2 / 113
第1夜 陰陽師
第1話 怪しい少女と一匹の犬
しおりを挟む
──刻は現代。
日が昇り、冷えた空気がだんだんとぬくまっていく明け方。
人気のない、閑静な住宅街から少し離れた空地のそば。
冷たいアスファルトに、一人の少女と一匹の犬のような獣が倒れ伏していた。
少女の腰まで伸びた黒髪には木の枝や葉が絡まり、まるで使い古されたボロ雑巾のような風情である。
それは犬のほうも同じだ。本来の体毛の色がわからないほどに、薄汚れている。
朝日が少女の頬を照らすと、ゆっくりとその瞳が開かれた。
鮮やかな宝玉を思わせる紅い瞳が、道の先をまっすぐと見据えた。重たい身体を引きずるように、アスファルトの上をずるずると、前進する。
「──ふぎゅっ!?」
「ぎゃあっ、なんか踏んだ!?」
突然、アスファルトに顔面を押しつぶされる衝撃に、少女の意識が覚醒した。
──踏まれた……っ!?
「え、え、なに、これ? 死んでるのか?」
頭からは重みがすぐに消えたが、今度はつんつんと身体を突かれた。声やしぐさから、まだ子供のようだ。
伸ばされたその手を少女はがっちりと掴む。
「なっ!? はなせっ!!」
離すもんか──!
子供といえど、ようやく見つけた人間だ。からからに渇いた喉から、なんとか声を絞り出す。
「……なんか、たべさせて……」
「……へっ!?」
それだけ呟いて、少女は意識を失った。
少女を踏んでしまった子供──佐野 仁は、意識を失ってしまった少女を見下ろし、途方に暮れた。
仁よりも二、三歳くらい上に見える少女だ。長く黒い髪にはぼさぼさで、身に着けた黒いコートには所々引っ掻き傷やら、埃やらで汚れている。
少女の隣に倒れている犬も同様に埃で全身が汚れていたが、灰色の下からのぞく毛並みは見たことのないほどの美しい銀色をしていた。
三角のぴんと尖った耳にしなやかな四肢。ゴールデンレトリバーほどの大きさだ。
得体の知れない一人と一匹を、家に連れていくのはどうだろう、と思う。もしかしたら、犯罪者かもしれないし。
しかし、放っておくのも罪悪感が湧く。
仁はため息をひとつこぼすと、少女と犬の足を掴んで、アスファルトの上をひきずり始めた。
ちょうど近くに食堂を営む仁の祖母の家がある。今日は定休日だし、問題はないだろう。
どうにかたどり着いた仁は、祖母の自宅側の引き戸を足で開けた。
「ばあちゃん、いる? そこで、人間と犬を拾った!!」
玄関の敷居に、少女の頭がひっかかったようで「いだっ!」と声が上がったが、気にしない。
犬は玄関に放置して少女を茶の間に放り込むと、食堂の厨房から祖母ミネが顔を見せた。
「あらまあ! その子、どうしたの?」
「そこの道路に倒れてた。腹空かしてるみたいだから、なんかあったら食べさせてよ」
座敷に横たわったままの少女は、先ほどの衝撃で目が覚めたのか、涙目で頭をさすっていた。仁に気がつくと少しだけ恨みがましい視線を向けるも、どこかほっとしたような表情を見せる。
まだ起き上がる力はないのか、そのまま横たわっているので、靴を脱がせてやった。
「お嬢さん、何か食べたいものはある?」
ミネがテーブルに水の入ったコップを置いた。
少女の死にかけの目がきらんっと輝き、頭のてっぺんに生えたアホ毛が嬉しそうに揺れる。
「ええっと……カツ丼、カレー、味噌汁、おにぎり、漬物、お団子……かな? 」
本気で言っているのだとしたら、なんという食欲魔人。仁はミネと顔を見合わせる。
「あっ!? でも、所持金が千円しかないの!!」
「それじゃあ、予算は五百円ほどかしらね」
ミネはにこやかに微笑むと、再び食堂の厨房へと戻っていった。
「わーい、三日ぶりのご飯だ!」
「そんなに、食べてなかったのか?」
「うん。お金をあんまり使いたくなかったから、森の中を通ってきたの。そしたら迷っちゃって……」
「森の中で三日も!?」
「そう」
「マジかよ……」
確かに所持金千円では、そう遠くへは行けないだろうが、森の中を通る必要性はまったく感じられない。
少女を見たところ、所持品は肩から斜めに下げている黒のサコッシュのみ。着ている黒のコートは、袖が余ってだぼついている。中に着ているのは白のシャツと黒のショートパンツという軽装備。
……とても森の中を歩く姿には見えない。
むくりと起き上がった少女はコップの水を飲み干すと、仁の正面で居住まいを正した。
「助けてくれてありがとう。私は神野緋鞠。で、玄関にいる子は銀狼だよ」
そう紹介すると、人語が理解出来るのか犬が仁に向かって頭を垂れる。
「お、おう。俺は仁だ」
「仁くんだね。よろしく!」
邪気のない笑顔を仁に向ける。
非行少女か、犯罪に巻き込まれた少女かと怪しんでいたが、その笑顔を見るとそんな心配は杞憂だったと仁は警戒を解いた。
「ところで、どこかに行く途中だったのか?」
「古都の大和だよ」
大和とは、東京よりも東にある小さな都市である。
京都と並んで古より都があった地と聞いたことはあるが、知名度は京都に遥か及ばない。
それに、都心の隣にあるせいかまったく目立たず、山々に囲まれた土地なので観光スポットとしても人気がない場所である。
「あんなの、ただの田舎町じゃん」
「あそこはとある人々からしたら、かくもありがたーい場所なんだよ?」
「とある人々?」
「そう。それは私たち陰陽師」
しーん、と部屋の中が静まり返る。
このぼさぼさ髪から、木の枝や葉っぱを生やした少女は何を言っているのか。
──陰陽師? ……何それ、美味しいの?
「ああっ! 今、胡散くさいとか思ったでしょ!?」
「思った! めっちゃ思った!」
「素直でよろしい!」
膝をぱんっと叩くと、サコッシュから半紙と筆ペンを取り出した。どちらにも某百均ショップのテープが貼られてあることは、見なかったことにした。
「さて、少年よ。貴方の悩みを聞きましょう」
「え? いいよ。別に」
一瞬、脳裏に浮かんだものがあったが、首を振って答える。
「ほら、遠慮しないで。別にお金取らないし、助けてもらった恩を返したいだけだよ?」
「別にいいって」
頑なに断る仁の姿に緋鞠は眉をしかめると、玄関の床に大人しく伏せている犬に視線を向けた。
日が昇り、冷えた空気がだんだんとぬくまっていく明け方。
人気のない、閑静な住宅街から少し離れた空地のそば。
冷たいアスファルトに、一人の少女と一匹の犬のような獣が倒れ伏していた。
少女の腰まで伸びた黒髪には木の枝や葉が絡まり、まるで使い古されたボロ雑巾のような風情である。
それは犬のほうも同じだ。本来の体毛の色がわからないほどに、薄汚れている。
朝日が少女の頬を照らすと、ゆっくりとその瞳が開かれた。
鮮やかな宝玉を思わせる紅い瞳が、道の先をまっすぐと見据えた。重たい身体を引きずるように、アスファルトの上をずるずると、前進する。
「──ふぎゅっ!?」
「ぎゃあっ、なんか踏んだ!?」
突然、アスファルトに顔面を押しつぶされる衝撃に、少女の意識が覚醒した。
──踏まれた……っ!?
「え、え、なに、これ? 死んでるのか?」
頭からは重みがすぐに消えたが、今度はつんつんと身体を突かれた。声やしぐさから、まだ子供のようだ。
伸ばされたその手を少女はがっちりと掴む。
「なっ!? はなせっ!!」
離すもんか──!
子供といえど、ようやく見つけた人間だ。からからに渇いた喉から、なんとか声を絞り出す。
「……なんか、たべさせて……」
「……へっ!?」
それだけ呟いて、少女は意識を失った。
少女を踏んでしまった子供──佐野 仁は、意識を失ってしまった少女を見下ろし、途方に暮れた。
仁よりも二、三歳くらい上に見える少女だ。長く黒い髪にはぼさぼさで、身に着けた黒いコートには所々引っ掻き傷やら、埃やらで汚れている。
少女の隣に倒れている犬も同様に埃で全身が汚れていたが、灰色の下からのぞく毛並みは見たことのないほどの美しい銀色をしていた。
三角のぴんと尖った耳にしなやかな四肢。ゴールデンレトリバーほどの大きさだ。
得体の知れない一人と一匹を、家に連れていくのはどうだろう、と思う。もしかしたら、犯罪者かもしれないし。
しかし、放っておくのも罪悪感が湧く。
仁はため息をひとつこぼすと、少女と犬の足を掴んで、アスファルトの上をひきずり始めた。
ちょうど近くに食堂を営む仁の祖母の家がある。今日は定休日だし、問題はないだろう。
どうにかたどり着いた仁は、祖母の自宅側の引き戸を足で開けた。
「ばあちゃん、いる? そこで、人間と犬を拾った!!」
玄関の敷居に、少女の頭がひっかかったようで「いだっ!」と声が上がったが、気にしない。
犬は玄関に放置して少女を茶の間に放り込むと、食堂の厨房から祖母ミネが顔を見せた。
「あらまあ! その子、どうしたの?」
「そこの道路に倒れてた。腹空かしてるみたいだから、なんかあったら食べさせてよ」
座敷に横たわったままの少女は、先ほどの衝撃で目が覚めたのか、涙目で頭をさすっていた。仁に気がつくと少しだけ恨みがましい視線を向けるも、どこかほっとしたような表情を見せる。
まだ起き上がる力はないのか、そのまま横たわっているので、靴を脱がせてやった。
「お嬢さん、何か食べたいものはある?」
ミネがテーブルに水の入ったコップを置いた。
少女の死にかけの目がきらんっと輝き、頭のてっぺんに生えたアホ毛が嬉しそうに揺れる。
「ええっと……カツ丼、カレー、味噌汁、おにぎり、漬物、お団子……かな? 」
本気で言っているのだとしたら、なんという食欲魔人。仁はミネと顔を見合わせる。
「あっ!? でも、所持金が千円しかないの!!」
「それじゃあ、予算は五百円ほどかしらね」
ミネはにこやかに微笑むと、再び食堂の厨房へと戻っていった。
「わーい、三日ぶりのご飯だ!」
「そんなに、食べてなかったのか?」
「うん。お金をあんまり使いたくなかったから、森の中を通ってきたの。そしたら迷っちゃって……」
「森の中で三日も!?」
「そう」
「マジかよ……」
確かに所持金千円では、そう遠くへは行けないだろうが、森の中を通る必要性はまったく感じられない。
少女を見たところ、所持品は肩から斜めに下げている黒のサコッシュのみ。着ている黒のコートは、袖が余ってだぼついている。中に着ているのは白のシャツと黒のショートパンツという軽装備。
……とても森の中を歩く姿には見えない。
むくりと起き上がった少女はコップの水を飲み干すと、仁の正面で居住まいを正した。
「助けてくれてありがとう。私は神野緋鞠。で、玄関にいる子は銀狼だよ」
そう紹介すると、人語が理解出来るのか犬が仁に向かって頭を垂れる。
「お、おう。俺は仁だ」
「仁くんだね。よろしく!」
邪気のない笑顔を仁に向ける。
非行少女か、犯罪に巻き込まれた少女かと怪しんでいたが、その笑顔を見るとそんな心配は杞憂だったと仁は警戒を解いた。
「ところで、どこかに行く途中だったのか?」
「古都の大和だよ」
大和とは、東京よりも東にある小さな都市である。
京都と並んで古より都があった地と聞いたことはあるが、知名度は京都に遥か及ばない。
それに、都心の隣にあるせいかまったく目立たず、山々に囲まれた土地なので観光スポットとしても人気がない場所である。
「あんなの、ただの田舎町じゃん」
「あそこはとある人々からしたら、かくもありがたーい場所なんだよ?」
「とある人々?」
「そう。それは私たち陰陽師」
しーん、と部屋の中が静まり返る。
このぼさぼさ髪から、木の枝や葉っぱを生やした少女は何を言っているのか。
──陰陽師? ……何それ、美味しいの?
「ああっ! 今、胡散くさいとか思ったでしょ!?」
「思った! めっちゃ思った!」
「素直でよろしい!」
膝をぱんっと叩くと、サコッシュから半紙と筆ペンを取り出した。どちらにも某百均ショップのテープが貼られてあることは、見なかったことにした。
「さて、少年よ。貴方の悩みを聞きましょう」
「え? いいよ。別に」
一瞬、脳裏に浮かんだものがあったが、首を振って答える。
「ほら、遠慮しないで。別にお金取らないし、助けてもらった恩を返したいだけだよ?」
「別にいいって」
頑なに断る仁の姿に緋鞠は眉をしかめると、玄関の床に大人しく伏せている犬に視線を向けた。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる