春雷とアンドロメダ

立夏

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劫火の修羅

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 水面に揺れる月を食べるように、ぽちゃん、と水面から穴が開いた。
 魚が泳いだらしい。
「鯉?」
「餌やると寄ってくるぜ。縣が持ってる」
「縣は何でもしてるのね」
「庭のことならな」
 ざわざわと水面を波立たせるが、しばらくすると水面がまたきれいに凪いで、水に浮かぶ月が戻る。星空は少し遠く、月の光が強いがこれはこれで綺麗だった。

 ふいに春久を横目に見ると、こちらを見降ろされていてどきりとさせられる。
 びくりとたじろぎかけるものの、温度のない視線は茶化すでもなく、す、と特に感慨もなく私を見、水面に映る月へと視線を動かした。

「話を戻す前に、ついでだから前提を補足しておく。
 界の重なりはおよそ恒久的に続いていると言っていい。氷河期や、月の満ち欠け、惑星の公転軌道を繰り返すように、つかず離れず、重なっては離れることを周期的に繰り返す。
 異形は界の重なりを原因として発生する。
 つまり、界が重なる限り、異形は無限に、永続的に発生を続ける。
 界が重なる時刻は、およそ夜の19時から深夜の2、3時まで。その時刻の間中、界が重なっていることもあれば、わずか三十分の日もある。日に寄りけりだ。毎日かと思えば週に一度のときもある。規則性は変動する。それ以外の時刻に界が重なることもあるが例外的だ。

 不可視の界に由来する異形は、事象界にとって存在が非常に異質であるがゆえに、ありとあらゆる歪みを引きおこす。この場合の歪みは現象として事象界に現れ、「干渉」する。
 異形の存在としての半端さが、事象界へ影響を引き起こすんだ。元は「不可視界」の存在のくせにな。存在の多様さはきみも想像がつくだろう? この間から、狼だの奇形の鳥だの、獅子だのとレパートリーには事欠かない。あまり力を持たぬものから、一体で凶悪な力を持つ、あの修羅のようなものまで、形も力も様々だ。

 この、異形に寄る「干渉」は、様々な形で残っている。天災の類が多いが、火山の噴火であったり、豪雨、伴う洪水、がけ崩れ、土石流、津波に大雪、雪崩。大地震。奇天烈な犯罪、――果ては魔の海峡バミューダトライアングルさえ異形の干渉だ、なんていうやつもいるが、まあこのあたりは正直眉つばだな。

 異形は放っておけば無限に増殖し、ありとあらゆる害悪を引き起こす。とはいえど、発生した異形の全てを討伐するには流石に人間が足りない。一匹二匹の他愛のない雑魚を逃がすのはしかたない。さすがにその程度では、異形も事象界に派手な影響は及ぼせないが、結界がなければ、異形は無限に時間経過とともに、異形を呼び続ける。
 異形の数が環境の中で飽和し、やがて環境が持つ自浄作用と拮抗し、それを超える――その瞬間から、害悪が形を成して爆発する。
 細菌感染症やら、人が風邪に罹るメカニズムと似ているな。まあ、風邪と違って、その個人だけに影響して終わるような生ぬるさは無いがな。

 抑制の結界の利点は、抗菌作用、細胞分裂速度の低下、とでもいえばいいか。異形が短期間で、大量に増殖していくのを防ぐのに有効だ。
 そういうわけで結界の役割は欠かせない。
 結界がなければ、俺が何をしようと、異形が発生し、異形同士が呼びよせていくスピードの方が圧倒的に早い。「増加」は必ず二乗で進んでいくわけじゃないからな。二乗より大きい場合も当然ある。予測の時点で圧倒的に数が多い。
 他に異形を管理できるような「遠間」が居れば話は多少変わるかもしれないが、現状「遠間」は俺のみだ。すべてには対応できない」
 春久しか遠間はいないのか、と何故か気にかかる。
「あなただけが異形を倒しているの?」
「まあな。適当なやつがいない。使えるやつがいるならこき使ってるところだ。さしあたってはきみがちょうどよさそうだが」
「……分かってるわよ、対価って言いたいんでしょう」
「可愛くない回答だな」
「あなたに言われたくない」
「跳ねっ返り。……まあいい、仮に「遠間」が何人いたところで、結界を維持するほうが断然効率が良い。結界はさほど力を使わないしな。ここまでが遠間の領域全体の結界の「抑制」についてになる」

 さて、では残りの「異形寄せ」の理由については? といいたげな金色の目が楽しげに私を見る。試されているのが分かる。

 結界。
 異形の増殖を抑えつけて、事象界への干渉を防ぐ役目を持つ。そう言いながら、異形を寄せるのは矛盾している。寄せれば寄せるほど、いくら結界の力があるとはいえ、異形同士の増殖を促すような気がする。
 ――結果として、事象界への干渉にいたる速度を増加させて、せっかくの抑制の効果を失ってしまうのではないの?
 1×1を基準にした二乗で増加が始まるのと、100×100で増加をするのでは、当然後者の方が異形は段違いの速度で増殖する。
 そのリスクを負ってまで寄せる理由があるとしたら――この男なら何を考えるだろう。
 無駄が無くて、最も効果的な策を取ろうとするなら、どうする?

「効率良く、異形を「屠る」ために寄せるの?」
 私を見降ろす金色の視線が、まばたきの奥に一度隠され、ゆっくりと開かれる。口もとの笑みはそのままに、ふ、と笑う。男にしては長い睫毛を妙に意識させられた。
「悪くない考えだ。正解にしてやりたいところだが、理由はそちらが先じゃない」

 表情の柔らかさとは裏腹に、私の答えは検討違いだったらしい。それでも、春久の満足がいくレベルではあったのか、落胆の色は無い。
 正直言葉をかわす一々にひやひやさせられるけれど、それ以上に、どうにかしてこの男に認めさせたいような気持がある。負けたくないというのは簡単で、単純だ。もう少し気持ちは複雑で、褒められたいわけではないけれど、落胆されたくない。
 私がやったことの結果に対して、春久は正当すぎる評価を下してくる。
 その厳しさが、なんというか私にはちょうどいいのだと思う。
 甘えているんだろうか、この男に。そう考えて首を振る。
 いくらなんでも、それはない。
「異形のうちの幾らかは、どうしても「屠ら」ねばならない。そういったものは面倒で強烈、凶悪。そういうものを遠間は引き受ける。そういう昔からの約定ゆえに、遠間の領域の結界には異形寄せが維持される。管理区域の狭さはこの約定の対価だな」
「……あなただけなの? あなただけが、わざわざ特に危険な異形を屠るの?」
 遠間。一角。上総。それぞれに与えられた役割は、異形の消滅、無効化、封印。アプローチの仕方が違うだけで、やっていることは確かに同じだ。でも、遠間のリスクの高さは飛びぬけているように聞こえる。
「異形を管理する家は三つあるんでしょう? そのなかでも、なぜ遠間が―――あなたが引き受けるの?」
「霊力の特性を考えたときに、遠間が一番そうすることに向いているからだ。それ以外に理由は無い。異形に関して、単純に死ぬ確率を考えるなら遠間が一番高いだろうな」
 さらりと春久が、なんということもないとばかりに口にする。
 馬鹿だと言われそうだとは思うけれど、どうしても尋ねずには居られなかった。
「……あなたは、怖くないの?」
 くすり、と春久が肩をすくめて小さく笑う。
「きみのそういうところ、きらいじゃないな」
 予想に反して、馬鹿にはされなかった。
 首をかしげていると、私を見る金色の目が僅かに細められ、唇だけで笑みを作る。
「あの修羅が怖いか、ほたる」
「……怖くないわけないでしょう。怖くないなら、死ぬのだって怖くないわ」
 死ぬことが怖くなかったら、死にたくないなんて、思わない。
 ぼろぼろになって、それでも戦うのは、死ぬことのほうが怖いからだ。恐怖が駆り立てるからだ。生きることを諦めさせてくれないから。私は、そういうふうに出来ているから。
「おもしろいな」
「はい?」
「きみはどうせ、その霊力がある限り必ず異形と対峙し続ける。無効化では不足、封印では追いつかない。となると、遠間が最も適当だ。仕組まれたみたいにおあつらえ向きだ」
「どういうことか分からないのだけど」
「へえ。短慮」
「なっ!?」
「きみが遠間に来て、俺をその気にさせたのは頗る運が良かったな、ってことだ。当たりくじを引く才能には恵まれてるぜ」
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