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十六夜に願うのは

東風と花びらと、ありえない命令

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 違う、まったくもって違いすぎる。
 
 私はレナザードの為に用意した口直しの果汁を搾った飲み物を運びながら、渋面を浮かべてしまった。

 何が違うといえば、先程の彼の態度のことだ。レナザードは一体幾つの引き出しを持っているのだろう。角度によって様々な色を見せる様はまるで異国の万華鏡のようだ。

 レナザードは毅然と前を向く横顔は、年齢以上の貫禄があるのに、正面はワガママで、でも何故か憎めない少年のような不思議な人。

 私が《ティリア王女》と偽っていた頃は壊れ物を扱うように、一線を引いて接していたし、偽りの王女と知った途端に、全てを跳ね除けるような冷たい眼差しを向けた。そして、今は───。  
    
「まるで子供みたい」

 そう呟いて、苦笑を漏らす。

 それは幼い頃のレナザードのままというわけではなく、一般的な子供のようだということ。薬一つであんなに駄々を捏ねるなど、予想もしてなかった。

 幼い頃、レナザードが怪我の手当てを拒んでいたのは、どちらかといえば彼の矜持の問題で、薬が沁みるから嫌だなんて一度も口にしたことはなかった。

 それに最終的にはいつも私の手当てを受け入れてくれていた。それは自惚れているのかもしれないが、私だったから……なのだろうか。

 もしそうだとしたら、たまらなく嬉しいし誇らしい。けれどもケイノフやダーナに心配をかけるのは、あまり嬉しくはない。

 まぁ、確かにケイノフの調合する薬は、殺人級に苦いのも事実。私に薬学の知識があれば、喜んで味の改良をしたいけれど、今のままでは難しい。そのうち時間を見つけてケイノフにご教授願いたいものだ。

 そうすれば少しはレナザードの役に立つ存在になれるだろうか。今のところ彼のからかい道具としてしか役にたっていないので、そろそろ玩具を卒業したいところ。

 でも弄られても、からかわれても私はレナザードのことを嫌いになるどころか、ますます好きになっていく。

 そしてどの表情も私の心を切なくさせる。恋愛に疎い小娘を弄ぶなんて、犯罪だ。しかも自覚してないのが始末に悪い。

 幼い頃は、私は彼と一緒に過ごすだけで良かった。ときめきとか恋とか愛とか深いことは考えてなかった。だから容易にレナザードに触れることができたし、彼に触れられることに私は純粋に喜ぶことができた。

 なのに今は沢山のしがらみがあって、あれこれ考えて喜ぶことより、無駄に深読みし過ぎてしまうことのほうが多くなってしまった。

 それにほんの少し前、はらはらと散る桜の花びらのように、この想いも散らそうと思っていたのに、彼に触れれば触れるほど想いが募っていく。

 自分が花びらだとしたら、レナザードは東風のようだ。

 あの時、良く軽々しくこの気持ちを散らそうなどと思えたものだ。気付いてからでは遅いというのに。自分をわざと困らす言葉も、不敵に笑う笑顔も、どうしようもなく私の心を優しくかき乱す。

 もし仮に───許されるのであれば、もっと、あの人に触れてみたい。

 一瞬よぎった考えを打ち消すように、慌てて首を左右に振る。わかっている。それはあまりにも独善で、身の程を弁えないものだ。

 彼を謀り深く傷つけた以上、私からは手を伸ばすことはできない。
 





「おい、着替えさせろ」

 しかし、扉を開けた途端に飛び込んできたレナザードの言葉に、私は膝から崩れ落ちそうになった。

 何というか、数分前の自分が、あまりに不憫でならない。レナザードに触れてはならないと、強く戒めた自分が、ひどく滑稽である。

 とりあえず頼まれていた飲み物を乱暴に枕元に置く。次いで気持ちを落ち着かせる為に、ふうと息を付いた。

「……今、何か仰いましたか?レナザードさま」

 片眉を上げて、落ち着け冷静にと自分に言い聞かせながら、レナザードに問いかける。

「着替えさせろって、言ったんだ」

 幻聴であればと思っていたけれど、悪びれずレナザードはもう一度同じ台詞をゆっくりと吐いた。すぐさま私の眉間に、深い皺が刻まれた。前言撤回、東風ではなくて、これは警報ランクの暴風だ。

「ご冗談を。こんなに達者に口がまわるようでしたら、お一人で着替えはできると思います」

 背筋を伸ばして、精一杯反論してみる。しかし、レナザードは口端を片方だけ吊り上げ、意地悪く微笑むだけ。

「弱音を吐いても良いと言ったのはお前だろう?」

 レナザードはにやにやしながら、私を見つめる。その言葉を聞いた途端、私の中の何かが豪快にキレた。

「レナザードさま……これは弱音ではなくて、ワガママって言うんです!」
「そうか?」

 我慢できず、レナザードに向かって力いっぱい叫んだけれど、彼は私の精一杯の抗議をさらりとたった三文字だけで受け流してしまった。しかもあろうことか、夜着の胸元をぐっと開いた。

 途端に、レナザードの逞しい上半身があらわになる。瞬間、私は慌てて横を向く。頬が熱い、絶対に顔も真っ赤になっているだろう。そんな私に、レナザードは軽く喉をならしながら口を開いた。

「弱音でも我が儘でも、俺はどっちでも構わん。とにかく早く着替えさせてくれ。この俺が、今度は風邪を引いても良いのか?」

 いっそ風邪を引いて、もう一度ケイノフの激マズ薬を飲めばいい!!と、力いっぱい憎まれ口を叩いてみる。但し、心の中で。

 それにこの命令はどうかと思う。私はメイドという前に未婚の女性だ。屋敷の主とはいえ、仕事と称して破廉恥な要求をするのは、俗にいうセクハラというものだ。

 ただセクハラというは受けた側が不快かどうかが一番の争点となる。となれば私は、おちょくられて腹立たしいけれど、全くもって不快ではない。

 何ていうかキャーと悲鳴を上げつつも、指の隙間からちゃっかり覗いているアレに近い心境なのだ。

 ただ屋敷の主からの命令は絶対、という決まり事を盾にして好き放題に振舞うことについては、パワハラに近いのかもしれない。

 ならば、ここは業務改善の為、賭けに出ようと、私はサイドボードに置いてある新しい夜着を手に取った。
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