監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない

茂栖 もす

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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない 

言葉は言霊③

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 ルークは少し前にリンさんのことを愛していると言った。そしてすぐ、リンさんに向かうこの感情につける名前が見つからないとも言った。

 何も知らなかったあの時、私はルークのその言葉を時空の監視者特有の独占欲からくるものだと思っていた。でも、そうじゃなかった。彼は愛情そのものを知らなかったんだ。だからリンさんに向かう気持ちが愛だと断言することができなかったのだ。

 私はそんなふうに大切な人に向かう気持ちを見つけられずにいた人を知っている。…………知っているも何も、それは私自身だ。

 私は他人から向けられる感情を景色のように傍観して、ルークはさらりと笑顔で受け流していただけ。やり方は違えど、私達はどちらも不器用で似た者同士だったのだ。

 嫌だなぁ。

 ルークとの共通点を見つけた瞬間、すぐにそんな言葉が浮かんだ。それは同類だと思われたくない嫌悪感ではなく、身近な…………しかも関係を大事にしたいと思う人には幸せでいてほしかったという独り善がりの感情から。

 どうやっても過去を覆すことはできない。けれど、この悲しみを紛らわそうとしても、晴らしどころが無い気持ちは、仕方がなかったという言葉で相殺することはできそうもない。大切にしたいと思う人程、自分と同じ痛みや辛さを味わってほしくないと思う気持ちは間違ってはいないはずだから。

 そんなふうに、ここに居ない人を思って沈黙が落ちれば、リンさんの歌が再び部屋に響いた。ああ、この曲は知っている。元の世界で何度も耳にした異国の歌。そして、異国では最も慕われ愛唱されている曲の一つでもあった讃美歌。

 奴隷貿易をしていたおじさんが、今迄の自分の姿を見つめ直し、己の罪を反省し悔い改め、神様に感謝の念を持って第二の人生を踏み出すことを綴った、信念と告白の歌。

 施設で何度も耳にした。ドラマでも主題歌になった。たくさんのアーティストがこの歌を歌ったのを知っている。でも、私は偽善の塊のようなこの曲は昔は苦手だった。なのに、今、私の心に確かに響いている。

 どんな名曲だって自分の心に調和しなければ、数ある曲の一つに過ぎない。

 きっと、この異世界で関係を大事にしたいと思う人の悲しい過去を聞いて、その人の大切な人が歌うから、こんなにも私の琴線に触れるのだろう。

「何度も聞いても良い曲だな」

 アシュレイさんのその短い言葉だけで、リンさんがこの曲をルークの為に歌っていたことを知る。

 ああ、リンさんもちゃんと知っていたんだ。ルークの孤独を。そして、彼の心に寄り添い、歌で癒していたのだろう。

 ついさっきアシュレイさんが語った、ルークとリンさんのかつての姿が、先程より鮮明に浮かび上がる。そんな残像を追っている私に、リンさんの歌とアシュレイさんの声が、まるで綺麗な旋律のように重なった。

「大事にしたい、愛したい、愛されたい。ルークは人一倍その思いが強い。けれど、どうやったらそうできるかわからないんだ。大事にしようとしても、自分の気持ちを上手に伝えることができないし、しかも疑い深い。俗に言う面倒くさいヤツなんだ。だからおちょくるようなことを言って相手を試す。相手の反応を伺って、距離を縮めていくことしかできないんだ。ズルいんじゃない………………怖くて怖くてしょうがないんだ」

 アシュレイさんの声音はとても穏やかで、柔らかい。でもその内容はとても切なく遣る瀬無い。まるでリンさんが歌っている旋律のように、胸が締め付けられる程に悲しいもの。

 そしてアシュレイさんは、同じ口調で信じられないことを言った。

「リンに枷を付けたのは、リンがそれを望んだからなんだ」
「え?」

 その後、どうしてと掠れた声で問えば、アシュレイさんは憂えた表情を浮かべて答えてくれた。

「きっかけはわからないけれど、リンはとても不安に駆られていたんだ。そして、どこにも行けないように枷を付けろって、ルークに迫ったんだ。あいつはリンを拒めない。不本意ではあったが、枷を付けたんだ。もちろんすぐに枷は外したけれど、ルークにとったら、それは辛いことだったんだろうな」

 そっか。だからルークは私のどうしての問いに答えることができなかったんだ。リンさんのせいにはしたくはない。でも、自分だってそんなことをしたくなかった。それを上手に言葉にできなかったルークは、やっぱり不器用な人だ。…………まぁ、私も人のこと言えた義理じゃないけれど。

「今にして思えば、あの頃、既にリンは壊れ始めていたんだろうね。………………本当に、どうしてこうなってしまったんだろうね」 
「………………」

 アシュレイさんの口調は変わらず柔らかいものだったけれど、とても寂しそうだっだ。

 そんな彼女に掛ける言葉が見つからず、私はリンさんとアシュレイさんを交互に見つめることしかできない。本当にどうして、こんなふうになってしまったのだろう。

 手のひらを返すようだけれど、ずっとずっと二人の幸せな時間が続いて欲しかった。

 出口を見失ったかのように途方に暮れた気持ちを抱えて唇を噛み締めれば、不意に今リンさんが歌っているこの曲を作った人は、真の改悛を迎える為には、たくさんの時間と出来事が必要だったと語っていたことを思い出す。
 
 リンさんは音大出身で、私より遥かに曲に詳しいだろう。そして数ある曲の中から、今これを選んでくれたということは、単なる偶然なのかもしれないけれど、諦めなくて良いというふうに受け止めてしまう自分がいる。

 リンさんはリンさんで、時間をかけて答えを出そうとしているのだろうか。そして私たちはそれを待っていて良いと言ってくれているのだろうか。そう、信じて良いのだろうか。…………都合の良い解釈かもしれないけれど、そう信じたい。 

 そんなことを思ってもルークと同様上手に言葉にできない私は、さっきからずっと手を握りしめてくれるアシュレイさんの手を抜き取って、私から握り返した。そうすれば、私より少し大きくて、バルドゥールのように剣だこのある手に力が籠った。

「ま、愛されたことがないなら、上手に愛せないっていうのは都合の良い言い訳に過ぎないけどな。あいつだって、成人した大人だ。親兄弟以外とも触れ合ってきたくせに、きちんと向き合えないのは、単にルークが馬鹿なだけだ。アカリ、あまり気に病むな。馬鹿が伝染るぞ」
「……………はい」

 この沈んだ空気を変えようと、アシュレイさんは無理をしておどけた口調で言う。でも、それが余計にやり切れない。それに、そんなふうに私はアシュレイさんに気遣いをして貰う立場ではない。

「でも、私、知らなかったとはいえ、ルークさんに酷いことを言っちゃいました」
「ははっ。気にするな」
「…………ちょっとそれは、難しいです。それにアシュレイさんにも、私、失礼なことを言っちゃいました。あの…………今更ですが、ごめんなさい」

 身体を捻って、アシュレイさんをちゃんと見つめる。そしてぺこりと頭を下げれば、困ったような吐息が降って来た。

「もっと怒って良かったんだぞ?」
「まさか。あの、取り返しがつかなくなる前に止めてもらって、本当に感謝しています。ありがとうございました」

 素直にそう言えば、今度は小さな笑い声が降って来た。

「そうか。…………アカリが居てくれてよかった」

 改まった口調でそう言ったアシュレイさんは、再び私を後ろからぎゅっと抱きしめた。そしてそのまま軽く揺らしながら言葉を紡ぐ。

「一応私は、義理とはいえルークの姉だからね。アイツの心に踏み込んでくれる人が居てくれて本当に嬉しい。私は口で言うより、拳が先に出てしまうし、職場の連中はリンの一件からアイツに多少気を遣っているからね。ルークだって自責の念に捕らわれているから、どうしたって腹を割って付き合えるわけじゃない。だからアカリのように、アイツを理解しようとしてくれる人はいないんだ…………ルークも君に感謝しているんだよ」
「………そうでしょうか」

 アシュレイさんはそう言ってくれるけれど、もう、ルークは私のことを嫌いになったのかもしれない。

 リンさんに枷を付けたと言ったあの時、ルークは私に心を許していたからポロリと吐露したのかもしれない。なのに、私は彼に怯え、拒み、逃げ出してしまった。

 きっと傷付いただろう。しかも、その後、回し蹴りまで頂戴したのだ。そして留めの一撃と言わんばかりに、私はルークの胸を抉る言葉を投げつけてしまった。
 
「さっきのこと、そんなに気にしているのか?」
「………………」

 無言は肯定の意味を持つ。そして私は、呵責の念と苦々しい思いに打たれて大きなため息が出てしまった。

 そんな私にアシュレイさんは呆れたような笑みを浮かべて、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「馬鹿だなぁ、アカリ。ルークは、あれぐらいのことで距離を置く様な奴じゃない。正当でも理不尽でも、とにかく殴り飛ばす私ですら嫌われていないんだからな。ただし用心しとけ、アカリ。あいつは心を許した人間には、とことん甘えるからな」 
「そうだと、嬉しいです」

 安堵の息を吐いて、笑みを浮かべた私に、アシュレイさんは、なぜかぷっと吹き出した。

「ま、バルドゥールにしたら、面白くないだろうけどな」

 私から視線を外してそう言った彼女の横顔は、大人の女性のそれだった。
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