転生したら、まさかの脇役モブでした ~能力値ゼロからの成り上がり、世界を覆すは俺の役目?~

水無月いい人(minazuki)

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第九章:王城決戦編 【第三幕】

第百三十一話:悪夢の始まり

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 それは数年前の出来事──。

 アシュレイがまだ団長の座につく前、そしてエルが今よりも幼かった頃の話である。

 この国の王、エメラルド・フォン・グランツェ。齢七十五。
 その身は病に蝕まれ、玉座ではなく寝台に横たわっていた。白銀の髭はかすかに乱れ、かつて威風堂々とあった瞳は、黒い靄に覆われて光を失いつつあった。

 重苦しい沈黙の中、幼い足音が石造りの床に響く。

「父上……」

 細い声が、広い寝室に吸い込まれていく。

「エル……そこにいるのか」

 掠れた声が返ってきた。その声には威厳よりも弱さが滲んでいる。

「はい。私はここにおります、父上」

 小さな体を震わせながらも、エルは勇気を振り絞って父の寝台のそばに歩み寄った。

 だが、そのエメラルド・フォン・グランツェはすでに『魔眼病』に蝕まれていた。

 瞳は徐々に黒く染まり、やがて光を失う。そして最後には、魔力も……命までも奪われていくという、恐ろしい病であった。

 それは、どれほど優れた聖女であっても癒すことのできない、原因すら解明されていない不治の病だった。

「エル……私はもう長くは生きられぬ。命が尽きたとき、この国をお前に託したいと思っている。
 まだ三つの幼子にすぎぬが……それでも私は、エル。そなたこそがこの座にふさわしいと感じているのだ」
 
「父上……兄上たちでは……」

 エルの声は震えていた。幼いながらも、その胸の奥には不安と戸惑いが渦巻いている。

 病に侵され、痩せ細った国王は、静かに首を振った。

「アシュレイも、ライオネルも……残念ながら、その器ではない」

 低く、掠れた声。それでも王としての威厳を保つその言葉に、エルは息を呑んだ。

「……それは……」

 わずかに握りしめた小さな拳を見つめながら、エルは言葉を継ぐ。

 国王──エメラルド・フォン・グランツェは、かすかに微笑んだ。
 その目は濁りゆく闇に覆われながらも、子を思う優しさを失ってはいなかった。

「エル、誤解してはならぬ。私は決してあの子らを否定しているわけではない。
 ただ──父として、そして王として、それぞれの“才”を見極めた末に言っているのだ」

「……才能?」

 エルは小さく呟き、顔を上げた。国王の声が胸に深く響いてくる。

「アシュレイは剣の腕にかけては群を抜いている。いずれは騎士団長を任せたい器だ。
 ライオネルは人を見る目に長けている。アシュレイと同じ隊に入れ、将来は騎士団にふさわしい人材を見極め、引き入れる役を担わせたい。 あいつは懐に飛び込むのがうまいからな……」

 国王は穏やかに笑みを浮かべた。

「そして──エル。お前は母の血を色濃く受け継いでいる。それは圧倒的な魔力量だ。アシュレイやライオネルにはない力だな。 私は、この国を託す者は強き存在であるべきだと考えている。あの二人が弱いというわけではない。ただ──純粋な意味での強さ。エル、お前はそれを備えている。……民は王に何を望むと思う?」

「……分かりません」

「知識、経験、そして力──そのすべてが、王に求められる資質だ。だが案ずるな、エル。お前はまだ若い。これから積み重ねていけばよい……ゴホッ、ゴホッ!」

 言葉の途中で、国王の胸が大きく震え、激しい咳が迸った。枕元の布が震え、老いた喉から苦しげな息が漏れる。

「父上!?」

 エルは思わず身を乗り出した。幼い瞳に不安が浮かび、細い手が震えながら国王の寝台へと伸びる。

 それでも国王は、咳を抑え込むように胸に手を当て、かすかな笑みを浮かべた。

「……良いか、エル。決して“自分に負けるな”」

 掠れた声だったが、その瞳には王としての威厳が宿っていた。

「……はい、父上」

 エルは涙をこらえ、震える声で返事をした。

「さぁ、もう行きなさい……」

 静かな寝室に、国王の言葉が余韻のように残る。
 
 ──自分に負けるな。
 
 幼いエルにとって、それがどういう意味なのかはまだ分からなかった。ただ、胸の奥に焼きつくように、その言葉だけが深く刻まれていった。
 
 ---

 エルは重たい扉を押し開け、父の寝室を後にした。
 長い廊下の先で、兄の声が響く。

「エル、そんなところにいたのか」

「兄上……」

「父上の容体はどうだ」

 問いかけに、エルの足が一瞬止まった。胸の奥で言葉が渦を巻く。
 ──”もう長くはない”と告げるべきか、それとも……。

 幼い心に迷いが生まれ、そしてエルは小さく息を吸い込んだ。

「大丈夫です」

 兄の眼差しが、わずかに和らぐ。

「……そうか」

 エルは嘘をついた。
 まだ始まったばかりの幼い人生で、初めての嘘を──。

 エルは思った。どうにか『魔眼病』を癒す術はないものかと。
 だが、幼い自分には知識も力もなく、国を、そして民をどうにかする術など持ち合わせてはいない。

 そんな時だった。

「……父を救いたいか」

 背後から響いた声に、エルの心臓は跳ね上がった。
 振り返ると、廊下にかかる燭台の炎がひときわ大きく揺れ、壁に長く伸びた影の中に“それ”が立っていた。

「だ、だれ……」

「我はマルバス。かつてソロモンに仕えし七十二柱の一つにして、病をもたらし……そして癒す者だ」

 その声は人の声でありながら、どこか獣の唸りにも似ていた。
 姿は黒い霧に覆われており、眼だけが爛々と金色に輝いている。

「汝の父の命、救うことも出来よう……」

 エルは唇を噛みしめた。
 恐怖よりも、胸の奥からこみ上げる願いの方が強かった。

「……本当に、父上を……救えるの?」

 マルバスの影がゆっくりと笑った。

「代償を払う覚悟があるのならば──」

 エルは小さく息を吸い込んだ。
 胸の奥に、恐怖と決意がせめぎ合う。
 だが、父を救いたい――その思いだけが、幼い心を支配していた。

「……わかりました。代償を払います、だから父上を助けてください」

 マルバスの瞳が黄金に輝き、低くうなる声が廊下に響いた。

「よかろう、幼き者よ。だが汝よく聞け。代償は──国王の身体に我が入ることだ。
 我は汝の望む『魔眼病』を癒す術を持つ。しかし共に在るが故、国王の身体を映す形となり、意識の大半は我のものとなる」

 黒い霧が揺らめき、寒気が廊下を覆う。
 エルの小さな胸は恐怖で震えた。

 だが、エルは迷わなかった。

「……それでも……父上を救いたい……お願いします!」

 声に震えが混じるが、瞳は決意に燃えていた。
 マルバスはにやりと笑い、影をゆらめかせる。

「よかろう……“契約成立”だ」

 マルバスの声が響くと同時に、黒い霧が一気に国王の寝台へと吸い込まれるように流れ込んだ。
 エルはその影を追うように再び国王の寝室に入る。心臓は激しく打ち、幼い手は思わず国王の胸に触れる。
 震える指先から、恐怖と希望が入り混じった感覚が伝わってくる。

「お願い、父上……!」

 その声は震えていたが、強い決意に支えられていた。
 霧に包まれた国王の身体に、幼いエルの願いが押し込まれるように届いた瞬間──世界の空気が張りつめ、時間さえも凍りついたかのようだった。

 それが、すべての始まりだった。
 悪魔の力と共に、国王陛下としての誕生の瞬間──。
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