身代わり王女の受難~死に損なったら、イケメン屋敷のメイドになりました~

茂栖 もす

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始まりは王女の名で

春雷と告白①

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 過去を振り返って気付く、あの時、胸に秘めた思いは既に限界を迎えていたのだ。そう、互いに───    



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 その日は、午後から曇天となり、夕方には雷雨に変わった。いわゆる春雷というものの到来である。ほんの少し前なら【いやだ、洗濯物取り込まないとっ】とか【ちょっとモップ持ってきてっ】とかバタバタと慌ただしく持ち場に走る毎日だったけれど、今は違う。

 静かすぎる部屋に一人でいる私は、あの悪夢のような惨劇を思い出してしまっていた。

 雷鳴は、城門をこじ開ける抱筒の轟音のようで、蔀を叩きつける雨音は、まるで敵国の兵士の足音のようだった。

 でもこの恐ろしさを口に出すわけにはいかない。こんな状態でティリア王女を演じきることは到底不可能だ。結局、私は一人震えながら、それでも、やがて眠りに落ちていった。

 眠りに落ちた先は、悪夢。業火の中で今まさに自害しようとする瞬間だった。

 王城のとある一室で、ティリア王女の短剣を堅く握りしめている自分。

 しかし唯一違うのは、窓ガラスの向こうは、紅蓮に染まる月桂樹と斧の国旗ではなくて、重なり合う二つの影。

 その影だけで、レナザードとティリア王女だとわかってしまった。そしてそれに気付いた瞬間、目を逸らすなというようにその影は鮮明に色を帯びていく。

 眼前には、幸せそうにレナザードの腕に抱かれるティリア王女。愛おしそうに、王女の髪を撫でるレナザード。

 今更、そんなものを見せ付けなくても、私が一番わかっていると叫びたい。レナザードがティリア王女をどれだけ愛しているかなんて、痛いほど知っている。彼が想う王女への慈しみを、この身で嫌というほど受け止めてきたのだから。

 そんな私の気持ちを知らない二人は互いを見つめ合っている。そして、すぐ近くに私がいることに全く気付いていない。こんな状態で自分に気付いて欲しくないし、これ以上見たくない。なのにその場を去りたいのに、一歩も動くことができない。
 
 目の端に溜まった涙を拭うこともできずに、呆然と二人を見つめていると、背後から低く冷たい声が、私の背を刺した。

『身代わりとなって死んでくれ』

 その声は、聞き覚えがある声。そう、この声はティリア王女と共に去ったモーリスのもの。そしてカツカツと背後から足音が聞こえ、足音の持ち主であるモーリスが私を追い越し、ティリア王女の手を取った。

 つい先ほどまで幸せそうにレナザードの腕に抱かれていたティリア王女は、あっさりと差し出されたモーリアの手を取り私に振り返ってこう言った。

『ごめんね、スラリス』

 謝罪の言葉なのに、ティリア王女の口元には笑みが浮かんでいた。

 それは私を踏み台にして、彼女は愛する人と生きていく事を選んだから。そしてたった4文字だけで、王族が背負わなくてはならない責を私に押し付け、彼女はどこにでも行ける自由な翼を手に入れたのだ。

 そして王女とモーリスは軽い足取りで消えていった。手と手を取り合って。

 残されたのは私とレナザード。

 彼はティリア王女が消えていった先を見つめ、それから自分の手を見つめぎゅっと掌を握りしめた。まるで僅かに残った王女の温もりを逃さないように。

 たったそれだけの彼の仕草なのに、胸が引き裂かれそうな程痛かった。痛くて苦しくて、切なくて悲しい。

 堪え切れず、私は再び嗚咽が漏れてしまった。それに気付いたのか分からないけれどレナザードは不意にこちらを向いた。

『誰だ?お前』

 その言葉に衝撃を受けた。息を呑む私に、レナザードは冷たい視線を投げ、そのまま消えていってしまった。私では駄目なのだ。ぽっかりと空いてしまった彼の心の穴を埋めることはできない。

 独りぼっちになった私は惨めで悔しくて唇を噛む。どうして、レナザードのことを好きになってしまったのだろう。でもその問いに答えはでない。おかしなものだ、自分のことなのに、全然わからない。

 

 そして、私の全てを業火が包み込もうとしたその時───。



「大丈夫だ、ここにいる」

 かつて夢の中で自分にささやいてくれた甘く擦れる声が耳朶に響いた。
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