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1章
1.
「それで? 社長秘書になったわけでしょ?」
あのあとすぐに昼休みの時間がきて、いったんその場で解散をした。
鈴はまだ混乱を極めている脳を必死に働かせながら、ふらふらと社員食堂に入り――そこで同期である雪に捕まったのだ。
そのまま流れで一緒に昼食を取ることになり、日替わり定食をテーブルに置いて向かい合うかたちで座って、冒頭の雪の質問に至る。
「なった……」
「なにがあってそんな浮かない顔してるの?」
言われて、鈴は自分の頬に手を当てる。
浮かない顔をしていただろうか。ぎゅっと唇を引き締めた鈴に、正面から雪が身を乗り出して距離を縮めた。
「お姉さんに教えてごらーん」
「同い年なんだけど」
にっこり笑う雪にすかさず訂正をいれる。
平均にがんばっても届かない体格は前世から続くコンプレックスのひとつである。そのくせ瞳ばかり大きくて、年齢よりも幼く見られがちな外見を嬉しいと思ったことは一度もない。
せめて少しでも大人っぽく見せたくて、胸の辺りまで伸びた癖のある髪は一つにまとめているが――それもあまり効果がないようだ。
はあ、とため息をひとつ吐き出してから、鈴は雪を見た。
「……雪は副社長がどんな人か知ってる?」
「副社長?」
雪が綺麗な眉を少しだけ顰めた。
ちょっと考えるように顎を上げて、それから再び視線を鈴に戻す。
「超イケメンのエリートってことは知ってるよ」
「ちょういけめん」
あけすけな言い方にやや呆然としつつ、鈴はその言葉を反芻した。
――たしかに超イケメンではある。
前世で美形だ二枚目だと城内だけでなく城下町でも持て囃されていた織之助の評判は、今世でも変わらないらしい。
(昔の従者として誇らしいような、微妙なような……)
なんとも言えない顔になった鈴に、雪がなにか思い出したように「そういえば」と言葉を繋げた。
「ザ・できる男、って先輩が言ってたなあ。仕事が早くて部下への気遣いも完璧。あとは、飴と鞭の使い方がうまいって」
「ああ……。それはそう」
飴と鞭のうまさについては鈴も知っている――とうっかり頷いてから、ハッとして首を横に振る。
雪が不思議そうな表情で鈴を見ていた。
「いやっ、さっきあいさつ行ったときになんとなく! そうかなあって思っただけで!」
「まだ何も言ってないけど……」
「……んんっ」
取り乱したことをごまかすようにそっと咳払いを二度。雪はまだ少し怪訝そうな顔をしていたが、鈴はそれとなく話題を逸らした。
「社長と専務にも会ったんだけど、その人たちについてなんかウワサとかある?」
「あるよ~」
あっさり答えた雪の情報源はいったいどこなんだろう。
頬を引き攣らせつつ、その話に耳を傾ける。
「社長も専務もお顔がいいから、副社長と三人合わせて御三家って呼ばれてるんだよね」
「御三家」
「そ。派閥とかファンクラブがあるってウワサ」
あくまでウワサだよ、と念を押した雪に――いや、事実ありえる。鈴はほぐした焼き魚を口に運びながら神妙に頷いた。
これまた前世でも同じようなウワサがあった。
女中のなかで正成派だとか織之助派だとかがあるという――そのときは大して気に留めなかったが、時代を超えてなおこうやって騒がれているとなると、ほんの少し感心する。
「一番人気は副社長らしいけどねー。ほら、社長はちょっと近寄り難い雰囲気があるし」
「へえ……。でも、士郎さ……専務のほうがとっつきやすくない?」
正成に近寄り難いオーラがあるというのは同意するけれど、織之助だって話しかけやすいほうではない。三人の中だったら間違いなく士郎が一番話しやすいはず。
小首を傾げた鈴に、雪は人差し指を立てて振った。
「専務は女ったらしだから」
「ああ……」
なるほど、納得。
思い当たる節があり、思わず苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。
「副社長はその点、超硬派ですしー? 告白とかされたときの対応も誠実でいいって」
「そ……、いやほんとに雪はどこから情報仕入れてんの?」
「企業秘密ー」
にしし、と口角を持ち上げて笑う雪にため息。
(でも、今世の彼らをちょっと知れたのは良かったかも)
そんなことを思いながら、鈴は残りのご飯をかきこんだ。
◇ ◇ ◇ ◇
昼休みを終え秘書室に戻ったのも束の間、鈴は緊張を滲ませて再び社長室のドアを叩いていた。
「どうぞ」
中から入室を促す声が聞こえ、鈴はおそるおそる扉を開く。
呼び出したのは織之助だった。
午前中に正成に「鈴のことは任せる」といった旨の指示を受けていた織之助である。おそらくそのことについての話だろう。
「失礼します……」
おずおずと窺うようにして部屋へ入る。
会えて嬉しいはずなのに、こんなに緊張するのは――織之助が自分のことをどう思っているかわからないからか。
前世では従者としてかわいがってもらっていた。厳しいことももちろんあったが、それ以上に甘やかされていたと今ならわかる。
でも、それはあくまで前世のことで。
(もし迷惑だと思われていたら、いたたまれない)
前世からの繋がりのせいで鈴の面倒を押し付けられて織之助はどう思っただろう。
自分は――すこし舞い上がってしまった。
どんな形だろうと、また織之助のそばにいていいのだと許可を得たような気がして、つい心の底で喜んでしまった。
「鈴」
織之助以外いない社長室に、聞き慣れた低い声が響く。
名前を呼ばれただけで胸がきゅっと締め付けられて、言葉を見失ってしまう。
「……織之助さま」
――会いたかった。会って話をしたいと、何度も何度も思っていた。
でもいざ本人を目の前にしたら、どうしてか声が出ない。
ぎゅっと指を握り込んだ鈴に織之助が一歩近づいた。
「鈴」
存在を確かめるように強く、けれど割れ物を扱うかのようにそっと織之助が名前を呼ぶ。
「……はい」
短く返事をすることしかできなかった。
これ以上声を出したら堪えられず泣いてしまいそうで。
唇を噛み締めてまっすぐ織之助を見ると、その大きな手が鈴の頭に乗った。
「会いたかった」
なにか愛おしいものを眺めるかのように優しく細められた瞳に、心臓が痛いほど大きく鳴る。
手で前髪を整えるように撫でられてしまえば、もう我慢できなかった。
「わたしも、です」
溢れ出る涙を不恰好に拭うと織之助が静かに笑った。
その音がひどく心地よくて、また心の柔らかいところが震える。
拭いても拭いても止まらない涙に織之助は何も言わず、ただ優しい指が鈴の髪を梳いていた。
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