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孤独な錬金術師
第十話 月明りの下で
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研究室で暗い考えに陥っていた俺はエリクサーをかっ食らう。
伝説の存在であるエリクサーは、城では飲料水のようなものだった。
何せ、ただの水に賢者の石を漬けるだけでできるのだから。
レームに至っては料理や洗濯にも使っている。
洗濯の場合普通の水よりも綺麗になるらしい。
だがこれはプラシーボ効果であり、賢者の石によるとそのような効果はないということだった。
体の異常をすべて回復する万能薬『エリクサー』。
少しだが精神にも影響していると思える。
多少だが気分が晴れた気がした。
だがこれもプラシーボ効果なのを俺は知っている。
まずは謝らなければならない。流されたままにむさぼってしまったイチカに。
覚悟を決めなければならない。今がその時なのだと。
今の俺はもう孤独な老人ではない。
静かに一人で死を待っていたあの時の俺ではない。
前を向いて、嫌なことでも解決していかなければならない。
創造主の責任を果たす必要がある。
最近は肉体年齢に精神が引っ張られている気もするが、恐らくは隠していたものが出てきているだけなのだろう。
他人は自分を映す鏡だ。
俺はその鏡を数十年見ていない。
「すまない、イチカ。昨日はその……」
イチカはレームと共に掃除をしていた。
寝室のベッドの上は何枚ものシーツで覆われているが、貫通してひどいことになっている。
何が貫通しているかは言うまでもない。
俺はレームたちの側に近寄る。距離にして一メートルもない、そんな距離だ。
「あ、ありがとうございました……ご主人様……」
そういうとレームの後ろに隠れてしまう。
昨日は乱れまくって近寄ってきたのになぜ。そしてなぜありがとうなんだ、と思う。
イチカはレームの腰のあたりにしがみつき、ちらちらとこちらを見ている。
「怒っているのか……?」
「? なぜですか? 可愛がってもらえて、嬉しかったです……」
小さなか細い声で、首を傾げわからないという顔をする。
それは嘘ではない。本心である。
ホムンクルスは嘘を言わない。それはイチカも例外ではない。
「嫌じゃあ……なかったのか?」
「全然、嫌じゃなかったです……どうかしたんですか?」
すっと胸を撫で下ろす。
少なくとも嫌われていないのだと思えるだけで、胸のつかえがとれた気がする。
「ご主人様は昨日のことで、イチカが自分を嫌いになったんじゃないか、と心配していたのよ」
「……そんなことない。嫌いになるなんて……ありえない」
レームはうっすらと微笑みながら、こちらを見て、イチカに話す。
そしてイチカはレームの服をギュッと掴みながら、真っすぐに俺を見てそう言った。
俺はこの時点で半分泣きそうだったのだと思う。
久しぶりの感覚すぎて、自分でもよくわからないが、喉の奥からこみ上げるような感覚を覚える。
思わず下を向いてしまっていた。
「ご主人様……? どこか痛いのですか……?」
そう思われるような顔をしていたのだろう、イチカはゆっくりと、恐る恐る近づき、俺の頭を軽く撫でた。
イチカの身長では、いくら頭を下げているといっても、俺の頭にはかなり背伸びをしなければ届かない。
前髪を多少触るくらいの軽いものだ。
昨日レームがそうしているのを見て学習したのだろう。
「────っ!」
俺の頬に熱いものが流れているのがわかった。
一瞬、その正体に気付くのが遅れる。
「大丈夫ですか? お腹ですか……? どこか怪我してるんですか……?」
イチカは心配そうに聞いてくる。
突如主人が泣きだしたのだ。下を向いていても、イチカの身長なら俺の顔ははっきりと見えているのだろう。
「イチカ、違うの。違うのよ」
レームはそう言いながら、俺の背中側から抱きしめてくる。
俺は思わず膝から崩れ落ちてしまった。
そしてそのまま、二人は俺の頭を撫で続けた。
「す、すまなかった……」
ある程度泣いて冷静になってしまった俺は二人に謝罪する。
自分でも泣いてしまった理由がわからなかったが、二人は慰めてくれていた。
「いいんですよ。ご主人様のすべてを受け止めるのが私たちですから」
レームは優し気に微笑みながらそう言った。
宗教に興味はなかったが、恐らく女神というものはこういう存在なんじゃないかと思ってしまう。
「……そうです。嫌いになったりなんてしません……」
年相応といった笑顔で、再び俺の頭を撫でる。
小さく、柔らかな手。この手で俺は泣かされてしまったのだ。
そしてその後、レームたちの掃除を手伝う。
本来であれば自分でやるべき仕事だ。汚れの大半は俺の出したもののせいなのだから。
夜になり、城の中以外の明かりは消え失せる。
残っている灯りは月と星が生み出すものだけだ。
街の明かりすら見えないほど辺境にあるこの小さな山は、誰かが訪れるような場所ではない。
城の頂上、先端部にある小部屋からいくつか放置してある椅子を一つ窓際に置いて外を眺める。
周囲には鬱蒼とした木々と畑、そして街に続く荒野しかない。
時折ここに上がり、それを眺めるのが以前からの習慣だった。
何か目的があるわけではないが、何もない広い空間を見ていると、その間だけは心が晴れるような感覚に陥る。
頭を上げ、星を眺める。
空を覆いつくしているような明るい点が目に眩しい。
「……綺麗、だな」
空の景色は一人でいた時と何も変わらない。
階段を上がる音がして、足音からレームが上がって来ているのがわかった。
「夜風はお体に障りますよ」
毛布を持ってそう言った。
もはやお決まりの流れだ。俺は不老不死、そして病気にかかることはない。そうだとしてもエリクサーですべて回復する。
「……レーム。わかっているだろうに」
「それでも、ですよ」
毛布を窓際の俺にかける。
そしてそのまま椅子を持ってきて、俺の隣に座った。
「イチカはどうしてる?」
「先ほど寝ました。やはりまだ子供ですね」
微笑みながら空を眺めている。
レームが望んだ妹だ。昨日から元気がいいように思えるのは気のせいではないのだろう。
「……今日は済まなかった。どうかしていると思われても仕方ない」
「……いえ、私は分かっておりました。ご主人様の苦悩も、寂しさも」
俺は思わずレームを見た。その表情は切なげなまま星を眺めている。
月明りに照らされたレームは、このまま消えてしまいそうなほどに儚げだった。
俺はレームにそのようなことを言ったことはない。
それなのに、なぜ。
くす、と小さく笑いながら、レームは此方に視線を移す。
全てを見透かされているような、そんな瞳をしていた。
「最初に会った時、この人は一人なんだ、と思いました。城の入り口も、ご主人様の足跡しかありませんでしたしね。埃の被り方を見ても、それはとても数年というレベルではありませんでしたし」
確かに。隠そうという発想もなかった。誰に気を使うわけでもなかったので、その辺の掃除は一切していない。
だがまさか本当に見抜かれていたとは思っていなかった。
「そして、ご主人様は、初めて私を見た時も泣きそうな顔をしてらっしゃいました。だからせめて私だけは、と思いまして」
そう言いながら、レームは立ち上がり俺の足の間に座る。
いつものように正面からではなく、背中をこちら側に向けて。
そして俺が被っている毛布を自分にもかけた。密着していて、暖かい体温が伝わってくる。
薄いピンク色の柔らかな髪からはいい匂いが漂っていた。この前街で買った洗髪材のものだろうか。よく似合う甘い香りだ。
「私だけは、何があってもご主人様の味方ですからね」
そう言って、体を少し曲げ、俺の顔を見た。
思わずレームを抱きしめる。彼女の頭に顔を押し付けるように、強く。
「強がらなくても大丈夫ですよ。どんなご主人様でも嫌いになったりしませんから」
月明りだけが照らす部屋の中で、何度も何度もレームを抱いた。
俺はどんな顔をしていたのだろう。
その答えは優しく微笑むレームの表情の中にあるのかもしれない。
伝説の存在であるエリクサーは、城では飲料水のようなものだった。
何せ、ただの水に賢者の石を漬けるだけでできるのだから。
レームに至っては料理や洗濯にも使っている。
洗濯の場合普通の水よりも綺麗になるらしい。
だがこれはプラシーボ効果であり、賢者の石によるとそのような効果はないということだった。
体の異常をすべて回復する万能薬『エリクサー』。
少しだが精神にも影響していると思える。
多少だが気分が晴れた気がした。
だがこれもプラシーボ効果なのを俺は知っている。
まずは謝らなければならない。流されたままにむさぼってしまったイチカに。
覚悟を決めなければならない。今がその時なのだと。
今の俺はもう孤独な老人ではない。
静かに一人で死を待っていたあの時の俺ではない。
前を向いて、嫌なことでも解決していかなければならない。
創造主の責任を果たす必要がある。
最近は肉体年齢に精神が引っ張られている気もするが、恐らくは隠していたものが出てきているだけなのだろう。
他人は自分を映す鏡だ。
俺はその鏡を数十年見ていない。
「すまない、イチカ。昨日はその……」
イチカはレームと共に掃除をしていた。
寝室のベッドの上は何枚ものシーツで覆われているが、貫通してひどいことになっている。
何が貫通しているかは言うまでもない。
俺はレームたちの側に近寄る。距離にして一メートルもない、そんな距離だ。
「あ、ありがとうございました……ご主人様……」
そういうとレームの後ろに隠れてしまう。
昨日は乱れまくって近寄ってきたのになぜ。そしてなぜありがとうなんだ、と思う。
イチカはレームの腰のあたりにしがみつき、ちらちらとこちらを見ている。
「怒っているのか……?」
「? なぜですか? 可愛がってもらえて、嬉しかったです……」
小さなか細い声で、首を傾げわからないという顔をする。
それは嘘ではない。本心である。
ホムンクルスは嘘を言わない。それはイチカも例外ではない。
「嫌じゃあ……なかったのか?」
「全然、嫌じゃなかったです……どうかしたんですか?」
すっと胸を撫で下ろす。
少なくとも嫌われていないのだと思えるだけで、胸のつかえがとれた気がする。
「ご主人様は昨日のことで、イチカが自分を嫌いになったんじゃないか、と心配していたのよ」
「……そんなことない。嫌いになるなんて……ありえない」
レームはうっすらと微笑みながら、こちらを見て、イチカに話す。
そしてイチカはレームの服をギュッと掴みながら、真っすぐに俺を見てそう言った。
俺はこの時点で半分泣きそうだったのだと思う。
久しぶりの感覚すぎて、自分でもよくわからないが、喉の奥からこみ上げるような感覚を覚える。
思わず下を向いてしまっていた。
「ご主人様……? どこか痛いのですか……?」
そう思われるような顔をしていたのだろう、イチカはゆっくりと、恐る恐る近づき、俺の頭を軽く撫でた。
イチカの身長では、いくら頭を下げているといっても、俺の頭にはかなり背伸びをしなければ届かない。
前髪を多少触るくらいの軽いものだ。
昨日レームがそうしているのを見て学習したのだろう。
「────っ!」
俺の頬に熱いものが流れているのがわかった。
一瞬、その正体に気付くのが遅れる。
「大丈夫ですか? お腹ですか……? どこか怪我してるんですか……?」
イチカは心配そうに聞いてくる。
突如主人が泣きだしたのだ。下を向いていても、イチカの身長なら俺の顔ははっきりと見えているのだろう。
「イチカ、違うの。違うのよ」
レームはそう言いながら、俺の背中側から抱きしめてくる。
俺は思わず膝から崩れ落ちてしまった。
そしてそのまま、二人は俺の頭を撫で続けた。
「す、すまなかった……」
ある程度泣いて冷静になってしまった俺は二人に謝罪する。
自分でも泣いてしまった理由がわからなかったが、二人は慰めてくれていた。
「いいんですよ。ご主人様のすべてを受け止めるのが私たちですから」
レームは優し気に微笑みながらそう言った。
宗教に興味はなかったが、恐らく女神というものはこういう存在なんじゃないかと思ってしまう。
「……そうです。嫌いになったりなんてしません……」
年相応といった笑顔で、再び俺の頭を撫でる。
小さく、柔らかな手。この手で俺は泣かされてしまったのだ。
そしてその後、レームたちの掃除を手伝う。
本来であれば自分でやるべき仕事だ。汚れの大半は俺の出したもののせいなのだから。
夜になり、城の中以外の明かりは消え失せる。
残っている灯りは月と星が生み出すものだけだ。
街の明かりすら見えないほど辺境にあるこの小さな山は、誰かが訪れるような場所ではない。
城の頂上、先端部にある小部屋からいくつか放置してある椅子を一つ窓際に置いて外を眺める。
周囲には鬱蒼とした木々と畑、そして街に続く荒野しかない。
時折ここに上がり、それを眺めるのが以前からの習慣だった。
何か目的があるわけではないが、何もない広い空間を見ていると、その間だけは心が晴れるような感覚に陥る。
頭を上げ、星を眺める。
空を覆いつくしているような明るい点が目に眩しい。
「……綺麗、だな」
空の景色は一人でいた時と何も変わらない。
階段を上がる音がして、足音からレームが上がって来ているのがわかった。
「夜風はお体に障りますよ」
毛布を持ってそう言った。
もはやお決まりの流れだ。俺は不老不死、そして病気にかかることはない。そうだとしてもエリクサーですべて回復する。
「……レーム。わかっているだろうに」
「それでも、ですよ」
毛布を窓際の俺にかける。
そしてそのまま椅子を持ってきて、俺の隣に座った。
「イチカはどうしてる?」
「先ほど寝ました。やはりまだ子供ですね」
微笑みながら空を眺めている。
レームが望んだ妹だ。昨日から元気がいいように思えるのは気のせいではないのだろう。
「……今日は済まなかった。どうかしていると思われても仕方ない」
「……いえ、私は分かっておりました。ご主人様の苦悩も、寂しさも」
俺は思わずレームを見た。その表情は切なげなまま星を眺めている。
月明りに照らされたレームは、このまま消えてしまいそうなほどに儚げだった。
俺はレームにそのようなことを言ったことはない。
それなのに、なぜ。
くす、と小さく笑いながら、レームは此方に視線を移す。
全てを見透かされているような、そんな瞳をしていた。
「最初に会った時、この人は一人なんだ、と思いました。城の入り口も、ご主人様の足跡しかありませんでしたしね。埃の被り方を見ても、それはとても数年というレベルではありませんでしたし」
確かに。隠そうという発想もなかった。誰に気を使うわけでもなかったので、その辺の掃除は一切していない。
だがまさか本当に見抜かれていたとは思っていなかった。
「そして、ご主人様は、初めて私を見た時も泣きそうな顔をしてらっしゃいました。だからせめて私だけは、と思いまして」
そう言いながら、レームは立ち上がり俺の足の間に座る。
いつものように正面からではなく、背中をこちら側に向けて。
そして俺が被っている毛布を自分にもかけた。密着していて、暖かい体温が伝わってくる。
薄いピンク色の柔らかな髪からはいい匂いが漂っていた。この前街で買った洗髪材のものだろうか。よく似合う甘い香りだ。
「私だけは、何があってもご主人様の味方ですからね」
そう言って、体を少し曲げ、俺の顔を見た。
思わずレームを抱きしめる。彼女の頭に顔を押し付けるように、強く。
「強がらなくても大丈夫ですよ。どんなご主人様でも嫌いになったりしませんから」
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