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王太子の密約
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なぜ、それを。とか。どうしてそれを、とか。
あえて訊くことはしなかった。
リズナは、ただ、其処にいて。ただ、微笑んでいるだけである。
そして、ただ、とある皇女の名を告げただけだ。
リディスが取るべき行動は、三つ。
とぼけるか、認めて「それがなにか」と尋ねるか。あと一つは、腕に物を言わせて斬りかかるだけなのだが。
(挑発には乗らない)
リディスは彼女を真似て、微笑んでみる。
リズナは、柔らかな濡羽の髪と、榛の瞳を持つ、楚々とした美人である。見た目を信じれば、棘も毒もないように思う。しかし、あの毒が滲んだ笑みを見てしまっては。
(普通のご婦人ではありえない)
彼女は、はじめから知っていたのだ。リディスの素性を。知っていて、わざわざ声をかけられるように、不慣れを装って彼女の傍で道を尋ねたりしたのだ。
『もし、この街は初めてなのですが……』
いかにも良家のお内儀、といった風情の見目好い婦人が、市中で様々な露天商、花売りに声をかけていた。遠方から訪れた様子であるのに、なぜか供も連れず。婦人とその夫君だろうか、やや年齢の離れた男性が、途方に暮れた様子で道を尋ねては、相手に素気なく対応されている。
退屈しのぎに街に降りていたリディスは、昨夜頭に叩き込んだばかりのシュレンヌの地図を、実際に辿ってみたくて件の夫妻に声をかけたのだ。自分で良ければ、道案内をしよう、と。
だが。
目を輝かせた夫人とは反対に、商人はリディスの姿を一瞥すると、
『いや、結構』
間髪入れずに断ってきたのだ。
おそらく、簡素な服装のリディスを物乞いか詐欺のたぐいだと思ったのだろう。
『あなた、せっかくこの方がお声がけくださったのですから』
案内していただきましょう、そういってリディスに愛想笑いをする夫人を促し、さっさとその場を離れていったのだ。あのとき夫人が何度も此方を振り返っていたのは、リディスと接触する千載一遇の機会を逸してしまうことを危惧したからだろう。
で、あれば。
商人夫妻を襲った暴漢も、初めから計画のうちか。
いったい彼女は、どこまでリディスについて把握しているのだろう。
「で? そのセレスティアに、何用でしょうか」
否定も肯定もせずに、問い返す。よもや、命を取ろうと考えてはいまい。暗殺目的であれば、幾らでも機会はあった。誘拐か、それとも人質とする気か。現時点で、サンドリアに人質として取られている状態であるので、これ以上ややこしい展開は御免だ。
「皇女殿下は、王太子殿下のご寵愛を受けていらっしゃると聞き及んでおります」
「まあ……」
嘘ではない。
「ですが、先ごろ、殿下は正式に婚約を発表されました」
「ああ」
三公爵家のひとつ、バシュレ家の令嬢・ジュリアスタが未来の王太子妃となった。婚約に当たり、王太子はジュリアスタに、リディスの存在を告白したというから。それをネタに彼を恐喝しようとしても、不可能である。
流石に二十四歳の王子に、十歳しか歳の違わない娘がいると言われたときは、ジュリアスタも驚いたようであるが。
(養母上、って呼んだら、怒るだろうなあ)
ジュリアスタは、今年十七歳。リディスとは三歳しか違わない。十中八九、『お姉さまとお呼びなさい』と言われるだろう。
「邪魔なのでしょう、かのご令嬢が」
「……?」
「かのご令嬢がいらしたら、あなた様は王太子妃となることができませんものね。わかりますわ。ですから、我々が微力ながらお力にならせていただこうかと思いますの」
これは、あれだ。
バシュレ家に因果を持つものが、協力者を探しているのだろう。
リズナは、『王太子の寵愛』の部分を誤って認識している。確かに溺愛はされている模様だが、それは男女間の色恋沙汰ではない。王太子にあるのは、あくまでも庇護欲だ。リディスにしても、彼を異性とは見ていない。
よって、リズナの計画は、最初から破綻している。
「わたくしは、何をすればよろしいのでしょうか」
ならば、話に乗ってみるか。養父にも、軽く恩返しができるかもしれない。
「そうですわね」
リズナは、釣れたとばかりに笑みを濃くする。
「わたくしが、かのご令嬢のお名前で、葡萄酒を献上させていただきますわ。それとともに、お薬を二種類」
毒薬と、解毒剤。
あまりにも古典的な方法に、リディスは吹き出しそうになる。リディス毒殺未遂事件を起こさせ、ジュリアスタを失脚させようというのだ。
「それで。間違えて、わたくしが死ぬようなことはありませんよね」
少しは愚かな姫君を装えるだろうか。リディスは真摯な眼差しをリズナに向ける。彼女は「ご心配には及びません」と大仰に両手を振った。
「あとは、我らにおまかせくださいませ。バシュレ様を追い込む証拠は、いくつも所持しておりますゆえ」
捏造か。彼女は今まで、同様のことを何度も行ってきたのだろう。これだけ杜撰な計画なのに、成功率は高かったに違いない。
これは、逆に釣り上げてみるのも面白いか。
「面白そうですが、一介の商人に王族を失脚させられるような証拠など、集めることができるのでしょうか。他に協力者がいらっしゃるのでは?」
「それは、追々。いずれ、ご紹介させていただきますわ。今はまだ、伏せさせていただきます」
かまをかければ答えるかと思ったが。相手もそれほど愚かではないらしい。
リディスは用心深く、目の前の婦人を観察した。
あえて訊くことはしなかった。
リズナは、ただ、其処にいて。ただ、微笑んでいるだけである。
そして、ただ、とある皇女の名を告げただけだ。
リディスが取るべき行動は、三つ。
とぼけるか、認めて「それがなにか」と尋ねるか。あと一つは、腕に物を言わせて斬りかかるだけなのだが。
(挑発には乗らない)
リディスは彼女を真似て、微笑んでみる。
リズナは、柔らかな濡羽の髪と、榛の瞳を持つ、楚々とした美人である。見た目を信じれば、棘も毒もないように思う。しかし、あの毒が滲んだ笑みを見てしまっては。
(普通のご婦人ではありえない)
彼女は、はじめから知っていたのだ。リディスの素性を。知っていて、わざわざ声をかけられるように、不慣れを装って彼女の傍で道を尋ねたりしたのだ。
『もし、この街は初めてなのですが……』
いかにも良家のお内儀、といった風情の見目好い婦人が、市中で様々な露天商、花売りに声をかけていた。遠方から訪れた様子であるのに、なぜか供も連れず。婦人とその夫君だろうか、やや年齢の離れた男性が、途方に暮れた様子で道を尋ねては、相手に素気なく対応されている。
退屈しのぎに街に降りていたリディスは、昨夜頭に叩き込んだばかりのシュレンヌの地図を、実際に辿ってみたくて件の夫妻に声をかけたのだ。自分で良ければ、道案内をしよう、と。
だが。
目を輝かせた夫人とは反対に、商人はリディスの姿を一瞥すると、
『いや、結構』
間髪入れずに断ってきたのだ。
おそらく、簡素な服装のリディスを物乞いか詐欺のたぐいだと思ったのだろう。
『あなた、せっかくこの方がお声がけくださったのですから』
案内していただきましょう、そういってリディスに愛想笑いをする夫人を促し、さっさとその場を離れていったのだ。あのとき夫人が何度も此方を振り返っていたのは、リディスと接触する千載一遇の機会を逸してしまうことを危惧したからだろう。
で、あれば。
商人夫妻を襲った暴漢も、初めから計画のうちか。
いったい彼女は、どこまでリディスについて把握しているのだろう。
「で? そのセレスティアに、何用でしょうか」
否定も肯定もせずに、問い返す。よもや、命を取ろうと考えてはいまい。暗殺目的であれば、幾らでも機会はあった。誘拐か、それとも人質とする気か。現時点で、サンドリアに人質として取られている状態であるので、これ以上ややこしい展開は御免だ。
「皇女殿下は、王太子殿下のご寵愛を受けていらっしゃると聞き及んでおります」
「まあ……」
嘘ではない。
「ですが、先ごろ、殿下は正式に婚約を発表されました」
「ああ」
三公爵家のひとつ、バシュレ家の令嬢・ジュリアスタが未来の王太子妃となった。婚約に当たり、王太子はジュリアスタに、リディスの存在を告白したというから。それをネタに彼を恐喝しようとしても、不可能である。
流石に二十四歳の王子に、十歳しか歳の違わない娘がいると言われたときは、ジュリアスタも驚いたようであるが。
(養母上、って呼んだら、怒るだろうなあ)
ジュリアスタは、今年十七歳。リディスとは三歳しか違わない。十中八九、『お姉さまとお呼びなさい』と言われるだろう。
「邪魔なのでしょう、かのご令嬢が」
「……?」
「かのご令嬢がいらしたら、あなた様は王太子妃となることができませんものね。わかりますわ。ですから、我々が微力ながらお力にならせていただこうかと思いますの」
これは、あれだ。
バシュレ家に因果を持つものが、協力者を探しているのだろう。
リズナは、『王太子の寵愛』の部分を誤って認識している。確かに溺愛はされている模様だが、それは男女間の色恋沙汰ではない。王太子にあるのは、あくまでも庇護欲だ。リディスにしても、彼を異性とは見ていない。
よって、リズナの計画は、最初から破綻している。
「わたくしは、何をすればよろしいのでしょうか」
ならば、話に乗ってみるか。養父にも、軽く恩返しができるかもしれない。
「そうですわね」
リズナは、釣れたとばかりに笑みを濃くする。
「わたくしが、かのご令嬢のお名前で、葡萄酒を献上させていただきますわ。それとともに、お薬を二種類」
毒薬と、解毒剤。
あまりにも古典的な方法に、リディスは吹き出しそうになる。リディス毒殺未遂事件を起こさせ、ジュリアスタを失脚させようというのだ。
「それで。間違えて、わたくしが死ぬようなことはありませんよね」
少しは愚かな姫君を装えるだろうか。リディスは真摯な眼差しをリズナに向ける。彼女は「ご心配には及びません」と大仰に両手を振った。
「あとは、我らにおまかせくださいませ。バシュレ様を追い込む証拠は、いくつも所持しておりますゆえ」
捏造か。彼女は今まで、同様のことを何度も行ってきたのだろう。これだけ杜撰な計画なのに、成功率は高かったに違いない。
これは、逆に釣り上げてみるのも面白いか。
「面白そうですが、一介の商人に王族を失脚させられるような証拠など、集めることができるのでしょうか。他に協力者がいらっしゃるのでは?」
「それは、追々。いずれ、ご紹介させていただきますわ。今はまだ、伏せさせていただきます」
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リディスは用心深く、目の前の婦人を観察した。
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