春雷とアンドロメダ

立夏

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雷鳴

03

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「い、たい……」
 次に目が覚めた時刻は朝の十一時だった。
 大学の一限目は終わっている。二限目は授業をいれていない。大学に行かなければいけなかったのに邪魔をされた。体が痛い。だるい。むかつく。気分が最悪だ。苛々する。
 起きぬけ早々に、あの男に良いように扱われて、拒否したものの聞き入れられなかった。調整、と言われて反論の言葉を失っているうちになし崩しだ。
 体が重くて痛かった。動きたくない。けれど、この場所から早急に離れたい。ああもう。どうしてこうなの。
 からり、と特有の軽い音を立てて障子が開く。
「ずいぶん寝起きが悪いな。ほたる。おはよう」
「あなたねっ……!!」
 睨みつけるものの全くとりあわれない。男が小馬鹿にしたように薄く笑う。
一体どういう人間なのか全然分からないが、少なくとも平日のこんな時間に、まだ家にいることができるような身分の人間ではあったらしい。
「"春久"だ。自分で聞いたくせに、もう俺の名前を忘れたか?」
「っ、別に忘れてないけど、どうしようと私の勝手でしょう…! それに昨日から、私を名前で呼ばないでくれる!」
「きみをどう呼ぼうとそれこそ俺の勝手だな。俺がきみの言うことを聞いてやる義理はない。さっきまでは随分可愛げがあったのに、どこに置いてきたんだ? 可愛らしく俺を呼んでたのにな」
 にやりと笑む金色は果てしなく上からだ。高圧的で嫌味。
 ひどいとしか言いようのない、勝手な言い分だ。口を縫い付けてやりたい。
「う、うるさいっ…! そういうこと言わないでくれる! 私だって、あなたに色々言われる筋合いないわ」
「きみには残念ながら相応にあるぜ。羽々斬は元々、俺のものだと言っただろう?」
「だから何よ」
「言うなれば、きみに羽々斬を貸してやっている。羽々斬を振るって相応に『異形』――あの黒い靄の連中を屠っただろう。きみは羽々斬のおかげでそれなりに生き延びてきたし、そいつが無ければ、とっくの昔に異形に食われていたはずだ。羽々斬の元の持ち主である俺に、多少感謝してもよさそうなものだがな? 対価の一つぐらい寄越してもいいと思うぜ」
「私はあなたからこの刀をもらった覚えなんかない!」
 本当に一々言い方が癪だ。
 貸してやってる? えらそうに!
 それなら返すわよ! とでも言いたいが、刀を返すのは流石に都合が悪い。勢いで啖呵を切るにしても行き過ぎだ。
 刀のおかげで生き延びてきた、というのは間違ってないから、一概には否定できない。
 仕組みは良く分からないが、あの黒い「靄」――この男が「異形」と呼ぶそれらは、普通の武器では斬れない。
 便宜上、「靄」と私は呼んでいるけれど、それが本当のところは「何」で、どうして私に見えて、何故私を追いかけてくるのかも、私は良く分かっていない。
 死にたくないからとにかく倒すか、追ってこなくなるまで逃げる。そうする以外にいつも余裕が無かった。
「まあそうだろうな。さておき、ほたる、夕方までは好きにしてろ。さっきも言ったが、少々気分が良くなったぐらいで調子に乗らないことだな。ここ数日に比べて随分マシだろうが、そいつは錯覚だ。まだ基本的なバランスが"合っていない"。あと二日はここに来い。俺が手をかけた以上は、いまさら勝手に死にたいだの、その辺でくたばるだのは許さんからな」
「ふ、二日も来るの?! というか、だから、あなたに言われなくたって私はそんなことしたりしない!」
「言ったことはやり通せよ。きみはそもそもの状態が悪い。あの程度の調整じゃ持って一日、あれ以上やればきみ、俺の霊力におそらく負けるぜ。呑まれて余計にバランスを崩す。時間が経てば昨日の状態に逆戻りだ。そもそも羽々斬はきみに由来する力じゃないから、定期的な調整も要る」
「……確認するけど、あなたが言うのが正しいとして、私が体調が悪いのは、この刀のせい、で良いわけ? これが、元はあなたの持ち物だから?」
 この刀が幾度も私を救ってきたくせに、今度は首を絞める? なんだか笑えない。
「きみが信じる信じないはどうでもいいが、まあそんなところだ。『遠間』にいる以上は諦めろ。さっき大学って言ったな。きみ、最近「遠間」に来たんだろ。なら一回生か。まともに大学に行くつもりなら、少なくとも四年」
「四年も!?」
「きみはそれなりに霊力がある。ゆえに異形共はきみを喰おうとする。単純に自らの糧に成り得るからな。きみが徒人(ただびと)なら死のうと生きようとさして関係は無いが、きみが異形に食われたせいで、著しく妙な力を持ったモノが出来上がるのは面倒極まりない。調整もせず、俺の霊力をまともに制御できずに、そういう様を見せるのであれば、」
 抜き身の刃そのもののように、怜悧な声。
「今更とはいえ、ひと思いに俺がきみを殺してやろう。人の法があるからそれなりに煩わしいが、それ以上の手間を増やすつもりはない」
 一切の冗談抜きに、金色の目が笑いもせずに私を見る。威圧。目を逸らしたら噛みつかれる。喉元に刃を突きつけられているような錯覚を覚える。
 怖気付いたら負ける。この場で文字通り殺されかねない。
「―――言ったはずよ。あなたに、殺されるつもりなんかない。あなたがいう「異形」に喰われるつもりもないし、大学を止めるつもりもないわ」
 今更、こんなことで人生を変える気になんてなれない。そんなふうに逃げたら、いつまでも私は逃げ続けなくてはいけない気がする。誰も私を助けることなど出来ないし――私にだって、誰かに助けられる気など、さらさらない。
 だからといって、「調整」を大人しく受け入れるとまでは、言いたくなかったけれど。
「分かりやすいな。そんなに死にたくないか」
「当然でしょう」
 威圧がふ、と消えて肩の力が自然に抜ける。得体が知れない。何なの、この男は。
「それなら良い。俺の手間も減る。そういえば、ほたる。きみ、「遠間」に来る前はどこにいた?」
「……なんで言わなきゃいけないのよ」
「必要以上に刺々しいのは可愛くないな。それとも、無理矢理口を割らせられるのがお好みか?」
 く、と腕を掴まれ指先で顎をすくわれる。愉快気に笑う金色にかっとなって、思い切り腕を振り払うと、予測していたのかすっと離れていく。むかつく。かすりもしない。
「~~っ、余計よ! 触らないで! ――東野(あずまの)から来たの! 離れて!」
「おっと、手厳しいな。……東野か。『ひとかど』の領域だな。異形発生率の報告とも合うか」
「何よ、それ」
 ひとかど? 
 どんな字を書くのだろう。そういう珍しい、他に聞かない名字の人間が、私の幼馴染に二人いる。 二人兄弟で、兄の方は私の二つ上。妹は同い年だ。
 兄とは気が合わないが、妹とは小さなころからずっと仲が良い。
「きみが遠間に来てから、やたら俺の霊力と干渉するせいで『界』が幾度かねじ曲がった。挙句、界のねじれに寄せられるように異形が増えている。さながらきみは、歩く『異形寄せ』だな。きみのいる場所から界が歪む―――俺の仕事が増えるわけだ」 
 また霊力だ。界が歪む?
 何を言いたいのか理解できない。難しい言葉はないはずなのに内容が奇天烈すぎて一切頭に入ってこない。
「分かるように言って。だから、霊力とか、異形とかって、一体何なの?」
「へえ……思った以上にろくに知らんな」
 尋ねたところでこの男はやっぱり説明する気がない。苛々する。話に置いていかれてしまう。上から言われて腹が立つ。
「それでよく五体満足でいられたな。楽観的、途方もなく幸運。驚くより他ない」
 褒められている、というよりは明らかに馬鹿にされている。
「……っ、ともかく……私が、ああいう、あなたが「異形」って呼ぶようなのを、引き寄せてるっていいたいの?」
「きみが望むとも、望まずともな。まあそういうわけで、きみの霊力を調整して、まともな状態にしておくのは俺としてもそう悪くない。現状のままだと仕事は増えるが、ここ数日が関の山だろうし、きみを置いておけば、あちらが勝手に寄ってくる。探す手間が省けて都合がいい。利を選んでおびき出せるしな。何にせよ、きみに対しては、それなりに手をかけてもいい価値がある。言わば、等価だな。俺にとってもまあまあ利があり、きみはもてあました羽々斬をどうにかできる。一石二鳥だろ」
 くつくつ笑って、その手が私の頬を触るのを思わずはねのける。 
「勝手ばかり言わないでくれる!」
 言いたいことの半分も分からないにせよ、つまり、私は、この男にとっては偶然にも便利な道具の一つだということは良く分かった。
 私を「調整」するのは、この男にとって都合が良い。
 あれこれ言って「殺してやろうか」なんて言うくせに、見捨てておくよりもきっと、生かして使うほうが都合が良い。
 わざわざ過激なことを言うのは、この男の目に適うかどうか、篩(ふるい)にかけたに違いない。この気分屋具合と、滲みでる行き過ぎた合理主義感からするに、面倒事は嫌いなタイプだろう。「死にたがり」の人間による面倒事は嫌いと見える。

「ほんと、気が強いな、ほたる。どうしてそういう性格になったんだ? なかなか愉快じゃないか。昼間なら調子もいいだろう。夕方、日が暮れるまでにここに戻ってこい。死にたくないならな」

 からから愉快そうに、すっと目を細めて男が笑う。
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