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スラッガー 16
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怪我なんて、治ればすぐに野球ができる。
先輩からの裏切りだって、その先輩はもうチームにはいない。
野球ができなくなったのは、そんな些細なことが理由ではない。それよりも、もっと繊細な心の問題。野球をする上で、排除することができない自分の問題だ。
俺は、怪我をした後も野球部にいた。
治ればすぐにでも戦力として復帰が期待できる。監督はそう思っていただろう。俺自身もそう思っていた。
ギプスが外れ、久しぶりにユニホームを着たとき、左右の足の太さの違いがはっきりと現れたのは流石に焦った。だが、それも一週間程度で両足の太さは同じになり、3ヶ月後には日常生活に支障がないほどにまで回復した。
そう。問題はなかったんだ。俺が野球をやめてしまう理由はそれまではなかったんだ。
俺が野球をやめた理由は、怪我が完治した後にある。
リハビリを終え、走れるようになり、徐々に練習にも参加できるようになってきた。
そんなある日の出来事だ。
他校との練習試合。
監督の計らいで、俺は代打として1度だけバッターボックスに立つことを許された。
この時を俺は何ヶ月も待っていたんだ。
代打を許してくれた監督はもちろん、チームメイトからの期待も背負っていた。
声援も熱線も劣るというのに、どんな試合よりも高ぶった。
ここでホームランを打ったらめちゃくちゃかっこいい。
そう思っていたからだろう。バットを持つ手にいつもより力が入っていた。だから、絶好球を打ち損じてしまった。
まあ、スラッガーと言っても、休み明けだし、そもそも、打ち損じるぐらい、よくあることだ。
ただ、当たりどころが悪かったんだ。
打ったボールは、俺の右足に直撃した。
ただの自打球。結果としては、ファール。ストライクカウントが一つ増えるだけで、打席から追われることはない。
ただ、当たりどころが悪かったんだ。
ボールが当たったのは、怪我をした方の足。でも、だからといって、治りかけていた怪我が悪化することはない。
ただ、当たりどころが悪かったんだ。
怪我のことを知っている監督やチームメイトが心配してくるが、当たったことは問題じゃない。
ただ、当たりどころが悪かったんだ。
痛みは、自分が怪我をしているということを思い出させてきた。
もし、ホームランを打てなければ? そうしたら、当然、走ることになる。俺は走れるのか? この足で……。まだ、ダッシュをするべきではない。ダッシュをしたら、怪我が悪化するかもしれない。
そんなことを考えている間も、ピッチャーは投げ続けた。最初の打ち損じのスイングを見てびびったのか、ボールが多い。
そして、打ち損じてから一度も振れず、カウントはスリーボールツーストライク。
ボールが多く、悩む時間があったからだろう。俺は、このままバットにボールを当てることが怖くなっていた。
監督も期待している。チームメイトも期待している。ここに立つまでは、心は高ぶっていた。涼しくなった秋なのに、真夏のように体は熱くなっていたはずだ。
それなのに、今は、心が凍ってしまったようだ。手の震えは、武者震いではない。恐怖だった。
それでも、ピッチャーはボールを投げる。
心も凍って、体は震えているのに、感覚だけはいつも通りだった。ピッチャーの手からボールが離れた瞬間に、どこのコースに来るのか分かってしまう。生まれつきの才能なのか、培ってきた才能なのかは分からない。でも、分かるんだ。このボールはストライクゾーンの真ん中に来ると。
カウントはツーストライク。次のストライクは死を意味する。
振らなければいけない。でも、振ってどうする? 最悪、外野まで飛べばどうにかなるかもしれない。でも、内野ゴロなら? 俺は走れるのか? もし、走って怪我が悪化したら?
恐怖に満たされた思考の中では、体を動かす余裕もなく、気づいたときには、ボールがキャッチャーミットの中に収まっていた。
それから、俺の病は悪化した。
バッターボックスに立つだけじゃない。バットを握るだけで、発作のように胸が苦しくなる。
だから、俺は野球をやめた。
誰にも相談することなく、野球から遠ざかることを選んだんだ。
先輩からの裏切りだって、その先輩はもうチームにはいない。
野球ができなくなったのは、そんな些細なことが理由ではない。それよりも、もっと繊細な心の問題。野球をする上で、排除することができない自分の問題だ。
俺は、怪我をした後も野球部にいた。
治ればすぐにでも戦力として復帰が期待できる。監督はそう思っていただろう。俺自身もそう思っていた。
ギプスが外れ、久しぶりにユニホームを着たとき、左右の足の太さの違いがはっきりと現れたのは流石に焦った。だが、それも一週間程度で両足の太さは同じになり、3ヶ月後には日常生活に支障がないほどにまで回復した。
そう。問題はなかったんだ。俺が野球をやめてしまう理由はそれまではなかったんだ。
俺が野球をやめた理由は、怪我が完治した後にある。
リハビリを終え、走れるようになり、徐々に練習にも参加できるようになってきた。
そんなある日の出来事だ。
他校との練習試合。
監督の計らいで、俺は代打として1度だけバッターボックスに立つことを許された。
この時を俺は何ヶ月も待っていたんだ。
代打を許してくれた監督はもちろん、チームメイトからの期待も背負っていた。
声援も熱線も劣るというのに、どんな試合よりも高ぶった。
ここでホームランを打ったらめちゃくちゃかっこいい。
そう思っていたからだろう。バットを持つ手にいつもより力が入っていた。だから、絶好球を打ち損じてしまった。
まあ、スラッガーと言っても、休み明けだし、そもそも、打ち損じるぐらい、よくあることだ。
ただ、当たりどころが悪かったんだ。
打ったボールは、俺の右足に直撃した。
ただの自打球。結果としては、ファール。ストライクカウントが一つ増えるだけで、打席から追われることはない。
ただ、当たりどころが悪かったんだ。
ボールが当たったのは、怪我をした方の足。でも、だからといって、治りかけていた怪我が悪化することはない。
ただ、当たりどころが悪かったんだ。
怪我のことを知っている監督やチームメイトが心配してくるが、当たったことは問題じゃない。
ただ、当たりどころが悪かったんだ。
痛みは、自分が怪我をしているということを思い出させてきた。
もし、ホームランを打てなければ? そうしたら、当然、走ることになる。俺は走れるのか? この足で……。まだ、ダッシュをするべきではない。ダッシュをしたら、怪我が悪化するかもしれない。
そんなことを考えている間も、ピッチャーは投げ続けた。最初の打ち損じのスイングを見てびびったのか、ボールが多い。
そして、打ち損じてから一度も振れず、カウントはスリーボールツーストライク。
ボールが多く、悩む時間があったからだろう。俺は、このままバットにボールを当てることが怖くなっていた。
監督も期待している。チームメイトも期待している。ここに立つまでは、心は高ぶっていた。涼しくなった秋なのに、真夏のように体は熱くなっていたはずだ。
それなのに、今は、心が凍ってしまったようだ。手の震えは、武者震いではない。恐怖だった。
それでも、ピッチャーはボールを投げる。
心も凍って、体は震えているのに、感覚だけはいつも通りだった。ピッチャーの手からボールが離れた瞬間に、どこのコースに来るのか分かってしまう。生まれつきの才能なのか、培ってきた才能なのかは分からない。でも、分かるんだ。このボールはストライクゾーンの真ん中に来ると。
カウントはツーストライク。次のストライクは死を意味する。
振らなければいけない。でも、振ってどうする? 最悪、外野まで飛べばどうにかなるかもしれない。でも、内野ゴロなら? 俺は走れるのか? もし、走って怪我が悪化したら?
恐怖に満たされた思考の中では、体を動かす余裕もなく、気づいたときには、ボールがキャッチャーミットの中に収まっていた。
それから、俺の病は悪化した。
バッターボックスに立つだけじゃない。バットを握るだけで、発作のように胸が苦しくなる。
だから、俺は野球をやめた。
誰にも相談することなく、野球から遠ざかることを選んだんだ。
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