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02.気になって眠れない
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「あの方の兄上でしたら、きっと第一公子様もお優しい方なのですわ」
シェリルの言葉に我に返る。
彼女はうっとりと眼を細め、先程の第二公子の面影を心に描いているようだった。ソフィアは、くすりと声を立てる。
「クラウス殿に悪いわ、そんな、他の殿方のことを褒めてしまっては」
クラウスとは、シェリルの婚約者である。叔母カルテュエラの嫁ぎ先である第一将軍、かのひとの側近で、将来有望な若者だった。ソフィアも数度挨拶を交わしたことがある。男性にしておくのが勿体ない、白鳥の乙女が恋い焦がれついには湖に引きずり込んでしまったという伝説の美貌の騎士を思わせる、気高き青年――だが、
「婚約は、とうに解消しましたから」
シェリルは主張する。
ソフィアの輿入れが決まったとき、また、彼女の嫁ぎ先が遠く異国であることが判明したとき。シェリルは婚約を解消し、ソフィアに従うことを決めた。私は何処までも姫様についていきますと、旅立ちの朝に馬車の前に佇んでいた彼女を、どうして追い返せようか。ソフィアとしても、長年側にいてくれたシェリルが同道してくれるのは心強かった。シェリルは侍女というよりも友人、もしくは妹のような存在である。他に、ソフィアに友人と呼べる人物は――存在していたが、今はもういない。
「今宵は、ゆっくり休みましょう、姫様。明日はまた、一日がかりで馬車の移動ですよ」
腰が痛くなりますね、と、シェリルが顔を顰める。
確かに。こうして普通に座っていても、まだ身体が揺れているような錯覚を覚えた。
その奇妙な”揺れ”は、横たわってからも続き、ソフィアは幾度も寝返りを打った。
旅の疲れのせいかもしれない。思ったソフィアは、そっと天幕を抜け出した。
見上げれば、凛とした空気の中に夜空が広がる。手を伸ばせば届きそうな、という表現が相応しい、満天の星空だった。ソフィアもそっと掌を差し出す。その指先に、星が触れるのだとしたら――それは冷ややかなのだろうか、それとも温かいのだろうか。
「眠れないのですか」
声をかけられ、はっとする。
「脅かしてしまって、申し訳ございません」
非礼を詫びたのは、第二公子だった。いつからそこに居たのか、それとも今しがた来たばかりなのか。 彼は
「風邪を召されますよ?」
ソフィアの隣に佇み、自身の羽織っていた上着を彼女の肩にかける。第二公子の温もりにそのまま包まれた気がして、ソフィアは顔を赤らめた。考えてみれば、こうして対等の立場で話をする男性は、彼が初めてだった。今までは、全て臣下か、もしくは家族か。ただひとり、例外もいたが彼もまた、純粋な意味での対等の存在ではなかった。
「セグディアは、どのような処なのですか?」
自分は決して社交的ではない。気の利いた話題を振ることは不可能だ。宮廷に出入りする、『冬薔薇』等の高級娼婦たちを見ていると、どうしてあのようにその場を盛り上げる話題を提供できるのだろう、また、ぽんと投げられた言葉に、そつなく応えることが出来るのだろうと感心してしまう。
尤も、ユリシエルに於いては女性は控えめな方が好まれる。ただ、男性の傍で頷いていればよい、意見をすることははしたない、と思われる節があった。その風習に従っていたわけではないが、どうも自分は人付き合いが苦手らしい。
公子の様子を窺えば、彼は全く苦にする様子もなく、セグの公都セグディアの素晴らしさを語ってくれた。
中立国らしく様々な国との交流があること、セルニダには負けるが、交易都市として古くから栄えていること、その起源は神聖帝国までさかのぼり、かの国の四大大公家の一つであったことなど、判りやすく簡潔に教えてくれる。ソフィアも嫁ぐに当たって相応にセグの歴史を勉強することはしたが、あくまでも聞いた話、古い写本で得た知識である。こうして、その土地を熟知している者に説明してもらうのとはわけが違う。
「姫君も、きっと気に入られると思いますよ。ユリシエルほど華やかな都ではないと思いますが、それでも」
「それでも? なんでしょう?」
「夏が、長いです」
言って、くすりと公子は笑う。ユリシエルよりも南に位置するセグディアは、その分、冬の訪れが遅い。ユリシエルの夏は、駆け足でやってきて、あっという間に去ってしまう。
「セグには保養地が多くあります。夏には、湖で静養されるのも宜しいでしょう」
「まあ、湖」
ソフィアは眼を輝かせた。
ユリシエル近郊には、湖がない。少し足を伸ばせば、海に出ることもできるが、海と湖は違う。白鳥の乙女と美貌の騎士の悲恋物語が伝わるのは、遥か西方の湖の話で、出来れば一度そこを訪れてみたいと思っていたが、そのまえに国を出ることになってしまった。
「海ほど雄大ではありませんが、その、とても美しいです。穏やかで、優しくて。まるで」
一度言葉を切った公子は、ソフィアを見て微笑む。
「まるで、姉上のようです」
シェリルの言葉に我に返る。
彼女はうっとりと眼を細め、先程の第二公子の面影を心に描いているようだった。ソフィアは、くすりと声を立てる。
「クラウス殿に悪いわ、そんな、他の殿方のことを褒めてしまっては」
クラウスとは、シェリルの婚約者である。叔母カルテュエラの嫁ぎ先である第一将軍、かのひとの側近で、将来有望な若者だった。ソフィアも数度挨拶を交わしたことがある。男性にしておくのが勿体ない、白鳥の乙女が恋い焦がれついには湖に引きずり込んでしまったという伝説の美貌の騎士を思わせる、気高き青年――だが、
「婚約は、とうに解消しましたから」
シェリルは主張する。
ソフィアの輿入れが決まったとき、また、彼女の嫁ぎ先が遠く異国であることが判明したとき。シェリルは婚約を解消し、ソフィアに従うことを決めた。私は何処までも姫様についていきますと、旅立ちの朝に馬車の前に佇んでいた彼女を、どうして追い返せようか。ソフィアとしても、長年側にいてくれたシェリルが同道してくれるのは心強かった。シェリルは侍女というよりも友人、もしくは妹のような存在である。他に、ソフィアに友人と呼べる人物は――存在していたが、今はもういない。
「今宵は、ゆっくり休みましょう、姫様。明日はまた、一日がかりで馬車の移動ですよ」
腰が痛くなりますね、と、シェリルが顔を顰める。
確かに。こうして普通に座っていても、まだ身体が揺れているような錯覚を覚えた。
その奇妙な”揺れ”は、横たわってからも続き、ソフィアは幾度も寝返りを打った。
旅の疲れのせいかもしれない。思ったソフィアは、そっと天幕を抜け出した。
見上げれば、凛とした空気の中に夜空が広がる。手を伸ばせば届きそうな、という表現が相応しい、満天の星空だった。ソフィアもそっと掌を差し出す。その指先に、星が触れるのだとしたら――それは冷ややかなのだろうか、それとも温かいのだろうか。
「眠れないのですか」
声をかけられ、はっとする。
「脅かしてしまって、申し訳ございません」
非礼を詫びたのは、第二公子だった。いつからそこに居たのか、それとも今しがた来たばかりなのか。 彼は
「風邪を召されますよ?」
ソフィアの隣に佇み、自身の羽織っていた上着を彼女の肩にかける。第二公子の温もりにそのまま包まれた気がして、ソフィアは顔を赤らめた。考えてみれば、こうして対等の立場で話をする男性は、彼が初めてだった。今までは、全て臣下か、もしくは家族か。ただひとり、例外もいたが彼もまた、純粋な意味での対等の存在ではなかった。
「セグディアは、どのような処なのですか?」
自分は決して社交的ではない。気の利いた話題を振ることは不可能だ。宮廷に出入りする、『冬薔薇』等の高級娼婦たちを見ていると、どうしてあのようにその場を盛り上げる話題を提供できるのだろう、また、ぽんと投げられた言葉に、そつなく応えることが出来るのだろうと感心してしまう。
尤も、ユリシエルに於いては女性は控えめな方が好まれる。ただ、男性の傍で頷いていればよい、意見をすることははしたない、と思われる節があった。その風習に従っていたわけではないが、どうも自分は人付き合いが苦手らしい。
公子の様子を窺えば、彼は全く苦にする様子もなく、セグの公都セグディアの素晴らしさを語ってくれた。
中立国らしく様々な国との交流があること、セルニダには負けるが、交易都市として古くから栄えていること、その起源は神聖帝国までさかのぼり、かの国の四大大公家の一つであったことなど、判りやすく簡潔に教えてくれる。ソフィアも嫁ぐに当たって相応にセグの歴史を勉強することはしたが、あくまでも聞いた話、古い写本で得た知識である。こうして、その土地を熟知している者に説明してもらうのとはわけが違う。
「姫君も、きっと気に入られると思いますよ。ユリシエルほど華やかな都ではないと思いますが、それでも」
「それでも? なんでしょう?」
「夏が、長いです」
言って、くすりと公子は笑う。ユリシエルよりも南に位置するセグディアは、その分、冬の訪れが遅い。ユリシエルの夏は、駆け足でやってきて、あっという間に去ってしまう。
「セグには保養地が多くあります。夏には、湖で静養されるのも宜しいでしょう」
「まあ、湖」
ソフィアは眼を輝かせた。
ユリシエル近郊には、湖がない。少し足を伸ばせば、海に出ることもできるが、海と湖は違う。白鳥の乙女と美貌の騎士の悲恋物語が伝わるのは、遥か西方の湖の話で、出来れば一度そこを訪れてみたいと思っていたが、そのまえに国を出ることになってしまった。
「海ほど雄大ではありませんが、その、とても美しいです。穏やかで、優しくて。まるで」
一度言葉を切った公子は、ソフィアを見て微笑む。
「まるで、姉上のようです」
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