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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない
扉の先にあるもの
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部屋の扉を開ければ当たり前だけれど、廊下がある。でも、左右に伸びた長い廊下を見て、どちらに行こうか、視線を彷徨わしてしまう。
あえて言うけど、ここはバルドゥールの屋敷。進んだ先で、会いたくない輩にばったり鉢合わせなど、絶対に避けたい。まるでこれは五分五分の確率の運試しのようにすら思えてくる。
いや待って、あの人が今現在、この敷地内にいる.........という可能性だってある。
実はこれ全てが茶番劇で、本当は二人がタックを組んでいて、屋敷の外に出た私をネズミ捕りの要領で捕まえて更に酷いことするつもりではないのかとすら思えてきてしまう。
そんなふうに一度考えてしまえば、情けないことに、あと一歩が踏み出せない。
「ははっ、警戒してる?でも、大丈夫。バルドゥールは今日はここには居ないよ。ついでに言えば、今日は当直で帰ってこないから、安心して」
壊れたおもちゃのように、右足を部屋と廊下に交互に行き来きしていれば、口にしなくても、私が不安に思っていることなど容易に想像がついたのだろう。
でもルークは、馬鹿にする訳でもなく、あっさりと私の懸念を取り払ってくれた。
そうなれば、もうここに留まる必要は皆無だ。今すぐとんずらさせて貰おう。けれど、一歩踏み出そうとした私の肩をルークが掴んだ。
「ちょっと待って。屋敷から出る最短ルートを教えてあげる。まず右に行って、階段を降りる。それから二つ目の扉を開けてごらん。それ裏口だから、そこから外にでれるよ。あとこれ、餞別」
声と同時に柔らかい布が私の身体を覆う。突然のことで身体が強張る。けれどすぐに、この布はルークの上着であることに気付く。どうやら餞別とはこの服のようだ。
「あと、余計なお世話かもしれないけど、靴ぐらい履いていったら?」
………確かにその通りだ。
裸足の生活が慣れてしまっていたので、うっかりしていた。
慌てて戻りかけた私だったけれど、それより先にルークがベッドの下に揃えてある部屋履きを手にして戻って来た。そして、慣れた手つきで履かせてくれた。
「………ありがとうございます」
「いえいえ。どういたしまして。ってか、君、ちゃんとありがとうって言える子なんだね」
どういう意味だ。
むっとする私だったけれど、ここで憎まれ口を叩いてしまってルークの気が変わったら困る。今は無視をするのが一番だ。
そして気を取り直した私は、ルークの上着に袖を通して、廊下に出る。
当たり前だけれど、何も起こらなかった。あっけないほど、床を踏みしめる足の感触も、取り巻く空気も、何も変わらなかった。
おずおずと振り返るとルークは椅子に腰かけて私に手を振っている。頑張ってね、と軽い激励まで飛んできた。
私はそんな彼に向けて、口を開いた。
「さようなら」
捨て台詞にしては、礼儀正しい挨拶になってしまったが、二度と会わない意志を込めてルークにそう伝えれば、何故か彼は笑みを浮かべるだけだった。
それってフラグ?と一瞬よぎった不安をかき消すように、私は足早に廊下を歩き出す。
そして、ルークの言われた通りに進めば、本当に屋敷の外へと出ることができた。そう、私はやっと自由を手に入れることができたのだ。
………と、いっても、屋敷を飛び出しても、すぐにでも追手が来そうで足を止めることができない。部屋履き、男物の上着の下には夜着のまま街に飛び出した私の姿は、すれ違う人にどう映っているのだろう。
そんなことを考えて、もしかして不審者と思われては困ると俯き歩く速度を早める。
街は日中もあって、かなりの人混みだ。すれ違う人は皆忙しそうに足早に歩を進めている。
見知らぬ人間が突如、街に飛び出したところで、感心など持たれないことに、肩透かしを食らったような、それでいてとてつもない安堵を感じた。
ただすれ違う人の中で、無遠慮な視線を投げかける人もいるのも事実。
幸い声を掛けられることはなかったけれど、この世界のルールなど知らない私は、関わらないのが一番だと判断し、とにかく人混みの少ない方へと歩を進める。
それから、どこをどう歩いたかわからない。でも人の気配を感じなくなって、私はやっと足を止めた。そして顔を上げて、恐る恐る辺りを伺う。
視界に広がったのは、まるで中世ヨーロッパのような世界だった。
レンガ作りのとんがり屋根の民家。ずっと先まで続く石畳の歩道。ここは坂の途中で、見上げれば白亜の城が丘の上に建てられている。見下ろせば、民家がぽつぽつとあるが、その先には、平原が広がっていた。
その平原を視界に入れた瞬間、はっと息を呑んだ。
遠くからでも緑色の下地に点描画のように鮮やかな色が埋め込まれているそこに、既視感を覚えた。ああ懐かしい。私が初めてこの世界に立った場所、そう感じた。
花畑で気を失ってしまった私は、どういう道筋でバルドゥールの屋敷まで辿り着いたかなど知らないから、本当は違うのかもしれない。
でも、行ってみたい。そして、万に一つ元の世界に戻れるなら、きっとあの花畑から転移できるはず。
理由もない、明確な根拠もない。でも、行ってみる価値はある。
そう思った時には、もう既に足が向いていた。
───けれど、そう甘くはなかった。
視界に見えるなら、歩いてでもすぐに辿り着けるはず。それは間違いで、所謂、目の錯覚だったと気付いたのは、夕暮れ時になっても、一向に変らない景色を目の当たりにしたからだ。
ルークが私を屋敷から出してくれたのは、昼過ぎだった。それからずっと足を止めていないから、随分と歩いたはず。けれど歩けど歩けど、石畳は続いていて目的地の花畑は近づかない。
「………どうしよう」
今更になって、私はこの世界で生き延びる術を持たないことに気付く。
もしかしたらという期待を込めて、餞別でもらったルークの上着をまさぐっても通過もなければ、菓子の一つも入ってなかった。
神様に嫌われている私には、あの屋敷から逃げ出すことができたことが奇跡に近いことなのだろう。それ以上を求めるのは身の程を知れ、ということか。
自虐的なことを考えても、そうかもしれないと頷いてしまう自分に嫌気がさす。それでも歩みを止めることはしない。
たとえ目的地に到着したところで、元の世界に戻ることはできないかもしれないけど。
あえて言うけど、ここはバルドゥールの屋敷。進んだ先で、会いたくない輩にばったり鉢合わせなど、絶対に避けたい。まるでこれは五分五分の確率の運試しのようにすら思えてくる。
いや待って、あの人が今現在、この敷地内にいる.........という可能性だってある。
実はこれ全てが茶番劇で、本当は二人がタックを組んでいて、屋敷の外に出た私をネズミ捕りの要領で捕まえて更に酷いことするつもりではないのかとすら思えてきてしまう。
そんなふうに一度考えてしまえば、情けないことに、あと一歩が踏み出せない。
「ははっ、警戒してる?でも、大丈夫。バルドゥールは今日はここには居ないよ。ついでに言えば、今日は当直で帰ってこないから、安心して」
壊れたおもちゃのように、右足を部屋と廊下に交互に行き来きしていれば、口にしなくても、私が不安に思っていることなど容易に想像がついたのだろう。
でもルークは、馬鹿にする訳でもなく、あっさりと私の懸念を取り払ってくれた。
そうなれば、もうここに留まる必要は皆無だ。今すぐとんずらさせて貰おう。けれど、一歩踏み出そうとした私の肩をルークが掴んだ。
「ちょっと待って。屋敷から出る最短ルートを教えてあげる。まず右に行って、階段を降りる。それから二つ目の扉を開けてごらん。それ裏口だから、そこから外にでれるよ。あとこれ、餞別」
声と同時に柔らかい布が私の身体を覆う。突然のことで身体が強張る。けれどすぐに、この布はルークの上着であることに気付く。どうやら餞別とはこの服のようだ。
「あと、余計なお世話かもしれないけど、靴ぐらい履いていったら?」
………確かにその通りだ。
裸足の生活が慣れてしまっていたので、うっかりしていた。
慌てて戻りかけた私だったけれど、それより先にルークがベッドの下に揃えてある部屋履きを手にして戻って来た。そして、慣れた手つきで履かせてくれた。
「………ありがとうございます」
「いえいえ。どういたしまして。ってか、君、ちゃんとありがとうって言える子なんだね」
どういう意味だ。
むっとする私だったけれど、ここで憎まれ口を叩いてしまってルークの気が変わったら困る。今は無視をするのが一番だ。
そして気を取り直した私は、ルークの上着に袖を通して、廊下に出る。
当たり前だけれど、何も起こらなかった。あっけないほど、床を踏みしめる足の感触も、取り巻く空気も、何も変わらなかった。
おずおずと振り返るとルークは椅子に腰かけて私に手を振っている。頑張ってね、と軽い激励まで飛んできた。
私はそんな彼に向けて、口を開いた。
「さようなら」
捨て台詞にしては、礼儀正しい挨拶になってしまったが、二度と会わない意志を込めてルークにそう伝えれば、何故か彼は笑みを浮かべるだけだった。
それってフラグ?と一瞬よぎった不安をかき消すように、私は足早に廊下を歩き出す。
そして、ルークの言われた通りに進めば、本当に屋敷の外へと出ることができた。そう、私はやっと自由を手に入れることができたのだ。
………と、いっても、屋敷を飛び出しても、すぐにでも追手が来そうで足を止めることができない。部屋履き、男物の上着の下には夜着のまま街に飛び出した私の姿は、すれ違う人にどう映っているのだろう。
そんなことを考えて、もしかして不審者と思われては困ると俯き歩く速度を早める。
街は日中もあって、かなりの人混みだ。すれ違う人は皆忙しそうに足早に歩を進めている。
見知らぬ人間が突如、街に飛び出したところで、感心など持たれないことに、肩透かしを食らったような、それでいてとてつもない安堵を感じた。
ただすれ違う人の中で、無遠慮な視線を投げかける人もいるのも事実。
幸い声を掛けられることはなかったけれど、この世界のルールなど知らない私は、関わらないのが一番だと判断し、とにかく人混みの少ない方へと歩を進める。
それから、どこをどう歩いたかわからない。でも人の気配を感じなくなって、私はやっと足を止めた。そして顔を上げて、恐る恐る辺りを伺う。
視界に広がったのは、まるで中世ヨーロッパのような世界だった。
レンガ作りのとんがり屋根の民家。ずっと先まで続く石畳の歩道。ここは坂の途中で、見上げれば白亜の城が丘の上に建てられている。見下ろせば、民家がぽつぽつとあるが、その先には、平原が広がっていた。
その平原を視界に入れた瞬間、はっと息を呑んだ。
遠くからでも緑色の下地に点描画のように鮮やかな色が埋め込まれているそこに、既視感を覚えた。ああ懐かしい。私が初めてこの世界に立った場所、そう感じた。
花畑で気を失ってしまった私は、どういう道筋でバルドゥールの屋敷まで辿り着いたかなど知らないから、本当は違うのかもしれない。
でも、行ってみたい。そして、万に一つ元の世界に戻れるなら、きっとあの花畑から転移できるはず。
理由もない、明確な根拠もない。でも、行ってみる価値はある。
そう思った時には、もう既に足が向いていた。
───けれど、そう甘くはなかった。
視界に見えるなら、歩いてでもすぐに辿り着けるはず。それは間違いで、所謂、目の錯覚だったと気付いたのは、夕暮れ時になっても、一向に変らない景色を目の当たりにしたからだ。
ルークが私を屋敷から出してくれたのは、昼過ぎだった。それからずっと足を止めていないから、随分と歩いたはず。けれど歩けど歩けど、石畳は続いていて目的地の花畑は近づかない。
「………どうしよう」
今更になって、私はこの世界で生き延びる術を持たないことに気付く。
もしかしたらという期待を込めて、餞別でもらったルークの上着をまさぐっても通過もなければ、菓子の一つも入ってなかった。
神様に嫌われている私には、あの屋敷から逃げ出すことができたことが奇跡に近いことなのだろう。それ以上を求めるのは身の程を知れ、ということか。
自虐的なことを考えても、そうかもしれないと頷いてしまう自分に嫌気がさす。それでも歩みを止めることはしない。
たとえ目的地に到着したところで、元の世界に戻ることはできないかもしれないけど。
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