春雷とアンドロメダ

立夏

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劫火の修羅

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「なってない! 脇が甘い!」
 本格的な日暮れ後、庭先は視界不良で見通しが悪い。
 苛立たしげに怒鳴られるのを聞いているだけ、というのは癪で、言い返してやろうと思いこそすれ、実際に無駄口を開く余裕が全く無い。
「っく!」
 口頭諮問は春久の予想以上の成績を出せたらしく、及第点を軽く越えられたようだったが、かわりに実戦はひどい有様だった。
 春久が上段から振りかぶった刃を無理矢理向け止めると、ギイン!と金属が音を立ててぶつかった。この一手は完全に計算だろう。春久が、私の"振り"にあわせて、わざと刃を交えるようにした。小手調べの一環だ。意図が分かったところで、現状をどうすればいいかがわかるわけでもない。
 力を流しきれずに手首が痛む。一撃が重い。
 男だから膂力が上回っているのは当然とはいえ、あまりにも剣戟が重い!
「っい! ―――、う、、く…っ!」
 子供をいなすように弾かれて、地面を滑るように四歩ほど後ろに下がらせられる。
 どうすれば勝てるのか、どうすれば、ただの一撃でも春久に入れることができるのか想像がつかない。神鳴のようにぎらりと光る金色の目が不機嫌そうに私を見るなり、頭が痛いとばかりに溜息をつく。
「正直呆れるな。そんな様でよく異形が斬れるものだ。力推しすぎる。全く羽々斬はばきりが使えてない。宝の持ち腐れだ」
「……悪かったわね」
 言い返せなくて睨む以外にしようがない。今まではたしかにこれでよかったけど、このままではいけないから、春久が言ってることは、あまりにも口が悪くてむかつくとはいえ、正論だ。
「とにかく、―――あの修羅が現れるまでに、羽々斬をもうすこしまともに制御しろ。その様じゃ、呪術の使用は当面不可能、禁止だ。書面で読んだからといって試すなよ。どうなっても俺は知らないぜ」
「……っ、言われたことは守るわよ」
 けほ、と咳こんだ。肺が痛い。さっき避けるときに、思い切り転んだときに打ったせいだろう。
「羽々斬の性能は最低に近いとは言え、反応そのものはそう悲観するほどでもないか。誰に習った?」
 強烈な殺気に体が反射で動くが、受け止められる気がしない。
 キイン、と刃が上滑りした! 涼しげな春久に問われるが、私には余裕がない。
 間合いに入れるかどうかさえコントロールされている。全く自分の思う通りに出来なくて、何もかもが春久の手の上で、思ったとおりに動かされている。
「――っく、! 幼馴染と、一緒に習ってたのよ!」
「幼馴染? 一角のお抱えか。それなら納得がいくが――、それだけしたくせに、修羅のせいで一角はきみを手放したのか?」
「そんなの、私はしらない、わ……!」
 不服、不機嫌――あるいは苛立ち。金色の目の奥で雷が落ちる。
「あの狸に良いように使われたな、―――いや、」
 体を捻り体勢を立て直すことすら許されず、春久が大きく踏み込んだ瞬間に間合いを詰められ、真正面から叢雲の一撃を受けてしまう――バキッ、と嫌な音をたてて羽々斬がメキ、と音を立てた!
「最初から全部計算か。吉野のやつ」
 折れる!
「――!? っ、いった!」
 キン! と羽々斬が叢雲に真っ二つに折られ、粒子に融けていく。
 羽々斬が折れた瞬間に痛みが走った。呻いているような暇は無く、形を失って溶けかけの柄を手放し、叢雲に体を斬られる前に転がり込んで逃れる。
 死にたくない!
「大方、一角椿の仕組みか。上手く妹の計画に乗りやがって」
 もう一度羽々斬を呼ぼうとしたところで、視線をあげた瞬間、眼前に刃を突きつけられる。
 圧倒的、だった。
 私ができたことはなに?
 せいぜい一撃を受け止めることさえままならない。逃げてばかりではいけないのに、攻めさせてもらえない。隙が見えない。
 こんなに、こんなに強いくせに―――この人、本当に人間なの?
「さっきから、わけがわからないのよ……椿が何! ちゃんと説明しなさいよ!」
「一角の妹を気にしてる余裕があるとは思えんな、ほたる。弱いくせに、背負えもしないものまで手を伸ばすのは感心しない」
 冷徹に金色が光る。喉の傍、触れれば皮膚が斬れる手前まで刃を突きつけられ、体がのけ反る。
 内臓を痛めている気分だ。体をわずかに動かすだけで呻きそうになる。骨が折れていたりはしないと思うけれど、こんなに手酷く稽古をつけられたことはない。本当に手加減なしだった。
 文句や恨み事を言うつもりは一切ないけれど、この男が「する」と言ったことには一切の冗談や手加減、誇張が含まれないらしいと身をもって思い知る。
「いっ、……もう、一回よ……どうすべきかは、十分に知った後に考えてもいいはずよ。あなたにあれこれ、言われる筋合いない」
「弱いくせに一人前のような口を叩く。二兎を追ってもきみには一兎も仕留められまい。―――羽々斬がこれだけ鈍らで、強度が弱い理由は何だと思う?」
「私が、っ……弱いって言いたいの」
「それ以外に答えがあるはずもない。具体的に言うなら、きみの霊力の質が不十分だからだ。きみが持つ霊力そのものの質は問題じゃない。『羽々斬』の練成技術が圧倒的に不足している。『羽々斬』はそんなに弱くないぜ。元は神代の刀と名を同じくする、十握剣とつかのつるぎが一振り、天羽々斬あまのはばきりにその名をあやかる。八俣遠呂智やまたのおろちを斬り伏せる神代の剣が、あの程度の雑多な修羅の前に折れるはずもない」

 落雷。神でも相手にしているんじゃないかと錯覚しそうになる。金色の双眸が私を見降ろし、その目の色に影がかかる。何の色もない。人間離れしている。澄みきったように、透明。
 情けも慈悲も一切ない。その稲妻がどこに堕ちるか、選びもしないし、選べもしない。
 神の裁き、神鳴りと思わせる金色。

「羽々斬は叢雲よりも『斬る』ことに向く。ほたる。それは元は俺の刀だ。俺の刀を持つ以上、なまくらのまま錆びつかせるなんざ許さん。立てよ。俺に呪術を使わせるぐらいじゃなきゃ、面白くない」



「―――『界』が混ざったな」
 一時間が経った頃、春久がふいにそう言い、今まで私に向けていた殺気をしまいこんだ。
 その瞬間、がくりと膝をついてしまう。幾度となく庭の地面に転がされて、立ち上がるだけにも時間がかかるようになっていた。
「っ、……う、……」
 このうえなく体がぼろぼろだった。痛くてたまらない。
「ほたる。今日は異形退治についてこなくていい。その様じゃあ足手まといだ。明日も界が混ざるようなら実戦を兼ねる。そのつもりでいろ」
 悔しい。悔しくてたまらない。
 一太刀すらまともに入れられなかったどころか、途中からは力の差を見せつけるように、春久は叢雲を光の粒子に砕いて、具現化を解いた。
 私が踏み込むのを最小限の動きで見切り、わずかだけ体をずらして避ける。そのまま勢いのついた私の腕をなんなく掴み、捻りあげて、何度も羽々斬を『素手』で折った。正確には春久の金色の霊力を纏った手のひらの力で、文字通りバキ、と嫌な音を立てて何度も羽々斬を折られた。
 わけのわからないやり方に目を白黒させてしまったし、二回、三回と同じことを許してしまったのが悔しい。力量差が開きすぎていてどうにもできなかった。
「いた、っ、ぁ、……は……」
「仕様のない」
 最終的に痛みに動けなかった私を、春久が抱えあげる。
 足に腕を回され、背を抱き起こされるものの、丁寧なやり方でも痛みが走るほどに体が痛めつけられていた。呻きそうになるのを堪えるものの、痛くてたまらない。抱きあげられたまま、部屋に連れられ、布団の上に抱き降ろされた。
 布団はおそらく、縣が見越して用意していたのだろう。あの式神は命令されるまえから予測して動いているようだった。
 運んでもらったことに感謝しようにも、痛みが走る。声を出すことさえ億劫だった。
『少し寝ろ』
 ふわり、その手が金色の光を纏う。
 ふわりふわりと粒子が浮いて、細い螺旋を描くように視界で煌めく。どんな作用があるのかはわからないが、おそらくこれも呪術だろう。
 春久は、先程の稽古等ものともせずに、これから「遠間」の領域の異形を狩る。私が動けなくなるほどの疲労をものともせずに、今度は「本当」の戦いをする。
 春久との力量差ゆえに一方的に私が押されたせいもあって、私はここまで動けないほど痛めつけられたけれど、それを除いても、普通に考えて、決して楽と言えるような運動量ではないはずだ。
 それにも関わらず、春久は汗のひとつもかかず、涼やかな顔をしている。
 一歩間違えば、本当に死にかねない世界に行く。
 それは私がさっきしていたような、訓練でも稽古でもない。
 何度となく、春久はそういうことを繰り返している。―――だから、どうしようもなく、強い。
「縣、様子を見ていろ」
「はい」
「ほたる」
「っ、なに……」
「夢を見るようなら、羽々斬を呼べ。それさえできれば、あとはなんとかしてやる」
 相変わらず無茶苦茶をいう男だ。それが出来たら苦労なんかしないだろう。
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