贄の神子と月明かりの神様

木島

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変調の兆し

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「すばる」

 皓月と顔を会わせ辛くてそのままだらだらと部屋で時を過ごしていると、夕方になってやけに覇気のない皓月の声が部屋の格子を叩いた。完全に気を抜いて床の上に大の字で寝転んでいたすばるの心臓がびょんと跳ねる。

「あ、あい!なんでしょう」

 慌てて身だしなみを整えて格子を開けると廊下に立っている皓月の耳がへたりと垂れている。その不安げな様子にすばるはきょとりと目を丸めた。

「皓月?」
「すまないすばる。お前に不快な思いをさせた」

 おずおずと尋ねる皓月の声は普段と比べて随分と張りがない。相も変わらずすばるに拒絶されることに慣れていないようだ。皓月は皓月で気に病んでいたことに気付いてすばるは慌てて首を振った。

「その……ごめんなさい!そう言う訳ではないんです。僕も上手く言えないんですが」
「そう、か?」
「あい」

 不快ではない。不快ではない物を連れてくるからすばるは困っているのだ。ただそれを、当の本人へ伝えることができない。

「夕餉ができたのだが、食べるだろうか?」

 言外に出てきてほしいと言う皓月の声はまだ不安に満ちていた。そんな殊勝な態度を取られては嫌で拒絶した訳はないすばるに断る術はない。

「あい、わかりました。ちょっと待っててくださいね」

 開けっ放しだった星空の瓶を閉めると同時に皓月への恋心へ蓋をする。気持ちも瓶も定位置の棚の上に片付けて素直に部屋を出た。そうして出てきたすばるを見つめる皓月はまだ不安げな表情を浮かべていて、すばるは首を傾げる。

「その、もう怒っていないか?」
「なにか怒ることがありました?」

 皓月は未だに逃げられたことを気にしている。しかし気にしたら負け、と思っているすばるは態とそれをはぐらかした。まともに取り合えばせっかく蓋を閉め直した感情を開かなければならない。それだけは何としても避けたかった。

「皓月一人でご飯作ってくれたんですか?」

 話題を変えるために尋ねると皓月は頷く。皓月とて成長した。すばるに拒絶されたからと何も手に付かなくなるなんてことはなくなったのだ。一頻り落ち込んで反省した後、料理で気を紛らわせていただけとも言うが。

「ああ、この間九朗が持ってきた魚の干物を焼いた」
「ああ!あの大きな魚の干物。炙って食べると美味しそうでしたもんねぇ。楽しみです!」
「葡萄と梨もあるぞ」
「葡萄と梨!」

 やった、と両手を叩いて喜ぶすばる。足取り軽く廊下を歩くその姿に皓月はほっと表情を弛めた。すばるはあの行為を水に流してくれるようだと。
 あの時、頬を染めて小さく吐息を吐くすばるに己を見失いそうになったのは皓月だ。
 好いた人間の艶めいた声を聞いて反応しない男はそういない。それは皓月も例外ではなかった。きっとすばるは抑えきれずに溢れた欲望を敏感に察したのだろう。親代わりの男に雄の顔を見せられて恐ろしかったに違いない。だから拒絶して逃げた。そう思うと自身の愚かしさに吐き気がする。

「私は守護者としてすばるを守ると決めたのだ。己を律することができずして何が神か」

 先を行くすばるの背を見つめて皓月はぽつり小さく呟く。

 あの日、皓月が口を閉ざすと決めた日から二年経った今も二人の関係は何一つ進展していない。お互いに自分の想いをひた隠し、神子と守護者として引いた最後の一線を前に踏み止まり続けている。
 その危うい均衡が崩れ去る日はもうすぐそこまで迫っていた。
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