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5 末路
しおりを挟む「なにを……やめろ!」
わたくしはゆっくりと満足そうに貴族としての気位を失わない姿で、戸惑いなく両手を放すと後ろに倒れていった。
三階の高さから投げ出されたわたくしの体は軽やかに宙に浮く。ふわりと花の様なドレスのレースが舞って、わたくしの体にまとわりついた。
窓から勢いよく身を乗り出したあなたがよく見える。
オセローがこちらに手を差し伸ばしていた。
わたくしはもうあなたの手に届かない位置に落ちているというのに。
「モアーナッ!」
彼の驚愕の瞳に映るのは、ゆっくりと地面に落ちていくわたくしの姿だけ。
「きゃああああ!!!」
メイドのマリーの悲鳴が聞こえる。
つんざくような彼女の悲痛な悲鳴が、オセロー……あなたにも届いているのかしら?
ぐじゃり。
強い衝撃と同時に体が地面に投げ出され、関節が変な方向に折れ曲がった。
脊髄に響いた強い痛みは肺にまで一気に駆け上る。
近くにいたのだろう。マリーの悲鳴を聞いて駆けつけたメイド長のエリーゼがわたくしの側によるのがわかった。
「いやぁ! 奥さま! どうして……どうしてこんなことに!」
けれど、わたくしにはエリーゼの心配は届かなかった。ただわたくしの中にあるのはオセローのことだけ。
これでオセローがマリーを、他の女性を抱く時に思い出すのは、わたくしのこと。
これであなたの心に永遠に残ることができる。
憎らしいほどに愛しいあなたへ。
あなたにはわたくしの死を与えましょう。
これでわたくしは、あなたへの愛憎の呪縛から永遠に解き放たれる。
あなたの方は、永遠にわたくしに囚われて、わたくしを忘れることはできないでしょう。
これがあなたへの復讐。
わたくしを愛してくれないことへの、復讐。
これからあなたが他の女を抱こうとする時、思い出すのはわたくしと体を合わせた時のこと。
そしてわたくしの最後の瞬間。
窓から地面に落ち、ぐしゃりと体がマリオネットのように折れ曲がった姿。
そしたらきっと、勃つものも勃たなくなるかもしれませんわね。
あなたが不能になればさらに万々歳。
わたくしがあなたの最後の子種とともに永遠にこの世から消えてしまうから、もう跡継ぎなど望めない。
まあ、そんなに上手くはいかないかもしれないけど、この事件は彼の心に深い傷として残るでしょうね。
わたくしが飛び降りた真下に植えられていたのは淡いピンクの薔薇。
蔦の棘によってドレスにはたくさんの切れ目が入り、わたくしの体も切り傷だらけになってしまった。
わたくしが落ちた衝撃で潰されて、むせかえるような薔薇のきつい芳香な香りがあたりに充満する。
わたくしの顔の前にある蕾が、どろりとした黒に近い赤を吸い上げて染まっていた。
わたくしの血だ。
もう決してその色は落ちることはないほどに染まっている。
薄らと笑いながら、ごぷっ、と口からも血を吐き出す。
その血はどろどろとしていて血生臭い。
醜いわたくしにぴったりだ。
時折びくびくと折れ曲がった関節あたりが痙攣するのがわかった。
じくじくと痛みが全身に回る。
自分のわずかに残った命がだんだんと散っていくのを感じた。
もう瞼を開けていられなくなった。
視界も霞んで、黒く塗りつぶされていく。
オセロー、もしも生まれ変わることがあるならば、もうあなたとは会いたくない。
だって姿形が変わったとしても、きっとまた愛さずにはいられないから。
わたくしの旦那様、永遠にさようなら。
そうしてわたくしは、黒い闇に呑まれて散った。
◇
大学のキャンパス内。
うっすらと淡いピンク色に染まった桜が満開で、正門の広場には多くの人だかりがある。
私の名前は十条萌香。
長い黒髪を腰あたりまで伸ばし、化粧映えがしそうな薄めの顔つきで、体つきは少し肉付きがいい方かもしれない。
ここの大学二年のサークルの新入生歓迎の文字が書いてある看板を持って、同じサークルの麻里子とその人だかりの一部となっていた。
「今年の一年生で、ものっすごいイケメンが入学したらしいよぉ」
私とは違って、細身の麻里子が向こう側の一部、特に人が集まっている桜の木の下に目を向けてわくわくした様子で私に言った。
「イケメンねぇ……興味ない」
「もぉ、萌香ちゃんったらB専なんだからぁ」
語尾を伸ばして甘えるような可愛らしい声で、麻里子は私にしなだれかかってくる。
明るく染めて巻いた長い髪が私の肌に触れる。そうするとふわりとフローラルな香りがした。髪に香水でもつけてるのかな。いい匂い。彼女にぴったりの香りだ。
「別にブサイクが好きなわけじゃないし。フツメンが好きなの。塩顔の」
「塩顔の男の方がろくなのいないのに」
「うっ……」
痛いところをつかれた。
大学に入って今まで付き合ってきた塩顔の男たちは、顔に似合わず遊び人で、浮気をされては別れるの繰り返しだったから。
でもダメなのだ。
美形だと、どうしても前世の夫を思い出す。
そう、私には前世の記憶がある。
大学に入学した際、映画鑑賞サークルで麻里子と出会った瞬間に全てが思い出された。
貴族令嬢モアーナとしての記憶だ。
そして、それは麻里子も同じだった。麻里子はメイドのマリーだったのだ。
お互いの状況を確認し合い、なぜか打ち解けた。一触即発と思いきや、新入生のサークル勧誘の飲み会だったのに、サークルの先輩とは一度も話さずに麻里子と二人で趣味の映画の話で盛り上がった。
そしてその映画サークルに二人でそのまま入会して、いま一年が経った。今日は二年生となった私たちが新入生を勧誘しなければならない立場にある。
「なんかただのイケメンじゃなくってぇ、ハーフらしいよ?」
「ハーフ?」
「うん。お母さんが日本人で、お父さんがどこだったかなー、イギリス? うーん、違うなぁ……あ、そうそう! イタリア人とのハーフ!」
イタリア人、ハーフ男子。
なんだか軽そうな響きだ。
私の興味はますます削がれていった。
私と麻里子の目線の先の人だかりには、色素が薄めの髪色をした長身の男の子が後ろ姿で真ん中に立っている。
周りは女の子たちばかりで囲まれていた。
あれがイケメンのイタリア人ハーフか。
男の子、という表現は正確にいうと正しくなかった。
もう体つきがしっかりとした男性だ。
背が高いため、周りよりも頭二つ分ほど出ていて、少し遠目からの方がよく見えた。
彼がこちらをゆっくりと振り返る。
――見てはいけないわ!
その瞬間、頭の中で誰かの叫び声がした。
だが私はもう目を逸らすことはできない。
こちらを向いた顔は、今まで見たこともないほどに美しく、そして男らしかった。
その男の目がこちらを凝視する。
彫りの深い顔つきで、やはり外国人のような透明感のある肌と目だった。
ニタリ、と彼の口角が上がって恐ろしげに笑う。
それすらも美しすぎて鳥肌がたった。
耳鳴りがずっとしている。
他の音が何も入ってこない。
彼の目は色素が薄いはずなのに、真っ黒な闇のようで吸い込まれてしまいそうなほどだった。
どろっとした瞳の奥が怪しく光って私を見ている。
「やっと、見つけた……」
遠くにいる彼の口がそう動いた気がした。
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