127 / 181
第二章 輝ける乙女
書簡2
しおりを挟む
ふと、視線を上げる。
目の前には、よく見知った顔があった。
がたがたと揺れる馬車、斜向かいに座ったその男は、まだ手に馴染んではいないであろう剣を弄んでいる。いままで彼自身が使用していた剣は、というと。
「大事に使えよ」
サリカの手にあった。
彼――ジェリオの母の知人から貰った、というその剣は、以前から思っていたのだが、一介の刺客が持つにしては随分と立派であった。装飾が、というわけではない。その作りが全て絶妙な調和をもっているのだ。まるで、ジェリオのために作られたとしか思えぬ剣である。彼が左利きであることを考慮に入れて作ったものらしく、柄の握り具合や刃の微妙な向き、細部に至るまで調整がつけられていた。
幾度か自身にも向けられたことのある剣を、こうしてまじまじと見つめる日が来ようとは。サリカは、予想すらしていなかった。
そのうえ。
――暫く、あんたの傍にいろってさ。あんたのお袋から、メイレイされた。
コウタイゴウヘイカからの玉命で、彼はサリカの元に改めて送られたのだという。皇太后リディアは約束通り彼の枷を外し、自由の身にした。そうした上で、馬車を仕立てさせ、皇帝と元刺客であった青年をアシャンティの離宮へと向かわせたのである。
曰く、アグネイヤ四世は、お払い箱だと。皇帝としての資質に問題がある。ゆえに、その器量を見定めるまで、紫芳宮に戻ることあたわず。
権力は、皇太后であるリディアに集中し、彼女を支えるのは他ならぬ宰相エルハルトであった。
あのふたりに疎んじられた、見放されたと、ジェリオの言葉を聞いたときは絶望に気を失いそうになったサリカだったが。
――いつか、おふくろ達を見返してやれよ。
彼の何気ない一言に、心の均衡を保った。
(ジェリオ)
正確には、その言葉にではなく。直後に、おどけたように、だが何気なく付け加えられた
――俺が付いててやるから。
その台詞に心を動かされたのだ。
傍にいる。傍にいてくれる。背中を預けられる存在が、傍にある。
思うと、温かいものが身体の芯から溢れてきた。嬉しい、これはそう言った感情なのだろうか。サリカの気持ちに、ジェリオは愛撫ではなく抱擁で応えてくれるのだろうか。
「なーに見てるんだよ」
自身に注がれる暁の視線を気まずく思ったか。ジェリオは照れたように、唇を尖らせる。以前の彼ならば、このような時は必ず、下世話なからかいの言葉を発していた。今は違う。今は、今の彼は、ごく普通の青年だった。気負いも憎悪も影も。なにもない、普通の――。
「そっちに、行っていいか?」
サリカは、答えを待たずに彼の隣に腰を下ろした。ジェリオの体温が、僅かだが感じられる距離である。ジェリオは何も言わず、剣を足元に――すぐに取れる場所に置いた。それを見計らって、サリカは、彼の腕に頭を預ける。
探していたのだ、ずっと。
こうして、甘えられる相手を。
「ガキだな」
ジェリオは苦笑したが、皮肉も嫌味も言わない。自身の右腕に絡みつく少女を見下ろし、その髪に唇を押し付ける。
抱かれるのは、嫌だった。けれども、抱きしめられるのは、好きだった。
ともすれば、幼子のように「抱っこ」と彼に縋りつきたい衝動に駆られ、サリカは、ねだるように身を捩る。
「しょーがねーなー」
ほい、と。声をかけ、ジェリオは彼女を抱き上げた。そのまま自身の脚を開き、その中にサリカを座らせる。背後から彼女を抱きしめて
「これで、満足したか?」
耳元に囁く。囁きながら、軽く耳朶を噛むが、これはサリカに拒絶された。
「全く。煽るだけ煽って、肝心なとこはやらせてくれないんだからな」
ぼやきながらも、ジェリオは悪い気はしてないらしい。片手で彼女の髪を梳きながら、鼻歌を歌い始める。子守唄だろうか、ひどく優しい調べであった。
「アシャンティまでは、まだ、だいぶかかるだろ? 寝てろ」
何もしないから。
猫のように丸くなり始めたサリカを見て、睡魔の訪れを悟ったのだろう。彼は今一度彼女の髪に口付けると、また、例の『子守唄』を唄い始める。初めて聞く彼の歌声は、穏やかで優しくて。艶を含んだ声質とあいまって、すんなりと、サリカの耳に入ってきた。
眠れぬ夜は、花を数えよう、掌に掬えば消えていく、儚い花弁の数を。
そんな歌である。『花』とはおそらく、『雪』のことだろう。雪は舞い散る花にも例えられる。
(ああ)
ジェリオは、北国の民なのだ。サリカは、ぼんやりと考えた。彼の容姿に雪は似合わない。けれども、彼の声には、雪が似合う。音もなく、だが確かに降り積もっていく、雪が。
「……」
彼の故郷は、カルノリアなのだろうか。白い都ユリシエル。父の親友、シェルキス二世が治める土地。マリサの友人、アレクシア皇女が住まう場所。
いつか、時が来たら。行ってみたい。神秘の都、ユリシエルに。
サリカの元に、眠りの精霊が舞い降りそうになったとき。がたん、と馬車が大きく揺れた。
「……っ?」
サリカは飛び起き、ジェリオは彼女を右手に抱えたまま、剣を引き寄せる。
何事だ、と彼女が御者に尋ねると。
「――行き倒れです」
困惑した、御者の声が返ってきたのである。
目の前には、よく見知った顔があった。
がたがたと揺れる馬車、斜向かいに座ったその男は、まだ手に馴染んではいないであろう剣を弄んでいる。いままで彼自身が使用していた剣は、というと。
「大事に使えよ」
サリカの手にあった。
彼――ジェリオの母の知人から貰った、というその剣は、以前から思っていたのだが、一介の刺客が持つにしては随分と立派であった。装飾が、というわけではない。その作りが全て絶妙な調和をもっているのだ。まるで、ジェリオのために作られたとしか思えぬ剣である。彼が左利きであることを考慮に入れて作ったものらしく、柄の握り具合や刃の微妙な向き、細部に至るまで調整がつけられていた。
幾度か自身にも向けられたことのある剣を、こうしてまじまじと見つめる日が来ようとは。サリカは、予想すらしていなかった。
そのうえ。
――暫く、あんたの傍にいろってさ。あんたのお袋から、メイレイされた。
コウタイゴウヘイカからの玉命で、彼はサリカの元に改めて送られたのだという。皇太后リディアは約束通り彼の枷を外し、自由の身にした。そうした上で、馬車を仕立てさせ、皇帝と元刺客であった青年をアシャンティの離宮へと向かわせたのである。
曰く、アグネイヤ四世は、お払い箱だと。皇帝としての資質に問題がある。ゆえに、その器量を見定めるまで、紫芳宮に戻ることあたわず。
権力は、皇太后であるリディアに集中し、彼女を支えるのは他ならぬ宰相エルハルトであった。
あのふたりに疎んじられた、見放されたと、ジェリオの言葉を聞いたときは絶望に気を失いそうになったサリカだったが。
――いつか、おふくろ達を見返してやれよ。
彼の何気ない一言に、心の均衡を保った。
(ジェリオ)
正確には、その言葉にではなく。直後に、おどけたように、だが何気なく付け加えられた
――俺が付いててやるから。
その台詞に心を動かされたのだ。
傍にいる。傍にいてくれる。背中を預けられる存在が、傍にある。
思うと、温かいものが身体の芯から溢れてきた。嬉しい、これはそう言った感情なのだろうか。サリカの気持ちに、ジェリオは愛撫ではなく抱擁で応えてくれるのだろうか。
「なーに見てるんだよ」
自身に注がれる暁の視線を気まずく思ったか。ジェリオは照れたように、唇を尖らせる。以前の彼ならば、このような時は必ず、下世話なからかいの言葉を発していた。今は違う。今は、今の彼は、ごく普通の青年だった。気負いも憎悪も影も。なにもない、普通の――。
「そっちに、行っていいか?」
サリカは、答えを待たずに彼の隣に腰を下ろした。ジェリオの体温が、僅かだが感じられる距離である。ジェリオは何も言わず、剣を足元に――すぐに取れる場所に置いた。それを見計らって、サリカは、彼の腕に頭を預ける。
探していたのだ、ずっと。
こうして、甘えられる相手を。
「ガキだな」
ジェリオは苦笑したが、皮肉も嫌味も言わない。自身の右腕に絡みつく少女を見下ろし、その髪に唇を押し付ける。
抱かれるのは、嫌だった。けれども、抱きしめられるのは、好きだった。
ともすれば、幼子のように「抱っこ」と彼に縋りつきたい衝動に駆られ、サリカは、ねだるように身を捩る。
「しょーがねーなー」
ほい、と。声をかけ、ジェリオは彼女を抱き上げた。そのまま自身の脚を開き、その中にサリカを座らせる。背後から彼女を抱きしめて
「これで、満足したか?」
耳元に囁く。囁きながら、軽く耳朶を噛むが、これはサリカに拒絶された。
「全く。煽るだけ煽って、肝心なとこはやらせてくれないんだからな」
ぼやきながらも、ジェリオは悪い気はしてないらしい。片手で彼女の髪を梳きながら、鼻歌を歌い始める。子守唄だろうか、ひどく優しい調べであった。
「アシャンティまでは、まだ、だいぶかかるだろ? 寝てろ」
何もしないから。
猫のように丸くなり始めたサリカを見て、睡魔の訪れを悟ったのだろう。彼は今一度彼女の髪に口付けると、また、例の『子守唄』を唄い始める。初めて聞く彼の歌声は、穏やかで優しくて。艶を含んだ声質とあいまって、すんなりと、サリカの耳に入ってきた。
眠れぬ夜は、花を数えよう、掌に掬えば消えていく、儚い花弁の数を。
そんな歌である。『花』とはおそらく、『雪』のことだろう。雪は舞い散る花にも例えられる。
(ああ)
ジェリオは、北国の民なのだ。サリカは、ぼんやりと考えた。彼の容姿に雪は似合わない。けれども、彼の声には、雪が似合う。音もなく、だが確かに降り積もっていく、雪が。
「……」
彼の故郷は、カルノリアなのだろうか。白い都ユリシエル。父の親友、シェルキス二世が治める土地。マリサの友人、アレクシア皇女が住まう場所。
いつか、時が来たら。行ってみたい。神秘の都、ユリシエルに。
サリカの元に、眠りの精霊が舞い降りそうになったとき。がたん、と馬車が大きく揺れた。
「……っ?」
サリカは飛び起き、ジェリオは彼女を右手に抱えたまま、剣を引き寄せる。
何事だ、と彼女が御者に尋ねると。
「――行き倒れです」
困惑した、御者の声が返ってきたのである。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
生贄公爵と蛇の王
荒瀬ヤヒロ
ファンタジー
妹に婚約者を奪われ、歳の離れた女好きに嫁がされそうになったことに反発し家を捨てたレイチェル。彼女が向かったのは「蛇に呪われた公爵」が住む離宮だった。
「お願いします、私と結婚してください!」
「はあ?」
幼い頃に蛇に呪われたと言われ「生贄公爵」と呼ばれて人目に触れないように離宮で暮らしていた青年ヴェンディグ。
そこへ飛び込んできた侯爵令嬢にいきなり求婚され、成り行きで婚約することに。
しかし、「蛇に呪われた生贄公爵」には、誰も知らない秘密があった。
帰国した王子の受難
ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。
取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる