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十六夜に願うのは
うっかりにも程がある
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レナザードと雨宿りをした翌日は、昨日の雨が嘘のような晴天だった。
澄み渡った青空を見上げて、今日も一日頑張ろうと気合を込めて頬をぱんと叩く。それから腕をまくり、箒を両手で持って庭を掃く。
「………ぅへへっ」
ざっざっと規則正しいリズミカルな箒の音とは正反対に、私の口元はへらへらと締まりなく緩んでしまい、ついでに声まで漏れてしまう。
傍から見たら半笑いを浮かべながら一心不乱に掃除をするメイド姿は異様な光景だろう。でも、ニヤついてしまう頬はどうやっても戻りそうにないので、見なかったふりをして貰えると大変ありがたい。
と、自分の立場を弁えず、随分と図々しいことを言ってしまうけれど、今日だけは温情を持って処理して欲しい。なぜなら、昨日、レナザードと会話ができたのだから。
彼に嫌われていなかったことが嬉しいし、彼の大切な思い出を聞かせて貰えたのが嬉しいし、何より彼が私に向かって笑ってくれたのが例えようもない程に嬉しかった。
まぁあれだ、話の内容はほとんどティリア王女への想いで、切なくなったりもしたけれど、時間が経つにつれて二人で過ごすことができたという事実を実感することができて───今の私は、踊り出したいくらいに嬉しいのである。
「そっかぁ……初恋だったんだ」
昨日のレナザードの会話を思い出して、ぽろりと独り言が漏れてしまう。仕事中に他事を考える私はどうかと思うけど、でも、庭はしんとしていて人の気配がないからかまわない。
箒を刷く手は止めずに、ぼんやりと幼い頃のレナザードを想像してしまう。きっと、さぞかし可愛かったのだろう。いや、もう既にあの貫禄を備えていたのかもしれない。もしそうだとしたら末恐ろしい。
ちなみにだけれど、レナザードの思い出話に触発されて私にも甘酸っぱい思い出があったことを思い出してしまった。
それは本当に幼い頃、私がまだティリア王女の身代わり候補として教育を受けていた頃のお話。ド庶民の私は、やんごとなき身分の姫君らしく所作や言葉遣いを身に付けなければならなくて、それが厳しくて辛くて逃げ出したことがあったのだ。
といっても、子供の足でそんなに遠くに逃げ出せるわけもなく、城下町の一角にある粗末な小屋で一人泣いていたのだ。そんな時に一人の少年と出会ったのだ。
薄い肩に潤んだ瞳。背中まである長い髪を一つに纏めていたので、最初は女の子かと思ってしまった。けれど、服装はどう見ても男の子で、話してみるとやっぱり男の子だった。ただものすごく可愛かった。
そしてその少年は何故だか傷だらけで、儚げな美少年という表現が相応しかった。お互いに抱えている事情があって毎日は会えなかったし、待ち合わせ場所である小屋まで足を運べても、すれ違ってしまうこともしばしば。そして運良く会えても、あまり長くはいられなかった。
でも会えたら嬉しかったし、会えない日はずっと心配していた。なぜなら、彼の家は色んな意味で厳しい家のようで、私がお城からこっそり拝借した傷薬で手当をしても、すぐに新しい生傷ができてしまっていたから。
でも詳しい話は聞けなかった。私達二人は傷の手当てをしたりされたりしながら、なんとなくお互いのことを深く聞いてはいけないと察していたのかもしれない。
そんなある日、彼は私に一緒に逃げようと言ってくれたのだ。
もう、ロマンス。めっちゃロマンティック。一生分の恋愛運をあそこで使い切ってしまったと言っても過言ではないくらいに。
そうそう、あの日はもう夕暮れだった。窓から差し込む夕陽の光で、少年の毛先と瞳が金色になってて、不思議な色だなぁ、でも綺麗だなって思って……────ん?んん??んんん???
記憶をたどっていた私だったけれど、不意に箒を刷く手が止まった。そして無意識に片手で口元を覆う。
「いやいや、まって、それはないでしょ」
誰に向かって言っているかもわからない言葉が、しんとした庭に吸い込まれていく。もちろん返事など欲していないし、貰ったところで今はちょっと取り込んでて受け取る余裕はない。
なぜなら自分の思い出と昨日聞いたレナザードの思い出話とがめちゃめちゃ共通していたからだ。ってことは……。
「私だったってこと?」
口に出してしまった途端、箒が手から滑り落ちてしまった。けれどそれを拾うことなく、私は膝から崩れ落ちてしまった。
「どうしよう……今頃、思い出しちゃった」
途方に暮れて困り果てた私は、そのまま頭を両手で抱え込んだ。
幼い頃、偶然知り合った私と少年。そして夕陽に照らされた少年の髪と瞳の色。そして何より私は、もう既に自分の名を口にすることを堅く禁じられていたから、彼にティリアと名乗っていた。……うん、間違いなく王女の名を伝えていた。
まごうことなく、これは人生最大級のやらかしだ。そして、しでかしてしまった当の私はどうしようとは言っているが頭が真っ白になって、何も考えられない。
あーとか、うーとか、言葉にならないうめき声を出しながら、頭の片隅で、つい昨日のレザナードとの会話を思い出す。
私は彼に向かってに記憶が消えてしまうことなんて無いと言った。そしてたとえ忘れていても、ちょっとしたきっかけで思い出されるものなんです、と。……まさにそうだった。
そしてこれには補足がある。よりにもよってこのタイミング!?という時に思い出してしまうものなのだ。いやもう本当に、よりにもよってこのタイミングで思い出すなんて、どうしたものか。
呆然自失の私は虚ろになったまま、ぼんやりと視線を彷徨わす。視界には私の手から滑り落ちてしまった箒が、未だに地面に横たわったままになっている。
普段なら秒の速さで拾い上げるというか、そもそも箒を落とすなどあり得ない私だけれど、今はしゃがみ込んだままその場から動けない。
そして自分に【うっかりにも程があるだろっ】と、全力でツッコミを入れるしかなかった。
澄み渡った青空を見上げて、今日も一日頑張ろうと気合を込めて頬をぱんと叩く。それから腕をまくり、箒を両手で持って庭を掃く。
「………ぅへへっ」
ざっざっと規則正しいリズミカルな箒の音とは正反対に、私の口元はへらへらと締まりなく緩んでしまい、ついでに声まで漏れてしまう。
傍から見たら半笑いを浮かべながら一心不乱に掃除をするメイド姿は異様な光景だろう。でも、ニヤついてしまう頬はどうやっても戻りそうにないので、見なかったふりをして貰えると大変ありがたい。
と、自分の立場を弁えず、随分と図々しいことを言ってしまうけれど、今日だけは温情を持って処理して欲しい。なぜなら、昨日、レナザードと会話ができたのだから。
彼に嫌われていなかったことが嬉しいし、彼の大切な思い出を聞かせて貰えたのが嬉しいし、何より彼が私に向かって笑ってくれたのが例えようもない程に嬉しかった。
まぁあれだ、話の内容はほとんどティリア王女への想いで、切なくなったりもしたけれど、時間が経つにつれて二人で過ごすことができたという事実を実感することができて───今の私は、踊り出したいくらいに嬉しいのである。
「そっかぁ……初恋だったんだ」
昨日のレナザードの会話を思い出して、ぽろりと独り言が漏れてしまう。仕事中に他事を考える私はどうかと思うけど、でも、庭はしんとしていて人の気配がないからかまわない。
箒を刷く手は止めずに、ぼんやりと幼い頃のレナザードを想像してしまう。きっと、さぞかし可愛かったのだろう。いや、もう既にあの貫禄を備えていたのかもしれない。もしそうだとしたら末恐ろしい。
ちなみにだけれど、レナザードの思い出話に触発されて私にも甘酸っぱい思い出があったことを思い出してしまった。
それは本当に幼い頃、私がまだティリア王女の身代わり候補として教育を受けていた頃のお話。ド庶民の私は、やんごとなき身分の姫君らしく所作や言葉遣いを身に付けなければならなくて、それが厳しくて辛くて逃げ出したことがあったのだ。
といっても、子供の足でそんなに遠くに逃げ出せるわけもなく、城下町の一角にある粗末な小屋で一人泣いていたのだ。そんな時に一人の少年と出会ったのだ。
薄い肩に潤んだ瞳。背中まである長い髪を一つに纏めていたので、最初は女の子かと思ってしまった。けれど、服装はどう見ても男の子で、話してみるとやっぱり男の子だった。ただものすごく可愛かった。
そしてその少年は何故だか傷だらけで、儚げな美少年という表現が相応しかった。お互いに抱えている事情があって毎日は会えなかったし、待ち合わせ場所である小屋まで足を運べても、すれ違ってしまうこともしばしば。そして運良く会えても、あまり長くはいられなかった。
でも会えたら嬉しかったし、会えない日はずっと心配していた。なぜなら、彼の家は色んな意味で厳しい家のようで、私がお城からこっそり拝借した傷薬で手当をしても、すぐに新しい生傷ができてしまっていたから。
でも詳しい話は聞けなかった。私達二人は傷の手当てをしたりされたりしながら、なんとなくお互いのことを深く聞いてはいけないと察していたのかもしれない。
そんなある日、彼は私に一緒に逃げようと言ってくれたのだ。
もう、ロマンス。めっちゃロマンティック。一生分の恋愛運をあそこで使い切ってしまったと言っても過言ではないくらいに。
そうそう、あの日はもう夕暮れだった。窓から差し込む夕陽の光で、少年の毛先と瞳が金色になってて、不思議な色だなぁ、でも綺麗だなって思って……────ん?んん??んんん???
記憶をたどっていた私だったけれど、不意に箒を刷く手が止まった。そして無意識に片手で口元を覆う。
「いやいや、まって、それはないでしょ」
誰に向かって言っているかもわからない言葉が、しんとした庭に吸い込まれていく。もちろん返事など欲していないし、貰ったところで今はちょっと取り込んでて受け取る余裕はない。
なぜなら自分の思い出と昨日聞いたレナザードの思い出話とがめちゃめちゃ共通していたからだ。ってことは……。
「私だったってこと?」
口に出してしまった途端、箒が手から滑り落ちてしまった。けれどそれを拾うことなく、私は膝から崩れ落ちてしまった。
「どうしよう……今頃、思い出しちゃった」
途方に暮れて困り果てた私は、そのまま頭を両手で抱え込んだ。
幼い頃、偶然知り合った私と少年。そして夕陽に照らされた少年の髪と瞳の色。そして何より私は、もう既に自分の名を口にすることを堅く禁じられていたから、彼にティリアと名乗っていた。……うん、間違いなく王女の名を伝えていた。
まごうことなく、これは人生最大級のやらかしだ。そして、しでかしてしまった当の私はどうしようとは言っているが頭が真っ白になって、何も考えられない。
あーとか、うーとか、言葉にならないうめき声を出しながら、頭の片隅で、つい昨日のレザナードとの会話を思い出す。
私は彼に向かってに記憶が消えてしまうことなんて無いと言った。そしてたとえ忘れていても、ちょっとしたきっかけで思い出されるものなんです、と。……まさにそうだった。
そしてこれには補足がある。よりにもよってこのタイミング!?という時に思い出してしまうものなのだ。いやもう本当に、よりにもよってこのタイミングで思い出すなんて、どうしたものか。
呆然自失の私は虚ろになったまま、ぼんやりと視線を彷徨わす。視界には私の手から滑り落ちてしまった箒が、未だに地面に横たわったままになっている。
普段なら秒の速さで拾い上げるというか、そもそも箒を落とすなどあり得ない私だけれど、今はしゃがみ込んだままその場から動けない。
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