不思議なショートストーリーたち

フジーニー

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黒い雪が降る街に

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その街では、誰も傘を差さなかった。

黒い雪は傘を突き抜ける。  
いや、正確には「傘を通り抜けた後で黒くなる」のだ。  
透明な水滴が空から落ちてきて、アスファルトに触れた瞬間に墨を溶かしたような黒に変わる。  
だから傘を差していても意味がない。  
差していると、むしろ惨めに見えるだけだ。

街の名前はもう誰も覚えていない。  
地図の上ではまだ何かしらの記号が付いているらしいが、住民はただ「ここ」と呼ぶ。  
「ここに住んでいる」「ここから出られない」「ここで死ぬ」  
それだけだ。

黒い雪が降り始めたのは、  
正確な年号を言う人はもうほとんどいなかった。  
ただ「あれから何年目だっけ」と訊ねると、  
たいていの人は指を折って数え始め、途中でやめてしまう。

「…もういいや。数えるの疲れた」

僕がこの街に来てから、七年と四ヶ月が経った。

最初はただの通過点だった。  
仕事の都合で一晩泊まるだけのつもりだった。  
でも朝になっても雪は止まず、  
新幹線の線路は黒い氷で覆われ、  
バスは動かず、  
高速道路は「通行止め」の赤い文字が点滅したまま固まっていた。

それから七年と四ヶ月。

今では僕も立派な「ここの住人」だ。  
黒い雪が降る日は、  
みんな黙って窓の外を見ている。  
まるで誰かがやっと説明してくれるのを待っているみたいに。

ある夜、  
いつものようにコンビニの明かりだけが頼りで歩いていたら、  
路地裏で女が蹲っていた。

二十歳そこそこに見えた。  
でもこの街にいる時点で「そこそこ」は意味を失う。  
彼女の髪は黒い雪でべったり濡れていて、  
まるで頭から墨をぶっかけられたようだった。

「…大丈夫?」

声をかけたら、彼女はゆっくり顔を上げた。

目が、すごく綺麗だった。  
黒い雪のせいで瞳が濁っているはずなのに、  
なぜか透き通って見えた。

「まだ降ってる?」  
彼女が訊いた。

「うん。止まないよ」

「そっか」

それだけ言って、また俯いた。

僕は少し迷ってから、  
持っていたビニ傘を差し出した。

「意味ないけどさ。  
一応、頭くらいは隠せるかも」

彼女は小さく笑った。  
初めて見る、誰かの笑顔だった。

「ありがとう。でもいらない」

「どうして?」

「だって……  
隠したって、結局黒くなるんでしょ?」

その言葉が胸に刺さった。

確かにそうだ。  
隠しても、庇っても、  
この街にいる限り全部黒くなる。

それでも僕は傘を握ったまま動けなかった。

彼女は立ち上がって、  
ゆっくりと僕の方に歩いてきた。

そして、

「ねえ」  
と言った。

「もしこの雪が、  
いつか白に戻ったら……  
あなたはここを出る?」

僕は答えられなかった。

だって本当は、  
もう「出る」という選択肢を考えることすら忘れていたから。

彼女は僕の返事を待たずに、  
そっと手を伸ばしてきた。

冷たい指先が、僕の頬に触れた。

「じゃあ、私が白くしてあげる」

その瞬間、  
彼女の指先から、  
ほんの小さな光の粒が零れた。

それは雪ではなかった。

雪でも、灰でも、墨でもなかった。

それは、  
とても遠い記憶の中にあるような、  
淡い、淡い、朝焼けの色だった。

一粒、二粒。

そして、彼女の髪に落ちた黒い雪が、  
ほんの一瞬だけ、  
白く光った。

「……あ」

彼女自身が驚いたように声を漏らした。

僕らは二人して、  
その小さな白を食い入るように見つめた。

次の瞬間、  
風が吹いて、  
その白は消えた。

また黒い雪が降り始めた。

彼女は小さく息を吐いて、  
苦笑いした。

「やっぱり、まだ駄目か」

「…何だったの、今の」

「知らない」  
彼女は首を振った。  
「でも、いつかできる気がするの。  
全部、白に変えられる日が来るって」

僕は黙って頷いた。

それから僕らは、  
言葉もなく並んで歩き出した。

黒い雪が降る街を。

傘も差さずに。

ただ、  
さっきの小さな白を、  
二人で胸の奥にしまっておくために。

いつかまた見られる日が来るかもしれない、  
その日まで忘れないために。

黒い雪が降る街には、  
まだ、  
ほんの少しだけ、  
白くなる可能性が残っている。

少なくとも今夜は、そう思えた。
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