う……、すみません」
ヒューイは情けない顔で謝ると、そそくさとその場を離れ、部屋の隅に置かれていた椅子に腰掛ける。その姿は、まるで叱られた子供のようだ。
(もう、本当に研究以外はどこか抜けてるんだから……)
心の中で文句を言いながら、アマリーはテキパキと割れたガラスを片付け、その周辺と、ついでに机の上を掃除した。
大貴族の令嬢とは思えない手際の良さで仕事を終えると、彼女は部屋の隅で小さくなっているヒューイを見る。
「はい、終わりましたよ」
「ありがとう、助かったよ」
ホッとしたような笑顔で、ヒューイが礼を言う。アマリーはそれに首だけ振って応えると、机上の魔物避けの薬が入った瓶に蓋をした。
「これは無事でよかったですね」
「そうだな。結構貴重な材料が入ってるから、無駄にしてたら大変だったよ。助かった」
「というか、先生が使う道具には、すべて〈強化〉の魔法でもかけておくべきですよね」
「そ、そこまではしなくていいと思うが」
ヒューイが否定すると、アマリーはわざとらしく肩を竦める。
「自分が破壊魔だっていう自覚がないんですか? ここ三ヶ月で、どれだけの器材や瓶が壊れたことか……おかげでわたし、掃除がとても得意になりましたよ」
アマリーはそう言いながら、その時の大変さを思い出すように遠い目をした。
あれは、放課後、ヒューイの研究所に通うことになってからすぐのこと。
まず最初に彼女がしたのは、勉強ではなく各部屋の掃除だった。
初日に通された書斎は、ヒューイの書類仕事用の部屋だったため、机の上が雑然としている程度で済んでいた。が、他の部屋は、入った途端アマリーが硬直するほど荒れ果てていたのだ。
壁や床のあちこちに、何か得体のしれないものが零れて出来た染みや跡。物は散乱し、薬箪笥や机の引き出しはどれもきちんと閉められておらず、泥棒が入った後のような有様だった。
「は、はは……」
あまりにも衝撃的な光景に、アマリーは思わず引き攣った笑い声をあげてしまったほどだ。そんな状態の彼女を見ても、ヒューイは悪びれることなく、軽い調子で笑っている。
「悪いね。忙しくて掃除に手が回らないんだ」
(忙しくて手が回らないなんて生易しい状況じゃないでしょ、これ!)
アマリーは心の中で盛大に突っ込むと、おもむろに制服の袖をまくった。
「とりあえず、今日はここの掃除をしますね! それで一日終わってしまいますが、明日も来ますので講義はその時でお願いします!」
有無を言わせぬ彼女の迫力に、逆らうのは得策ではないと思ったのだろう。ヒューイは「わ、わかった」と怯えた表情で了承した。
返事に満足すると、アマリーは気合いを入れて部屋の掃除に取り掛かる。
そして、ようやく掃除を終え、アマリーが道具を片づけるため他の部屋のドアを開けると――目の前にはさきほどの書斎と同じくらい荒れ果てた部屋。それを目の当たりにした彼女は、愕然とした。
しかも片づけたそばから、すぐにヒューイが物を壊したり散らかしたりと、さらに仕事を増やすのだ。
結局アマリーは、三日連続で通い詰め、すべての部屋の掃除を終わらせた。もちろん、その間、講義はおあずけだったのだ。
(ヒューイ先生って、研究者としても教師としても優秀な方だと思うけど、どうして生活能力だけはないのかしら……)
アマリーは苦笑するヒューイを横目に思う。
(でもこんな大きな欠点があるからこそ、こちらも気負わずにいられるのかもしれない)
最初は呆れていたアマリーだが、最近ではヒューイのこういった抜けている部分がなんだか可愛らしいとまで思えてきた。先生であり、十も年齢が上の男性なのに、だ。
(やけに長女気質を刺激されるっていうか……わたしってば、根っからの世話焼きだったのね)
自分の新たな側面を自覚したアマリーは、以後、彼の世話を焼くのがすっかり板についてしまったのだった。
†
そうして時は過ぎ――
アマリーがヒューイに教えを乞うてから、一年の歳月が流れた。
「アマリーさん、悪いがこれを選別するのを手伝ってほしい」
ヒューイが出先から戻るなり、いつものように研究室で手伝いをしているアマリーに言った。
彼女がヒューイの指す方に目を向けると、買い込んできたのか、それともどこかで採取してきたのか、たくさんの種類の草花が入った大きな籠が置かれていた。
「どうしたんですか、これ」
「先週行った校外学習の成果だよ」
「校外学習の?」
目を丸くするアマリーに微笑み、ヒューイは籠の中から中身を取り出す。
校外学習はその名の通り、学院の外で行われる授業だ。薬草を採取したり、棲息する動物を観察したりと場所によって課題は異なる。今年は薬草採取がテーマだったため、アマリーもはりきって参加したのだった。
「教師が確認して毒草や取り扱いが危険なものを除いたら、教材や研究所で使用するんだ」
「なるほど、これは確認後に寄付されたものなんですね……そういえば、校外学習で集めた薬草がどうなるかだなんて気にしたことなかったです」
「まぁ、そうだろうね。大体はよくある薬草だから、教材などの消耗品として使われることが多いよ。ただし、稀に希少な薬草も手に入るから、校外学習といえど、なかなか侮れないんだ」
「へぇ」と感心しながら、アマリーはヒューイに近づいて籠の横にしゃがみこむ。そして、薬草の仕分けを手伝いだした。
迷うことなく、しかも正確に仕分けていくアマリーを見て、ヒューイは口元を緩める。
アマリーが後期の薬草学の講座を受けられるまで――そう期間限定で決められた放課後の勉強会は、結局のところ一年近く経ってもまだ続けられていた。
それは、勉強会をやめたくないため、終了の話題を出さないでいるアマリーのせいかもしれない。しかも最近では、一日おきという取り決めもなくなり、アマリーは時間の許す限り研究室に通うようになっていた。
それだけ一緒に過ごしていれば、それなりに打ち解けてくるというもの。
半年近くの間ヒューイから「リヒトルーチェ嬢」と呼ばれていたアマリーだが、「アマリーシェ嬢」を経て、最近ようやく「アマリーさん」へと進化した。
そして彼女は、いつの間にかヒューイの手伝いどころか、助手と言えるほどの力を身に付けていた。
彼から特に褒められたことはないが、なかなか役に立てていると思うのは、決してアマリーの自惚れではないはずだ。もっとも、お掃除要員なのは相変わらずだが。
「アマリーさんが手伝ってくれるようになって、仕事がやりやすくなったよ」
ふとした拍子にヒューイが言ってくれる言葉に、アマリーは心から嬉しくなる。
「先生の教え方が良いからですよ」
「そうかな? 僕はあまり人付き合いが良い方ではないし、口下手だから、誰かに教えることに関しては、まったく自信がないんだよ」
自嘲するようなヒューイの言葉に頭を振り、アマリーは以前から不思議に思っていたことを訊いてみた。
「――ヒューイ先生は、伯爵位をお持ちですよね? それなのに、どうしてレングランド学院で非常勤講師をしているんですか?」
伯爵という身分がありながら、一研究員として研究に没頭するなど、普通に考えればありえない。
彼女の疑問に、ヒューイはしばし躊躇った後、ゆっくりと話し出した。
「幼い頃から薬草学に興味があってね。幸いにもその才もあったみたいで、国の役に立つ研究成果をあげることが出来たんだ。ほら、前に作った魔物避けの薬とか。あれで多少なりとも被害が減った実績もあって、それで国から予算がもらえることになった。領地は現役を退いた父が見ていてくれるし……僕はまぁ、研究すること自体が仕官していると捉えてもらっているから、伯爵家を継いだ今でも研究に専念出来ているんだ」
「それってすごいことですよね」
アマリーは感心したようにつぶやく。
レングランド学院で研究を続けている時点で、研究者としては十分認められているといえる。その中でも国から予算をもらえる研究者は、一流どころか超一流と言ってもいいくらいだ。
アマリーがそう賞賛すると、当の本人は天を仰いで苦笑いを浮かべる。
「さぁ、どうだろうね。僕は研究が好きだからやっているだけだし。それにさっきも言ったけど、人に教えることには自信がないから、出来れば教壇に立ちたくないんだ。だけど、研究者としても若者の育成はしなくちゃいけないと思うからね」
「うーん、でもわたしはヒューイ先生に教えてもらえて、すごく勉強が楽しいです。だから、そんなにご自身を卑下することはないと思いますけど」
「そっか……うん、アマリーさん、ありがとう」
てらいのないアマリーの言葉に、ヒューイは一瞬面食らったようだが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「――ッ!」
アマリーは、見たこともないヒューイの全開の笑顔に動揺してしまい、咄嗟に立ち上がろうとした。
「あっ……」
「危ない!」
急に立ち上がったせいで、バランスを崩したアマリーの身体が後ろに傾く。
(この後ろって、確か薬品がしまってあるガラス棚よね……まずいわ、怪我しちゃうかも)
アマリーは倒れ込みながらも、暢気にそんなことを考える。
すると次の瞬間、思いがけず力強い腕に抱きとめられた。
(えっ……?)
大きな手で肩と腰を支えられ、次いで全身がすっぽりとぬくもりに覆われる。
アマリーは混乱した頭で、なんとかこの状況を把握した。
(ヒューイ先生に抱きしめられている!?)
理解した途端、未だかつて経験したことがないほど激しい羞恥が彼女を襲う。
「ああああのっ! も、もう、大丈夫ですから!」
アマリーは顔を真っ赤にして、彼との間に挟まれた両腕で押し、密着していた身体を離した。そしてヒューイの顔を見上げると、ハッと顔を強張らせる。
眉間に皺を寄せ、奥歯を噛み締めて苦悶の表情を浮かべるヒューイ。いつもは彼の若葉色の瞳を覆っている分厚い眼鏡が不自然にずれている。
彼の肩越しに見えるのは、大きなガラス棚だ。二人分の体重を乗せてぶつかったためか、はめ込まれたガラスはほとんど砕け散ってしまっている。扉の木枠には、尖ったガラスが残るのみだ。
「ヒューイ先生!」
アマリーは慌ててヒューイから離れる。そして、床に散らばったガラスの破片に気をつけながら、彼の後方を覗き込んだ。
棚に残ったガラスの鋭い切っ先に血が付着しているのを見て、彼女は大きく息を呑む。
「先生、血が……!」
思わず声をあげたアマリーを、ヒューイは穏やかな声で宥めた。
「少し擦っただけだと思うから、大丈夫だよ」
「でも……」
「君の方は怪我はないかい?」
ヒューイはそう言うと、心配そうにアマリーの顔を覗き込む。
アマリーの目の前には、眼鏡のレンズ越しではない、鮮やかな若葉色の瞳。彼女は、またしても顔に熱が集まるのを感じながら、ゆっくりうなずいた。
「わ、わたしは大丈夫です」
「そうか……君が無事でよかった」
ヒューイもホッとしたのだろう。アマリーの言葉を聞いて、にっこりと微笑んだ。その笑顔にアマリーは思わず目を伏せる。
(な、なんでわたし、先生を直視できないのー!)
顔に熱が集まり、心臓がドクンドクンと激しく鼓動を打つ。自分を必死に落ち着かせようと、アマリーは下を向いたまま、何度も深呼吸を繰り返した。
「本当に大丈夫かい?」
上から落ちてくる心配そうな声に、アマリーはようやく意を決して彼の顔をまっすぐ見る。
「ほ、本当に大丈夫ですよ。それより先生の方が怪我を……」
「これくらいなら、僕の治癒魔法でも治せるから気にしなくていいよ。それにしても、助けようとして被害を拡大してしまった気がするな……」
少しばかり落ち込んだ様子で告げるヒューイに、アマリーはブンブンと大きく首を横に振る。
「そんなことありません! 先生のおかげでわたしは怪我一つなかったんですっ」
「ははっ。ありがとう。そう言ってもらえると気が楽になるよ」
「本当です。怪我がなかったのは先生のおかげです!」
必死に訴えるアマリーに、ヒューイは目を細めて彼女の頭を軽く撫でる。
「君を守れてよかったよ」
何気なくつぶやかれた言葉に深い意味はないのかもしれない。だが、アマリーには、その言葉が宝物のように胸に染みこんでいった。
†
「……そんな感じ、です」
顔を真っ赤にしてヒューイとの思い出を語り終えたアマリーは、最後はおどけた調子でそう言った。
そんな彼女に、「くっ……可愛すぎですわ、アマリー様!」などと思いながらも、表面上は至極真面目な表情でエレイナはうなずく。
「なるほど、あのエストランザ様がまさか……」
「『あの』って何よ、『あの』って」
エレイナの言外の含みに気づき、アマリーは不満そうな顔で抗議する。
「いえ、失礼ですが、あの方にそのような機敏な動きが出来るとは、少しばかり意外でしたので。その、普段はおっとりというか、ぼんやりというか……」
「エレイナ、それはちょっと失礼よ。それにそういう世話が焼けるところも良いのよ」
「というか世話が焼けるから、恋に落ちたのですか?」
正直、アマリーの好みは謎だ、と思いつつエレイナは尋ねる。
「そんなことは……それだけじゃないし……」
エレイナの質問に、アマリーは答えながらも目を泳がせた。
「でもそれは、男性としてどうなのでしょうか……」
エレイナが思わずつぶやくと、アマリーは慌ててヒューイを擁護する。
「せ、先生の良いところはそれだけじゃないわよ!」
「他にもあるのですか?」
「そりゃ、普段のどこか抜けてるところとかなんかも、可愛くてほっとけないとは思うけど、研究に没頭している時はかっこいいっていうか、なんていうか……」
頬を染めて恥ずかしそうに言うアマリーを見て、エレイナはまたしても内心で身悶える。
(恥じらうアマリー様、なんて可憐なのかしら! ……というか、このお姿を見ていると、エストランザ様が非常にむかついてくるのは何故でしょう)
ぐっと握り拳を固めたエレイナに気づくことなく、アマリーははにかみながら話し続ける。
「でもね、好きだなって自覚したのは、さっき話した……棚から庇ってくれた時なの」
そう言ってアマリーは、『あの時』を思って夢見るような表情になった。
「なるほど、いわゆるギャップというものですか。いつもは頼りなさそうなのに、危機が迫った時に男らしさを発揮すると、どんな男性でも格好よく見えるという」
エレイナのあまりの言いように、アマリーはぷっと頬を膨らませる。
「なんでそんな言い方するのよ、エレイナ」
「すみません」
あまり悪いとは思っていなさそうな口調で謝られ、アマリーはさらにふくれっ面になった。
(まぁ確かに、普段のヒューイ先生を知っている人なら、あの時の先生の行動なんて想像も出来ないでしょうけど……)
そんな感想を抱く時点で、アマリーにもエレイナを責める資格はないのだが、彼女も『自分が貶すのは良いが、他人に言われると腹が立つ』という心理に陥っていたので仕方ない。
「それに……」
(あの時のヒューイ先生の格好良さは、わたしだけが知っていればいいんだもの)
「アマリー様?」
途中で言葉を噤んだアマリーを、エレイナが不思議そうに見てくる。それに気づきながらも、彼女は軽く笑って誤魔化した。
「とにかく、そんな感じなのよ!」
どんな感じだと思いつつも、エレイナは賢明にもそれ以上何も言わず、コクリとうなずいた。しかし、ふと大事なことに気づいて口を開く。
「あの、アマリー様」
「なぁに?」
「失礼ですが、聞いているとアマリー様がお慕いしているだけ、ともとれるのですが……」
「え? わたしの片想いだから、それはそうね」
エレイナの疑問にあっさり答えるアマリー。だが、それを聞いたエレイナはとても平静ではいられなかった。
「えぇぇぇぇ!?」
常にない驚きの叫びをあげるエレイナに、アマリーは目を丸くする。
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