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あなたと私の始まり
喪服の私と蒼氷色の領主
しおりを挟む領主の居城へと移動するため、私一人、バイザックの馬車から降り、フィラント領の馬車へと乗り換える。驚いたことに、フィラント領の移動手段は馬車ではなく馬ソリだった。
やっと一人になれた安堵もあり、目を閉じて振動に身を任せる。滑るように進む馬ソリは、馬車の何倍も居心地がいい。連日の緊張感から解放され、うつらうつらとし始めた頃、馬ソリは静かに止まった。
それはつまり、銀狼領主の居城へ到着した合図でもあった。
緊張で身体が強張るのと同時に、馬ソリの扉が音を立てて開く。開いた扉から冷気が一気になだれ込み、ここが本当に遠く離れた場所だということ痛感する。
「どうぞ、足元にお気をつけください」
御者はそう言うと私に手を指し述べた。短い礼を言って手を借り、ソリを降りる。
見上げた居城は全てを黒一色で塗り潰されていて───まるで巨大な牢獄のようだった。
震える足を叱咤しながら居城へと続くアプローチを通り抜け、居城へと入室する。でも扉が開いた途端、眩しくて目を細めてしまった。
この牢獄のような居城は一歩足を踏み入れると、まるで別世界のように光が満ちて眩しい空間だった。
入口は広いホールとなっていて、正面には2階へと続く大階段がある。天井には巨大なシャンデリアが吊され、その光が床の大理石に反射していた。
驚いて息を呑んだその瞬間、壮年の男の声がホールに響き渡った。
「ようこそ、花嫁様」
眩しくて目を細めたのは、一瞬で視界が開けたそに先に、執事と思われる男を先頭に、使用人一同がそこに集結していた。
再び息を呑む私に、執事は再び口を開いた。
「お待ちしておりました」
執事はそう言うと、背筋を伸ばし一礼する。それに倣い、使用人たちも一斉に礼を取る。
手厚い歓迎に嬉しさよりも、大層なお出迎えだと心の中で悪態をつく自分がいる。それにしても、この玄関ホールにいる人間は私も含めて全員、黒い服を着ている。まるで、葬儀のようだ。
そんなことを考えていて、気付くのが遅れてしまった。2階へと続く大階段にも人影がいたことを。
「ようこそ、フィラント領へ」
その声で、はっと大階段に視線を移す。
心の底から歓迎していないと思わせる、冷たい口調と共に人影はゆっくと階段を下りてきた。
「お前が俺の贄となる不幸な花嫁か。残念だったな。己の不幸を恨むがいい」
男の声と、かつかつと靴の音だけが響く。
こちらに近付くにつれて、人影も次第に鮮明さを帯びてくる。銀色の髪、そしてこの横柄な口調。間違いない、この人が私の夫となる男、銀狼領主だ。
意外なことに彼は青年といってもおかしくないほど若かった。バイザックと同じ位の男を想像していた私は、別の意味で驚いている。
しかし、そんなこと今、口にするほど私は馬鹿ではない。死に急ぐつもりはないので、無言のまま領主の次の言葉を待つ。
「それにしても、真っ黒なドレスで輿入れとは、面白い」
銀狼領主は、お互いが手を伸ばせば届く距離で立ち止まり、ははっと乾いた笑い声を上げ、皮肉げに顔を歪めこう言った。
「まるで喪服だな」
あ、それ口にしちゃうんだ。スゴイ、スゴイ、スゴイ。この人は、私の気持ちをそのまま代弁してくれた。同じ感性の持ち主であることに、安堵を覚える。
だから、私はうっかり目の前の男が冷酷で冷徹な銀狼領主ということを忘れて、無意識に口を開いてしまった。
「私もそう思います」
大声を出したつもりはなかったが、私の言葉は無駄にホールに響き渡った。しまったと慌てて口を閉じるが、もう遅い。ホールは水を打ったように静まり返ってしまった。この息の詰まる時間は、永遠に続くと思われた、が。
「あははははは」
領主の豪快な笑い声で破られた。瞬間、その場にいた私も含めた全員が硬直する。が、それに構わず領主は口を開いた。
「この娘、気に入った。我が妻として迎え入れよう」
そして領主は、一気に私との距離を詰め、私の腕を掴み引き寄せる。あっと思ったときにはもう、領主の腕の中にいた。
反射的に両手を領主の胸にあて、密着した体を押しのけようとするが、領主の腕は片腕で私を抱えているというのにびくともしない。さらに強く私を引き寄せ、おもむろに腕を振り上げた。
「───あっ」
殴られると思ったが、領主は私の顎を掬いとった。
「漆黒の瞳か。フィラント領では珍しい」
ふっと笑みを浮かべた領主は、低い声でそう囁いた。
互いの唇が触れ合いそうなほど、間近で見た領主は、恐ろしく美しい顔立ちをしていて、そしてその瞳はこの領地を表すような蒼氷色だった。
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