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『奇跡』
しおりを挟む白銀の月光を浴びて、三日月形の刃が冷たい輝きを放っていた。
ひどく埃っぽい路地裏。冷え切った地面に、僕はぐったりと力なく横たわっていた。
夜の闇よりも、さらに深い漆黒の衣。それを纏った男が、僕をただ無表情に見下ろしている。
「……死にたくないか?」
黒衣の男──死神が、僕に静かに問いかける。
「どうでもいいよ」
僕は即答した。
「生きたいとは思わないのか?」
「別に……」
僕は素っ気なく言った。
路地裏に一陣の風が吹き抜ける。
身を斬るような、冷たく痛みを感じる風だった。
感情を宿さない死神の眼差しが……。少なくともそう映る双眸が、僕を真っすぐに射抜く。
それは、きっと、大多数の人間にとっては恐怖を誘うものなのだろう。
人を「死にたくない!」と脅えさせ、必死に命乞いをさせる、黒衣の狩人の瞳。
けれど。僕にとっては、それは恐怖を感じるものじゃなかった。
生憎、恐怖を感じたり命乞いをしたりするほど、僕は立派な心を持ち合わせてはいなかった。立派に生きてもいなかった……。
死神を目の前にしても、僕の色彩のない心は静かなままだった。
……いつもと何も変わらない。
死神の顔が蒼い瞳の美男子だったのは、少し意外だったけれど……。
「……死にたいのか?」
初めとは逆のことを、死神が訊く。
けれど。質問が逆であっても、僕の答えは同じだった。
「……どうでもいいよ」
……その言葉に偽りはなかった。
命を奪いたいのなら、奪えばいい……。
でも、だからといって、僕は死にたいわけじゃない。
……逆に生きたいわけでもない。
本当に、どうでもよかった。
「おまえは生きたいのか、それとも死にたいのか? どちらなのだ?」
抑揚のない響き。変わらず感情を映さない瞳が、僕を見下ろしている。
どうでもいい、って言ってるのに……。
……面倒くさい死神だな。
「どっちでもいいよ」
僕は、思いっきり邪魔臭そうに答えてやった。
「あんたの好きにしてよ。それに、ここで命乞いをしたって、僕の運命は変わらないんでしょう?」
「…………」
「第一、そんなことを訊かなくても、あんたたちの仕事は人の魂を狩ることでしょう」
「……もう諦めた、ということか」
死神は呟くように言った。
でも、それは違った。
だから。
「違う」
僕は否定した。
「そんなんじゃないよ。さっきから言ってるじゃないか。本当にどうでもいいんだよ」
──生き死になんて、どっちでもいいんだよ。
言い終えた瞬間。
……感情の発露。初めて、死神の顔に感情があらわれた。
すうっと目が細まる。
黒衣の狩人が纏う雰囲気が変化した。
……憤り。
怒りの感情が、しっかりと伝わってきた。
けれど、それはすぐに消えた。
「……わかった」
死神は冷淡に言葉を紡いだ。
「ならば、私の好きなようにさせてもらおう」
憐れむような眼差しで僕を見つめ、死神は大鎌の刃を僕に突きつけた……。
そして……。
僕は、死神に見放され……不老不死を手に入れた。
……あれから、二千年。
僕は、まだ生き続けている。
何の目標も、何の意義も見出せず……。
この詰まらない世界で、相変わらず色彩のない心を抱えたまま……。
ただ独り……彷徨い続けている。
そして、これからも……。
僕は……生き続けていくことだろう。
時の流れに身を任せ……ただ流れゆくままに。
彷徨い……冒涜者、あるいは奇跡の人と呼ばれながら。
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