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プロローグ
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「ふわふわの最期と、ふわふわの始まり」
その日、俺は会社の倉庫で、在庫処理という名の地獄にいた。
朝からずっと、やたらデカい段ボールを積んでは降ろし、降ろしては積む。
人手不足と猛暑のコンボで、すでに体力はゼロだ。
「あと二列、積み終わったら昼飯だ!」
そう叫んだ瞬間、天井まで積み上げたクッション材の山が、ぐらりと揺れた。
あれ、ヤバくね? と思う間もなく――
ドサァァァァッ!
白とピンクのクッションが、雪崩のように降ってきた。
柔らかくて、あったかくて、洗い立ての甘い布の匂い。
――視界が、ふわふわの白で埋まり、音が遠のく。
……次に目を開けたとき。
「……ん?」
俺は、地面にぺたりと張り付いていた。いや、正確には吸い付いていた。
砂の匂い、草の青さ、木漏れ日。夏の森の気配が、肌……いや、毛を撫でる。
「え、なにこれ。手も足もないんだけど」
視界の端で、半透明の自分がぷるん、と揺れた。
ゼリーみたいな体の外周に、真っ白な毛がふわっと生えている。
《起動確認……ユニーク魔物『フワスライム』として再構築完了。補助ナビを起動します》
「……誰?」
《私は“もふナビ”。あなたの冒険をサポートするAI的存在です》
「AI? ここ、異世界だよな」
《はい。文明レベルは中世ファンタジー寄り。あなたにはユニークスキル【吸収】が付与されています》
「吸収って、なにを?」
《触れた対象の特性を、あなたの“毛質”として取り込み、能力として使用可能です》
「毛質。……俺、そんなにフサフサ?」
自分の毛をつまもうとしてつまめず、代わりに頬ずりしてみる。反則級に柔らかい。
《その毛は生命力と直結。ふわふわ度が下がると、体力と魔力も低下します。なお、撫でられると回復速度が上がります》
「回復方法が撫でられるって、仕様が斬新すぎる」
《注意:新規吸収は一日三枠までです。不要な特性は“毛玉コア”に圧縮保存できます》
「三枠制限ね。了解」
近くの小枝にそっと触れる。毛先がじゅわっと枝を包み、するりと吸い込んだ。
《新規特性獲得:【弾力毛】。衝撃軽減効果》
「おお……やっぱゲームっぽい」
そのとき、森の奥から悲鳴がした。
「きゃあああ!」
草むらの向こうで、小柄な獣耳の少女が、巨大なトカゲに追われている。
「助ける。もふもふは弱きを見捨てない」
《行動指針が急に高潔》
「うるさい、今は格好つけさせろ!」
俺は体をばねのように伸ばし、トカゲの顔面にべちゃっと張り付いた。
弾力毛のおかげで衝撃はない。
《対象の体表特性を吸収します》
ザラザラが毛先に移る。滑り止めが効き、俺は鼻先をぎゅうっと締め上げた。
「ぐるるっ!」
トカゲはのけぞり、少女は転がるように逃げる。俺は地面に着地し、睨む。
「俺の毛は、仲間を守るためにあるんだよ!」
数秒のにらみ合いの末、トカゲは怯えて森へ消えた。
「た、助けてくれて……ありがと」
振り向けば、茶髪の獣耳娘。大きな耳がぴくんと揺れる。
「……なにこのモフ……かわいい……」
彼女はそっと俺を抱き上げ、頬ずりしてきた。
《警告:急激な撫で上げにより“もふ度”が急上昇》
「ふぁ……あったか……眠く……」
意識がふにゃりと溶ける。撫で回されるたび、体の中心がふわっと明るくなる。
「ご、ごめん! つい……だってふわふわで……」
「いい、もっとやれ」
《自己管理》
「後でやる。今は非常事態の鎮静だ」
彼女は苦笑して、俺を胸に抱いたまま周囲を見回す。
「私はリナ。駆け出しの探索者。さっきのは、森の外れに出る外来種トカゲで……ほんとに助かったよ」
「俺は……名前、どうしよう。人間の頃の名前はあるけど、今は毛玉だしな」
《暫定名“モフ”を提案》
「安直!」
「でも似合ってるかも。モフ、よろしく」
よろしくされてしまった。悪くない響きだ。
とりあえず安全な場所へ移動し、木陰で一息つく。リナが水筒を差し出す。
「飲める?」
「試す」
俺は体表を薄く伸ばして水に触れ、少しだけ吸収。冷たさが体内に拡がり、毛がしゃらりと震えた。
《新規特性候補:なし。水分は一時的な快復のみ》
「うまい」
「喋れるの便利だね……あと、その毛、ほんとに気持ちいい」
「知ってる。自覚はある」
《自信だけは満々》
「ナビ、もう少し褒めて伸ばして」
《褒めるとすぐ調子に乗るタイプと分析》
「それはそう」
緊張がほどけたのか、リナの耳がふにゃっと寝た。彼女は荷物を整えながら言う。
「ギルドに行く予定だったんだけど、よかったら一緒に来ない? 救助のお礼もしたいし、君のこと、ちゃんと鑑定してもらえるかも」
「鑑定……俺の種族、ユニーク扱いらしいし、話は早いな」
《ギルド登録で社会的信用が得られます。衣食住と撫で機会の安定供給に寄与》
「最後の言い方やめろ」
森の小道を歩き出す。リナの歩幅にあわせて、俺はふよふよと浮き、時々肩に乗る。
「ところでモフ」
「なんだ」
「さっきの戦い、すごかった。あれ、どういう仕組み?」
「触れた相手の特性を、毛に宿す。今日は【弾力毛】と、トカゲの【滑り止めみたいなやつ】を拝借。新規は一日三枠までで、いらないやつは“毛玉コア”にしまう」
「毛玉コア?」
俺は胸元――正確には体の中心に、こつんと意識を向ける。ふわっと光る小さな珠が、毛の海に沈んでいるイメージ。
「特性の倉庫みたいなものだ。後で取り出せる」
《但し、出し入れには僅かな魔力コスト。乱用はもふ度低下を招きます》
「つまり撫でが必要」
「必要なの?」
「とても」
リナは笑って、指先でそっと俺を撫でる。柔らかな指の腹が毛を梳くたび、体内で灯がともる。
「うん、たぶん依存性がある」
「やめなさい」
《自己申告は健全》
しばらく歩くと、開けた場所に出た。倒木の上には、傷だらけの小さな仔狼がうずくまっている。
「クー!」
リナが駆け寄る。どうやら面識があったらしい。仔狼は弱々しく尻尾を振る。
「手当てする。モフ、手伝って」
「了解」
俺は傷口の周りに自分の毛をふわりと広げ、圧迫と保温を同時に行う。弾力毛が衝撃を逃がし、体温が落ち着く。
《新規特性候補:微弱な【保温毛】。取得しますか》
「する」
《新規特性獲得:【保温毛】》
毛にじんわり熱が宿る。仔狼が小さく鳴いて、俺の毛に顔を埋めた。
「いい子だ。撫でてもいい」
「それ、自分が言う?」
《自己PRの達人》
応急処置のあと、俺たちは小さな焚き火を起こした。リナは携帯鍋を取り出し、スープを作り始める。
「モフ、鍋安定させて」
「得意分野だ」
俺は体を平たくして鍋敷きになり、縁に“滑り止め毛”を展開。鍋はびくともしない。
「便利……!」
「なお、使用後は撫で賃が発生します」
「世知辛い」
スープの湯気が立ち、ハーブの香りが森に溶ける。仔狼が鼻をひくひくさせる。
「名前、つけた?」
「この子はクー。たぶん君にもすぐ懐くよ」
「すでに懐いてる」
クーは俺に頬をすりつけ、体温を分け合うように丸くなった。
日が傾き、木漏れ日が琥珀色になる。焚き火がぱち、と弾ける。
「モフ」
「うん」
「私、いつか一流の探索者になって、遠い街や空の浮島や、海の底にも行ってみたい」
「いいな。俺は最高のもふ生活を確立したい。昼寝に最適な毛並み、抱き枕としての最適形状、撫でられ方の研究」
「方向性が自由」
《目標が明確なのは良いこと》
「でも、旅をするのは俺も賛成だ。見たことのない毛、いや、素材と出会える」
「毛を言い直さなくていいから」
笑い合う。焚き火が小さくなるころ、遠くでフクロウが鳴いた。
「ギルド、明日行こう。今日は森の外れのキャンプ地まで移動して、見張りは交代で」
「じゃあ俺は毛見張りを担当」
「それ夜通し撫でられるだけでは」
「バレたか」
《作戦は堂々と言うタイプ》
歩き出す前に、俺は空を見上げた。紫から藍へ変わる空。最初の星が、ちいさく瞬く。毛が風を拾い、揺れた。
「なあ、もふナビ」
《はい》
「俺がここに来た理由、わかる?」
《現時点では不明。ですが“縫い目”のような魔力の乱流が各地で観測されています。あなたの吸収は、失われた性質を仮補填する適性が高い》
「難しいことはわからんが、つまり――俺の毛で世界をちょっとだけ縫える、と」
《比喩としては適切》
「なら、やるか。撫でられながら」
「最後のは要る?」
「すごく要る」
リナが笑って、俺を両手で包む。掌の温度が、今日の締めくくりの合図みたいに心地よい。
「明日、街で登録したら、正式にパーティ組もうよ。君の種族枠、ギルドがどう言うかわからないけど、私、君と旅したい」
「じゃあ約束だ。俺は撫で担当兼、鍋敷き兼、盾兼、抱き枕」
「役割多い」
《多能毛》
森の外れ、月明かりの下で、俺たちは小さなキャンプ地に辿り着いた。粗末な屋根と石積みの竈、旅人の落書き。
「ここ、よく使われてる。安全だよ」
「なら、少しだけ――」
俺は体を広げ、リナとクーの背にふわりと掛け毛のように覆いかぶさる。保温毛が静かに熱を回し、呼吸が揃ってゆく。
「おやすみ、モフ」
「おやすみ。明日は俺の冒険初日だ」
《ログ:初日。撫で回数:十二。満足度:高》
「勝手にログ取るな」
《業務です》
夜風が駆け抜け、枝がこすれ合う音がした。俺は目を閉じる。毛一本一本の先端まで、今日という日の余韻が沁みていく。
そして、ふと思う。
――俺は、もう一度、最初からやり直せる。
人の形は失ったけれど、代わりに手に入れたものがある。柔らかさ。温度。撫でられたときの、世界が丸くなる感じ。
その全部で、誰かを守れるなら。
もふもふの俺は、それでいい。
明日、ギルドで騒動が起きる気しかしないけど――まあ、なんとかなる。
だって俺には、撫でと、仲間がいるから。
夜の半ば、ふと目が覚める。もふナビが小声で囁く。
《微弱な魔力痕を検知。南西に五百歩》
「敵?」
《不明。動きは遅い。巡回獣か、迷い人》
「リナを起こすほどじゃないな。クー、任せた」
仔狼が耳をぴんと立て、喉奥で低く鳴く。影はキャンプを避け、森の奥へ逸れていった。
《危険度、低。記録のみ》
「了解。……なあナビ」
《はい》
「俺、ほんとに強くなれるのか?」
《撫でられるほど》
「そこ強調する?」
《統計上、撫でられ回数と戦闘成績に正の相関》
「信じるぞ」
夜明け前。空が群青から薄桃色に染まる。鳥が鳴き、露が光る。
俺は毛をふくらませ、リナとクーに小さなぬくもりを配る。
「おはよう、モフ」
「おはよう。今日はギルド?」
「うん。受付の人、ちょっと怖いけど優しいよ。あと、鑑定屋の親方が面白い」
「面白い親方、だいたいろくでもない法則」
《偏見》
「統計だ」
簡単な朝食を済ませ、道具を片づける。俺は“滑り止め毛”を荷造り紐に移して、荷の固定を手伝った。
「助かる。こういう小技、旅で一番ありがたい」
「評価項目:もふ実務」
《Aランク》
森を抜けると、遠くに街の石壁が見えた。尖塔の上で風見鶏が回り、門前には露店が並ぶ。香辛料、焼きパン、油の匂い。
「着いた。ようこそ、ミドルフォーク!」
「名前に中途半端感がすごい」
《中規模交易都市です》
「だろうな」
門兵がこちらを見る。リナが事情を説明し、俺は手のひらサイズに縮んで帽子の中へ。
「帽子の中、落ち着く」
「さっきまで鍋敷きだったのに」
「用途は広い」
検問を抜け、石畳に入る。人の声、車輪の軋み、鐘の音。世界が動いている。俺は毛をふるふるさせた。
「さて、ギルドへ――」
ここで一旦、立ち止まる。
胸のどこかが、ほんの少し、きゅっと鳴った。
新しい生活の匂いが、毛の根元まで届く。撫でと、仕事と、騒動と、笑い声。
「行こう、モフ」
「おう」
その日、俺は会社の倉庫で、在庫処理という名の地獄にいた。
朝からずっと、やたらデカい段ボールを積んでは降ろし、降ろしては積む。
人手不足と猛暑のコンボで、すでに体力はゼロだ。
「あと二列、積み終わったら昼飯だ!」
そう叫んだ瞬間、天井まで積み上げたクッション材の山が、ぐらりと揺れた。
あれ、ヤバくね? と思う間もなく――
ドサァァァァッ!
白とピンクのクッションが、雪崩のように降ってきた。
柔らかくて、あったかくて、洗い立ての甘い布の匂い。
――視界が、ふわふわの白で埋まり、音が遠のく。
……次に目を開けたとき。
「……ん?」
俺は、地面にぺたりと張り付いていた。いや、正確には吸い付いていた。
砂の匂い、草の青さ、木漏れ日。夏の森の気配が、肌……いや、毛を撫でる。
「え、なにこれ。手も足もないんだけど」
視界の端で、半透明の自分がぷるん、と揺れた。
ゼリーみたいな体の外周に、真っ白な毛がふわっと生えている。
《起動確認……ユニーク魔物『フワスライム』として再構築完了。補助ナビを起動します》
「……誰?」
《私は“もふナビ”。あなたの冒険をサポートするAI的存在です》
「AI? ここ、異世界だよな」
《はい。文明レベルは中世ファンタジー寄り。あなたにはユニークスキル【吸収】が付与されています》
「吸収って、なにを?」
《触れた対象の特性を、あなたの“毛質”として取り込み、能力として使用可能です》
「毛質。……俺、そんなにフサフサ?」
自分の毛をつまもうとしてつまめず、代わりに頬ずりしてみる。反則級に柔らかい。
《その毛は生命力と直結。ふわふわ度が下がると、体力と魔力も低下します。なお、撫でられると回復速度が上がります》
「回復方法が撫でられるって、仕様が斬新すぎる」
《注意:新規吸収は一日三枠までです。不要な特性は“毛玉コア”に圧縮保存できます》
「三枠制限ね。了解」
近くの小枝にそっと触れる。毛先がじゅわっと枝を包み、するりと吸い込んだ。
《新規特性獲得:【弾力毛】。衝撃軽減効果》
「おお……やっぱゲームっぽい」
そのとき、森の奥から悲鳴がした。
「きゃあああ!」
草むらの向こうで、小柄な獣耳の少女が、巨大なトカゲに追われている。
「助ける。もふもふは弱きを見捨てない」
《行動指針が急に高潔》
「うるさい、今は格好つけさせろ!」
俺は体をばねのように伸ばし、トカゲの顔面にべちゃっと張り付いた。
弾力毛のおかげで衝撃はない。
《対象の体表特性を吸収します》
ザラザラが毛先に移る。滑り止めが効き、俺は鼻先をぎゅうっと締め上げた。
「ぐるるっ!」
トカゲはのけぞり、少女は転がるように逃げる。俺は地面に着地し、睨む。
「俺の毛は、仲間を守るためにあるんだよ!」
数秒のにらみ合いの末、トカゲは怯えて森へ消えた。
「た、助けてくれて……ありがと」
振り向けば、茶髪の獣耳娘。大きな耳がぴくんと揺れる。
「……なにこのモフ……かわいい……」
彼女はそっと俺を抱き上げ、頬ずりしてきた。
《警告:急激な撫で上げにより“もふ度”が急上昇》
「ふぁ……あったか……眠く……」
意識がふにゃりと溶ける。撫で回されるたび、体の中心がふわっと明るくなる。
「ご、ごめん! つい……だってふわふわで……」
「いい、もっとやれ」
《自己管理》
「後でやる。今は非常事態の鎮静だ」
彼女は苦笑して、俺を胸に抱いたまま周囲を見回す。
「私はリナ。駆け出しの探索者。さっきのは、森の外れに出る外来種トカゲで……ほんとに助かったよ」
「俺は……名前、どうしよう。人間の頃の名前はあるけど、今は毛玉だしな」
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「安直!」
「でも似合ってるかも。モフ、よろしく」
よろしくされてしまった。悪くない響きだ。
とりあえず安全な場所へ移動し、木陰で一息つく。リナが水筒を差し出す。
「飲める?」
「試す」
俺は体表を薄く伸ばして水に触れ、少しだけ吸収。冷たさが体内に拡がり、毛がしゃらりと震えた。
《新規特性候補:なし。水分は一時的な快復のみ》
「うまい」
「喋れるの便利だね……あと、その毛、ほんとに気持ちいい」
「知ってる。自覚はある」
《自信だけは満々》
「ナビ、もう少し褒めて伸ばして」
《褒めるとすぐ調子に乗るタイプと分析》
「それはそう」
緊張がほどけたのか、リナの耳がふにゃっと寝た。彼女は荷物を整えながら言う。
「ギルドに行く予定だったんだけど、よかったら一緒に来ない? 救助のお礼もしたいし、君のこと、ちゃんと鑑定してもらえるかも」
「鑑定……俺の種族、ユニーク扱いらしいし、話は早いな」
《ギルド登録で社会的信用が得られます。衣食住と撫で機会の安定供給に寄与》
「最後の言い方やめろ」
森の小道を歩き出す。リナの歩幅にあわせて、俺はふよふよと浮き、時々肩に乗る。
「ところでモフ」
「なんだ」
「さっきの戦い、すごかった。あれ、どういう仕組み?」
「触れた相手の特性を、毛に宿す。今日は【弾力毛】と、トカゲの【滑り止めみたいなやつ】を拝借。新規は一日三枠までで、いらないやつは“毛玉コア”にしまう」
「毛玉コア?」
俺は胸元――正確には体の中心に、こつんと意識を向ける。ふわっと光る小さな珠が、毛の海に沈んでいるイメージ。
「特性の倉庫みたいなものだ。後で取り出せる」
《但し、出し入れには僅かな魔力コスト。乱用はもふ度低下を招きます》
「つまり撫でが必要」
「必要なの?」
「とても」
リナは笑って、指先でそっと俺を撫でる。柔らかな指の腹が毛を梳くたび、体内で灯がともる。
「うん、たぶん依存性がある」
「やめなさい」
《自己申告は健全》
しばらく歩くと、開けた場所に出た。倒木の上には、傷だらけの小さな仔狼がうずくまっている。
「クー!」
リナが駆け寄る。どうやら面識があったらしい。仔狼は弱々しく尻尾を振る。
「手当てする。モフ、手伝って」
「了解」
俺は傷口の周りに自分の毛をふわりと広げ、圧迫と保温を同時に行う。弾力毛が衝撃を逃がし、体温が落ち着く。
《新規特性候補:微弱な【保温毛】。取得しますか》
「する」
《新規特性獲得:【保温毛】》
毛にじんわり熱が宿る。仔狼が小さく鳴いて、俺の毛に顔を埋めた。
「いい子だ。撫でてもいい」
「それ、自分が言う?」
《自己PRの達人》
応急処置のあと、俺たちは小さな焚き火を起こした。リナは携帯鍋を取り出し、スープを作り始める。
「モフ、鍋安定させて」
「得意分野だ」
俺は体を平たくして鍋敷きになり、縁に“滑り止め毛”を展開。鍋はびくともしない。
「便利……!」
「なお、使用後は撫で賃が発生します」
「世知辛い」
スープの湯気が立ち、ハーブの香りが森に溶ける。仔狼が鼻をひくひくさせる。
「名前、つけた?」
「この子はクー。たぶん君にもすぐ懐くよ」
「すでに懐いてる」
クーは俺に頬をすりつけ、体温を分け合うように丸くなった。
日が傾き、木漏れ日が琥珀色になる。焚き火がぱち、と弾ける。
「モフ」
「うん」
「私、いつか一流の探索者になって、遠い街や空の浮島や、海の底にも行ってみたい」
「いいな。俺は最高のもふ生活を確立したい。昼寝に最適な毛並み、抱き枕としての最適形状、撫でられ方の研究」
「方向性が自由」
《目標が明確なのは良いこと》
「でも、旅をするのは俺も賛成だ。見たことのない毛、いや、素材と出会える」
「毛を言い直さなくていいから」
笑い合う。焚き火が小さくなるころ、遠くでフクロウが鳴いた。
「ギルド、明日行こう。今日は森の外れのキャンプ地まで移動して、見張りは交代で」
「じゃあ俺は毛見張りを担当」
「それ夜通し撫でられるだけでは」
「バレたか」
《作戦は堂々と言うタイプ》
歩き出す前に、俺は空を見上げた。紫から藍へ変わる空。最初の星が、ちいさく瞬く。毛が風を拾い、揺れた。
「なあ、もふナビ」
《はい》
「俺がここに来た理由、わかる?」
《現時点では不明。ですが“縫い目”のような魔力の乱流が各地で観測されています。あなたの吸収は、失われた性質を仮補填する適性が高い》
「難しいことはわからんが、つまり――俺の毛で世界をちょっとだけ縫える、と」
《比喩としては適切》
「なら、やるか。撫でられながら」
「最後のは要る?」
「すごく要る」
リナが笑って、俺を両手で包む。掌の温度が、今日の締めくくりの合図みたいに心地よい。
「明日、街で登録したら、正式にパーティ組もうよ。君の種族枠、ギルドがどう言うかわからないけど、私、君と旅したい」
「じゃあ約束だ。俺は撫で担当兼、鍋敷き兼、盾兼、抱き枕」
「役割多い」
《多能毛》
森の外れ、月明かりの下で、俺たちは小さなキャンプ地に辿り着いた。粗末な屋根と石積みの竈、旅人の落書き。
「ここ、よく使われてる。安全だよ」
「なら、少しだけ――」
俺は体を広げ、リナとクーの背にふわりと掛け毛のように覆いかぶさる。保温毛が静かに熱を回し、呼吸が揃ってゆく。
「おやすみ、モフ」
「おやすみ。明日は俺の冒険初日だ」
《ログ:初日。撫で回数:十二。満足度:高》
「勝手にログ取るな」
《業務です》
夜風が駆け抜け、枝がこすれ合う音がした。俺は目を閉じる。毛一本一本の先端まで、今日という日の余韻が沁みていく。
そして、ふと思う。
――俺は、もう一度、最初からやり直せる。
人の形は失ったけれど、代わりに手に入れたものがある。柔らかさ。温度。撫でられたときの、世界が丸くなる感じ。
その全部で、誰かを守れるなら。
もふもふの俺は、それでいい。
明日、ギルドで騒動が起きる気しかしないけど――まあ、なんとかなる。
だって俺には、撫でと、仲間がいるから。
夜の半ば、ふと目が覚める。もふナビが小声で囁く。
《微弱な魔力痕を検知。南西に五百歩》
「敵?」
《不明。動きは遅い。巡回獣か、迷い人》
「リナを起こすほどじゃないな。クー、任せた」
仔狼が耳をぴんと立て、喉奥で低く鳴く。影はキャンプを避け、森の奥へ逸れていった。
《危険度、低。記録のみ》
「了解。……なあナビ」
《はい》
「俺、ほんとに強くなれるのか?」
《撫でられるほど》
「そこ強調する?」
《統計上、撫でられ回数と戦闘成績に正の相関》
「信じるぞ」
夜明け前。空が群青から薄桃色に染まる。鳥が鳴き、露が光る。
俺は毛をふくらませ、リナとクーに小さなぬくもりを配る。
「おはよう、モフ」
「おはよう。今日はギルド?」
「うん。受付の人、ちょっと怖いけど優しいよ。あと、鑑定屋の親方が面白い」
「面白い親方、だいたいろくでもない法則」
《偏見》
「統計だ」
簡単な朝食を済ませ、道具を片づける。俺は“滑り止め毛”を荷造り紐に移して、荷の固定を手伝った。
「助かる。こういう小技、旅で一番ありがたい」
「評価項目:もふ実務」
《Aランク》
森を抜けると、遠くに街の石壁が見えた。尖塔の上で風見鶏が回り、門前には露店が並ぶ。香辛料、焼きパン、油の匂い。
「着いた。ようこそ、ミドルフォーク!」
「名前に中途半端感がすごい」
《中規模交易都市です》
「だろうな」
門兵がこちらを見る。リナが事情を説明し、俺は手のひらサイズに縮んで帽子の中へ。
「帽子の中、落ち着く」
「さっきまで鍋敷きだったのに」
「用途は広い」
検問を抜け、石畳に入る。人の声、車輪の軋み、鐘の音。世界が動いている。俺は毛をふるふるさせた。
「さて、ギルドへ――」
ここで一旦、立ち止まる。
胸のどこかが、ほんの少し、きゅっと鳴った。
新しい生活の匂いが、毛の根元まで届く。撫でと、仕事と、騒動と、笑い声。
「行こう、モフ」
「おう」
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「これは投擲用大根だ」
「「「投擲用大根???」」」
スキルはコピーして上書き最強でいいですか~改造初級魔法で便利に異世界ライフ~
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【文庫版2が4月8日に発売されます! ありがとうございます!】
異世界に飛ばされたものの、何の能力も得られなかった青年サナト。街で清掃係として働くかたわら、雑魚モンスターを狩る日々が続いていた。しかしある日、突然仕事を首になり、生きる糧を失ってしまう――。 そこで、サナトの人生を変える大事件が発生する!途方に暮れて挑んだダンジョンにて、ダンジョンを支配するドラゴンと遭遇し、自らを破壊するよう頼まれたのだ。その願いを聞きつつも、ダンジョンの後継者にはならず、能力だけを受け継いだサナト。新たな力――ダンジョンコアとともに、スキルを駆使して異世界で成り上がる!
【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
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世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
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