銀狼領主と偽りの花嫁

茂栖 もす

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ほつれていく糸

二人で眺める月

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 パタンと閉まった扉の音が妙に大きく聞こえた。そして二人っきりになった部屋は、暖炉に薪を追加したわけではないのに、ひどく暑く感じてしまう。

 本当にクリフは私と一緒に寝るつもりなのだろうか。いや同じ部屋で寝るのが避けられないなら、せめてベッドとソファに別れて寝てもらえないだろうか。そうクリフに伝えたい言葉が浮かんでくるけれど、結局、私は言葉を無くしてただその場に立ち尽くすだけ。

 クリフといえば、鼻歌交じりに上着を脱ぐ。次いでベストを脱ぎ、襟元の装飾を外す。それらをソファの上に放るように置き捨てると、シャツのボタンを2つ程緩めて、てくてくとベッドへと歩を進めた。その間、全て無言で。

 そして、ベッドの掛布を持ち上げながら、くるりと私の方を向く。そこで、やっと口を開いた。

「どっち側で寝る?」

 その質問は、一緒に寝るのが当然ということで………さすがにこれは、すんなり受け入れられないので、思いついたまま逃げる口実を口にしてみる。

「私、ソファで寝ま───」
「駄目だよ」
「でも、狭いですし……」
「僕たちがあと2人いても余裕で寝れるよこのベッド」
「クリフはお疲れだから一人でゆっくり寝たほうが………」
「君と一緒の方が良く寝れるよ」

 ことごとく聞き入れて貰えなかった。
 そして途方に暮れた私より、更に途方に暮れた顔でクリフはこう私に問いかけた。

「サーヤ、そんなに僕と一緒に寝るのが嫌?」

 逆にはっきりとそう問われてしまうと、嫌だとは言えない。ゆるゆると小さく首を横に振ることしかできない。

「で、もう一回聞くけど、サーヤどっち側で寝る?」

 口調は柔らかいけれど、目は笑っていない。蒼氷色が心なしか色濃く感じられる。せっかくわだかまりが解けたのに、また軋轢を生むのは絶対に避けたい。

「………どちらでも良いです」

 そう蚊の鳴く様な声で答えれば、クリフは嬉しそうに、左側を選んだ。そして私に早くこっちにおいでと手招きをする。

 退路を断たれた私は、ふらつきながらベットへと進み、のろのろとガウンを脱ぐ。そして少し離れてクリフの隣に横たわる。

「せっかくだから、一緒に月を見よう」

 そう言うとクリフは横たわったまま、掛布から手を出し中指と人差し指を立てると、くるりと円を描いた。

 そうすれば初夜の晩と同じように、ベッドの部分だけ天井板がパッと消えて、透明になった。あの晩と同じように雲一つない夜空に二つの月がぽっかり浮かんでいる。

「おやすみ、サーヤ」
「…………おやすみなさい、クリフ」

 就寝の挨拶を返しても、目は冴えきっていて眠れそうにない。そして、見るともなしに2つ月を眺めていれば、否が応でも初夜の晩のことを思い出してしまう。

 クリフが低いテンションで部屋に入ってきたこと。突然リシャードへの愚痴が始まって困惑したこと。それから初めて魔法を目にしてびっくりしたこと。

 そういえばクリフはあの日、5時間も説教されていた。一体何をしてしまったのだろう。

 そんな取り留めもないことをつらつらと考えていたら、不意にクリフが口を開いた。彼もまだ起きていたことに少し驚く。

「あの晩、僕が嫌で泣いてた訳じゃないって言ってくれたよね?」
「………はい」

 あの晩がどの晩かは聞かなくても分かる。きっとクリフも私と同じように初夜の晩を思い出していたのだろう。

「じゃ、何で泣いていたか聞いても良いかな?」
「……………」
 
 その問いでクリフがわざわざ一緒に月を見ようといった理由がわかった。でも答えることなんてできるわけがない。

 私は無言のまま、きゅっと掛布を握りしめる。それはこれ以上聞かないで欲しいという私の意思表示だったけれど、クリフには残念ながら伝わらなかったようだ。

「フィラント領へ来る間にバイザックに嫌なことをされた?辛かった?それを思い出して泣いていたの?」
「…………違います」
「そう、じゃ何で泣いてたの?」
「……………」

 はいかいいえの質問なら答えることはできるけれど、何でと具体的なことを問われると何も言えなくなってしまう。何も答えられない私に、クリフは小さな溜息と共に再び口を開いた。

「帰りたいって言っていたよね」
「………………」

 無言のまま息を呑む。あの時、クリフはずっと起きていたんだ。
 寝たふりをされていたことに腹は立てないけれど、どんな気持ちだったかは気になってしまう。

「サーヤは、今でも故郷が恋しい?」
「………………」

 やっぱりこの質問も答えることなんてできない。だって、恋しいなんてものじゃない。絶対に戻りたいって思っている。私の未来は、ここではなく元の世界にあるものだ。

 でもそんなこと言えない。それを言ってしまえば、この婚姻自体がバイザックとの契約だということを知られてしまうから。
 
 無言を選んだ私を、クリフは肯定と受け取ったのだろう。

「………そっか」

 そう少し寂しそうに呟いた後、彼も沈黙した。
 
 それから部屋は静寂に包まれる。けれど横からは寝息は聞こえない。

 怒らせてしまったのだろうか。胸に浮かんだ恐怖心から、ちらりとクリフを伺い見れば、がっつり目が合ってしまった。どうやらクリフはずっと私を見つめていたようだ。驚いて息を呑む。
 
 クリフも少し驚いたようだ。けれど、ふっと笑みを浮かべて私へと手を伸ばした。

「…......あ、あの」

 そう言いながら身を固くしてしまう。だって、クリフは私を抱きしめているから。

「これだけだから。怖がらないで」

 拒もうと両手をクリフの胸に当てた途端、その言葉と同時に彼の長い指が私の髪を梳く。そして、素早い動きで私の耳元に唇を寄せた。

「あの晩、泣いていた君がこうして僕に抱かれたら、すぐに寝てくれた。あの時すごく嬉しかったんだ」
「……………」

 慈しみと、愛しさが込められた優しい声音だった。
 クリフのその言葉に、きゅっと目を強く閉じる。これ以上何も言わないで欲しい。うまく言えないけれど、クリフの言葉に溺れてしまいそうになる。

 無言で目を閉じた私をクリフは寝いと勘違いしたのだろう。掛布をそっと私にかけ直してくれた。そして、私が寝やすいように抱き直す。

「おやすみ、サーヤ」

 その言葉と同時にクリフは小さな欠伸を漏らした。明日はクリフは早朝から視察と言っていた。もう本当に寝てもらわないと身体を壊してしまう。

「おやすみなさい、クリフ」

 くぐもった声でそう返せば、クリフは回した腕に少しだけ力が入った。けれど、それ以上は何もしなかった。


 そしてクリフは、私をそっと抱きしめたまま寝息を立て始めた。そしてそれにつられるように、私もとろりと瞼がおちる。

 二つの月に見守られながら眠りに落ちる。あの時とはまた違う別の感情を抱いて。

 その時はまだ気付いてなかった。私の中に生まれた小さな感情に。
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