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第九章:王城決戦編 【第二幕】
第百十三話:決戦へ向けて
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作戦は終わった。全ては決まった。地下に響く声は、もう迷いを捨てた者たちのそれだ。あとは、この身を震わせるほどの覚悟を胸に、行動に移すだけ。
俺は、薄暗い地下の一角で、未だに幼子のような姿のまま佇む魔王リアムに視線を向けた。
彼は、周囲の張り詰めた空気とは無関係なように、退屈そうに指で壁をなぞっている。
「おい、魔王もどき」
俺の軽口に、リアムは不機嫌そうに顔を上げた。その瞳には、子供特有の純粋な好奇心と、それに似つかわしくない王者の傲慢さが同居している。
「誰だ、今我を侮辱した者は。我は良い魔王だぞ」
その言葉を聞いて、俺は心の中で毒づいた。良い魔王? どの口が言うのか。怠惰の魔王の間違いだろう。
しかし、こいつが魔王としての力を持ち合わせていないのは理解した。
ただ、一つ気になる点がある。なぜ、少年のままなのか。
俺はリアムの過去について聞いた話から、思考する。
リリアと彼が出会ったのはかなりの年月が経っていると推測していた。だとしたら、もう成人していてもおかしくないはずだ。にも関わらず、見た目が変わっていない。
聞いた話の者とは別人なのだろうか。それとも、何らかの理由で成長が止まっているのか。
俺の思考は、疑念の迷路に迷い込んでいく。
「魔王リアム。リリアを知っているか?」
俺は、最後の望みをかけるように尋ねた。リアムは、きょとんとした顔で首を傾げる。
「誰なのだそれは」
その反応を見て、俺は静かに息を吐いた。やはり、ダメか。記憶を無くしているのだから当然か。分かっていたことなのに、心のどこかで期待していた自分がいた。
「そうか、ならいい」
俺はリアムから視線を外し、作戦の最終確認に移ろうとした。だが、リアムは不満そうに俺の袖を引っ張った。
「ここ最近、我への扱いが酷い気がするのだ」
「……気のせいだ」
「そうなのか」
リアムはあっさりと受け入れた。その様子は、年齢に見合ったものだった。
中身三十路のおっさんである俺とはまた違う。俺は、リアムの中に、どこか自分とは異なる、純粋な子供の心を見た。
その時、ナナシが、突然突拍子もない事を言い出した。
「なぁ兄ちゃん、腹減った」
俺は、思わず額を押さえた。
「今度はなんだ……朝まで耐えろ」
「おいおい、俺一昨日から何も食ってないんだぜ?それは酷いってもんだろ」
ナナシの言葉は、地下の重苦しい空気に、まるで石を投げ込んだかのように波紋を広げた。
「アルスさん。ブレッドならありますが。紅茶も──」
エルの言葉が、彼の空腹を満たす唯一の光のように見えた。だが、その光は、次の瞬間、ナナシの貪欲な手に掴まれる。
ナナシは、とてつもない速さでエルのパンを奪い、まるで餓鬼のように、一瞬で口に入れた。その光景は、あまりに不躾で、見ていられないほどだった。
「かぁー!久しぶりの食事だ!ありがとな王女様よ!」
ナナシは、満足そうに目を閉じ、パンの味を噛み締める。その横で、エルはただ静かに立ち尽くしていた。
「……」
エルから反応が無い。だが、彼女の頬がわずかに引きつり、その瞳に氷のような冷たさが宿っているのが分かった。これは完全に怒ってるな。
「それはアルスさんの為のものです」
エルの声は、感情を押し殺した、冷たいものだった。
「ケチクセェな。良いだろ?どうせまだ持ってんだろ?」
ナナシは、エルの怒りに気づかないフリをして、さらに煽る。
「……本当に私は貴方が嫌いです」
エルの言葉に、セレナが深く頷き、同意した。
「分かります、王女殿下」
セレナは、俺の隣に立ち、ナナシを忌々しそうに睨んでいる。
「無神経で時折優しさを見せる……まるでアルス様の生き写しです」
セレナの言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
「それは俺が女たらしって言っているのと同じじゃないのか……?」
「……確かに!でも、似ていますよね二人」
セレナは、目を輝かせながらそう言った。俺はナナシと顔を見合わせ、同時に叫んだ。
「「似てねぇよ!」」
声が完璧に被った。その瞬間、セレナは、にこやかに微笑んだ。
「ほら、息ぴったりじゃないですか」
ルシウスが、遠慮がちに、しかし切実な視線をエルに向けた。
「自分もいいッスかね……余りで良いので」
エルの怒りの矛先が、今度はルシウスに向く。だが、彼女の瞳に宿っていた氷は、わずかに溶けていた。
「……はぁ。アルス様の為にと思い持ち歩いていましたのに。仕方ないですね。ですが、そこまでの量はありませんよ」
エルは、再び黒い異空間から、掌サイズのパンを取り出した。その手つきは、まるで魔法使いのようだった。
「おい、エル。今どこから出した……?」
俺は、思わず声を上げた。その光景は、あまりにも現実離れしていたのだ。
「ここからですが」
エルは、当たり前のように答えた。
「それはチートじゃねぇか」
俺は、呆然と呟いた。その言葉に、ナナシが笑いながら答えた。
「兄ちゃん知らねえのか?俺も使ってたの見たろ」
「あ……」
そういえば、セレナが毒でやられて教会の司祭に渡す時に、彼は同じようなことをしていた。その時、彼は不気味な黒い魔石を使っていたはずだ。
「結局アレは何だったんだ?確か……『闇の魔石』?とか言ってたよな」
魔石は今まで何度も見てきた。俺もかつては『魔力石』というものを口に入れた。そのおかげで、オールゼロだった俺に魔力が宿った。つまり、俺が魔法を使えるのは、あの石のおかげということだ。
だが、ナナシが持っていた石は不気味な色をしていた。黒光りで、持っているだけでいかにも害を成す……そんなものに見えた。
「兄ちゃん……知りたいか?」
ナナシの顔から、笑顔が消えた。その瞳には、俺の知る軽薄さではなく、深い憂いが宿っている。
「ああ」
俺は、頷いた。知りたい。俺自身が何者なのか、この世界は何なのか。ゲームの中とはかけ離れたものという事は理解した。だが、俺はそれらの答えを、彼が知っているような気がした。
「ま、残念だが、知らねぇ方が身の為だ」
ナナシの言葉に、俺は胸を突かれた。この男は、何かと隠したがる。
それ故、今でもまだ、完全に信じ切れてはいない。
「そう言うと思った。もういい。お前に聞いた俺がバカだった」
俺は、苛立ちを隠さずに吐き捨てた。
「まぁそう言うなって。そうだな……ならヒントをやる。答えは自分で考えろ。そして分かっても絶対に内に秘めろ。決して口に出すな。それが約束出来るなら教えてやる」
ナナシは、真剣な眼差しで俺に告げた。その瞳は、俺の決意を試すかのように、深く俺を見つめている。
「ヒント、だろ。……分かった。分かっても口に出さない」
俺は、彼の言葉を受け入れた。
「んじゃ教えてやる。ヒントは”魔族”」
俺は、ナナシの言葉を反芻した。
「……それだけ?」
「ああ、ヒントつったろ?」
つまり、ここからは自分で考えろって事か。
魔族……『闇の魔石』には魔族が関係するはずだ。魔族は俺が初めに戦ったゴブリンやロックオーガ。
それらが該当する。それのなんだってんだ。俺は、頭の中で、散らばったピースを繋ぎ合わせようと試みた。
その間、ナナシは、俺の事を見つめていた。まるで、俺が答えに辿り着くのを待っているかのように。
「……分かったか、兄ちゃん」
ナナシは、俺の思考が限界に達したのを見計らって、尋ねた。
「全く分からん。お手上げだ」
俺は、両手を上げて降参した。
「だろうな。兄ちゃんは魔族について何も知らねぇからな」
ナナシは、口元に笑みを浮かべながら肩をすくめた。
「知ってるぞ、それくらい」
ついムキになって言い返す。
「へぇ? じゃあ言ってみろよ。魔族の何を知ってる?」
やばい、具体的に問われると何も出てこない。
ゲームで見た名前くらいしか思いつかないじゃないか。
「ゴ、ゴブリン……」
「……ブッブー。残念でした」
ナナシは楽しそうに指を振り、わざとらしく舌打ちしてみせた。
俺の自信は一瞬で吹き飛び、代わりにじわじわと恥ずかしさと怒りが込み上げてくる。
「魔族には親が居る。俺たち人間のように、子を産み、育てる。ま、中には例外もいるが」
ナナシの言葉に、俺は静かに耳を傾けた。
「それくらいは……知ってる」
「なら分かるだろ。『闇の魔石』の正体が」
魔力……闇の魔力を纏った石。俺は、頭の中で、様々な情報を整理した。
そうか。忘れていた。俺にはスキルが──
「ってそうか。【鑑定】は現物がないと無理だった」
俺は、自分の迂闊さに気づき、再び肩を落とした。
「兄ちゃんもまだまだなぁ」
その時、エルが俺とナナシの間に入ってきた。彼女の瞳は、まるで遠い過去を見つめているかのようだった。
「──魔力。それすなわち“命”。人は誰しも魔力を持って生まれてきます。
差こそあれど……しかし、その力を扱える者はごくわずかです」
エルは静かに語り始めた。
その声は、まるで古の物語を紡ぐ吟遊詩人のように澄んでいた。
「何故だと思いますか?」
彼女は問いかけるように、兄アシュレイへ視線を向ける。
アシュレイは、しばし沈黙し、目を伏せた。
「……分からねぇ」
俺は正直にそう答えた。
「言い伝えによれば──魔力というものは、もともと魔族のものだったとされています」
「……」
アシュレイは、妹の言葉を黙って受け止めていた。
「おい王女様、今は俺が兄ちゃんに問題を出して──」
ナナシが口を挟んだ。
「私、貴方が嫌いです。それに……先ほどの仕返しでもあります」
エルの言葉は、鋭い刃のようにナナシを突き刺した。恐らくパンの件を根に持っているのだろう。
「……はぁ、分かったよ。降参だ」
ナナシは肩をすくめ、あっさりと矛を収める。
エルは彼を一瞥しただけで、再び視線を前へ戻し、淡々と紡いだ。
「人が魔力を扱えるようになったのは、ずっと後の時代のことです。
魔族との果てなき争いの中で──彼らの“命”が石に宿り、それを人が取り込むことで、初めて力とした、と伝えられています」
その声音は穏やかでありながら、聴く者の胸を締めつけるような重さを帯びていた。
まるで、遠い昔から続く物語の続きを、静かに読み聞かせるかのように。
それで人間である俺たちに、何故魔族の力が宿るのか。
頭の中で断片的な情報を組み合わせ、エルの言葉を必死に追いかける。
『魔力』は魔族の力……。
それが石に宿り……。
俺はその『魔力石』を取り込んで、魔法を使えるようになった……。
──魔族の力が、俺の体に流れている……!?
(……まさか、俺は……)
俺の思考は、ひとつの結論に突き当たる。
「……俺は、魔族になっちまったのか!?」
その言葉に、ナナシが腹を抱えて大笑いした。
「ギャッハハハハハ!やべぇ兄ちゃん、流石だ!その発想は最高におもしれぇ!」
石床を叩きながら涙を流して笑うナナシ。
俺は大真面目だったのだが、なぜか笑いの種にされたらしい。……腹立つ。
「ご安心下さい、アルスさんは人間です」
エルの静かな声が、その場の空気を引き戻す。
「……ですが、答えは近いです」
エルの言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
え……あんなにも笑われたのに、答えは近いだと……?
「魔族の血……なんて、そんな訳ねぇか!あはははっ」
俺は、自分の思考を打ち消すように、わざとらしく明るく笑った。
魔族の血を取り込み、そのお陰で魔法が使えるなんて……そんな話、ありえない。
そんな非現実的なことは、絶対にあってはならない──。
そうして、自分で導いた答えを、自ら否定する。
しかし──俺の乾いた笑いは、地下に冷たく響き渡った。
「……」
エルは黙り込む。ナナシは目を閉じた。
二人の沈黙が、俺の言葉が冗談ではないことを、何よりも雄弁に物語っていた。
「……冗談だよな?」
尋ねる俺に、二人は答えない。
その静寂が、答えとなって胸を圧迫する。
ナナシは笑みを消し、静かに俺に近づいた。
その表情は、俺がこれまで見たこともないほど真剣だった。
「……兄ちゃん、言うなよ?知れば魔神に狙われる」
彼は、俺の肩に手を置くように近づき、念を押した。
心配の色を帯びながらも、脅しにも似たその仕草に、俺は言葉を返せなかった。
こうして俺は、この世界の真実の断片を垣間見てしまった。
そして、そんな曖昧な答えのまま、束の間の休息は終わりを迎える──。
日の光が差し込む。
襲撃の時間だ──。
俺は、薄暗い地下の一角で、未だに幼子のような姿のまま佇む魔王リアムに視線を向けた。
彼は、周囲の張り詰めた空気とは無関係なように、退屈そうに指で壁をなぞっている。
「おい、魔王もどき」
俺の軽口に、リアムは不機嫌そうに顔を上げた。その瞳には、子供特有の純粋な好奇心と、それに似つかわしくない王者の傲慢さが同居している。
「誰だ、今我を侮辱した者は。我は良い魔王だぞ」
その言葉を聞いて、俺は心の中で毒づいた。良い魔王? どの口が言うのか。怠惰の魔王の間違いだろう。
しかし、こいつが魔王としての力を持ち合わせていないのは理解した。
ただ、一つ気になる点がある。なぜ、少年のままなのか。
俺はリアムの過去について聞いた話から、思考する。
リリアと彼が出会ったのはかなりの年月が経っていると推測していた。だとしたら、もう成人していてもおかしくないはずだ。にも関わらず、見た目が変わっていない。
聞いた話の者とは別人なのだろうか。それとも、何らかの理由で成長が止まっているのか。
俺の思考は、疑念の迷路に迷い込んでいく。
「魔王リアム。リリアを知っているか?」
俺は、最後の望みをかけるように尋ねた。リアムは、きょとんとした顔で首を傾げる。
「誰なのだそれは」
その反応を見て、俺は静かに息を吐いた。やはり、ダメか。記憶を無くしているのだから当然か。分かっていたことなのに、心のどこかで期待していた自分がいた。
「そうか、ならいい」
俺はリアムから視線を外し、作戦の最終確認に移ろうとした。だが、リアムは不満そうに俺の袖を引っ張った。
「ここ最近、我への扱いが酷い気がするのだ」
「……気のせいだ」
「そうなのか」
リアムはあっさりと受け入れた。その様子は、年齢に見合ったものだった。
中身三十路のおっさんである俺とはまた違う。俺は、リアムの中に、どこか自分とは異なる、純粋な子供の心を見た。
その時、ナナシが、突然突拍子もない事を言い出した。
「なぁ兄ちゃん、腹減った」
俺は、思わず額を押さえた。
「今度はなんだ……朝まで耐えろ」
「おいおい、俺一昨日から何も食ってないんだぜ?それは酷いってもんだろ」
ナナシの言葉は、地下の重苦しい空気に、まるで石を投げ込んだかのように波紋を広げた。
「アルスさん。ブレッドならありますが。紅茶も──」
エルの言葉が、彼の空腹を満たす唯一の光のように見えた。だが、その光は、次の瞬間、ナナシの貪欲な手に掴まれる。
ナナシは、とてつもない速さでエルのパンを奪い、まるで餓鬼のように、一瞬で口に入れた。その光景は、あまりに不躾で、見ていられないほどだった。
「かぁー!久しぶりの食事だ!ありがとな王女様よ!」
ナナシは、満足そうに目を閉じ、パンの味を噛み締める。その横で、エルはただ静かに立ち尽くしていた。
「……」
エルから反応が無い。だが、彼女の頬がわずかに引きつり、その瞳に氷のような冷たさが宿っているのが分かった。これは完全に怒ってるな。
「それはアルスさんの為のものです」
エルの声は、感情を押し殺した、冷たいものだった。
「ケチクセェな。良いだろ?どうせまだ持ってんだろ?」
ナナシは、エルの怒りに気づかないフリをして、さらに煽る。
「……本当に私は貴方が嫌いです」
エルの言葉に、セレナが深く頷き、同意した。
「分かります、王女殿下」
セレナは、俺の隣に立ち、ナナシを忌々しそうに睨んでいる。
「無神経で時折優しさを見せる……まるでアルス様の生き写しです」
セレナの言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
「それは俺が女たらしって言っているのと同じじゃないのか……?」
「……確かに!でも、似ていますよね二人」
セレナは、目を輝かせながらそう言った。俺はナナシと顔を見合わせ、同時に叫んだ。
「「似てねぇよ!」」
声が完璧に被った。その瞬間、セレナは、にこやかに微笑んだ。
「ほら、息ぴったりじゃないですか」
ルシウスが、遠慮がちに、しかし切実な視線をエルに向けた。
「自分もいいッスかね……余りで良いので」
エルの怒りの矛先が、今度はルシウスに向く。だが、彼女の瞳に宿っていた氷は、わずかに溶けていた。
「……はぁ。アルス様の為にと思い持ち歩いていましたのに。仕方ないですね。ですが、そこまでの量はありませんよ」
エルは、再び黒い異空間から、掌サイズのパンを取り出した。その手つきは、まるで魔法使いのようだった。
「おい、エル。今どこから出した……?」
俺は、思わず声を上げた。その光景は、あまりにも現実離れしていたのだ。
「ここからですが」
エルは、当たり前のように答えた。
「それはチートじゃねぇか」
俺は、呆然と呟いた。その言葉に、ナナシが笑いながら答えた。
「兄ちゃん知らねえのか?俺も使ってたの見たろ」
「あ……」
そういえば、セレナが毒でやられて教会の司祭に渡す時に、彼は同じようなことをしていた。その時、彼は不気味な黒い魔石を使っていたはずだ。
「結局アレは何だったんだ?確か……『闇の魔石』?とか言ってたよな」
魔石は今まで何度も見てきた。俺もかつては『魔力石』というものを口に入れた。そのおかげで、オールゼロだった俺に魔力が宿った。つまり、俺が魔法を使えるのは、あの石のおかげということだ。
だが、ナナシが持っていた石は不気味な色をしていた。黒光りで、持っているだけでいかにも害を成す……そんなものに見えた。
「兄ちゃん……知りたいか?」
ナナシの顔から、笑顔が消えた。その瞳には、俺の知る軽薄さではなく、深い憂いが宿っている。
「ああ」
俺は、頷いた。知りたい。俺自身が何者なのか、この世界は何なのか。ゲームの中とはかけ離れたものという事は理解した。だが、俺はそれらの答えを、彼が知っているような気がした。
「ま、残念だが、知らねぇ方が身の為だ」
ナナシの言葉に、俺は胸を突かれた。この男は、何かと隠したがる。
それ故、今でもまだ、完全に信じ切れてはいない。
「そう言うと思った。もういい。お前に聞いた俺がバカだった」
俺は、苛立ちを隠さずに吐き捨てた。
「まぁそう言うなって。そうだな……ならヒントをやる。答えは自分で考えろ。そして分かっても絶対に内に秘めろ。決して口に出すな。それが約束出来るなら教えてやる」
ナナシは、真剣な眼差しで俺に告げた。その瞳は、俺の決意を試すかのように、深く俺を見つめている。
「ヒント、だろ。……分かった。分かっても口に出さない」
俺は、彼の言葉を受け入れた。
「んじゃ教えてやる。ヒントは”魔族”」
俺は、ナナシの言葉を反芻した。
「……それだけ?」
「ああ、ヒントつったろ?」
つまり、ここからは自分で考えろって事か。
魔族……『闇の魔石』には魔族が関係するはずだ。魔族は俺が初めに戦ったゴブリンやロックオーガ。
それらが該当する。それのなんだってんだ。俺は、頭の中で、散らばったピースを繋ぎ合わせようと試みた。
その間、ナナシは、俺の事を見つめていた。まるで、俺が答えに辿り着くのを待っているかのように。
「……分かったか、兄ちゃん」
ナナシは、俺の思考が限界に達したのを見計らって、尋ねた。
「全く分からん。お手上げだ」
俺は、両手を上げて降参した。
「だろうな。兄ちゃんは魔族について何も知らねぇからな」
ナナシは、口元に笑みを浮かべながら肩をすくめた。
「知ってるぞ、それくらい」
ついムキになって言い返す。
「へぇ? じゃあ言ってみろよ。魔族の何を知ってる?」
やばい、具体的に問われると何も出てこない。
ゲームで見た名前くらいしか思いつかないじゃないか。
「ゴ、ゴブリン……」
「……ブッブー。残念でした」
ナナシは楽しそうに指を振り、わざとらしく舌打ちしてみせた。
俺の自信は一瞬で吹き飛び、代わりにじわじわと恥ずかしさと怒りが込み上げてくる。
「魔族には親が居る。俺たち人間のように、子を産み、育てる。ま、中には例外もいるが」
ナナシの言葉に、俺は静かに耳を傾けた。
「それくらいは……知ってる」
「なら分かるだろ。『闇の魔石』の正体が」
魔力……闇の魔力を纏った石。俺は、頭の中で、様々な情報を整理した。
そうか。忘れていた。俺にはスキルが──
「ってそうか。【鑑定】は現物がないと無理だった」
俺は、自分の迂闊さに気づき、再び肩を落とした。
「兄ちゃんもまだまだなぁ」
その時、エルが俺とナナシの間に入ってきた。彼女の瞳は、まるで遠い過去を見つめているかのようだった。
「──魔力。それすなわち“命”。人は誰しも魔力を持って生まれてきます。
差こそあれど……しかし、その力を扱える者はごくわずかです」
エルは静かに語り始めた。
その声は、まるで古の物語を紡ぐ吟遊詩人のように澄んでいた。
「何故だと思いますか?」
彼女は問いかけるように、兄アシュレイへ視線を向ける。
アシュレイは、しばし沈黙し、目を伏せた。
「……分からねぇ」
俺は正直にそう答えた。
「言い伝えによれば──魔力というものは、もともと魔族のものだったとされています」
「……」
アシュレイは、妹の言葉を黙って受け止めていた。
「おい王女様、今は俺が兄ちゃんに問題を出して──」
ナナシが口を挟んだ。
「私、貴方が嫌いです。それに……先ほどの仕返しでもあります」
エルの言葉は、鋭い刃のようにナナシを突き刺した。恐らくパンの件を根に持っているのだろう。
「……はぁ、分かったよ。降参だ」
ナナシは肩をすくめ、あっさりと矛を収める。
エルは彼を一瞥しただけで、再び視線を前へ戻し、淡々と紡いだ。
「人が魔力を扱えるようになったのは、ずっと後の時代のことです。
魔族との果てなき争いの中で──彼らの“命”が石に宿り、それを人が取り込むことで、初めて力とした、と伝えられています」
その声音は穏やかでありながら、聴く者の胸を締めつけるような重さを帯びていた。
まるで、遠い昔から続く物語の続きを、静かに読み聞かせるかのように。
それで人間である俺たちに、何故魔族の力が宿るのか。
頭の中で断片的な情報を組み合わせ、エルの言葉を必死に追いかける。
『魔力』は魔族の力……。
それが石に宿り……。
俺はその『魔力石』を取り込んで、魔法を使えるようになった……。
──魔族の力が、俺の体に流れている……!?
(……まさか、俺は……)
俺の思考は、ひとつの結論に突き当たる。
「……俺は、魔族になっちまったのか!?」
その言葉に、ナナシが腹を抱えて大笑いした。
「ギャッハハハハハ!やべぇ兄ちゃん、流石だ!その発想は最高におもしれぇ!」
石床を叩きながら涙を流して笑うナナシ。
俺は大真面目だったのだが、なぜか笑いの種にされたらしい。……腹立つ。
「ご安心下さい、アルスさんは人間です」
エルの静かな声が、その場の空気を引き戻す。
「……ですが、答えは近いです」
エルの言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
え……あんなにも笑われたのに、答えは近いだと……?
「魔族の血……なんて、そんな訳ねぇか!あはははっ」
俺は、自分の思考を打ち消すように、わざとらしく明るく笑った。
魔族の血を取り込み、そのお陰で魔法が使えるなんて……そんな話、ありえない。
そんな非現実的なことは、絶対にあってはならない──。
そうして、自分で導いた答えを、自ら否定する。
しかし──俺の乾いた笑いは、地下に冷たく響き渡った。
「……」
エルは黙り込む。ナナシは目を閉じた。
二人の沈黙が、俺の言葉が冗談ではないことを、何よりも雄弁に物語っていた。
「……冗談だよな?」
尋ねる俺に、二人は答えない。
その静寂が、答えとなって胸を圧迫する。
ナナシは笑みを消し、静かに俺に近づいた。
その表情は、俺がこれまで見たこともないほど真剣だった。
「……兄ちゃん、言うなよ?知れば魔神に狙われる」
彼は、俺の肩に手を置くように近づき、念を押した。
心配の色を帯びながらも、脅しにも似たその仕草に、俺は言葉を返せなかった。
こうして俺は、この世界の真実の断片を垣間見てしまった。
そして、そんな曖昧な答えのまま、束の間の休息は終わりを迎える──。
日の光が差し込む。
襲撃の時間だ──。
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新緑あらた
ファンタジー
最難関であるS級ダンジョン最深部の隠し部屋。金銀財宝を前に告げられた言葉は労いでも喜びでもなく、解雇通告だった。
「もうオマエはいらん」
勇者アレクサンダー、癒し手エリーゼ、赤魔道士フェルノに、自身の黒髪黒目を忌避しないことから期待していた俺は大きなショックを受ける。
ヤツらは俺の外見を受け入れていたわけじゃない。ただ仲間と思っていなかっただけ、眼中になかっただけなのだ。
転生者は曾祖父だけどチートは隔世遺伝した「俺」にも受け継がれています。
勇者達は大富豪スタートで貧民窟の住人がゴールです(笑)
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