罪の卵

山田ポミエ

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第十六話 終焉

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ちゃぷんと水の音が響く。
浴室のバスタブは広めの造りで、トモヤとワタルが一緒に浸かっても余裕がある程だった。ワタルは自分に背を向けたトモヤを抱えるようにして湯船に浸かる。ワタルは濡れたトモヤの黒髪をゆっくりすくう動作を繰り返す。まるでトモヤをどこかにやってしまわないように、自分の元に留めておくかのように。トモヤはワタルに寄り添いながら背中から感じるワタルの体温が幻でないことを実感していた。セックスした後の独特の気だるさも心地よい。トモヤはふと振り返るとワタルも唇を見つめる。

「にいちゃんに口紅移っちゃったね」

トモヤはワタルの唇を親指で撫でる。ワタルはトモヤその手を掴むとトモヤの指をゆっくり舐める。指先を、指の股を。人間の指先は敏感だ、トモヤはぴくっと肩を振るわせ少し感じている自分が滑稽だった。

「ふふっ、もっかいするの?」
「俺とあの金髪野郎どっちが良かった?」

ワタルの突然の問いかけにトモヤは一瞬ぽかんとしてしまった。対抗心を抱いているのだろうか?まるで子供のようなことを聞くワタルが途端に愛おしくなり、トモヤはくすくすと笑った。

「…何笑ってる」
「ひみつ」
「またお仕置きされたいのか」
「うーん、されたいかも」

トモヤはワタルに向き合うよう体勢を動かす、ちゃぷんと風呂の水が揺れた。

「嘘、にいちゃんに決まってるじゃん、それに…」

トモヤは湯船の水を片手で掬ってはこぼす動作を繰り返す。

「愛の告白されちゃったし、ね」

少し照れくさそうに呟くトモヤの頬に手を添えて、トモヤにキスをするワタルはゆっくり口を開く。

「お前これからどうするんだ」
「もう仕事辞める」

きっぱりとトモヤは言い、わざとぱしゃんと音を立てて湯船に手を落とす。

「だってにいちゃんがいてくれるんでしょ。にいちゃんがいれば、他に何もいらないよ」
「今のままなら金が入るだろ」

乳首をいじられながら、首筋を齧られる。少し意地悪を言ったつもりのワタルだが、年上なのに子供っぽいワタルが可愛らしく感じたトモヤは笑った。

「お金より、にいちゃんがいい」

その言葉を聞いたワタルはトモヤの乳首をぎゅっとつねりながら、うなじに歯形がつくぐらい噛み付く。

「うっ、ん、あ」

快感の中に少しの痛みを覚え、まるでワタルはトモヤにやっぱり金がいいと言わせようとしているかのようだ。今なら戻れると。そんなワタルの気持ちを知ってか知らずか、トモヤは自分の胸を愛撫するワタルの手の甲に自分の手を重ねる。

「…なんだよお前、泣いてるのか?」
「だって、嬉しくて」

湯船が波打って、バスタブから溢れた水が排水溝へと流れて行く音が微かに響く。

「やっとにいちゃんに触ってもらえて、にいちゃんの身体にも触れて…俺、涙が出るぐらい幸せ」

トモヤはぎゅっと、ワタルの手を握りしめる。

「俺、今この瞬間世界で一番幸せだよ。にいちゃんのこと、ずっと好きでいてよかった」

浴室にトモヤの真っ直ぐな声が響く。ワタルはトモヤの言葉に言葉を失った。ワタルはトモヤが何だか儚く見えて一瞬視線を落とした間にこの数十年間のことがフラッシュバックした。

トモヤを求めたあの日々、トモヤを拒否した法事の日、本当の気持ちを抑え込もうとしたこの数年、片時もトモヤのことを忘れていなかったことに気づく。

再び視線をあげて見えた瞳に映ったトモヤの表情は穏やかで。カマキリの卵を拾ってきたせいで母親にゲームを取り上げられたあの日見せた幼い頃の笑顔と今のトモヤの笑顔が本質的な所は変わっていないことに気づいた。その瞬間ワタルは何故か無性に切なく、トモヤのことが愛おしい気持ちになり顔を歪ませた。視界がぼやける。ワタルにも涙が溢れてきたからだった。

「…っ、バカなやつ、本当にお前は…」

震える声を隠すようワタルはトモヤを抱きしめ、トモヤの華奢な肩に項垂れる。嗚咽が漏れ、身体を震わせて泣くワタルをトモヤは優しく抱きしめると、ちゃぷ、とバスタブの湯が音を立てた。啜り泣くワタルの声が、浴室に響き、ベットルームまで少し漏れている。誰もいないベットルームは衣服が散乱し、カーテンの隙間からは日が差し込んでいて、二人が居る建物を抱きしめるように朝日が照らしていた。

    ◇

「ねえにいちゃん、海に行きたい」

朝日が登り始めた頃、二人で手を繋いで部屋を後にするとトモヤが突然そう言い出した。突拍子もないトモヤの発言にワタルは咎めることなくただわかったと承諾し、二人で最寄り駅に向かう。トモヤのカツンカツンという短めのヒールのパンプスの足音と、控えめなワタルのビジネスシューズの足音がまだ誰も歩いていない雑居ビルが立ち並ぶ通りに響く。駅に着くと、始発近い電車に乗る。電車をいくつか乗り換えて、海へ向かう途中の車内はがらんとしていて、二人寄り添いながらでうたた寝をする。

目的地に到着すると、海に向かう途中トモヤはお腹が空いたと呟く。その足取りは軽やかでワタルはそんなトモヤを愛おしそうに見つめる。トモヤがあっ、と呟くとワタルの手を離して走り出す。そこには広い海が広がっていた。

砂浜まで降りて行き波打ち際まで歩く。足が砂に取られる二人はお互いの手を離さない。トモヤは足を踏み締める度に少し沈む砂の感触が面白いのか、一歩踏み出す度に大袈裟に笑った。

波打ち際まで来ると、二人で押し寄せる波と、水平線を眺める。とめどなく押し寄せる波は何も語らない。

押し寄せた波が靴を濡らしそうになり、それを避けてはしゃぐトモヤは昨晩着ていたパープルのワンピースのままで、ウィッグは外していた。それがなんだか可笑しく思えたワタルは我慢できず吹き出して笑う。トモヤはぽかんとした直後、何笑ってるのと膨れた顔でワタルの胸を叩く。

そのまま波打ち際に沿って歩く。二人の足跡が大きく押し寄せた涙に攫われるが、微かに跡は残っている。

トモヤはいつまでも笑っていて、この海や地平線ごとトモヤを抱きしめたいとワタルはトモヤを抱きしめ唇を重ねた。

    ◇

「Teacher's Pet」の会場でとある雑居ビルの地下。
控室で今夜の宴の準備する樋口は背中に何か投げつけられた軽い感触を覚え、視線を落とすと丸められたスナック菓子の袋が落ちていた。振り返ると佐伯が椅子の背もたれに寄りかかり不貞腐れた顔をしていた。

「なあなんでトモのこと手放したんだよぉ~」

むくれる佐伯がそのことに触れるだろうと予測していた樋口は手元の書類を捲りながら口を開く。

「その方が面白いからです」

樋口が微笑んだ瞬間佐伯は脱力したようにはぁ、と大袈裟にため息を吐く。

「樋口さんのそーゆーとこ、わけわかんねぇ」
「そうですか?単純だと思いますが」
「どこがだよ!」

あーあ、いい子降ってこないかなあと佐伯はぐるぐると椅子を回転させる。心底残念そうに呟く佐伯に樋口は目元の書類に目を通しながら微笑む。

「今日の子は佐伯くん好みだと思いますよ」
「まじ!?」

初めて会う子ですよね?と樋口が尋ねると佐伯はうんうんと上下に首を振り、楽しみだとニヤつく。

「そういえばあの店のさ…」

佐伯の話題は別の話に移った。あの店のあの男の子もいいらしいと、話し始める。樋口はうっすら微笑んだ。

また新緑の季節が来る。鬱蒼と茂る緑の中でカマキリの卵が初夏の風に揺れていた。
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