攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】

水無月いい人(minazuki)

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第四幕【NEO: Healing Re:Genesis】

Re:第四十三話『幸せの錯覚』

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 私は──幸せだった。

 それが“錯覚”だと気づくまでは。

 ---

「おはようございます、お父様!」

「おお、エルシア。おはよう」

 開け放たれた扉から、まばゆい朝陽が差し込む。

 私はその中へ飛び込むように、父の胸へと抱きついた。

 金色の髪がふわりと揺れ、彼の胸の中で私の鼓動が高鳴る。

「こらっ、エルちゃん。いきなり抱きついてはダメと、何度言ったら分かるのですか」

「……ごめんなさい、お母様」

 母の声には、いつも優しさと厳しさが同居していた。

 私は頭を下げながら、でもどこか──くすぐったくて、嬉しかった。

 私は“家族”というものを知った。

 この手で触れられる、世界でたった三人の居場所。

 父の大きな掌。

 母の少し高い声。

 私のために作られた、温かい朝食。

 それらは観測ではなく、“記憶”として、私の中に刻まれていく。

「すまない、俺は少し用がある。お前達は先に食べててくれ」

 父はそう言って、玄関の方へ向かおうとする。

 私は咄嗟にその背中を追った。

「そうですか……またお仕事、ですか?」

「ああ。今日は帰るさ……」

「でしたら、あなたの帰りを待っていますね。ご飯は家族皆で食べる。これが日名川家の決まりですから」

「…………ああ、そうだったな。分かった」

 父は、私と母の間に視線を落とし、照れ臭そうに微笑んだ。

 私はその笑顔が、大好きだった。

 理由なんて、なかった。ただ──見ているだけで、胸がいっぱいになった。

 
 それはきっと、“幸福”という名前の感情だったのだと思う。

 神であった私は、それを知らなかった。

 けれど今は、違った。

 
 風の匂い。木々の揺れる音。

 母が煮詰めるトマトソースの香り。

 父の帰りを待ちながら、三人で囲む夕食。

 何ひとつ特別じゃない日々が、私には世界のすべてのように思えた。

 “このまま時が止まってくれたら”と──本気で、そう願っていた。

 

 けれど、それは許されなかった。

 

 私は知ってしまったのだ。

 私のこの“幸福”が、どこか歪んでいるということに──

 その“始まり”は、小さな違和感だった。

 ある日、母が私の頭を撫でたとき、ふと漏らした言葉。

「エルちゃん……最近、前より笑わなくなった?」

「え……?」

「ううん、気のせいかもしれません。けれど……時々、あなたが遠くを見ているような気がして」

 私は笑ったつもりだった。

 けれど、その笑顔は──なぜか、母には届いていなかった。

 

 その夜、私は鏡の前に立った。

 自分の笑顔を、何度も、何度も、繰り返し練習した。

 でも、どれも“本物”には見えなかった。

 ──どうして?

 私は“幸せ”だったはずなのに。

 私は“この家族”を愛しているはずなのに。

 それなのに──なぜ。

 

 気づきたくなかった。

 でも、気づいてしまった。

 

 私が感じていた“幸福”は、記憶の模倣だった。

 あのとき私が神として見ていた「理想の家庭」──

 それをなぞるように、私はエルシアという少女として“振る舞って”いただけだった。

 つまり私は──

 心から“笑ったことがなかった”。

 “家族を愛したこともなかった”。

 ただ、愛される演技をして、観測した映像をなぞり返していたにすぎなかった。

 “幸せだったはずの私”は、

 “幸福に憧れた私”の、偽物だったのだ。

 それが、“すべての始まり”だった。

  トントン……トントン……

 台所に響く軽やかな包丁の音。鼻をくすぐるだしの香り。湯気を含んだ朝の空気が、淡く部屋を満たしていた。

「──エルちゃん、できたわよ。食器を並べてちょうだい」

「はいっ」

 金髪の少女が、小さな足取りで食卓に向かう。彼女の名は、エルシア。年頃の少女だが、その動きには年齢以上の気品と律儀さがにじんでいた。

 机の上には、丁寧に並べられた箸と茶碗。

 それを見届けるように、母──日名川エルザは小さく息を吐き、エプロンの裾を整える。

「お父様は……」

「今朝も早くからお出かけですって。国の仕事、だそうよ」

「そうですか……」

 エルシアは視線を落とした。寂しさを隠すように、整った指で湯飲みを揃える。

 母が気づかぬはずもなく、しかし、敢えて口に出すことはなかった。

「さ、ご飯にしましょう。手を合わせて──」

「いただきます」

 その瞬間、エルシアの心に浮かんだのは、以前とは違う感覚だった。

 家族と過ごす温かな食卓。

 それは確かに、望んだはずの“理想”だった。神としてあの家を観測していた日々──ただ見ていた“光景”を、自分の肌で感じるという奇跡。

 ……けれど、それは「始まり」にすぎなかった。

(私は、間違えたのかもしれない)

 エルシアの胸に宿るもの。

 それは“罪”だった。

 この命は、本来別のもの。彼女が“封じた”魂の中に、本物のエルシアが眠っている。

 その事実は、毎朝の「いただきます」にさえ、胸のどこかを締めつける。

 だが、母の笑顔は──何も知らずに、それでも彼女を「娘」として愛してくれる。

 その愛情が、彼女を引き戻していた。

「今日のお味噌汁、昆布の出汁がとても優しかったです。お母様」

「ふふ、ありがとう。エルちゃんがそう言ってくれると、つい調子に乗っちゃうわね」

 たわいない会話。日常の欠片。

 でも、それが“夢”のように美しいと、彼女は知っていた。

(これが……家族なんだ)

 知らなかった。分からなかった。

 それを今ようやく、少しだけ理解できるようになってきた。

 だが──だからこそ、彼女は思ってしまう。

(私は、これを……守れるのか)

 天から降りた“神”という立場。

 その因果は、きっとこの幸せを許しはしない。

 やがて、その報いは──彼女のもとへ訪れることになる。

 だが今はまだ、朝の光の中。

 彼女はそれを、心の奥へとそっとしまい込み──目の前の「今」を、ただ静かに味わっていた。
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