銀狼領主と偽りの花嫁

茂栖 もす

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あなたと私のすれ違い

強引な約束②

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 部屋に響いたハスキー領主の声は、感情をぎりぎり抑えた獰猛な野獣の唸り声に聞こえた。

 本能でこれはヤバイ、ガチでヤバイと身の危険を感じた私は、咄嗟に部屋から飛び出そうとする。けれど、俊敏な動きでハスキー領主は私の腰をさらうと、あっという間にベッドに投げ捨てられてしまった。そして、弾むスプリングにあたふたと溺れていると、ハスキー領主の冷淡な口調が降って来た。

「君が何を不満に思っているのかはわからない。でも、力づくでも、舞踏会には出てもらうよ」

 身を起こそうとするよりも早く、ハスキー領主に覆いかぶされる。そして、押しのけようとした私の両手を頭の上で拘束して、ニヤリと笑みを浮かべた。

「痛いのが良い?苦しいのが良い?それとも、いやがおうでも僕に従うような身体にされたい?」

 蒼氷色の瞳を濃くしたハスキー領主に見つめられ、ひっと声にならない悲鳴が漏れる。
 今、ハスキー領主が浮かべている笑みは、初めて会った時の冷徹なものでもければ、昨晩の大型犬を思わせる無邪気なものでもない。これは雄だけが浮かべることのできる笑みだ。そして遅ればせながら、気付いてしまう。ハスキー領主は犬なんかじゃない。生身の人間の男だったのだ。 

「おっ掟で花嫁に触れるのは禁じられてるはずですっ」

 この状況を打破しようと、逃れる理由を必死に絞り出して、何とか言葉にする。けれど、ハスキー領主は鼻で笑って一蹴しただけだった。

「ああ、そういえばそうだったね。じゃ、邪魔になったから掟なんて消し去ろうか?君、忘れてないかい?僕はこの地の領主だよ。僕を咎める奴なんていないよ」

 さも可笑しそうに笑うハスキー領主に、あなたを5時間も説教できるリシャードの存在を忘れてないですか、と心の中で悪態をついてみる。でも、今は恐くてそんなこと言えない。彼の怒りを助長させるだけだ。
 そんなことを頭の隅で考えながら身をよじる私の腕を更に強くつかみ、ハスキー領主は私の耳元で残忍な言葉をはく。

「残念だね、最後の切り札もなくなったね。さぁ、おとなしく約束してもらおうか。舞踏会には出席してもらうよ」
「嫌っ、触らないでっ」

 自分でもこんな力が出せるのかと驚くぐらい渾身の力でハスキー領主の手から逃れるようともがきつづける。けれど、拘束された両手はびくともしない。片手だけで掴んでいるはずなのに、この力の差は一体何なのだろうか。

 最初はもがく私を面白がって目を細めていたハスキー領主だったが、次第に表情の変化が訪れる。眉間にしわを寄せ、苦しげな表情へと変わっていった。

「どうして、そんなに拒むの?君は僕の花嫁なのに」
「放してっ」 

 生まれて初めて経験するえもいわれぬ恐怖が全身を包む。一度は元の世界に戻るために抱かれなければならないと覚悟を決めたはずなのに、その決心が甘かったことを痛感する。そんな苦痛に歪む私を見下ろしながら、ハスキー領主は淡々と私に問い掛ける。 

「ねぇ、そんなに、僕に触れられるのが嫌なの?」
「嫌っ、あんたなんか大っ嫌い」
 
 半分は本音。でも、残りの半分は売り言葉に買い言葉。
 咄嗟に吐き出した私の言葉に、ハスキー領主の瞳が揺れる。そして、嫌いじゃないって言ってくれたのにとハスキー領主が呟いた瞬間、視界が真っ暗になった。次いで唇が何かに覆われる。それは抵抗を許さない口付けだった。

「───・・・ん、んんっ」

 割って入ってきたハスキー領主の舌が乱暴に口内をかき回す。こんなキス知らない。私が知っているのは、ただ触れ合うだけのもの。こんな自分の意思に関係なく、蹂躙されるようなものなんてキスとは呼ばせない。嫌悪と羞恥で混乱した私の目の端に涙が溜まる。
 押しのけようとしても力でかなうわけもなく、無駄な抵抗だと知りながら必死に首を左右に振る。

「泣いてるの?でも、やめない。それに叫んでも、暴れても、僕を興奮させるだけだよ」
「泣いてなんかいないっ。もう嫌っ、やめて!離れてよっ」

 きっと精一杯の強がりでハスキー領主を睨みつける。
 ハスキー領主はそんな私の視線を受けて、苛立ちを隠すことなくちっと舌打ちをし、おもむろに空いている手を振り上げた。

 ───殴られる!!

 そう思って強く目を閉じた。けれど、振り下ろされたその手は私の頬をなで上げ、目の端に溜まった涙を拭っただけだった。どうして、そうハスキー領主に問い掛けようとしたけれど、それよりも先にハスキー領主が口を開いた。

「僕のこと、嫌いなのはよくわかった。だから君が約束してくれるなら、すぐに離してあげるよ」

 そしてもう一度、激しい口付けが私を襲う。散々、私の口の中を蹂躙したハスキー領主の舌は、今度はうなじへと移動し鎖骨の辺りで一旦止まる。

「約束してくれるよね」

 しないなら、この先のことをするよ───。
 私のドレスの胸元のボタンを外しながら、蒼氷色の瞳が訴えている。それは無言の脅しだった。やりたければやればいい。そんな強がりを言えるはずもなく───ハスキー領主のその言葉に、私はこくりと、小さく頷いた。口にしないことが精一杯の虚勢だった。


「そう、良かった」

 そう言い終えるや否や、ハスキー領主は拘束していた手をぱっと離してベッドから降りる。そしてすたすたと扉をに手をかけ、振り返って一言こう言った。

「ちゃんとご飯だべるんだよ」

 と言い添えてハスキー領主は静かに部屋を後にした。

 
 ただ一人部屋に残された私は、拳を握りしめて力いっぱい自分の唇をごしごしと拭う。何度も何度も拭っても、ハスキー領主の唇の感触が離れない。

 ────汚された。

 一方的なそれは暴力より酷いものだった。
 ハスキー領主にしてみれば、こういう力で私を凌駕することに何の罪悪感も抱いていなのだろう。

 泣くのを堪えるため、窓に映った夜空を見つめる。二つの月はまだ遠く離れている。一秒でも、一日も早く、あの月が重なることを切に祈る。今の望みはそれしかない。
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