41 / 113
第4夜 天岩戸の天照
第10話 そばにいさせて
しおりを挟む
「そろそろ帰れよ。ほら、烏の親子も山に帰っていくぞー?」
陽春は社の屋根に腰を下ろし、暗くなっていく空を眺めながら、ポメラニアンサイズになった銀狼を見下ろした。
「……どの面下げて帰れと言うんだ。俺は、緋鞠の友人を傷つけてしまったんだぞ」
「謝ればいいだけだろ」
「それが出来たら苦労しない」
「だよねー」
陽春は虚ろな視線を空へと向けた。
──そろそろ箒で吐き出そうかな。
そんなことを考え始めたときだった。
軽やかに石段を上ってくる足音が聞こえてきた。陽春はほっと胸を撫でおろし、やってきた人物を迎える。
「やあ、いらっしゃい」
「陽春さん、こんばんは!」
現れたのは銀狼の主人だった。
「来てくれてよかった。こいつをさっさと連れ帰ってくれ」
「ああ、やっぱりここでしたか」
そういって陽春の示した先には、小さな銀色毛玉が転がっている。
「銀狼」
呼びかけると、毛玉がびくっと身体を震わせる。
緋鞠は毛玉に近づくと、そばに膝を落とした。
「ごめんね」
瞼を閉じ、深く息を吸い込むと、桜の香りがした。
幼い緋鞠が傷だらけの銀狼を見つけたときも、桜が咲き誇っている季節だった。
身体中が血と埃で薄汚れていたけれど、彼の命の輝きは強く眩しいほどだった。その輝きに似た光を、緋鞠は見たことがあったから、思わず手を伸ばした。
──私がどんなに焦がれても、手が届かないものだから……。
瞳をゆっくりと開き、銀狼を見つめる。
「銀狼を騙してまで病院を抜け出したのは、早く怪我を治したかったから……なんて言うのは嘘。──本当は、貴方に失望されるのが怖かったんだ」
鬼狩り試験の日、銀狼は緋鞠に何があったのか尋ねなかった。ただ緋鞠を心配して側にいてくれた。
有り難いはずなのに、月鬼との闘いを止められるのではないかと恐れていた。
「私の傷……誰に付けられたのか、銀狼は知っていたんだよね」
知っていて見守ってくれていたのだ。
涙がこぼれそうになるけれど、口を引き結んで堪える。
「……ありがとう」
銀狼の三角の耳が立ち上がる。
けれども、まだ緋鞠を向いてはくれない。
「あの夜ね、月鬼──四鬼と闘って、死ぬほど怖い思いをしたんだ」
骸になった仲間たち。翼が助けてくれたから、どうにか諦めずに頑張ることが出来たけれど、今だって不安はある。
次は自分の番かもしれない、と──。
「それでも月鬼と闘いを選んだこと、今でも後悔してない」
月鬼によって苦しめられている人がたくさんいる。
きっとみんなも様々な理由で戦場に立っているはずだ。琴音も、翼も、そして自分も……。
銀狼を私の事情に巻き込むのは間違ってるのかもしれない。
「……銀狼。私と一緒に闘ってくれるの?」
(……首を振ってくれないかな?)
銀狼に“契約を解除してくれ”、と言われたら。別れる覚悟だって──。
目の前でぼふんと煙が上がる。
顔をあげると、人の姿へと変化した銀狼がいた。銀狼はそっと緋鞠の頬に手を伸ばす。
『──行かないで! ワンちゃんまで、私の前からいなくならないで!』
わんわん泣いて銀狼から離れなかった少女。振りきることは簡単だったが、出来なかった。
『……それなら、おまえは俺に何を望む?』
銀狼にしがみついていた少女の手が離れた。
『元気でいて。死なないで。……一緒に、いて』
懇願の言葉は、少女がずっと抑えていた望みのようだった。
だから、俺は──。
この少女も、銀狼と同じように月鬼に復讐を望むかもしれない。そしたら、こんなにちっぽけな命の灯火など、たやすく吹き消されてしまうに違いない。
それなら、一時でも少女の望むように傍にいて、守ってやればいい──。
「あの日、おまえの望みを叶えると言ったろう? どんなときでもおまえの傍にいると……」
それは契約。否、誓いだった。
「おまえが戦場に行くなら、俺も行く。その相手が月鬼なら、俺にとっても好都合だ」
緋鞠に月鬼と闘う理由があるなら、銀狼にもある。月鬼への憎しみは、今もなお続いている。
大事なものを壊していった月鬼を、命のある限り許すつもりなどない。
今回、銀狼が恐ろしくなったのは別のことだ。
緋鞠を引き寄せ、自身の額を緋鞠の額にこつんと寄せる。緋鞠の温かさに安心感を覚えながら瞳を閉じた。
「だから、勝手にいなくなるな」
病室に戻れば、窓は開いたままで緋鞠の姿がなく、半世紀ぶりに焦ったのだ。事件に巻き込まれたのでないか、月鬼が連れ去ったのではないか、と。
緋鞠は猛省する。基本、銀狼は緋鞠に甘く、緋鞠が望むなら、その願いを無下にしたことなどないのだ。
「……うん。これからは気をつけるよ」
自然と笑みがこぼれた。
「ありがとう、銀狼」
緋鞠は陽春に向かって頭を下げた。
「お騒がせしました」
「いや、いいんだよ。どうせこいつが話も聞かずに、頭から否定したんだろう。すっかり口うるさい頑固親父だな」
「口うるさくなんかない!」
「いーや、いつだっておまえが原因だ。四百年前を忘れたか?」
「あれはおまえが……」
「はいはい、ストップストップ!」
口喧嘩に発展しそうだったので、慌てた緋鞠は二人の間に割って入る。
「ありがとうございました。また来ますね! 今度は何か美味しいものでも持ってきます」
「本当か!? じゃあ、団子か饅頭がいいな~」
「おまえ、図々しいぞ!」
「こら、銀! お世話になっておいて、その言い方はないでしょ!」
(おやおや……)
今度は主従の口喧嘩が始まってしまった。
けれども、その様子は近しい者だけが発する他愛のないやり取りで、とても楽しそうに見える。
二人が並んで帰る姿に遠い昔を思い出させる。
数百年前、銀狼が守護していた村が、月鬼の襲撃を受けた。
唯一助けられたのは、一人の幼い少女だけ。
月鬼への復讐だけで生きていた彼に、心のよりどころが出来たのだ。
「……頑張れよ。もう失くさないように」
陽春は風と共に姿を消した。
優しい微笑みを残して──。
陽春は社の屋根に腰を下ろし、暗くなっていく空を眺めながら、ポメラニアンサイズになった銀狼を見下ろした。
「……どの面下げて帰れと言うんだ。俺は、緋鞠の友人を傷つけてしまったんだぞ」
「謝ればいいだけだろ」
「それが出来たら苦労しない」
「だよねー」
陽春は虚ろな視線を空へと向けた。
──そろそろ箒で吐き出そうかな。
そんなことを考え始めたときだった。
軽やかに石段を上ってくる足音が聞こえてきた。陽春はほっと胸を撫でおろし、やってきた人物を迎える。
「やあ、いらっしゃい」
「陽春さん、こんばんは!」
現れたのは銀狼の主人だった。
「来てくれてよかった。こいつをさっさと連れ帰ってくれ」
「ああ、やっぱりここでしたか」
そういって陽春の示した先には、小さな銀色毛玉が転がっている。
「銀狼」
呼びかけると、毛玉がびくっと身体を震わせる。
緋鞠は毛玉に近づくと、そばに膝を落とした。
「ごめんね」
瞼を閉じ、深く息を吸い込むと、桜の香りがした。
幼い緋鞠が傷だらけの銀狼を見つけたときも、桜が咲き誇っている季節だった。
身体中が血と埃で薄汚れていたけれど、彼の命の輝きは強く眩しいほどだった。その輝きに似た光を、緋鞠は見たことがあったから、思わず手を伸ばした。
──私がどんなに焦がれても、手が届かないものだから……。
瞳をゆっくりと開き、銀狼を見つめる。
「銀狼を騙してまで病院を抜け出したのは、早く怪我を治したかったから……なんて言うのは嘘。──本当は、貴方に失望されるのが怖かったんだ」
鬼狩り試験の日、銀狼は緋鞠に何があったのか尋ねなかった。ただ緋鞠を心配して側にいてくれた。
有り難いはずなのに、月鬼との闘いを止められるのではないかと恐れていた。
「私の傷……誰に付けられたのか、銀狼は知っていたんだよね」
知っていて見守ってくれていたのだ。
涙がこぼれそうになるけれど、口を引き結んで堪える。
「……ありがとう」
銀狼の三角の耳が立ち上がる。
けれども、まだ緋鞠を向いてはくれない。
「あの夜ね、月鬼──四鬼と闘って、死ぬほど怖い思いをしたんだ」
骸になった仲間たち。翼が助けてくれたから、どうにか諦めずに頑張ることが出来たけれど、今だって不安はある。
次は自分の番かもしれない、と──。
「それでも月鬼と闘いを選んだこと、今でも後悔してない」
月鬼によって苦しめられている人がたくさんいる。
きっとみんなも様々な理由で戦場に立っているはずだ。琴音も、翼も、そして自分も……。
銀狼を私の事情に巻き込むのは間違ってるのかもしれない。
「……銀狼。私と一緒に闘ってくれるの?」
(……首を振ってくれないかな?)
銀狼に“契約を解除してくれ”、と言われたら。別れる覚悟だって──。
目の前でぼふんと煙が上がる。
顔をあげると、人の姿へと変化した銀狼がいた。銀狼はそっと緋鞠の頬に手を伸ばす。
『──行かないで! ワンちゃんまで、私の前からいなくならないで!』
わんわん泣いて銀狼から離れなかった少女。振りきることは簡単だったが、出来なかった。
『……それなら、おまえは俺に何を望む?』
銀狼にしがみついていた少女の手が離れた。
『元気でいて。死なないで。……一緒に、いて』
懇願の言葉は、少女がずっと抑えていた望みのようだった。
だから、俺は──。
この少女も、銀狼と同じように月鬼に復讐を望むかもしれない。そしたら、こんなにちっぽけな命の灯火など、たやすく吹き消されてしまうに違いない。
それなら、一時でも少女の望むように傍にいて、守ってやればいい──。
「あの日、おまえの望みを叶えると言ったろう? どんなときでもおまえの傍にいると……」
それは契約。否、誓いだった。
「おまえが戦場に行くなら、俺も行く。その相手が月鬼なら、俺にとっても好都合だ」
緋鞠に月鬼と闘う理由があるなら、銀狼にもある。月鬼への憎しみは、今もなお続いている。
大事なものを壊していった月鬼を、命のある限り許すつもりなどない。
今回、銀狼が恐ろしくなったのは別のことだ。
緋鞠を引き寄せ、自身の額を緋鞠の額にこつんと寄せる。緋鞠の温かさに安心感を覚えながら瞳を閉じた。
「だから、勝手にいなくなるな」
病室に戻れば、窓は開いたままで緋鞠の姿がなく、半世紀ぶりに焦ったのだ。事件に巻き込まれたのでないか、月鬼が連れ去ったのではないか、と。
緋鞠は猛省する。基本、銀狼は緋鞠に甘く、緋鞠が望むなら、その願いを無下にしたことなどないのだ。
「……うん。これからは気をつけるよ」
自然と笑みがこぼれた。
「ありがとう、銀狼」
緋鞠は陽春に向かって頭を下げた。
「お騒がせしました」
「いや、いいんだよ。どうせこいつが話も聞かずに、頭から否定したんだろう。すっかり口うるさい頑固親父だな」
「口うるさくなんかない!」
「いーや、いつだっておまえが原因だ。四百年前を忘れたか?」
「あれはおまえが……」
「はいはい、ストップストップ!」
口喧嘩に発展しそうだったので、慌てた緋鞠は二人の間に割って入る。
「ありがとうございました。また来ますね! 今度は何か美味しいものでも持ってきます」
「本当か!? じゃあ、団子か饅頭がいいな~」
「おまえ、図々しいぞ!」
「こら、銀! お世話になっておいて、その言い方はないでしょ!」
(おやおや……)
今度は主従の口喧嘩が始まってしまった。
けれども、その様子は近しい者だけが発する他愛のないやり取りで、とても楽しそうに見える。
二人が並んで帰る姿に遠い昔を思い出させる。
数百年前、銀狼が守護していた村が、月鬼の襲撃を受けた。
唯一助けられたのは、一人の幼い少女だけ。
月鬼への復讐だけで生きていた彼に、心のよりどころが出来たのだ。
「……頑張れよ。もう失くさないように」
陽春は風と共に姿を消した。
優しい微笑みを残して──。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる