転生したら、まさかの脇役モブでした ~能力値ゼロからの成り上がり、世界を覆すは俺の役目?~

水無月いい人(minazuki)

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第九章:王城決戦編 【第二幕】

第百十九話:『舞い散る桜に、願いを』

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 マルバスが本来の姿を現した瞬間、教会の空気は一変した。
 今までのシステム表記とは異なり、俺の目の前に映し出されたのは、ただ一つの文字──A。
 
【真眼】が解析した、Aという危険度。
 
 これが最大なのか、それとも、さらにその先があるのか。俺には分からない。
 システムに何度かコンタクトを試みるが、沈黙したままだ。
 頼もしい相棒を得た、そう感じたのは、ほんの一瞬だった。
 
 再び一人になったような心細さが、俺を襲う。

 その時、地を揺るがすような咆哮が教会に響いた。

「ガアアアアアアアアアッ」

 マルバスが、巨体を揺らし突進してくる。  
 人間だった頃の面影は、もはやどこにもない。  
 そこにいるのは、ただ純粋な殺意を秘めた獣だけだった。

「兄ちゃん!避けろ!」

 ナナシの声が焦りを帯びて響く。しかし、俺の体はまるで鉛のように重く、動こうとしなかった。  
 視界の端で、マルバスの動きが右目には二重に映る。

「大丈夫だ……動きが見え……る」

(……なんだ?どういうことだ)

 心臓が激しく打ち、鼓動に合わせて胸が締め付けられる。息を吸うだけで精一杯だった。  
 突進してくる巨体を見つめる俺の視界に、不思議な現象が現れる。

 右目に映るのは、筋肉の塊のような、恐怖そのものの獣──悪魔マルバス。  
 しかし左目には、あの慈悲深い面影を残す国王陛下の幻影が重なって映っていた。

「国王……陛下……?」

 二つの姿が微かに重なり合い、俺の視界をかき乱す。脳が処理しきれず、周囲の教会の壁や光景も霞んで見える。  
 この異常な現象が意味するものは何なのか。理性が警告する。だが、体はまだ動かない。  

(……俺は今、何を見ているんだ……?)

 混乱が胸を支配する中、ナナシの叫びだけが現実感を取り戻させた。  
 間もなく、この二つの姿が交錯する現実に、俺は翻弄されながらも、何とか呼吸を整えた。

「しねぇええええええええええ小僧おおおおおおお」

 マルバスが、教会の石床を震わせながら一直線に突っ込んでくる。  
 その動きは、まさに獣が獲物を狙う時の単純かつ本能的な攻撃。  
 俺は確信していた──そんな速度で、当たるはずがない、と。

 ──だが、そのはずだった。

「なっ!?」

 次の瞬間、マルバスの動きが、信じられないほどの速度で加速する。  
 その突進は、ただの筋力任せの猛攻ではなかった。  
 獣の獰猛どうもうさに、王としての知性が混ざり合ったかのような、変幻自在の動き。  
 
 先ほどの突進は、まるで序章に過ぎなかった。

(……これが、悪魔の力……いや、陛下の力……)

 心臓が激しく鼓動し、汗が背中を伝う。息が荒くなる中、視界の端に映るマルバスの影が、まるで二重に揺れている。  
 
 紙一重のタイミングで、俺は身をかわすことができた。動いた瞬間、空気の圧力が変わるのを感じ、僅かに指先に痺れが走る。

「ふぅ……大した事ないな」

 吐息混じりにそう呟く。目の前で巻き起こる圧倒的な速度の攻防。  
 システムは、こんな相手に対して「逃げろ」と忠告したかったのだろうか。 
  
 悪魔としての本性を全開にしたマルバス。その動きは確かに速くなったが、体が大きくなった分、逆に攻撃の予測はしやすい。

(あとは……本気の一撃を叩き込むだけだ)

 息を整え、俺は鋭く目を据える。
   
 今、この瞬間、全ての動作を研ぎ澄ませ、マルバスの獣としての本能と王としての知恵が交錯する空間に立ち向かう。

「──兄ちゃん。悪いが、こいつの相手は、俺にやらせてくれないか」

 その声に、俺はハッと我に返った。  
 目の前に立つナナシの姿は、いつの間にか俺の前に移動していた。  
 その瞳は静かで落ち着いているように見える。しかし、よく見ると、そこには燃えるような憎しみの炎が宿っていた。

(……あの憎しみは、リリアへの想いから……か)

 俺は思わず息を呑む。  
 ここまで変わるのか、人は。  
 憎しみが、ここまで力になるのか。  

「……勝てるのか」

 自然と口を突いて出る問いかけ。だが、それは疑念ではなく、無意識に湧いた感嘆のようなものだった。  
 
 だが、ナナシは軽く肩をすくめるだけで、俺の不安を一蹴する。

「おいおい、誰に言ってんだ」

 その声音には、普段の飄々とした雰囲気がほんの僅かに残っていたが、決して笑いではない。  
 俺の鼓動が、ひどく速くなる。胸の奥がざわつき、手のひらに汗がにじむ。  

 ナナシは大きく腕を回し、俺の前に立つ。

「こいつにはリリアを奪われ、アシュレイも……こいつだけはぜってぇ許せねぇんだよ。頼む、兄ちゃん」

 ナナシは俺の両の眼を見て言う。その眼差しは、俺の覚悟を問うていた。
 俺にこの悪魔に対して個人的な恨みはない。だが、ナナシにはある。それは、俺が軽々しく踏み込むべき領域ではない。

「……分かった。死ぬなよ」

 その言葉を口にした瞬間、俺の胸の奥に妙な感覚が湧き上がる。  

「助かる」

 俺は戦闘を譲った。視線をナナシに向けると、その背中からは静かな覚悟と、まるで嵐を呼び込むような迫力が滲み出ていた。  
 
 俺には、この男が負ける未来が、どうしても想像できなかった。

 それは、真眼の力で視た未来ではない。  
 これまでの旅で、俺が見てきた彼の姿、彼の生き様、そして数々の戦いの積み重ね──それらすべてが、俺にそう告げている。  

 信頼はしていない。だが、実力に関しては信用しているのだ。

 それが、俺から見たこの男の評価だった。 

「……ふざけるなよ人間!貴様らなど我の相手になど──」

「我流──『桜晴さくらばれ』」



 ナナシの声が、教会の広間に響き渡った。振り抜かれた大剣は淡い残光を纏い、まるで春の花弁が弾けるように軌跡を描く。

その一閃は突進してきたマルバスを真正面から迎え撃ち、重々しい音と共に両翼を切り裂いた。


「バカな……!」

 マルバスの咆哮が教会に木霊した。切り裂かれた両翼から黒い瘴気が噴き出し、石造りの壁を焦がしていく。誇り高き翼を一瞬で奪われた事実に、悪魔の瞳は狂気と憤怒で赤黒く染まっていた。

 だが、ナナシは冷静だった。

「……チッ。外したか。ま、わざとなんだが」

 ナナシは軽口を叩きながら、自身の身長ほどもある大剣をひょいと担ぎ上げ、肩に乗せた。その仕草は挑発であり、同時に獲物を仕留める刃をいつでも振り下ろせる構えでもある。

「人間風情が……!」

 翼を失った痛みと屈辱に震えながら、マルバスが血走った眼で睨み返す。

「昨日お前に飛ばされたのは、俺の油断だ。……今度は油断しない。最初から殺す気で行くから覚悟しろよ」

 その声音は先程までの軽薄さを欠片も残さず、殺意を帯びた鋼そのものだった。

 ナナシの冷たい言葉に、マルバスが一瞬だけ震えた。
 それは怒りか、あるいは昨日味わった屈辱を思い出したためか。だが確かなのは、その声に圧倒的な覚悟が込められていたということだった。

「思い上がるなよ──人間風情がァアアアアアッ!!」

 マルバスの怒号が教会を揺らす。地響きと共に大地が軋み、ひび割れた床の影がぐにゃりと広がっていく。
 次の瞬間、黒い靄をまとった異形の群れがそこから這い出した。腕の長いもの、獣の顔をしたもの、翼を持つもの……数は二十を優に超えていた。

「シャドウ達よ!──そこの人間共を殺せッ!!」

 悪魔の群れが牙を剥き、咆哮と共に一斉に動き出す。
 腐敗した血の臭気と、地獄の底から溢れ出すような圧力が教会を覆い尽くした。

 マルバスの号令と共に、影から這い出た悪魔たちが一斉に牙を剥いた。
 その咆哮と羽音が重なり合い、まるで地獄の合唱のように教会の空間を満たす。

「来るぞッ!」

 だが、俺の言葉にナナシは動じなかった。

 大剣を地面に突き刺し、肩を竦める。
 
「……やれやれ。この大剣を振るうのは、いつだって骨が折れるんだよな」

 面倒くさそうに頭を掻く仕草。
 だが、その声音の奥底に潜んでいるのは、確かな殺気だった。

 彼の体躯ほどもある剣の刃が石床に擦れ、鈍く響く音が、逆に悪魔たちを怯ませる。


 その時、教会に迷い込んだ桜の花弁が、天井からひらりと落ちてきた。
 まるで血と死の匂いが充満する空間に、場違いなまでの静けさを運ぶように。

「おっと。せっかくの桜に、野暮な音を立てちまったな」

 ふっと笑みを浮かべるナナシ。その口調は飄々としているが、眼差しはすでに獲物を狩る獣のそれ。

「ま、でもよ……どうせなら、この桜も俺の剣の舞で散ってくれた方が、ずっと風情があるだろ。──見てろ、リリア。これが、今の俺だ」

 そう言うと、ナナシはスッと腰を落とし、まるで舞を踊るかのように優雅な仕草で大剣を構えた。

「我流──『桜嵐おうらん』」

 振り抜かれた大剣は、風すらも置き去りにする速度で空間を切り裂く。
 その瞬間、ひらりと舞っていた桜の花弁が渦を巻き、烈風に巻き込まれたように嵐と化した。

 桜の嵐は美しくも無慈悲に、襲いかかる悪魔の群れを次々と切り裂いていく。
 血と悲鳴の代わりに、ただ花弁が舞い散る──その光景は、まるで死をも芸術に変える舞台のようだった。

 やがて渦が静まり、教会には沈黙と花弁だけが残った。

 ナナシは大剣を軽く払うと、大きくため息をついた。
 
「……やれやれ、やっぱ骨が折れる」

 そう言って、ナナシは大剣を肩に担いだ。
 その先に広がっていたのは、ただ静かに舞い落ちる花びらと──影ひとつ残さず消え去った地面だけ。

 教会の中は、不自然なほどの静寂に包まれる。悪魔の断末魔すらなく、ただ花弁が降り積もる音だけが響いた。

「……リリア。桜は咲いた」

 誰に聞かせるでもない呟き。だが、その場に立ち会った者たちは、ナナシが振るった一撃の威力と、その想いを確かに感じ取っていた。

「……バカな……ありえぬ……ありえぬ!我のシャドウがッ!こんな男に!!」

 マルバスは一瞬にして召喚した悪魔を失い、声を荒げた。

「……あとはお前だけだ」

 ナナシは、大剣を肩に担いだまま、ゆっくりと歩を進める。
 その足取りは重厚で、だが確実に獲物を仕留めに行く獣のそれだった。

「スゲェな……お前」

 気づけば、俺は思わず口にしていた。
 ただの感嘆ではない。畏怖と羨望と、そしてほんのわずかな安心が混じった声だった。

 知っていた。この男が只者ではないことは。
 だが──まさかこれほどの力を隠していたとは。
 目の前で繰り広げられたのは、常識を覆す光景。悪魔の大群が、一振りで無へと還されたのだ。

「まだだ。あいつを殺して全てが終わる──」

 ナナシは、そう言ってマルバスにゆっくりと近づいていく。
 その背に宿る気配は、憎しみの炎と、長き戦いを終わらせようとする静かな覚悟が混じり合っていた。
 
 すべてを終わらせるために、彼は今、最終決戦に臨もうとしている。

 その時だった。

「……待って」

 澄んだ声が、張り詰めた空気を切り裂くように後方から響いた。
 重苦しい静寂に吸い込まれるように、その一言だけがやけに鮮明に聞こえた。

「……待って……ください……お願いします」

 それは、王女エルヴィーナの声だった。
 か細く震えてはいたが、その響きは確かに戦場の只中に届き、ナナシの足を止めるほどの力を持っていた。
 彼女の瞳には涙が溜まり、それでもなお、揺るがぬ光が宿っている。

「……父を、傷付けるのは……もうやめて下さい」

 その姿は、王女ではなく、一人の娘だった。
 涙を流し、必死に懇願する彼女の声に、この場の空気が凍りつく。
 悪魔ですら一瞬、言葉を失う。

 ──ただ、一人を除いて。

 ナナシだけが、その声に揺らぐことなく、鋭い眼光をマルバスに向け続けていた。
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