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ほつれていく糸
お願いとおねだりの違い
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鏡に映った自分を見つめる。
アーシャが選んでくれた、モスグリーンのドレスに身を包んだ私。
少し胸元が空いたデザインは、この世界で初めて着るもの。毛氈素材の生地には袖口から裾まで、レースのような模様の刺繍が隙間なく施されている。
この世界の価値など何も分からない私だけれど、これがどれだけ高価なものなのか、袖を通さなくてもわかる。
少し伸びた前髪は横に流して耳の横に小さな花細工の髪飾りを留める。後ろ髪は下ろしたまま。だけど、アーシャの手で香油が塗られて、いつもより艶があって、少し首を動かしただけでさらりと肩から滑り落ちる。
舞踏会の時だって盛装した。でもあの時は痛々しいくらいに似合っていなかった。でも今日は、若干の違和感はあるけれど、あの日ほどのちぐはぐ感はない。
「良くお似合いです」
満足そうに笑みを浮かべるアーシャと鏡越しに目が合う。ぎこちなく微笑めば、アーシャは更に嬉しそうに櫛を手にしたまま、ぴょんっと小さく跳ねた。
それから朝食をもっと食べろという小言と共にいただき、ソファに座ったまま、ぼんやりと窓の外を眺める。
空から小雪が舞い散っていて、冷たく優しい光が部屋に差し込んでいる。この部屋は暖かいけれど、外はかなり寒そうだ。
「今日は、花嫁さま、何かご希望はありますか?」
不意に食後のお茶を用意しているアーシャにそう問われて、首を傾げてしまう。
なにせここへ来てから、私の生活は、療養かボイコットしかしていない。改めて何をしたいかと聞かれてもすぐには出てこない。というか……
「私、何かしても良いんですか?」
「もちろんですよ」
ポットを手にしたまま、きょとんとしたアーシャに、私まできょとんとしてしまう。
でも、外へ出ては駄目としか言われていないので、逆に部屋でできることはなんだろう。無難に読書か、それともアーシャに聞いてみようか。………そんなことを考えたのは僅かな間で、やりたいことがすぐに見付かった。
「あ、私、この部屋に呼びたい人がいるんです」
瞬間、アーシャはなぜか頬を染めながら口を開いた。
「お呼びしたい方って領主さまですよね?なら、もちろん二人っきりの方が良いですよね。私、すぐ呼んできますっ。今日は領主様とゆっくりお過ごしください」
「違います」
即答した私に、アーシャは自分が断られたかのように、寂しそうな表情を浮かべてしまった。しゅんと肩を落とした姿に、罪悪感を持ってしまうが、とりあえず呼びたい人を口にする。
「フィリカさんをお部屋に呼んでも良いですか?」
「なんででしょう?」
……質問を質問で返されてしまった。
「えっと、私、舞踏会の時にフィリカさんに失礼な態度を取ってしまって……。あと、お見舞いに来てくれたのに、結局、追い返すような結果になってしまったんです。だから、一度ちゃんとお会いして謝りたいって思ってるんです」
「あ、そんなことなら大丈夫です。無視しとけば良いですよ」
さらりと流されてしまった。でも、さすがに、そうですねとは言えない。
「無視はできません。お部屋にお招きしたいんです」
語尾を強めてそう主張すれば、アーシャは今度は弱り切った表情を浮かべてしまった。それは、部屋に勝手に人を呼びつけるのが駄目なのか、それともフィリカという存在が苦手なのかイマイチ判断に悩む。
つられるように私もアーシャと同じように困惑してしまえば、部屋が一気に重い空気に満たされてしまう。
そしてしばらくの間の後、アーシャが何か思いついたようで、ぱんっと軽く手を叩いて口を開いた。
「じゃ、こうしましょう。花嫁様、領主様に直接おねだりしてください」
「え!?」
アーシャの提案に、正直言って嫌だと、もしくは無理だと言いたくなる。
昨晩の一件で、クリフに対する思いは間違いなく変わった。けれど、怖いと思う感情は、まだ完全には消えていない。
フィリカに会って謝罪したい。でも、これは相当なリスクがいる。ズルいけれど、素直な気持ちを手紙に書いて、誰かに渡して貰う方が良いかもしれない。
「………クリフはお仕事中だから、邪魔してはいけないし……私、フィリカさんにはお手紙を───」
「大丈夫です。花嫁様のおねだりを断るわけがありませんから」
私の言葉を遮って、きっぱりと言い切ったアーシャは、私の両手を掴んで力強く頷いた。
そうだろうか。すぐさま首を傾げた私にアーシャはなぜか、くすくすと笑う。
「試しに色々我儘を言って困らせて差し上げてください」
そんな勇気は持ち合わせていない。
ものすごい勢いで首を横に振った私に、目を丸くして、すぐに苦笑を浮かべた。
「領主様にとって花嫁さまからのおねだりは、格別に嬉しいことなんですよ。ま、まずは………花嫁様、このお茶、飲んでください」
私はクリフにお願いがあったけれど、おねだりをしたいわけではない。というか、そもそもお願いとおねだりの違いとは何なのだろう。改めて考えてみると、違いがわからない。
単純なことほど、悩みだすと止まらなくなる。とにかくまずはアーシャが淹れてくれたお茶を飲んで落ち着こうとしたけれど、一口飲んだ瞬間、思わず顔を歪めてしまった。
苦い……というか酸っぱい。
何ていうか緑茶の苦みと、ハーブティーの酸味を合わせたような癖が強くて、初めての味だった。控えめに言って衝撃的で、はっきり言って不味かった。
「こ……これ、お茶ですか?」
「そうですよ。え?初めて飲むんですか?」
再び目を丸くするアーシャにおずおずと私は頷いた。
「ちょっと癖が強いですけど、フィラントの名物茶なんですよ、コレ。身体も温まるし、栄養価も高いんで、フィラント領の人々は、皆んな、これを常飲してるんです」
そこでアーシャは一旦言葉を切って、私に向かってぴしゃりと言い切った。
「ジークはフィラント領に嫁いで間もない花嫁さまに気を利かして、このお茶を出さずに、お水を用意していましたけれど、これからはこのお茶も飲んでいただきます。大丈夫です、慣れれば、美味しいものですよ」
「…………………はい」
しぶしぶ頷いたけれど、このお茶の味になれる日が来るのだろうか。
そして、お水を用意してくれていたのは、嫌がらせではなくジークの優しさだったのだ。私はまた自分か思い違いをしていたことを知ってしまった。
アーシャが選んでくれた、モスグリーンのドレスに身を包んだ私。
少し胸元が空いたデザインは、この世界で初めて着るもの。毛氈素材の生地には袖口から裾まで、レースのような模様の刺繍が隙間なく施されている。
この世界の価値など何も分からない私だけれど、これがどれだけ高価なものなのか、袖を通さなくてもわかる。
少し伸びた前髪は横に流して耳の横に小さな花細工の髪飾りを留める。後ろ髪は下ろしたまま。だけど、アーシャの手で香油が塗られて、いつもより艶があって、少し首を動かしただけでさらりと肩から滑り落ちる。
舞踏会の時だって盛装した。でもあの時は痛々しいくらいに似合っていなかった。でも今日は、若干の違和感はあるけれど、あの日ほどのちぐはぐ感はない。
「良くお似合いです」
満足そうに笑みを浮かべるアーシャと鏡越しに目が合う。ぎこちなく微笑めば、アーシャは更に嬉しそうに櫛を手にしたまま、ぴょんっと小さく跳ねた。
それから朝食をもっと食べろという小言と共にいただき、ソファに座ったまま、ぼんやりと窓の外を眺める。
空から小雪が舞い散っていて、冷たく優しい光が部屋に差し込んでいる。この部屋は暖かいけれど、外はかなり寒そうだ。
「今日は、花嫁さま、何かご希望はありますか?」
不意に食後のお茶を用意しているアーシャにそう問われて、首を傾げてしまう。
なにせここへ来てから、私の生活は、療養かボイコットしかしていない。改めて何をしたいかと聞かれてもすぐには出てこない。というか……
「私、何かしても良いんですか?」
「もちろんですよ」
ポットを手にしたまま、きょとんとしたアーシャに、私まできょとんとしてしまう。
でも、外へ出ては駄目としか言われていないので、逆に部屋でできることはなんだろう。無難に読書か、それともアーシャに聞いてみようか。………そんなことを考えたのは僅かな間で、やりたいことがすぐに見付かった。
「あ、私、この部屋に呼びたい人がいるんです」
瞬間、アーシャはなぜか頬を染めながら口を開いた。
「お呼びしたい方って領主さまですよね?なら、もちろん二人っきりの方が良いですよね。私、すぐ呼んできますっ。今日は領主様とゆっくりお過ごしください」
「違います」
即答した私に、アーシャは自分が断られたかのように、寂しそうな表情を浮かべてしまった。しゅんと肩を落とした姿に、罪悪感を持ってしまうが、とりあえず呼びたい人を口にする。
「フィリカさんをお部屋に呼んでも良いですか?」
「なんででしょう?」
……質問を質問で返されてしまった。
「えっと、私、舞踏会の時にフィリカさんに失礼な態度を取ってしまって……。あと、お見舞いに来てくれたのに、結局、追い返すような結果になってしまったんです。だから、一度ちゃんとお会いして謝りたいって思ってるんです」
「あ、そんなことなら大丈夫です。無視しとけば良いですよ」
さらりと流されてしまった。でも、さすがに、そうですねとは言えない。
「無視はできません。お部屋にお招きしたいんです」
語尾を強めてそう主張すれば、アーシャは今度は弱り切った表情を浮かべてしまった。それは、部屋に勝手に人を呼びつけるのが駄目なのか、それともフィリカという存在が苦手なのかイマイチ判断に悩む。
つられるように私もアーシャと同じように困惑してしまえば、部屋が一気に重い空気に満たされてしまう。
そしてしばらくの間の後、アーシャが何か思いついたようで、ぱんっと軽く手を叩いて口を開いた。
「じゃ、こうしましょう。花嫁様、領主様に直接おねだりしてください」
「え!?」
アーシャの提案に、正直言って嫌だと、もしくは無理だと言いたくなる。
昨晩の一件で、クリフに対する思いは間違いなく変わった。けれど、怖いと思う感情は、まだ完全には消えていない。
フィリカに会って謝罪したい。でも、これは相当なリスクがいる。ズルいけれど、素直な気持ちを手紙に書いて、誰かに渡して貰う方が良いかもしれない。
「………クリフはお仕事中だから、邪魔してはいけないし……私、フィリカさんにはお手紙を───」
「大丈夫です。花嫁様のおねだりを断るわけがありませんから」
私の言葉を遮って、きっぱりと言い切ったアーシャは、私の両手を掴んで力強く頷いた。
そうだろうか。すぐさま首を傾げた私にアーシャはなぜか、くすくすと笑う。
「試しに色々我儘を言って困らせて差し上げてください」
そんな勇気は持ち合わせていない。
ものすごい勢いで首を横に振った私に、目を丸くして、すぐに苦笑を浮かべた。
「領主様にとって花嫁さまからのおねだりは、格別に嬉しいことなんですよ。ま、まずは………花嫁様、このお茶、飲んでください」
私はクリフにお願いがあったけれど、おねだりをしたいわけではない。というか、そもそもお願いとおねだりの違いとは何なのだろう。改めて考えてみると、違いがわからない。
単純なことほど、悩みだすと止まらなくなる。とにかくまずはアーシャが淹れてくれたお茶を飲んで落ち着こうとしたけれど、一口飲んだ瞬間、思わず顔を歪めてしまった。
苦い……というか酸っぱい。
何ていうか緑茶の苦みと、ハーブティーの酸味を合わせたような癖が強くて、初めての味だった。控えめに言って衝撃的で、はっきり言って不味かった。
「こ……これ、お茶ですか?」
「そうですよ。え?初めて飲むんですか?」
再び目を丸くするアーシャにおずおずと私は頷いた。
「ちょっと癖が強いですけど、フィラントの名物茶なんですよ、コレ。身体も温まるし、栄養価も高いんで、フィラント領の人々は、皆んな、これを常飲してるんです」
そこでアーシャは一旦言葉を切って、私に向かってぴしゃりと言い切った。
「ジークはフィラント領に嫁いで間もない花嫁さまに気を利かして、このお茶を出さずに、お水を用意していましたけれど、これからはこのお茶も飲んでいただきます。大丈夫です、慣れれば、美味しいものですよ」
「…………………はい」
しぶしぶ頷いたけれど、このお茶の味になれる日が来るのだろうか。
そして、お水を用意してくれていたのは、嫌がらせではなくジークの優しさだったのだ。私はまた自分か思い違いをしていたことを知ってしまった。
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