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運命の赤い糸
しおりを挟む小学四年生の春、俺は朝起きて歯を磨こうとしたら、左手小指から細い赤い糸が出ていることに気付いた。
最初は血かと思って慌てたけど、よく見ると血じゃない。蜘蛛の糸みたいに薄くて、でもはっきりと赤い。引っ張っても切れない。痛くもない。鏡の前で指を振っても、糸は俺の小指から伸びて、部屋の壁をすり抜けて外へ続いていた。
学校に行く途中、俺は初めて「これ、みんなに見えてるのか?」と思った。
駅前の広場で、カップルが手をつないで歩いている。二人の小指から一本の赤い糸がつながっていた。ピンと張っている。
コンビニの前では、スーツのおじさんと大学生っぽい女の人が笑いながら話している。糸で結ばれている。
でも、それだけじゃなかった。
幼稚園の送迎バスが停まっているところで、若い女の先生が園児たちを見送っている。その先生の小指から伸びる赤い糸が、ちょうど迎えに来たお父さん――スーツ姿で少し疲れた顔の男の人――の小指とつながっていた。
二人は目を合わせもしない。ただ、先生が「また明日ね」と子供に笑顔で言う横で、お父さんが小さく頷いただけ。でも、糸はしっかりと一本で結ばれている。
「……何だよ、それ」
俺はぞっとした。
信号待ちの横では、中学二年生くらいの女の子二人がキャッキャッ笑いながらじゃれ合っている。彼女たちの小指も赤い糸でつながっていた。
世界が急に気持ち悪く見えた。
そしてその日の夕方、いつもの公園のベンチに座っている一人の女性に、俺の視線は釘付けになった。
40代くらい。少し疲れた顔で、膝の上にカバンを置いてぼんやり空を見上げている。髪は肩まで、薄いグレーのカーディガン。
俺の小指から伸びる赤い糸が、まっすぐその女性に向かっていた。
「……は?」
思わず声が出た。
糸はピンと張って、俺とそのおばさんを直線で結んでいる。
「いやいやいや、ありえねーだろ……」
俺は慌ててその場を離れた。走って家に帰った。布団に潜って、ずっと震えていた。
あんなおばさんと運命の相手とか、冗談じゃない。俺はまだ小学生だ。40歳以上の人と結ばれるとか、意味わかんねー。
次の日から、俺は意識して糸を見ないようにした。
目を逸らす。考えない。忘れる。
すると、不思議なことに――本当に糸が見えなくなった。
まるで「もう分かったからいいよね?」と言われているみたいに、一度「これが運命の人だ」と自分で認めてしまった瞬間から、もう二度とその赤い糸は視界に入らなくなった。
それから10年。
俺は普通に彼女ができて、普通に付き合って、普通にプロポーズして、普通に結婚が決まった。
初めて彼女の実家に挨拶に行った日。
玄関のドアが開き、彼女の母親が顔を出した瞬間――俺の心臓が止まりそうになった。
紺色のワンピースを着ている。でも、その顔。少し疲れた目元。肩までの髪。10年前の公園のベンチで見た、あの女性の顔が、そこにあった。
「……!」
俺は息を呑んだ。
義母は俺を見て、穏やかに微笑んだ。
「いらっしゃい。遠いところから来てくれてありがとうね」
彼女(妻)が隣で「ママ、緊張しなくていいよ~」と笑っている。
俺はもう何も聞こえていなかった。
頭の中で、10年前の赤い糸が蘇る。あの糸は、この人の小指から伸びていた。そして今、俺の未来の妻は、この人の娘だ。
俺は思わず口を開いた。
「……あの時の、公園のベンチの人……ですよね」
義母が一瞬、目を丸くした。
「え……? 公園?」
俺は続けた。
「10年前。小学生だった俺が、公園でベンチに座ってるあなたを見て、慌てて走って逃げた日。小指がチクチクして……」
義母は少し首を傾げて、考え込むようにした。
「……小指がチクチク……? うーん、なんかよく分からないけど、あはは、歳のせいかしら? 公園で男の子が走って逃げた記憶は……ないわねえ」
俺は少し肩の力を抜いた。やっぱり、義母には糸なんて見えていなかったんだ。チクチクした感覚だけが残っていたのかもしれない。
それから俺は、事の成り行きを全て説明すると、
義母は俺の顔を見て、ふっとくすくす笑い出した。
「でも、そんなご縁があったなんて面白いわね。もしかして、あの時から私と運命だったのかもよ?」
「ママ! やめてよー! 変なボケしないで!」
妻が顔を赤くして義母の腕をぺちぺち叩く。
義母は肩をすくめて、俺にウィンクした。
「冗談冗談。でも、娘があんたを選んでくれたんだから、結果オーライでしょ?」
俺は苦笑いしながら、ようやく息を吐いた。
「……まあ、そうですね」
義母は三人分の紅茶を淹れながら、楽しそうに言った。
「これからよろしくね、息子さん」
俺たちは三人で、なんだか妙に和やかな空気の中で笑い合った。
赤い糸は、もう見えなかったけど。
俺だけが見えていた、あの不思議な糸は――きっと今も、ちゃんと(少しおかしな形で)つながっているんだろうなと思った。
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