春雷とアンドロメダ

立夏

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雷鳴

04

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 用事があるのか、行き先も告げず、私より先にあの邸から出た男のことはもう知りもしない。
 一体全体、何なの! あの男は!

「一限目欠席だったけど、どうしたの? 今日は出席無かったよ」

 あのだだっ広い邸から出て徒歩で十分、そこから電車で三駅。国立藤ヶ浦(ふじがうら)大学法学部。春から私が通っている大学だった。今日の三限目は教養科目だ。
 私の家は、あの男の邸から電車で二駅。大学の近くだ。昨日のままの服で出かけるわけにもいかず、一度家に帰った瞬間に、ほっとして玄関に座り込んでしまった。思った以上のストレスがあったらしい。当然だろう。
 主にあの男のせいで、いつも以上にわけがわからない。

「何でもないわ……教えてくれてありがとう」

 大学で出来たばかりの友人に尋ねられ、適当に返したが、感情は言葉とは正反対だ。
 何でもない? そんなわけがない。
 自分でも何が何だか分からない。感情の整理がつかない。体が痛い。激しく怒っているような気がするのに、ふいに脳裏をよぎる金色の目だとか、声だとか、無駄としかいいようのないぐらい出来のいい顔立ちを思い出すはめになり、頭を打ちつけて地団太を踏み、いますぐ刀を抜いて、あの男を斬りつけたいような衝動にかられる。
 攻撃的すぎるし、さすがにどうかしている。それぐらいには落ちつけない。
 気が付けば今日の講義の全てが終わっていた。
 内容は何も覚えていない。それにも関わらず、ノートだけはいつも通り、むしろいつも以上にしっかり取っている。教授のくだらない与太話まで書いていた。どういうこと。

 黄昏時に大学の樹木が赤く染まっている。
『ほたる。選べ』
 死にたくは、無い。
 でも、納得がいかない。
 何なの。説明を何もされていない。だから余計に反発したくなる。
 なら話を聞けば、納得できれば、私は気が済むの?
 それもよく分からない。わからないことだらけだ。
 とにかく状況が嫌で、変えたい。そのくせ、何が嫌なのかもわからない。堂々巡りだ。

「意外だな。あの様子じゃ、きみは俺の言うことなんざ無視するかと思ったが」
 夕方になって、結局私はこの男の言ったとおり、その邸に戻ってきていた。
「あなたは私を馬鹿にしすぎよ。―――説明して」
「ふうん、何が知りたい? 大概説明してやっただろう。きみが理解したかどうかまではしらないが」
「他人に説明してやるほど俺は暇じゃない。手はかけてもいいが、そういう一々に、きみに時間を割く気分じゃないな。大人しく調整されて、『こちら』には必要以上に首を突っ込まず、あとはそれなりに生きていくぐらいが賢い生き方だと思うぜ。羽々斬がきみを選んだから、多少はたしかに仕方ないが」
「私はそうやって流されるのは好きじゃないわ。賢いとかどうとかじゃなくて、私が許し難いのよ。私は私の好きなようにする。あなたは私の都合を無視するのだから、私があなたの都合を無視したって構わないわね。気分が乗らないとか知らない。いいから説明して。
 首を突っ込むなというけど、最初から私はあなたの言う「そちら側」に足を踏み入れてる。あなたはあの靄を異形と呼んだ。あれが見えているんでしょう? それに、その刀は、私のものとどう違うの」
 叢雲むらくも。この男はその刀を、たしかにその名で呼んだ。
「何故あなたは、あれが見えるの?」
 あなただけが見えるの? だとしたら、私は何なの? 私はどうして見えるの?
「この跳ねっ返りが。俺にこれだけ言われて退かないなんざ珍しいにもほどがある」
 金色の目が瞬いて目を細め、唇を釣り上げる。
「まあいい。きみは短慮なようだが、その気の強さは割合嫌いじゃない」
「は? っ、ちょっと――!?」
 ぐい、と引き寄せられたかと思えば唇をかすめ取られ、顎を掴まれて口づけられる。執拗なキスが昨日の記憶を思い起こさせる。喉から白い光を思わせるような、この男の霊力が流れ込んでくる。
「……んっ、っ、……!」
 こくりと嚥下した途端、体が軽くなる。
「随分自分の状態に疎いみたいだが、そろそろ時間切れだと思うぜ。……さて。そんなに知りたいなら付いてくるか? 俺は特段の教師役をするつもりはないが、きみが勝手に考える分には止めもしない。そんなに言うなら自分で確かめろ。踏み込むべきかどうか、――直に目にしてなお、逃げ出さずにいられるかどうか」
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