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十六夜に願うのは
変わらないものと、変わってほしかったもの
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レナザードの怪我を見て叫び声を上げてしまったけれど、倒れ込んでしまった彼はピクリとも動かない。私がこんなに耳元で大声を上げたというのに。
全身の血の気が引いていく。凍えそうな心の中で、アスラリア国が滅ぼされた時に味わった恐怖が蘇り、それはどんどん膨れ上がってくる。
縋るように震える手でレナザードの頬に触れると、とても熱かった。それ自体は由々しきことなのに、ほっと安堵の息を吐く。そう、彼は死んでいなかった。
それから僅かばかりの冷静さを取り戻した私は、とにかくレナザードを休ませないと、とソファに視線を移す。
でもどうやって運ぼうか。両脇に手を入れて引きずるか、上着を掴んで引きずるか。もしくは、彼の両足を抱えてソファまで運ぶか。いくつかの選択肢は浮かんだけれど、どれも引きずるという行為には変わらない。
ぶっちゃけそれは怪我人に対してする行為ではないし、さすがに救助行為だとしても、屋敷の主様を引きずるなど無礼を通り越しているだろう。
さて困った、本当に困ったどうしようと途方に暮れた瞬間、勢いよく扉が開き二つの人影が飛び込んできた。なんだかその状況に既視感を覚えてしまったが、今は緊急事態なので思い出すのは後回しにしよう。
───それから10分後。
「ったく、人騒がせな」
「………………………………」
ケイノフは薬を片手に眉間に皺を刻んだまま、ソファに身を横たえているレナザードを睨みつけている。ちなみにそう言われた当の本人は、完璧な無視をかましてくれている。
そんな二人の間にピシリと不穏な空気が走ったけれど、私はおずおずと口を挟んだ。
「ごめんなさい。私、びっくりしてしまって……」
ケイノフの隣にいる私は、そこまで言うと申し訳なくて続きの言葉が見つからず俯いてしまった。
「いえ、スラリス、気になさらないで下さい。もとはと言えば、主の大人気ない行動がいけないのですから」
「黙れ。大人気ないなどと勝手なことをほざくな」
レナザードはケイノフの言葉に弾かれたように、首を持ち上げると、ぎろりとケイノフを睨みつけた。
「左様でございますか。─────……ったく、口だけは達者なんですから」
威勢は良いが、いつ失血で気を失ってもおかしくない主に向かって、ケイノフはあからさまに肩をすくめる。
「痛いからと傷の手当てを嫌がり、結果、スラリスを驚かせてしまった行為は、大人気ないとは言わないのですか?」
「…………………………」
相手が主でも怪我人でも、医師であるケイノフは容赦がない。
怪我人にたいして少々辛口だな、とは思うけれど、私も幼い頃レナザードの怪我の手当をした時は、気持ちの裏返して憎まれ口を叩いてしまっていた。多分、ケイノフもあの頃の私と同じ気持ちなのだろう。
だからといって、あからさまにケイノフの肩を持てない私は、沈黙することで彼と同感だとレナザードに伝えることにする。
それにしても本当に良かった。レナザードが意識を取り戻してくれて。
レナザードが倒れた後、私の叫び声を聞いてケイノフとダーナが駆けつけてきてくれた。そして引きずることなくレナザードをソファへと運びあっという間に手当てをしてくれたのだ。その間、僅か10分たらず。恐ろしいほどの早業だった。
狼狽えて何もできない私をよそに、ケイノフは未だ流れるような手つきで、レナザードの怪我の手当てを続けている。その華麗なケイノフの包帯さばきを見つめながら、あれから随分月日が経つというのに、相変わらず手当てを拒もうとするレナザードに驚きを隠せなかった。
そして手当てをされている時、少し不貞腐れた顔をするところもあの頃のままだ。場違いだとはわかっているけれど、やはり懐かしさを感じてしまう。でもそこはもう少し変わってほしかったというか、素直になってほしかったとうか、はっきり言って成長してほしかったのが私の本音。
ただケイノフはレナザードの怪我を見ても別段驚くふうではなかったのが気にかかる。ダーナに至っては【なーんだ、怪我っすか】と呟き、くるりと踵を返してしまった。………彼らにとって怪我を負うのは日常のひとこまに過ぎないのだろうか。
もしそうだとするなら、レナザードの手当をするよりも先に、血の気を失っているだけの私に酷く動揺したのはなんでだろう。実際に私は血を流しているわけでもないし、状況が変われば血の気などすぐに戻るというのに。
あと、先に私の診察をしようとしたケイノフに、お願いだからレナザードの傷の手当てをして下さいと叫んでしまった私は、メイドとしての枠をはみ出した行動をとったかどうかの判定は微妙なところだ。
そんな今までの一連の出来事を思い返していたら、ケイノフの気遣う声が聞こえてきた。
「スラリス、ここはもう良いですよ。さぞかし驚かれたでしょう、部屋でゆっくり休んでいてください」
「………………はい」
ケイノフの言葉に素直に頷くことができない私は、何かできることはありますかと口を開きかけたけれど、すぐに閉じた。どう考えてもこの部屋で自分のできることはない。できることといえば邪魔をしないことだけ。
ということで猫の手にもならない私は、後ろ髪を引かれる思いでレナザードの血の付いた上着を抱えると、結局レナザードの部屋をすごすごと後にした。
メイドにとって役に立たないこと程、落ち込むことはない。でも肩を落として、とぼとぼと廊下を歩いていると、混乱していた頭が少しずつ冷静になっていく。
そして、一つできることを思いついた。それは、血で汚れてしまったレナザードの上着の洗濯だ。あの時、高級な生地の洗い方を覚えておいて良かった。ただ………こんなに早く、しかもこんな理由で洗濯することになるとは思わなかったけれど。
これも備えあれば患いなしと言うのかな?そんなことを一瞬考えたが、やっぱりちょっと違うなと首を傾げてしまった。
全身の血の気が引いていく。凍えそうな心の中で、アスラリア国が滅ぼされた時に味わった恐怖が蘇り、それはどんどん膨れ上がってくる。
縋るように震える手でレナザードの頬に触れると、とても熱かった。それ自体は由々しきことなのに、ほっと安堵の息を吐く。そう、彼は死んでいなかった。
それから僅かばかりの冷静さを取り戻した私は、とにかくレナザードを休ませないと、とソファに視線を移す。
でもどうやって運ぼうか。両脇に手を入れて引きずるか、上着を掴んで引きずるか。もしくは、彼の両足を抱えてソファまで運ぶか。いくつかの選択肢は浮かんだけれど、どれも引きずるという行為には変わらない。
ぶっちゃけそれは怪我人に対してする行為ではないし、さすがに救助行為だとしても、屋敷の主様を引きずるなど無礼を通り越しているだろう。
さて困った、本当に困ったどうしようと途方に暮れた瞬間、勢いよく扉が開き二つの人影が飛び込んできた。なんだかその状況に既視感を覚えてしまったが、今は緊急事態なので思い出すのは後回しにしよう。
───それから10分後。
「ったく、人騒がせな」
「………………………………」
ケイノフは薬を片手に眉間に皺を刻んだまま、ソファに身を横たえているレナザードを睨みつけている。ちなみにそう言われた当の本人は、完璧な無視をかましてくれている。
そんな二人の間にピシリと不穏な空気が走ったけれど、私はおずおずと口を挟んだ。
「ごめんなさい。私、びっくりしてしまって……」
ケイノフの隣にいる私は、そこまで言うと申し訳なくて続きの言葉が見つからず俯いてしまった。
「いえ、スラリス、気になさらないで下さい。もとはと言えば、主の大人気ない行動がいけないのですから」
「黙れ。大人気ないなどと勝手なことをほざくな」
レナザードはケイノフの言葉に弾かれたように、首を持ち上げると、ぎろりとケイノフを睨みつけた。
「左様でございますか。─────……ったく、口だけは達者なんですから」
威勢は良いが、いつ失血で気を失ってもおかしくない主に向かって、ケイノフはあからさまに肩をすくめる。
「痛いからと傷の手当てを嫌がり、結果、スラリスを驚かせてしまった行為は、大人気ないとは言わないのですか?」
「…………………………」
相手が主でも怪我人でも、医師であるケイノフは容赦がない。
怪我人にたいして少々辛口だな、とは思うけれど、私も幼い頃レナザードの怪我の手当をした時は、気持ちの裏返して憎まれ口を叩いてしまっていた。多分、ケイノフもあの頃の私と同じ気持ちなのだろう。
だからといって、あからさまにケイノフの肩を持てない私は、沈黙することで彼と同感だとレナザードに伝えることにする。
それにしても本当に良かった。レナザードが意識を取り戻してくれて。
レナザードが倒れた後、私の叫び声を聞いてケイノフとダーナが駆けつけてきてくれた。そして引きずることなくレナザードをソファへと運びあっという間に手当てをしてくれたのだ。その間、僅か10分たらず。恐ろしいほどの早業だった。
狼狽えて何もできない私をよそに、ケイノフは未だ流れるような手つきで、レナザードの怪我の手当てを続けている。その華麗なケイノフの包帯さばきを見つめながら、あれから随分月日が経つというのに、相変わらず手当てを拒もうとするレナザードに驚きを隠せなかった。
そして手当てをされている時、少し不貞腐れた顔をするところもあの頃のままだ。場違いだとはわかっているけれど、やはり懐かしさを感じてしまう。でもそこはもう少し変わってほしかったというか、素直になってほしかったとうか、はっきり言って成長してほしかったのが私の本音。
ただケイノフはレナザードの怪我を見ても別段驚くふうではなかったのが気にかかる。ダーナに至っては【なーんだ、怪我っすか】と呟き、くるりと踵を返してしまった。………彼らにとって怪我を負うのは日常のひとこまに過ぎないのだろうか。
もしそうだとするなら、レナザードの手当をするよりも先に、血の気を失っているだけの私に酷く動揺したのはなんでだろう。実際に私は血を流しているわけでもないし、状況が変われば血の気などすぐに戻るというのに。
あと、先に私の診察をしようとしたケイノフに、お願いだからレナザードの傷の手当てをして下さいと叫んでしまった私は、メイドとしての枠をはみ出した行動をとったかどうかの判定は微妙なところだ。
そんな今までの一連の出来事を思い返していたら、ケイノフの気遣う声が聞こえてきた。
「スラリス、ここはもう良いですよ。さぞかし驚かれたでしょう、部屋でゆっくり休んでいてください」
「………………はい」
ケイノフの言葉に素直に頷くことができない私は、何かできることはありますかと口を開きかけたけれど、すぐに閉じた。どう考えてもこの部屋で自分のできることはない。できることといえば邪魔をしないことだけ。
ということで猫の手にもならない私は、後ろ髪を引かれる思いでレナザードの血の付いた上着を抱えると、結局レナザードの部屋をすごすごと後にした。
メイドにとって役に立たないこと程、落ち込むことはない。でも肩を落として、とぼとぼと廊下を歩いていると、混乱していた頭が少しずつ冷静になっていく。
そして、一つできることを思いついた。それは、血で汚れてしまったレナザードの上着の洗濯だ。あの時、高級な生地の洗い方を覚えておいて良かった。ただ………こんなに早く、しかもこんな理由で洗濯することになるとは思わなかったけれど。
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