『奇跡』

水由岐水礼

文字の大きさ
1 / 1

『奇跡』

しおりを挟む

 白銀の月光を浴びて、三日月形の刃が冷たい輝きを放っていた。
 ひどく埃っぽい路地裏。冷え切った地面に、僕はぐったりと力なく横たわっていた。
 夜の闇よりも、さらに深い漆黒の衣。それを纏った男が、僕をただ無表情に見下ろしている。
「……死にたくないか?」
 黒衣の男──死神が、僕に静かに問いかける。
「どうでもいいよ」
 僕は即答した。
「生きたいとは思わないのか?」
「別に……」
 僕は素っ気なく言った。
 路地裏に一陣の風が吹き抜ける。
 身を斬るような、冷たく痛みを感じる風だった。
 感情を宿さない死神の眼差しが……。少なくともそう映る双眸が、僕を真っすぐに射抜く。
 それは、きっと、大多数の人間にとっては恐怖を誘うものなのだろう。
 人を「死にたくない!」と脅えさせ、必死に命乞いをさせる、黒衣の狩人の瞳。
 けれど。僕にとっては、それは恐怖を感じるものじゃなかった。
 生憎、恐怖を感じたり命乞いをしたりするほど、僕は立派な心を持ち合わせてはいなかった。立派に生きてもいなかった……。
 死神を目の前にしても、僕の色彩のない心は静かなままだった。
 ……いつもと何も変わらない。
 死神の顔が蒼い瞳の美男子だったのは、少し意外だったけれど……。

「……死にたいのか?」
 初めとは逆のことを、死神が訊く。
 けれど。質問が逆であっても、僕の答えは同じだった。
「……どうでもいいよ」
 ……その言葉に偽りはなかった。
 命を奪いたいのなら、奪えばいい……。
 でも、だからといって、僕は死にたいわけじゃない。
 ……逆に生きたいわけでもない。
 本当に、どうでもよかった。
「おまえは生きたいのか、それとも死にたいのか? どちらなのだ?」
 抑揚のない響き。変わらず感情を映さない瞳が、僕を見下ろしている。
 どうでもいい、って言ってるのに……。
 ……面倒くさい死神だな。
「どっちでもいいよ」
 僕は、思いっきり邪魔臭そうに答えてやった。
「あんたの好きにしてよ。それに、ここで命乞いをしたって、僕の運命は変わらないんでしょう?」
「…………」
「第一、そんなことを訊かなくても、あんたたちの仕事は人の魂を狩ることでしょう」
「……もう諦めた、ということか」
 死神は呟くように言った。
 でも、それは違った。
 だから。
「違う」
 僕は否定した。
「そんなんじゃないよ。さっきから言ってるじゃないか。本当にどうでもいいんだよ」
 ──生き死になんて、どっちでもいいんだよ。
 言い終えた瞬間。
 ……感情の発露。初めて、死神の顔に感情があらわれた。
 すうっと目が細まる。
 黒衣の狩人が纏う雰囲気が変化した。
 ……憤り。
 怒りの感情が、しっかりと伝わってきた。
 けれど、それはすぐに消えた。
「……わかった」
 死神は冷淡に言葉を紡いだ。
「ならば、私の好きなようにさせてもらおう」
 憐れむような眼差しで僕を見つめ、死神は大鎌の刃を僕に突きつけた……。
 そして……。

 僕は、死神に見放され……不老不死を手に入れた。


 ……あれから、二千年。
 僕は、まだ生き続けている。
 何の目標も、何の意義も見出せず……。
 この詰まらない世界で、相変わらず色彩のない心を抱えたまま……。

 ただ独り……彷徨い続けている。

 そして、これからも……。
 僕は……生き続けていくことだろう。
 時の流れに身を任せ……ただ流れゆくままに。
 彷徨い……冒涜者、あるいは奇跡の人と呼ばれながら。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

みんながまるくおさまった

しゃーりん
恋愛
カレンは侯爵家の次女でもうすぐ婚約が結ばれるはずだった。 婚約者となるネイドを姉ナタリーに会わせなければ。 姉は侯爵家の跡継ぎで婚約者のアーサーもいる。 それなのに、姉はネイドに一目惚れをしてしまった。そしてネイドも。 もう好きにして。投げやりな気持ちで父が正しい判断をしてくれるのを期待した。 カレン、ナタリー、アーサー、ネイドがみんな満足する結果となったお話です。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

もう終わってますわ

こもろう
恋愛
聖女ローラとばかり親しく付き合うの婚約者メルヴィン王子。 爪弾きにされた令嬢エメラインは覚悟を決めて立ち上がる。

【完結】「別れようって言っただけなのに。」そう言われましてももう遅いですよ。

まりぃべる
恋愛
「俺たちもう終わりだ。別れよう。」 そう言われたので、その通りにしたまでですが何か? 自分の言葉には、責任を持たなければいけませんわよ。 ☆★ 感想を下さった方ありがとうございますm(__)m とても、嬉しいです。

優しく微笑んでくれる婚約者を手放した後悔

しゃーりん
恋愛
エルネストは12歳の時、2歳年下のオリビアと婚約した。 彼女は大人しく、エルネストの話をニコニコと聞いて相槌をうってくれる優しい子だった。 そんな彼女との穏やかな時間が好きだった。 なのに、学園に入ってからの俺は周りに影響されてしまったり、令嬢と親しくなってしまった。 その令嬢と結婚するためにオリビアとの婚約を解消してしまったことを後悔する男のお話です。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

処理中です...