監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない

茂栖 もす

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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない 

あなたと共に眠る夜②

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 無残に剥がれ落ちた土壁が見える。穴の開いた障子が見える。
 ペットボトルとか、齧りかけのパンとか、空になったお菓子の容器とか、お酒の空き瓶とか、くしゃくしゃになった洗濯物とかが、足の踏み場もない程に部屋中に散乱している。
 
 ああ…………これは夢だ。

 霧が晴れるように不明瞭だった視界が鮮明になった途端、目に飛び込んできたそれらを見て私はそう気付いた。自分でも驚く程、とても冷静に。

 ここはもっと驚くべきなのだろう。だって記憶の中でしか立ち入ることができないこの場所に再び足を踏み入れることができたのだから。

 けれど、これっぽっちも懐かしいとは思わなかった。いや、本来なら思わなくてはならない場所なのに、そう思えなかった。

 ただ、ただ、この暗く狭く汚い場所が、人が生活するに値しない場所だと感じるだけ。

 だって私は、もう知ってしまっている。清潔に整えられた部屋が存在するということも。暖かい食事があるということも。ただの私を受け入れてくれる世界があるということも。

 でも、あの頃の私にとって、この荒れ果てた場所が世界の全てだった。それ以外を知らない私にとっては、ここが唯一無二の居場所だった。

 そんな雨の日に古傷が痛むような疼きを抱えながら、ぐるりと辺りを見渡せば、部屋の隅で小さな子供が泣いていた。

 ぼさぼさの髪。何日も着替えをしていないとわかる、シミだらけの洋服。老人のようにかさかさに乾いた棒切れのような手足。良く見れば俯く首元には、ビニール製のロープが巻かれていた。

 その姿は、生きているのが不思議だと思えるほど、無残な姿だった。でも、これはまごうこと無きかつての私。

 もう、母親に捨てられた後なのだろうか。それとも、母は気まぐれに部屋を空けただけなのだろうか。………多分、後者の方だろう。母親に捨てられたときは、私は泣いていなかったと施設の人が言っていたから。

 そんなことを考えながら、幼かった頃の私の元へと足を向ける。そして膝を付き手を伸ばした。でも、これは夢。当然ながら触れることはできなかった。

 泣き止まない幼い私を為す術もなく見つめながら、ふと思う。このままずっと夢の中にいれば、母も現れてくれるのだろうかと。さすがにそれは都合が良すぎるか。

 でも、もしそれが叶うなら、ずっと目が覚めなくてもかまわない。そんなふうに思える程、私は今、母親に聞きたいこともや、話したいことがたくさんあった。

 今の私は、自分でいうのもどうかと思うけれど、少しは成長したつもりだ。だから、今度は拒まれることを恐ず、ちゃんと母と向き合うことができるような気がするのだ。

 お調子者のあの人のように、母の話を聞いて『だよねー』と相槌を打つことも、私を殴るために振り上げられた母の手を、私に絶対の安心を与えてくれるあの人のように、優しく掴んで指を絡ますことも、きっとできるはず。

 そしてそれが本当に叶うなら、母は変わってくれるのだろうか。

 そうしたら、私は未来の自分に絶望なんかしないで、自殺をしなかったのであろうか。そうしたら、私は母とやり直すことができたのであろうか。

 ─────違う。そうじゃない。自殺をしなければ私は、あの人と…………

「アカリ!」

 大切な何かを思い出そうとしたその瞬間、名を呼ばれ思考が途切れてしまう。けれど、そのことに苛立ちを覚えることはなかった。

 それよりも、なぜか戻らないといけないという漠然とした不安に襲われ、私は声のする方に振り返った。

 その瞬間、見えない強い力で現実へと引き戻された。




 

 夢の中にいた時は感じなかった、発熱特有のだるさとか悪寒とか頭痛とかが、現実に引き戻された途端に、一気に押し寄せてくる。

 特にこめかみに走る痛みがたまらなく辛い。だから私の名を呼んでくれたその人に向かって、思わず顔をしかめてしまった。

 けれど、薄暗い部屋でも鮮やかな朱色の髪だとわかるその人は、気を悪くする素振りもなく、汗で頬に張り付いてしまった私の髪をそっと払いながら口を開いた。

「アカリ、何かあったのか?」

 問い掛けるバルドゥールは見ているこちらが心配になるほど悲痛で焦燥に駆られているものだったけれど、声音はとても優しかった。

 けれど私はまだ半分夢の中にいるようで、思考が追いつかず、ぼんやりと彼を見つめることができない。

「…………床に倒れていたんだ」

 私が状況を飲み込めていないと判断したのだろう。バルドゥールは端的に説明をしてくれた。

「私………」

 夢を見た。そう言いかけてやめた。

 悪夢でもなく、幸福ともいえない、けれど生々しいそれは、意識がはっきりするごとに、後退していき、何も思い出すことができなかった。あんなに鮮明なものだったはずなのに。

 でも、私を見つめる金色の瞳はじっと続きを待っている。だから一先ずこの状況に至った経緯を説明することにした。

「床が冷たくて気持ち良かったから、ここで寝てました」
「……………………………………そうか」

 恐ろしい程の間の後、そう言ったバルドゥールの表情をどう説明したら良いのだろうか。とても複雑で、一言では表せそうにない。
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