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マゼンダは森の奥で静かに暮らしていた。
ひとりきりでここに暮らし始めてから1年半が過ぎた。
猛反対されたひとり暮らし自体も、もう3年ほどになる。
彼女は魔女だ。
彼女の母親も、その母親も、魔女だった。そういう家系だ。
別に、魔女だからといって寿命が長いわけでもなければ病気にならないわけでもない。
ただ、薬草などの知識に長け、少しばかり人よりも多く魔力があり、それを上手く使いこなせるだけ。他は知らないが、少なくともマゼンダの周りの魔女はそういった者たちばかりだった。
そのおかげか、少なくともマゼンダの住む大陸では魔女たちは好意的に受け入れられていた。
魔女の作る薬は信用され重宝された。
そもそもの絶対数も少ないので、村や街のなかには魔女に住む場所を与え、その生活保障をする代わりにその知識を住民に還元してもらうというところすらあるほどだ。
魔女がいる場所は良質な薬が得られ、怪我や病気に伏すことがなければ仕事に全力で取り組め、それにより経済も潤滑にまわる。天候を予測し、農作物の虫害や病を防いだり、より収穫しやすいように品種改良することだって魔女の得意技のひとつだ。
そうして魔女のいる場所は、豊かになっていく。
もちろん、過去にはその力を得るために、魔女を捕らえて監禁した者もいる。
が、それをした者は一人残らず凄惨な結末を迎えてきた。
何故ならば、魔女はほかのものたちに守られているからだ。
人間ではない、別のものに。
「よしっ終わった!」
マゼンダは最後のシーツを干して、ぐーっと伸びをした。
鬱蒼と茂った森は陽の高くなるこの時間でもまだ暗いが、彼女の家の周りは日当たり良好、風通し抜群の物干しスポットがある。そこにはいつも森で採れる薬草やキノコ、あるいは彼女自身の服など何かしら必ず干してあり、今日は真っ白のベットシーツが我が物顔でそこを占領し風に揺れていた。
大物のベッドシーツを洗える日はなかなか限られてくる。今日は待ちに待ったその日だった。
「この時間に干しておけば夕方には乾くわね。さっ休憩よ休憩!今日はだいぶ頑張ったわ!」
昨日焼いたパンプキンパイも食べたいし、今日は濃いめのダージリンで決まりだわ、と思いながら家に入って湯を沸かす。
明日はゆっくり寝て暇になったら長湯でもしながら魔女回覧でも確認しよう。
家中掃除したし明日のひとりパーティ用の食料も買い込んだ。あとは引きこもるだけだ。
大丈夫。いつも通りに過ごせば、また今年も乗り切れる。
マゼンダはぐっと拳を握り締めた。
明日はハロウィン。
そして、マゼンダの誕生日でもある。
魔女と因縁のあるハロウィンには、何があっても誰も招かず、必ず引きこもる。
それは彼女の望みを叶えるための、決してやぶってはいけない決まりだった。
ハロウィンには不思議な力があり、人外のものの力が増して、人の世界に出てくるものが増える。家のなかにいれば、自分が招き入れさえしなければ人外は勝手に家のなかには入ってこられないが、下手に外出してそんなものたちと行き合ってしまい縁を繋ぐと面倒なことになる。
家族から、誕生日でもあるハロウィンの日に、外出も誰かを家に招くことも許されていないことを知らされたときの絶望は、今でも忘れない。
誕生日当日に友だちにおめでとうと言ってもらえないうえ、絵本で読んでからずっと憧れていた、あの「trick or treat」と言いながら夜にお菓子をもらって回ることができないなんて。
ハロウィンになぜか親族だけで引きこもって誕生日パーティをやることも、その家のまわりをなにかが彷徨うろついていることも、幼い頃からの日常のせいで疑問にすら思わなかったが、それが原因だったのだ。
それを知ったときは一日中泣いて泣いて、代わる代わる慰めに来る家族からそれぞれお菓子をもらい、それを行儀悪くベッドで全部平らげて虫歯も恐れずにそのままふて寝した。
悔しい。望んでいない。わたしもみんなからおめでとうって言われたいし、街の大人たちからお菓子もらいたい。
それでも、何度も言い含められたこともあり、マゼンダは言いつけ通りハロウィンに外に出ることはしなかった。
聡い彼女にはそれが彼女自身を守るためのものだと分かっていたし、何より家の中で家族から全力のお誕生日おめでとうと「trick or treat」をやってもらえたからだった。
なぜ人外がそんなにも魔女に固執するのか。
それは、魔女を魔女たらしめるたったひとつの特徴のせいだ。
魔女は、人外たちとの子どもをもうけることができる。
なぜ魔女と人外のもので子どもができるのかは、誰も知らない。
人外のものたちの魔力が、魔女たちのものと相性が良いのだと言われているが、定かなことは分からない。
ちなみに魔女には男女両方いるが、両性とも問題なくつくれる。これも実証済みだ。
人外のものたちは人の世界には出てこず、人外のもの同士で子どもをつくることが一般的ではある。が、魔女との家庭を築きたがるものの方が圧倒的に多い。
人外のものは血が濃くなればなるほど、その特性や魔力が強くなり自我が保てず早死にしてしまううえ、そもそも人外同士では子どもができにくいからだ。
だからこそ、人外は魔女を守り、その伴侶として選んでもらえるようにアプローチする。
それはもう、猛烈に、アプローチするのだ。
さすがに人外と人間との世界の『掟』のおかげで魔女を攫ったり無理矢理伴侶にしたりすることはないが、何も知らない幼い間に縁を繋ぎ、大人になるまでひたすら甘やかして依存させ、『掟』で許された18歳になった日に愛を乞うて頷かせるのはギリギリセーフらしい。
それはアウトでないのか。
魔女にとっては、自分の伴侶は別に人間でも人外でも構わない。ただ、好きになれば情の続く限り共に生きるだけだ。
だがそれに対して人外のものは魔女に向ける熱量からして違う。人外のものよりも遥かに数の少ない魔女の伴侶になることは、得難い幸運であり、みすみす逃すなど愚か者のやることなのだ。
魔女たちのなかには公に保護されているものもいるが、通常は人の世界に溶け込んで暮らしている。自分で伴侶を選びたい魔女が、人外のものに見つからないように魔女であることを隠して生きていることも多い。
だからこそ、人外はやっと見つけた魔女には全力でアプローチする。
甘やかす、貢ぐ、傅く。
魔女を害すものは必ず駆除されるし、魔女の望みは叶えるべく最大の努力をする。
彼らにとって、そんなことは当然の行いだった。
たとえ縁がなくても、信用してもらえれば何かしらの利は得られる存在。人外のものにとって、魔女はそんな存在だった。
そんな人外から求愛されてしまえば、彼らの愛から逃れられる魔女も少ない。
結果、魔女は彼らに見つからないよう、ハロウィンには外出を控えるものが多いのだ。
湯が沸いた音がして、マゼンダは思考を止めた。
お茶を淹れて一息つく。
お金も貯まったし、無事にこのハロウィンを超えたら、この森を出てまた違う街で今度は街暮らしをするつもりにしている。
この森にも長くいすぎた。そろそろ、足取りを追って人外たちがここに気がついてもおかしくない時期だ。
見つかる前に、逃げなければ。
だが、どうしても、後ろ髪をひかれる。
彼女には人生で初めての恋人ができたからだった。
恋人のことを思い浮かべて、彼との甘い日々を思い出し、マゼンダはひとりで赤面した。
白髪にところどころ灰色のメッシュが入る不思議な髪の色に、やさしい錆色の瞳。眉は太く、まだ幼さはあるものの精悍な顔つき。スラリとしなやかなのに、力強さを感じさせる身体に抱き締められると、まだ慣れることなく胸がときめいてしまう。
付き合ってから、彼には自分が魔女だと明かすべきかを何度も悩んだ。
だが結局言えずにこのまま終わらせる。
彼は、打算的な理由で彼女に近づいてきた人だ。
終わりのある恋。
マゼンダはとある理由から、そう結論付けているし、それが間違っているとは思っていない。
だからこそ、言えない。
人外が彼に何かしないように。マゼンダと別れても、彼が普通に生活できるように。
それがマゼンダの導き出した答えだった。
マゼンダには理想の未来がある。
好きな人と結婚したい。魔女のマゼンダではなく、マゼンダ個人を愛してくれる人と、家庭を持ちたい。
母は人間と家庭を持った魔女だ。
その血を継いで、マゼンダを含めた兄姉たちもみな魔女だった。
成長した今、兄は蜘蛛女を伴侶とし、姉は普通の人間と結婚して子どもをもうけている。
ふたりとも紆余曲折あったものの、心底幸せそうだった。
良いな、と思った。
わたしも愛し愛される家庭を持ちたい。
人外との子どもが産めるから、生活を豊かにしてくれるからという理由ではなく、ちゃんとマゼンダ個人を見てくれる人と結婚したい。
だからこそ、魔女であることが隠せないあの家では無理だった。
マゼンダの母の弟、つまり彼女の伯父は保護された独身の魔女だ。魔女としての能力は一級品で、彼のつくる薬は本当によく効いた。
だが、彼には悪い癖があった。
魔女であることをオープンにしたうえで、人間も人外も、隔たりなく愛し、望まれれば人外のものと子どももつくってしまうのだ。
人外にもさまざまなものがおり、魔女の伴侶を得られずとも子どもだけ授かれたら良いというものもいる。特に女の人外はその気が強く、子どもが欲しいがゆえに魔女の男と子作りだけを望むものも一定数いた。
マゼンダの伯父はそういうタイプの人外にとって、かなり有名な魔女だった。
そして、魔女は血筋で繋がるため、芋づる的にマゼンダの家族も魔女であることが人外に知られてしまい、さまざまな人外に家族ぐるみで求愛されることとなったのだ。
伯父さん自身は良い人なんだけどね。
マゼンダは、伯父のことは大好きだ。
旅行ばかりしていたせいであまり一緒に暮らしたことはないが、気の良い朗らかな魔女だ。旅行先でもいろいろとひと助け(人外含む)をしていたらしく、贈り物などもよく届く。
だが、トラブルメーカーでもある。
公の魔女になることを勝手に決めて帰ってきたときの、激怒したマゼンダの母に箒でしばき倒され家から蹴り出されていた伯父の姿を思い出し、苦笑しながらパンプキンパイを切り分ける。
そのとき、兄姉は成人済みで結婚相手もほぼ決まっていたが、マゼンダはまだ14歳だった。
彼女は人外にとって、格好のアプローチ対象となったのだ。
あの状態で、実家に暮らしたまま普通に恋をして結婚するなど、不可能に近いことだった。
母も兄姉も、幸運なことに魔女ではない自分を愛してくれる存在を見つけて伴侶となったのだ。
わたしだって、そうやって愛されたい。
そんな強い憧れをぶつけ、何とか両親と兄姉を説得し、たったひとりで家を出た。マゼンダの家族全員からボコボコにされた伯父さんが生活費として、多額のお小遣いもくれた。それを頼りに、人外の気配がなくなるまで少なくとも3回は引っ越しをした。
そんな風に逃げ回ってたどり着いた小さなこの町で、マゼンダは初恋と出会った。
相手は、薬を卸していた商会のズィーロという青年。
何度か商会で顔を合わせる間に自然と仲良くなり、お茶をするようになり、異性として意識しあっていると気付いたのはいつのことだったのか。
とても些細なきっかけばかりだった気がする。
だが、そんな日常が恋をするとこんなにも楽しいのかと叫びたくなるほど、マゼンダは彼に恋をしていた。
鬱蒼と茂っているはずの森での生活が、彼に会えるというだけで何だかキラキラしてしまうのだ。そして、彼もまた、彼女の気持ちにこたえて彼女を大切にしてくれている。
いつか終わる恋でも、嘘の愛情に浸されているだけでも、彼女は彼のことがどうしても好きだった。恋をしているというだけで幸せだし、ズィーロが笑ってくれるだけで、満たされる。
マゼンダは今の生活が、大いに気に入っているのだ。
ただ何となく、言葉にしがたい、虚しさを感じながら。
ひとりきりでここに暮らし始めてから1年半が過ぎた。
猛反対されたひとり暮らし自体も、もう3年ほどになる。
彼女は魔女だ。
彼女の母親も、その母親も、魔女だった。そういう家系だ。
別に、魔女だからといって寿命が長いわけでもなければ病気にならないわけでもない。
ただ、薬草などの知識に長け、少しばかり人よりも多く魔力があり、それを上手く使いこなせるだけ。他は知らないが、少なくともマゼンダの周りの魔女はそういった者たちばかりだった。
そのおかげか、少なくともマゼンダの住む大陸では魔女たちは好意的に受け入れられていた。
魔女の作る薬は信用され重宝された。
そもそもの絶対数も少ないので、村や街のなかには魔女に住む場所を与え、その生活保障をする代わりにその知識を住民に還元してもらうというところすらあるほどだ。
魔女がいる場所は良質な薬が得られ、怪我や病気に伏すことがなければ仕事に全力で取り組め、それにより経済も潤滑にまわる。天候を予測し、農作物の虫害や病を防いだり、より収穫しやすいように品種改良することだって魔女の得意技のひとつだ。
そうして魔女のいる場所は、豊かになっていく。
もちろん、過去にはその力を得るために、魔女を捕らえて監禁した者もいる。
が、それをした者は一人残らず凄惨な結末を迎えてきた。
何故ならば、魔女はほかのものたちに守られているからだ。
人間ではない、別のものに。
「よしっ終わった!」
マゼンダは最後のシーツを干して、ぐーっと伸びをした。
鬱蒼と茂った森は陽の高くなるこの時間でもまだ暗いが、彼女の家の周りは日当たり良好、風通し抜群の物干しスポットがある。そこにはいつも森で採れる薬草やキノコ、あるいは彼女自身の服など何かしら必ず干してあり、今日は真っ白のベットシーツが我が物顔でそこを占領し風に揺れていた。
大物のベッドシーツを洗える日はなかなか限られてくる。今日は待ちに待ったその日だった。
「この時間に干しておけば夕方には乾くわね。さっ休憩よ休憩!今日はだいぶ頑張ったわ!」
昨日焼いたパンプキンパイも食べたいし、今日は濃いめのダージリンで決まりだわ、と思いながら家に入って湯を沸かす。
明日はゆっくり寝て暇になったら長湯でもしながら魔女回覧でも確認しよう。
家中掃除したし明日のひとりパーティ用の食料も買い込んだ。あとは引きこもるだけだ。
大丈夫。いつも通りに過ごせば、また今年も乗り切れる。
マゼンダはぐっと拳を握り締めた。
明日はハロウィン。
そして、マゼンダの誕生日でもある。
魔女と因縁のあるハロウィンには、何があっても誰も招かず、必ず引きこもる。
それは彼女の望みを叶えるための、決してやぶってはいけない決まりだった。
ハロウィンには不思議な力があり、人外のものの力が増して、人の世界に出てくるものが増える。家のなかにいれば、自分が招き入れさえしなければ人外は勝手に家のなかには入ってこられないが、下手に外出してそんなものたちと行き合ってしまい縁を繋ぐと面倒なことになる。
家族から、誕生日でもあるハロウィンの日に、外出も誰かを家に招くことも許されていないことを知らされたときの絶望は、今でも忘れない。
誕生日当日に友だちにおめでとうと言ってもらえないうえ、絵本で読んでからずっと憧れていた、あの「trick or treat」と言いながら夜にお菓子をもらって回ることができないなんて。
ハロウィンになぜか親族だけで引きこもって誕生日パーティをやることも、その家のまわりをなにかが彷徨うろついていることも、幼い頃からの日常のせいで疑問にすら思わなかったが、それが原因だったのだ。
それを知ったときは一日中泣いて泣いて、代わる代わる慰めに来る家族からそれぞれお菓子をもらい、それを行儀悪くベッドで全部平らげて虫歯も恐れずにそのままふて寝した。
悔しい。望んでいない。わたしもみんなからおめでとうって言われたいし、街の大人たちからお菓子もらいたい。
それでも、何度も言い含められたこともあり、マゼンダは言いつけ通りハロウィンに外に出ることはしなかった。
聡い彼女にはそれが彼女自身を守るためのものだと分かっていたし、何より家の中で家族から全力のお誕生日おめでとうと「trick or treat」をやってもらえたからだった。
なぜ人外がそんなにも魔女に固執するのか。
それは、魔女を魔女たらしめるたったひとつの特徴のせいだ。
魔女は、人外たちとの子どもをもうけることができる。
なぜ魔女と人外のもので子どもができるのかは、誰も知らない。
人外のものたちの魔力が、魔女たちのものと相性が良いのだと言われているが、定かなことは分からない。
ちなみに魔女には男女両方いるが、両性とも問題なくつくれる。これも実証済みだ。
人外のものたちは人の世界には出てこず、人外のもの同士で子どもをつくることが一般的ではある。が、魔女との家庭を築きたがるものの方が圧倒的に多い。
人外のものは血が濃くなればなるほど、その特性や魔力が強くなり自我が保てず早死にしてしまううえ、そもそも人外同士では子どもができにくいからだ。
だからこそ、人外は魔女を守り、その伴侶として選んでもらえるようにアプローチする。
それはもう、猛烈に、アプローチするのだ。
さすがに人外と人間との世界の『掟』のおかげで魔女を攫ったり無理矢理伴侶にしたりすることはないが、何も知らない幼い間に縁を繋ぎ、大人になるまでひたすら甘やかして依存させ、『掟』で許された18歳になった日に愛を乞うて頷かせるのはギリギリセーフらしい。
それはアウトでないのか。
魔女にとっては、自分の伴侶は別に人間でも人外でも構わない。ただ、好きになれば情の続く限り共に生きるだけだ。
だがそれに対して人外のものは魔女に向ける熱量からして違う。人外のものよりも遥かに数の少ない魔女の伴侶になることは、得難い幸運であり、みすみす逃すなど愚か者のやることなのだ。
魔女たちのなかには公に保護されているものもいるが、通常は人の世界に溶け込んで暮らしている。自分で伴侶を選びたい魔女が、人外のものに見つからないように魔女であることを隠して生きていることも多い。
だからこそ、人外はやっと見つけた魔女には全力でアプローチする。
甘やかす、貢ぐ、傅く。
魔女を害すものは必ず駆除されるし、魔女の望みは叶えるべく最大の努力をする。
彼らにとって、そんなことは当然の行いだった。
たとえ縁がなくても、信用してもらえれば何かしらの利は得られる存在。人外のものにとって、魔女はそんな存在だった。
そんな人外から求愛されてしまえば、彼らの愛から逃れられる魔女も少ない。
結果、魔女は彼らに見つからないよう、ハロウィンには外出を控えるものが多いのだ。
湯が沸いた音がして、マゼンダは思考を止めた。
お茶を淹れて一息つく。
お金も貯まったし、無事にこのハロウィンを超えたら、この森を出てまた違う街で今度は街暮らしをするつもりにしている。
この森にも長くいすぎた。そろそろ、足取りを追って人外たちがここに気がついてもおかしくない時期だ。
見つかる前に、逃げなければ。
だが、どうしても、後ろ髪をひかれる。
彼女には人生で初めての恋人ができたからだった。
恋人のことを思い浮かべて、彼との甘い日々を思い出し、マゼンダはひとりで赤面した。
白髪にところどころ灰色のメッシュが入る不思議な髪の色に、やさしい錆色の瞳。眉は太く、まだ幼さはあるものの精悍な顔つき。スラリとしなやかなのに、力強さを感じさせる身体に抱き締められると、まだ慣れることなく胸がときめいてしまう。
付き合ってから、彼には自分が魔女だと明かすべきかを何度も悩んだ。
だが結局言えずにこのまま終わらせる。
彼は、打算的な理由で彼女に近づいてきた人だ。
終わりのある恋。
マゼンダはとある理由から、そう結論付けているし、それが間違っているとは思っていない。
だからこそ、言えない。
人外が彼に何かしないように。マゼンダと別れても、彼が普通に生活できるように。
それがマゼンダの導き出した答えだった。
マゼンダには理想の未来がある。
好きな人と結婚したい。魔女のマゼンダではなく、マゼンダ個人を愛してくれる人と、家庭を持ちたい。
母は人間と家庭を持った魔女だ。
その血を継いで、マゼンダを含めた兄姉たちもみな魔女だった。
成長した今、兄は蜘蛛女を伴侶とし、姉は普通の人間と結婚して子どもをもうけている。
ふたりとも紆余曲折あったものの、心底幸せそうだった。
良いな、と思った。
わたしも愛し愛される家庭を持ちたい。
人外との子どもが産めるから、生活を豊かにしてくれるからという理由ではなく、ちゃんとマゼンダ個人を見てくれる人と結婚したい。
だからこそ、魔女であることが隠せないあの家では無理だった。
マゼンダの母の弟、つまり彼女の伯父は保護された独身の魔女だ。魔女としての能力は一級品で、彼のつくる薬は本当によく効いた。
だが、彼には悪い癖があった。
魔女であることをオープンにしたうえで、人間も人外も、隔たりなく愛し、望まれれば人外のものと子どももつくってしまうのだ。
人外にもさまざまなものがおり、魔女の伴侶を得られずとも子どもだけ授かれたら良いというものもいる。特に女の人外はその気が強く、子どもが欲しいがゆえに魔女の男と子作りだけを望むものも一定数いた。
マゼンダの伯父はそういうタイプの人外にとって、かなり有名な魔女だった。
そして、魔女は血筋で繋がるため、芋づる的にマゼンダの家族も魔女であることが人外に知られてしまい、さまざまな人外に家族ぐるみで求愛されることとなったのだ。
伯父さん自身は良い人なんだけどね。
マゼンダは、伯父のことは大好きだ。
旅行ばかりしていたせいであまり一緒に暮らしたことはないが、気の良い朗らかな魔女だ。旅行先でもいろいろとひと助け(人外含む)をしていたらしく、贈り物などもよく届く。
だが、トラブルメーカーでもある。
公の魔女になることを勝手に決めて帰ってきたときの、激怒したマゼンダの母に箒でしばき倒され家から蹴り出されていた伯父の姿を思い出し、苦笑しながらパンプキンパイを切り分ける。
そのとき、兄姉は成人済みで結婚相手もほぼ決まっていたが、マゼンダはまだ14歳だった。
彼女は人外にとって、格好のアプローチ対象となったのだ。
あの状態で、実家に暮らしたまま普通に恋をして結婚するなど、不可能に近いことだった。
母も兄姉も、幸運なことに魔女ではない自分を愛してくれる存在を見つけて伴侶となったのだ。
わたしだって、そうやって愛されたい。
そんな強い憧れをぶつけ、何とか両親と兄姉を説得し、たったひとりで家を出た。マゼンダの家族全員からボコボコにされた伯父さんが生活費として、多額のお小遣いもくれた。それを頼りに、人外の気配がなくなるまで少なくとも3回は引っ越しをした。
そんな風に逃げ回ってたどり着いた小さなこの町で、マゼンダは初恋と出会った。
相手は、薬を卸していた商会のズィーロという青年。
何度か商会で顔を合わせる間に自然と仲良くなり、お茶をするようになり、異性として意識しあっていると気付いたのはいつのことだったのか。
とても些細なきっかけばかりだった気がする。
だが、そんな日常が恋をするとこんなにも楽しいのかと叫びたくなるほど、マゼンダは彼に恋をしていた。
鬱蒼と茂っているはずの森での生活が、彼に会えるというだけで何だかキラキラしてしまうのだ。そして、彼もまた、彼女の気持ちにこたえて彼女を大切にしてくれている。
いつか終わる恋でも、嘘の愛情に浸されているだけでも、彼女は彼のことがどうしても好きだった。恋をしているというだけで幸せだし、ズィーロが笑ってくれるだけで、満たされる。
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