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スエル・ドバードの酒場

#11.開けられた錠

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──その男の抱き方は、強引だった。

熱苦しい大きな胸板をセシリアの体に打つけるようにして這わせ、彼女の体の部分部分に粗い鼻息が掛かるとその部分に熱い湿りを感じ目を瞑る。

セシリアは、今まで何度も経験している。

..だがそんな男等から感じるその湿りには、いつも嫌悪感を覚えていた。

その度に男たちが彼女の顔を覗き込み凝視して、セシリアの応えを待つ瞬間は、何度経験しても慣れるものではない──

─────
───

夜の22時前にしてズバルは、セシリアの体を弄ぶのを一旦やめてベッドの上で横になって肩で息をするセシリアに声をかける。

「おい? シャワーを浴びて来い...少し汗臭いぞ?」

そのズバルの冷たい一言にセシリアは、

ズバルの顔を見ずに古くなった床の方に目を向けながら言葉を返す。

「汗をかいてるからベッドに上がる前に少しシャワーを浴びさせてくれって頼んだのに...

あんたがダメだって言ったんだろ?」

ズバルは、自分にまだ意見しようとするセシリアのその態度に、前とは違い容赦のない力で裸で横になる彼女の尻を思いっ切り引っ叩くとキツい渇いた音が寝室に響き渡り、セシリアはその痛みから立ち上がり顔をしかめてズバルに懇願した。

「..た..頼むよ...もう打たないでくれよ!

...私は正直に答えただけだろ? お願いだよ...殴らないでくれよ...」

「その口答えに対して俺は正直に対応しているだけだ?」

そう言い放ったズバルは、彼女の左の頬を力いっぱい打つと目が回ったのかセシリアは、バランスを崩しズバルの足元に倒れる。

「..許してくれよ...ズバル様お願いだ...打たないでくれ...」

「..打たないでくれ? ...なぜ俺がお前に命令されなくてはならん..打たないで...下さいの間違いだろ!」

そう語気を強めたズバルは、自分の足にしがみ付き懇願するセシリアの髪を引っ張り上げてから、床に叩きつける。

「...申し訳ありません!

どうか..許して下さい! ズバル様..お願いします...」

セシリアは、ズバルの足元で痛みを堪えて涙を流しながら身体を丸めて、左端が切れて出血する唇で泣き叫び懇願する。

「そうだ? ...それでいいんだ...最初からそうしていれば殴られずに済んだんだ。それをお前は、自分から殴ってくれと言わんばかりの態度をするから...そうなるのだ。

セシリアよ...お前は最初に見た時のように怯えていればいいのだ? そうすれば他のアルダ・ラズムの兵士からも打たれずに済む...分かったな?」

「...はい」

「よし! いい子だ。では、シャワーを浴びて来い?」

「..分かりました」

「...時間をかけるなよ? ..俺は時間が無いんだ。..10分足らずで戻って来い」

「..直ぐ...戻って来ます」

セシリアは流れ落ちてくる涙を何度も拭いながら、口から溢れる嗚咽を必死に抑え、寝室から離れたシャワー室へと向かった。

────
──

セシリアは、シャワー室で泣き、それを誤魔化すようにシャワー浴びた。

「ちくしょう...ちくしょう...母さん..私が何をしたって言うんだよ? どうしてだよ...」

汗と血を流すセシリアは、シャワーを止め直ぐ外に出て、その場にあったバスタオルで乱暴に髪と身体についた水滴を拭い、洗面台の鏡の前に立った。

頭と首に痛みが走っていたが彼女にとっては、何も気にならない痛みだった。

この時のセシリアは、そんな堪えて済む痛み等どうでも良かったのだ。

堪えられなかったのは、こころの奥底から聞こえる

"嘆き" だった。

その嘆きは、今まで必死に気づかぬ振りをしてきたもの...

そのものだった。

その気づかぬ振りをして放置してきた感情がこの時、限界を越えたのだ。

11ヵ月前に殺された誰かに母の墓前に向かって父が急死する前の優しかったとても母との思い出から自分を12歳の時にボルカに売り払った母への怨みまでをぶつけた帰りに..

セシリアのこころが泣いたのだ。

────

"私は、信じる事も許されないのか...

なあロマネスク? 私は、を信じているのか?

──

鏡に映るセシリアの顔は、青ざめていた。

左の頬が赤く腫れて痛々しく、唇の左端からまだ血が流れている。

「..ひでぇ顔だ」

鏡に映る自分の顔に声が出る。その声に続き寝室から大きな声が届く。

「おーい...まだか?」

無神経なズバルの声にセシリアは苛立ちを抑え寝室に向かって大声を返す。

「もう少しお待ち下さい! ..唇の出血を止めてるんです!」

「..おぉそうか...分かった」

「...けっ! 少しは待てねぇのか?

あの野蛮な男め! てめぇの所為せいでこうなってるってんのに...」

その離れたズバルにセシリアは、目の前を睨みつけ愚痴をこぼす事しか出来なかった。それが返って苛立ちや憎しみの原因となって彼女を苦しめ続けている。

「あの男さえ...」

(コンコン!)

濡らしたタオルを腫れた頬に当て冷していたセシリアの耳元に脱衣場にある窓を叩く音が聞こえた。

セシリアは、ゆっくりとその窓に目を向ける..

その窓の外には、にっこりと笑うあの子が立っていた。

「..お前は?」

セシリアが口を開くと窓の外にいる男の子は、セシリアの腫れ上がった頬に気づき直ぐにその表情を曇らせる。

窓を開けセシリアは、その男の子に向かって小声で話しかけた。

「..おい? さっきからお前..ここで何してんだよ?」

「..おねえちゃん...殴られたの?」

「..そんな事は、どうだっていい..

ここはお前みたいな年頃の子供が来る所じゃねぇ..

早く向こうに行け? それに手綱の事..バレたら酷い目に遭うぞ? なあ... 分かった?」

「うん...おねえちゃん、これ..」

そう言って男の子は、セシリアに手の平に乗せた緑の葉っぱを渡そうとする。

それを右手で受け取ったセシリアは、その手の平を少し眺めてから少年の目を見つめ、それが何かを聞いた。

「これは...なんの葉っぱだい?」

「薬草だよ。おねえちゃんの..その痛みに効く」

「..薬草か...ありがとうな?」

「うん!」

そのセシリアのお礼の言葉に少年は、笑顔で応えて間が出来た時、またしても寝室の方から大きな声が響く。

「ええい! いつまでも待たせる気だ! ..いったい何をやっているのだ!」

そのズバルの声にセシリアと少年は、体を一瞬震わせ、お互いに目を合わせる。

そしてセシリアは、その目の先にいる少年に笑みを浮かべ寝室の方に顔を向けて大声を上げた。

「ズバル様! 大変すいません!

顔の腫れが酷いので、もう少し冷やせば腫れも治まると思いますので...あと少々時間を下さいませ!」

「..ええい分かった...早くしろ。俺は時間が無いと言っているのに..全くお前だけは..」

その返事に2人は安堵する。

そしてセシリアが会話を続き始めた。

「なあボウズ? ..その手綱の馬はどうなった?」

「うん! 大丈夫? ちゃんと逃がして上げた?

"迷いの森"へお行きって...じゃあ、森の方へ消えて行った?」

「..良かった...さあボウズ? お前は、もう下へ降りるんだ...分かったな?」

「うん! じゃあね?」

「おう....あっ! おい? ボウズ..お前...」

セシリアは、背を向けてバルコニーの路地裏の方に架けられていたハシゴの方へ歩いて行く少年に名前を聞こうとしたが届かなかった。

「..あの子...よくあの高さを上って来たな..ハシゴとは言え..でもどうやって? ハシゴなら路地の壁に鍵を掛けて固定してあるし...音も立てずに..うーん..」

そんな疑問をセシリアは持った。

路地裏には10メートル以上の高さに在る3階に上る為のハシゴが置いてある。最初はそのままただ置いてあるだけだったが、セシリアの存在を知った者がそのハシゴを使いその3階の寝室にイタズラ目的で上がって来る者がいたのだ。セシリアは、小さい頃から夜は戸締りを確りするよう教えられていた為に寝室の中まで入って来られる心配は無かった。にもかかわらず音を立てながらハシゴを掛け上って来る者(男)に何度もびっくりさせられる事が後を絶たずその度にセシリアは、二ズルに何とかして欲しいと頼んだ。

だが二ズルは二ズルで、鍵を確り閉めているのだから、そのような男どもは放って置けばいいではないか? と笑っているだけで応えようとはしなかった。しかし二ズルは、若しも、そのセシリアに危害を加えるだけで無く連れ去ろうとする者が現れたらと考えると、その置きっぱなしのハシゴを路地裏の壁際に錠を掛け固定する事にした(鍵は3階の物置の中へ)。

その後は、3階の寝室まで音を立てて上がって来る者の代わりに路地裏でそのハシゴを固定する鉄の分厚い台を壊そうとする者がたまに現れるだけで上って来られる心配は収まった。

───

また1人になったセシリアは鏡で、もう1度その腫れ上がった左の頬を見た。

熱さを感じ赤色に薄ら紫色が混じって、いつの間にか意識がその痛みを受け入れ始めていく...

彼女は、そんな部分に今しがたもらった薬草を押し当てる。

その左の頬からは、ヒリヒリと痛みが走り、また冷たい感触が熱さを和らげようとしている。

それは、なんとも言えない"癒し"で、セシリアに僅かな時間を与えてくれるものだった。

(私にも...信じる時間があってもいいよね?)

そんな思いで鏡を見つめていた時、

「セシリアァ!!」

その大きな声にセシリアは、

「...いま行きます」

と応えて、右手で左の頬に薬草を押し当てたまま...

その声のした寝室へと戻って行った。

────
──

「...ふぅ! ..大丈夫かな...セシリア」

セシリアに薬草を渡した少年は、ハシゴを下り終えても不安のままであった。彼女の強く打たれた頬の腫れは思っている以上に酷く痛々しいものであったから。

「ううん! 大丈夫なんかじゃないよ!」

少年は、そんな気持ちで辺りを見渡してから慎重に壁に掛けたハシゴを壁からズラすようにして動かし、3階の寝室からは見えない位置にまでズラし終えると今度は、そのハシゴを路地裏の地面に倒すように押した。10メートル以上あるハシゴは通路の地面を目指して倒れ始めると少年は、そのハシゴに両手をかざす。すると徐々に早くなって倒れていこうとするハシゴが急にその速度を緩める。それは、まるで幾つもの糸に支えられているようだった。

そして音も立てずに地面に触れたハシゴを壁の固定されていた部分へ引っ張り元の位置に戻すと開いた錠を掛け、その部分に片手を置く。

カチッと音がしたのを確認した少年は、路地裏から酒場の表へ出て、

「...必ず助けて上げるよ..セシリア」

表ガラスから中を覗き、酒に酔い顔を赤らめ騒ぎ立てる客たちの上で、苦痛を味わう彼女に誓った少年は、急いでまた路地裏へ戻り暗いその先を見た。

そこには、さっきは見えなかった1人の男が立っていて、それに気づいた少年は、思わず大きな声で男の名前を呼んでしまいそうになるのを慌てて構えて抑える。男もそんな少年に反応するように頷いてから、その場をあとにしようと背を向け、少年がその背中を目指して走り出した時には、振り始めていた小雨が次第にその勢いを強めた。
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