春雷とアンドロメダ

立夏

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劫火の修羅

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「きみも一限か。別にわざわざずらして出る必要もないだろ?」
「一緒に出る必要だって無いわ」
「機嫌悪いな」

 反論したところで聞きいれられるはずもなく、結局春久と一緒に家を出た。駅までの十五分を一緒に歩く。
 四月の終わり、ほとんど散った桜並木。今年はどちらかと言えば寒かったので、桜の花のいくらかはまだ残っているが、葉桜だ。
 薄い春の青空、残ったわずかな桜の花弁がはらりはらりと散っていく。ときおりそれを見上げるようにしながら、春久が私の少し前を歩いている。
 それだけで何故こんなにも様になるのか理解できないけれど、もはやこの男の造形は、天地がひっくり返った程度では評価が変わりようもないほど圧倒的で絶対的だ。
 この男の造形を認めない人間がいるとしたら、それはただの嫉妬でしかないだろう。

 睡眠をとったり不機嫌をしたりしているから、やっぱりこの男にもそれなりに「人間らしい」ところはある。神、ましてや異形なんかではないと分かっているし、たしかに本人もそれを否定した。縣に比べるとやはり充分に人間らしい反応をしている。
 そうは分かっているが、人間らしく見えないことも多い。

 春久の金色の目には、頻繁に視線を奪われる。その異常なほどの綺麗で、透き通った色はやっぱり神がかっているような気がしてならない。稲妻そのもののような苛烈な色だ。

「ほたる。桜、ついてる」

 ふいに春久が手を伸ばし、私の髪を梳いた。

「な、なに? いきなり。外なんだけど、やめてちょうだい」
「そんなに噛みついても仕方ないぜ」
「これぐらいなら、自分で取ったわ。あなたは私で遊びすぎよ」
「やっぱりそういう顔をする」
 喉で軽く笑われる。
「どういう顔よ」
「さあな。鏡で見ればいいんじゃないか?」

 駅の雑踏のなか、改札を抜ける。他愛のない話が案外続いていた。
 日を追うごとに、加速度的に春久と普通に会話できるようになっていた。
 多分あの縁側で、物理の話だとか、異形のことだとかを話しているからだろう。
 話が一切通じないような人間かと思っていたのに、そうではない。それどころか、その知識の多様さには舌を巻く。

 性格の悪さはどうしようもない。触れれば斬れそうで、機嫌の予想は出来ない。良いかと思えばあっというまに崩れる春の悪天候染みたところも当然ある。
 それでもこの男が、最初ほどは苦手ではない。
 異形のことなら、「教える」といった手前もあるせいか春久は回答を嫌がらないし、もったいぶらない。その説明は何より分かりやすい。

 駅のホームは雑踏で溢れていて、全部がかき消されそうな空間にアナウンスだけが上手に響く。
 7:45。電車が来る。朝のラッシュは満員だ。
「鮨詰めだな」
 長身ゆえに、頭ひとつ周囲から抜けた春久が、余裕そうに吊革を掴む。鮨詰めだ等と言うわりに、微塵も苦労している様子がない。
 ぐらり、と電車が動き出した途端、後ろから人がよろめいてぶつかられ、バランスを崩しかける。
「っ、」
 見かねたのか何なのか。春久が私の背に腕を回し、抱きこむように支えた。体勢を入れ替えるなり、私を電車の壁側へ追いやり、守るように囲う。
 思わず驚いて見上げれば、金色の目がこちらを見下ろして瞬いた。くつり、と男が声を潜めて笑う。
「!? 春久、―――!」
 抗議をしようとしたところで、電車のなかだから大人しくしてろ、とばかりに人差し指を唇にあてられ、返す言葉ごと全部消えた。呼吸が止まりそうだった。耳が熱くて、燃えてしまう気がする。
 そんなことをされて、たまったものじゃない。

 わざとなの? どれだけ自分が整った容姿をしていて、問答無用とばかりに人を惹きつけるのか、この男は本当に分かっているのだろうか?
 性格の悪さは嫌というほど知っているのに、それを抜きにしても何かしらの勘違いしそうになる。

 電車が揺れながら走行する。わざとらしく抱きこまれるものの、反射で拒絶しようとしたら余計に力を入れられて逃げられない。肩が痛いほど抱きこまれていた。春久がまだくつくつと、わずかに肩を震わせて笑っている。顔をあげられない。

 はやく、はやく終わってほしい。一刻もはやく駅についてほしい!
 どくん、と強く、ゆっくりと脈打つ春久の心臓の音が、衣服越しに聞こえる。

 到着のアナウンスが車内に流れ、電車が減速する。抱きしめられているせいか、揺れが全く影響しない。この男は一体どんなバランス感覚をしてるんだか。
 8時ちょうど、定刻通りに駅に着いた。たった十五分のわずかな時間が恐ろしく長く感じた。
 扉が開いた瞬間なだれ込むように人が往来を始める。最後まで庇われるように、エスコートでもされるみたいに、手を引かれてしまい極めてどうしようもない気分になる。
「ねえ、いい加減、離してっ……」
「なんだ? 意識でもしたか」
「するわけないでしょう! ばかなんじゃないの! 本当に!」
 からから春久が笑い、にやにやと金色の目を意地悪く光らせる。
「そんなに真っ赤になってちゃ説得力がないぜ。あー、おもしろいな、ほんと。ほたる、じゃあな。――あ、夕飯はグラタンにしてくれ。海鮮」
 否定する間もなく、春久が背を向ける。私の大学は東口から降りるのが近いけれど、春久は西口から向った方が早い。
 雑踏の中あっという間にその姿が見えなくなる。朝からわけがわからない気分だ。
 困ったような、苛立ちのような、くすぐったいような。色んな気分がないまぜになって仕方なく肩をすくめる。むすっとしたところで苛立ちを現すような相手はもう見えない。

「……別にいいけど……いえ全然良くない……! むかつくっ……作ればいいんでしょ、作れば……!」

 わけがわからない。海鮮? あの男の分だけ、ぜんぶ海老にしてやろうかしら!
 でも毎回美味しいって言ってもらえるのは、単純に、嬉しかった。
 金色の目。さらさらの黒髪。整った、端正な顔つき。男性にしては長い睫毛。長身で、その体躯はバランス良く鍛えられている。
 神がわざわざ筆をとったような容姿の男が、悪態も性格の悪さも滲ませずに素直に賛辞を送ってくると、この男がどれだけ性格に難があることが分かっていても、どきりとしてしまう。
 きっと単なる条件反射だ。意識しすぎるのはよくない。

 大学から戻って、また遠間邸に来た。
「お邪魔します……」
 春久がいないのにこの家に一人で来るのもなんだかそれはそれで、という気分だけれど、用事があるのはたしかだから仕方がない、となるべく意識を外に出す。
「おかえりなさいませ、高原様」
 私は別にこの家の人間じゃないから、おかえりなさいと言われるのも不思議な気分だ。

 最初に一通りの稽古を縣とつけたあと、読むように言われた本を読み始めるものの、はじめに指定された本ほど簡単には進まない。
 全く内容が入ってこない理由はいくつかある。言葉が古い。いくつも専門用語があって何が何だかわからなくなりつつある。極めつけに、あまり得意ではない日本神話と神道、仏教――ようはいくつもの宗教概念が入り混じっているからだ。
 今更過ぎたことを言っても仕方ないが、高校の時に日本史を選択しておけばよかった。私は世界史を選択した。

 そうしているうちに、随分時間が経っていたようだ。
 いつのまにか大学が終わって家に戻ってきていた春久が、私の頭上から手元を覗き込む。
「苦戦かい?」
「そうよ」
 からかうように言われる。むかつく。でも分からないんだから、分かるまでやるしかないじゃないの。
「霊力の使い方は多少分かったか?」
「……まだ、出来てないわ」
「ふうん―――霊力の使い方には呪術を行使するだけじゃなく、人間の肉体そのものを無理矢理強化するやり方がある。
 人の血肉に浸み渡っているんだから当然といえば当然なんだが、宿る器そのものを強化するように働きかける。まあ、体内の化学物質の代わりのような働きだな。だが、これを多用するのは感心しない」
 なぜ、を問いかけるのは簡単だったけど、この男は私が検討違いだろうとなんだろうと、とにかく自分で推論を出して、それを聞くのを好んでいるようなところがある。
 金色の目が試すように私を見ている。
 おおよその場合、ヒントはこの男が言った言葉のなかにわざとらしくちりばめられている。けれど、知識量が違うせいで拾いきれないことも多い。
 何よりこの男は、生粋の理系の脳をしているせいか、例えがいちいち科学に基づいていて――おそらく異形や霊力への理解も、科学の仕組みになぞらえて自然に考えているから、その比喩そのものがわかりにくいときも多い。
 無理矢理強化するようなもの。化学物質。
「ドーピングみたいなもの? 副作用でもあるの」
「察しは悪くないよな。短慮だが」
「一言多いわ」
「無理に動かすからには、当然身体に負荷が懸かる。通常人間が意識下では外せないとされる身体的制限が外れる。瞬間の反射は通常ありえない反応をすることができるが、呪術を解いてみれば筋繊維が崩壊してまともに使い物にならない、なんていう様になりかねない。呪術的にも割合コントロールが高度だ。
 きみが一週間で付け焼刃でやるには全く勧められないな。
 肉体強化を普段から利用すれば、異形との戦闘は当然楽になる。が、楽をすればその分、基礎鍛錬を人間はどうしてもおろそかにする。隙が出来る。あまり褒められたものじゃないな。かといって、手段として利用できないままでいると咄嗟のときにどうともしがたい。最終手段の一つ、ぐらいに考えるのが懸命だ」
「あなた、いくつそういう技術を持ってるの?」
「さてな」
 教えてくれないらしい。付け焼刃で覚えられるわけもなく、知識が膨大なのは分かるけれど、こう毎日毎日違う話をされると、終わりも全貌も見えないのでなんとなく不安になる。不安になっても仕方ないから、やっぱり勉強するしかないのだけれど。
「霊力が多い人間はそもそも体調を崩しにくい、とは話したな。霊力は人の脆さを補填する」
「昨日の話ね」
「そうだ。霊力は大概の怪我や、体内の不調を補う働きをする。霊力がそういう働きをしてみせる理由はわからないがな。筋繊維程度なら、数日大人しくしておけば霊力が修復を働かせるがゆえに、通常なら後遺症が残るような怪我でも問題なく回復しうる。さも万能と言いたげだろう」
「違うの」
「違うな。代償のように、霊力自体を損なった場合は、反動が来る」
「反動?」
「低気圧にむかって勢いよく大気が流れ込むようなものだ。霊力が減ると、減った霊力を急速に補おうとする。だが、これに対して原因は分からないが、とにかく肉体が強烈に反発し、拒絶反応を起こす。霊力は無くても別に死にやしないが、この補填に関わる部分だけは舐めてるとかなりきつい」
「私が具合が悪かったのは、羽々斬のせいって言ったわよね。それとは違うの?」
「違うな。きみの調子が悪かったのは、霊力を失った反動ではないにせよ、状態としては近いがな。
 自分の霊力をまともに認識してないようだが、きみはそこそこ霊力の量も質も高いからな。反動を制御できないと、不必要に痛い目にあうぜ。だが、まあ大袈裟な呪術を使用しないうちは特に問題ないだろう。羽々斬程度ならどうにかなる。
 反動制御はそうそう簡単にできる話でもないから、これについては後回しだ」
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