春雷とアンドロメダ

立夏

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劫火の修羅

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 夕飯の片付けは縣が引き受けてくれた。私がするからいいのに、と言えば「これぐらいは」と言われてしまい、縣がどうにも引かないので結局任せた。もともとは縣がしていた仕事であるし、何かこだわりでもあるのかもしれない。
「それで、どこまで読めた?」
 居間で一息つくと、縁側で本を読んでいた春久から尋ねられた。やはり大学の教科書だか、専門書だか、とにかく難解そうなものを手にしている。
「一応、全部は」
 私がこの家に来たのは、大学が終わった後、一度自宅に寄って、着替え等を入れ替えてからになる。
 夕方、私より遅く帰ってきた春久は、異形の掃討―――領域の「管理」に出向く都合もあるせいか、早めに食事を取るのが常のようだった。
「全部? へえ、きみ、物覚えは悪くないんだな」
 ちょっと驚いたように言われたのが心外だ。
「別に勉強は嫌いじゃないわ。全部は理解できていないと思うけれど、表面上は覚えたつもり」
「ふうん。なら、ほたる。霊力の定義について説明しろ」
「見えない力の総称よ、具体的な区分はないの。人が測るすべを持たない事象を成り立たせる力を纏めて霊力と呼ぶわ」
「正しい。『霊力』の定義は、少々どころではなく強引だ。区分そのものが雑で判然とせず、明確な定義を持てない。包括的な呼び名だ。見えざるがゆえに知りようがない。何千年もこの部分については残念ながら進歩してないな」
 そもそも今日の授業は比較的空いており、加えて四限目は休講だった。
 夕飯の買い物をしても時間は十分にあり、もらった本を読み進めるのはそう難しくなかった。
「次だ。異形が発生するのは何故とされているか」
「分布図のように、『界』を重なりあう円のように考える人と、二本の、絶えず交差して、つかず離れず定期的なサイクルを繰り返す鎖のように考える人がいるわ。主流は後者。片方の鎖を私達の界――『事象界』とすれば、もう片方は『異形』の界たる『不可視界』。鎖が交差した時に、『異形』が私達の『界』へ流れ込むの」
 落ちつかないような心地を覚えながら、答えを述べていく。間違っていないとは思うけれど、春久が私を見つめる視線の真剣さに緊張感を覚える。試されていることを強く感じる。生来の負けず嫌いゆえか、どうしても負けたくない気持ちがむくむくと沸いてしまう。

「霊力の利用について例を三つあげろ」
「異形を滅すること、封印すること、それから発生そのものを無効化すること、かしら」

「そうだな。そのなかでも特に、遠間は異形を屠ることに霊力が特化している。この近辺の界隈で、霊力を扱う家系は三つ。遠間、一角、そして上総かずさ。一角は無効化を、上総は封印を得意とする。管理領域はそれぞれに異なる。結界に必要な要件は?」

「元になる霊力と、閉じた図形があること。それから、その結界で何をするかの方向性を自分で分かっていること。図形は特に円が望ましいわ。円には『切れ目も角も無い』ために、出入り口に相当する始点と終点がなく、極めて壊れにくいから」

「それでいい。異形の『存在』を考慮するうえで外せない宗教要素を並べてみろ」

「特に日本神話。日本書紀、神道から舶来の仏教、八百万の神々のすべて――ありとあらゆる神話が、『異形』が成してきた事実なのだけど、伝聞として長い年月を経て漠然としたために、『神世の物語』であったと考えられているの」

 春久の試問は要領を得ていて、基本的な知識事項の確認が主だっていた。
 これだけぱっと、要点をついた質問が矢継ぎ早に思いつくのを、改めてすごいと思った。
 春久は遠間の家の人間で、これらのことを生業としているとは言え、貸してもらった本にない内容は一つも問われなかった。内容をおそらく覚えているのだろう。読みこんだ跡は、春久によるものなのだろうか。

「上出来だ」

 にい、と満足そうに金色の目が笑い、わずかに唇を釣り上げる。絶世の美貌をした男がわずかに表情を動かすだけで凄絶だ。
 初めてそうやって笑うのを見る。
 褒められるのは完全に予想外だったせいか、どくん、と心臓が音を立てたような気がする。

「今日の座学に補足はいらないな。ほたる。次は御手並拝見といこうか」
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