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第2話 鑑定屋の親方、ろくでもない
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朝のギルドは、昨日よりもずっとにぎやかだった。扉を開けた瞬間、パンの香りと鉄の匂い、遠くで鳴る車輪の音が混ざり合い、ざわざわと体毛の奥までしみ込んでくる。
受付前の長椅子で、俺はリナの膝の上にちょこん。膝、柔らかい。毛が喜んでいる。
「おはよう、モフ」
「おはよ。今日は鑑定屋だろ?」
《注意:鑑定屋は性格に難ありと記録》
「言い方が怖い」
カウンターのグリッサが紹介状を差し出す。封蝋には小さな鷹の紋。
「親方は変わり者だけど腕は確か。……ただし、毛を抜かれないように」
「毛を? 何に使うの?」
「聞かないほうがいいわ。以前“ふわ保温茶袋”とか作ってたから」
「俺の将来像が台所」
◇
石畳を抜け、通りの端にある“鑑定工房”へ。壁はひび割れ、屋根は苔で緑、看板は半分外れかけてぶら下がっている。
ギィ、と扉を押すと金属と薬品の匂いが鼻――いや毛孔を刺した。
「入ってこい! 朝から客とは珍しい!」
現れたのは、腰まで伸びた白髪にぐるぐる拡大鏡を額へ固定した老人。名札には“ハーグ”。
「グリッサの紹介状だ」
「ふむ……で、こいつが噂の毛玉か。……おお、見事なふわふわ!」
「距離、近っ」
《危険度:毛サンプル採取》
案の定ハーグはポケットから小さなハサミを取り出す。
「一本だけ、な? 一本だけでいい」
「一本が一生を分けることもあるんだぞ!」
「大げさな毛玉だな!」
リナがすっと間に入る。
「鑑定だけでお願いします」
「商売っ気のない客は嫌いだが……よし、台の上に乗れ」
台は冷たく、四方に奇妙な装置が並ぶ。水晶玉、真鍮の円盤、回転する金属枠。壁には“危険:毛焦げ注意”。
「これは?」
「魂と能力を測る“多層共鳴測定機”だ。見た目はガラクタでも魂は映す」
《名前の割に見た目がガラクタ》
「黙れナビ」
金属枠が回り始め、耳の奥がわずかに震えた。ハーグはダイヤルを微調整しながら俺の毛の揺れを凝視する。
「……やはりユニーク魔物。しかも属性適応率が異常に高い」
「いいこと?」
「良くも悪くも、だ。進化の余地が多すぎる。だが進化先は全部“ふわふわ系”だ」
「戦闘型じゃないのか……」
「抱き枕型、クッション型、寝具型……」
《推奨:抱き枕型》
「黙れ」
「ところで……一定温度を保てるんだな?」
「まあ」
「なら茶葉を包む湯保温袋にぴったりだ!」
「俺の存在価値が台所用品に……」
さらに回転が上がり、真鍮盤がカタカタ鳴る。
「痛みは?」
「くすぐったい」
「なら大丈夫。――出たぞ、初期所見」
ハーグは羊皮紙に書き付け、項目を読み上げた。
「種族:ユニーク魔物(フワスライム)。主スキル:吸収。副機能:嗅覚アーカイブ/毛玉コア。適応属性:熱・電・衝・滑・吸着・遮念ほか。進化候補:ふわ盾、抱き枕、騎乗毛布……なんだこれは」
《妥当》
「妥当なの?」
「最後に匂いを嗅げ。嗅覚アーカイブの挙動を見たい」
「どうやって?」
「この瓶を開ける。危険なものではない」
ぱち、と栓が抜け、柑橘と金属の混じる匂いが広がる。毛先が反射的に揺れ、内側で何かが開いた。
《記録:匂いタグ“柑金-73”。既知の錬金触媒の派生。黒手袋系統に類似》
「黒手袋?」
ハーグの眉がわずかに動く。
「最近王都筋で騒がれている“黒手袋印”の錬金ギルドが使う触媒の一種だ。……深入りは勧めん」
「向こうから絡んでこなけりゃいいけどなぁ」
鑑定は終わり、結果は巻物にまとめてギルドにも提出されることになった。
「ありがとな。……毛は諦める」
「最初から諦めて」
「代わりにこれをやる」
小瓶が二つ手に乗る。渋木と蜜の香り。
「毛用の栄養オイルだ。乾燥地や寒冷地でもふわ度を保てる。金はいい、試供品だ」
「やさしい」
「商売だ」
外へ出ると、リナが肩の力を抜いて笑った。
「どうだった?」
「ろくでもない。でも腕は確か」
《収穫:進化候補リスト/匂いタグ》
「進化は抱き枕以外でお願いね」
「努力する」
◇
昼の鐘が鳴るころギルドに戻ると、新しい依頼票がびっしり。紙の端が風でぱたぱた揺れる。
「『北門外の廃小屋調査』……なんか嫌な予感」
《危険度:中。獣害または違法実験の痕跡の可能性》
「違法実験は勘弁」
「でも等級“銅”で受けられるし、報酬も悪くない」
「行くか」
「即決!?」
《推奨準備:空瓶・紐・炭筆。匂いタグ照合に有用》
「仕事できるナビ」
受注を済ませ、バルドの工房に寄る。鉄と油の匂い、赤く脈打つ炉。
「ユニーク。昨日の装備の件、試作だ」
出てきたのは、俺の体を傷めない柔らかベルト、小さなコア用ポーチ、薄い透明の“雨避け膜”。
「軽い。助かる」
「金は今度でいい。その代わり、毛の状態を定期的に見せろ」
「診察料が独特」
◇
北門を出ると、麦の匂いが濃くなった。風が畑を撫で、土道に車輪の跡が続く。
「廃小屋、あの林の向こう」
「匂い変化。湿った木、古い油、獣の毛」
《微弱な“柑金-73”混入》
「黒手袋、関与?」
《断定不可。追跡推奨》
谷の底に小さな小屋。屋根は潰れ、壁は斜め。勝手口は錆びた鎖で雑に留められていた。
「開けるよ」
「待て。粉を撒く」
静電毛で小麦粉を霧にして室内へ。白い線が浮かび、床の糸と天井の小鐘が姿を現した。
「罠だ」
「音で仲間を呼ぶタイプ。鐘の接点を吸着毛で固定」
《処理完了》
足を踏み入れる。埃、カビ、古紙。棚には瓶、机には紙束。リナが紙を拾い上げる。
「“配合試験”“粘度調整”……錬金の記録っぽい」
瓶の一つを開ける。甘い匂いの奥に金属。
《匂いタグ“柑金-73”一致。成分:柑橘油/金属触媒/動物性脂》
「動物性脂……嫌な予感」
奥の部屋でリナが声を潜めた。
「モフ、見て。檻」
小さな鉄檻。中は空だが、灰色の細い毛が数本。
クーの顔が浮かび、コアのあたりがきゅっとなる。
「試供……いや、素材採取?」
《断定不可。ただし採集対象が“毛”である可能性は高》
「毛を狙うな」
そのとき入口側でカラン。風で鳴るには重い音。
「誰か来た」
《足音二。軽装と重装》
「リナ、隠れる」
俺は棚の影に広がり、リナは窓際の幕へ。
扉が軋み、二人が入る。昼に裏庭で絡んできた若いのの片割れと、黒手袋のフード男。
「残り物は?」「親方筋に渡すのは“柑金-73”の配合表と毛素材の履歴。もう匂いは抜けた」
「ここも畳む。証拠は――」
フード男が鼻をひくつかせ、動きを止める。
「……今、毛の匂い」
「野犬か?」
「違う。もっと柔らかい」
「粉も撒かれてる。誰かいたな」
やばい。俺は吸着毛で粉を回収しつつ床下の隙間へ。リナが息を殺す。
フード男が棚を倒し、ガラスが砕ける。甘い匂いが強くなる。
「出てこい。見つければ高く売れる」
「誰に」
「錬金王だ」
空気がひやりとした。
「合図」
俺は弾力毛をぎゅっと縮め、バネの反発で粉塵を梁へ弾く。
ぱん、と白が弾け、視界が真っ白。
「ぐっ!」「視界……!」
「今!」
リナが飛び出し、糸を一閃。固定しておいた鐘は沈黙。俺は“滑り止め毛”で二人の足を絡め、弾力で転倒させる。
《警告:外にもう一人。重装》
「撤退」
リナが窓を蹴破る。俺は布のように広がって彼女の肩を包み、外へ滑り出た。斜面を駆け下り、茂みへ転がり込む。
重い足音。鎧の男が窓から顔を出し周囲を睨む。
「逃げたか。……道筋を消せ」
「了解」
室内で火打ち石の音。ほどなく黒煙が上がる。
「証拠隠滅……!」
「消火は無理。ギルドに報告」
《推奨:匂いタグの瓶を一本確保》
「もう持ってる。走る!」
◇
門が見えたころ、リナの息が上がる。俺は保温毛を冷却方向へ倒し、体温上昇を抑える。
「助かる……! あと少し!」
門兵の笛が鳴り、見張り台から旗が振られた。追っ手は林の縁で止まり、それ以上は来ない。
ギルドに駆け込み、グリッサが保安担当を呼ぶ。バルドも顔を出した。
「詳しく」
俺とリナは、見たもの嗅いだものを順に報告。瓶、檻、黒手袋、火。
「黒手袋……やはり王都筋が絡むか」
保安の男が硬い顔で頷く。
「行動は正しい。瓶は預かる。ユニーク、助かった」
「毛に礼を言って」
「礼を言う。毛に」
グリッサが柔らかく笑う。
「怪我は?」
「ない。少し焦げ臭いだけ」
「宿で休んで。報酬と危険手当は追加するわ」
廊下の角でハーグが腕を組んで待っていた。
「匂いを追ったな。馬鹿をする」
「馬鹿は褒め言葉?」
「時々な。あの触媒の派生、私も調べたい。毛一本、よこせ」
「絶対に嫌だ」
「栄養オイルを倍にする」
「交渉が巧妙になってる」
リナが吹き出した。
◇
夕方、屋台の灯りがともる。香ばしい匂いが腹を鳴らす。
「今日は宿で休もう」
「異議なし」
宿の部屋で、俺は毛を広げ、床の埃をさらりと集める。窓から涼しい風。クーが足元に転がり、鼻先でつつく。
「ただいま、クー」
「きゅ」
リナがベッドに腰を下ろし、俺を両手で持ち上げる。
「今日も、よく頑張りました」
「褒めはいくらでも受け付ける」
《ログ:鑑定結果取得/黒手袋痕跡検知/火災回避。撫で回数:二十七。満足度:高》
「ナビ、ほんとに毎回それ言う?」
《業務です》
目を閉じると、昼間に見た檻と灰色の毛がよぎる。コアが少し痛む。
だから決めた。――毛は、誰かを傷つけるためじゃなく、守るために使う。
明日は、もっと上手くやる。撫でと、頭脳と、毛の合成で。
夜、共用の休憩室で毛のメンテをしていると、厨房のおばちゃんが顔を出した。
「これ、余ったスープ。体の芯から温まるよ」
「いただきます」
湯気の香りだけで保温毛がぬくもる。おばちゃんは俺をむぎゅっと抱きしめ、頬ずりした。
「かわいいわぁ」
《もふ度:上昇》
部屋へ戻る途中、掲示板に赤札が貼られた。“黒手袋の印に注意”。
「広がってるね」
《情報共有の速度は上昇》
「負けないように、こっちも準備だ」
就寝前、毛玉コアの棚卸し。弾力、静電、保温、滑り止め、吸着、断熱――残量を確認して、合成の練習をする。
《推奨:保温×断熱→“温度安定毛・仮”》
「名前ダサいけど便利だな」
リナの手のひらが「わ、ちょうどいい」と笑った。
灯りを落とす。壁の向こうで街の音が遠くなる。毛一本一本が、今日の出来事を覚えているみたいに温かい。
《明日予定:装備更新と情報整理。注意:変な機械に挟まれないように》
「ナビ、フラグを立てるな」
俺は丸くなった。コアがゆっくり明るくなって、静かに沈んでいく。ユニーク魔物、フワスライム。二日目――進捗、良好。
明日は今日よりも、少しだけ賢く、少しだけやさしい毛になる。
撫では薬、笑いは盾、毛は道具であり誇りだ。
世界は広い。けれど、手のひらの温度から始められる。
受付前の長椅子で、俺はリナの膝の上にちょこん。膝、柔らかい。毛が喜んでいる。
「おはよう、モフ」
「おはよ。今日は鑑定屋だろ?」
《注意:鑑定屋は性格に難ありと記録》
「言い方が怖い」
カウンターのグリッサが紹介状を差し出す。封蝋には小さな鷹の紋。
「親方は変わり者だけど腕は確か。……ただし、毛を抜かれないように」
「毛を? 何に使うの?」
「聞かないほうがいいわ。以前“ふわ保温茶袋”とか作ってたから」
「俺の将来像が台所」
◇
石畳を抜け、通りの端にある“鑑定工房”へ。壁はひび割れ、屋根は苔で緑、看板は半分外れかけてぶら下がっている。
ギィ、と扉を押すと金属と薬品の匂いが鼻――いや毛孔を刺した。
「入ってこい! 朝から客とは珍しい!」
現れたのは、腰まで伸びた白髪にぐるぐる拡大鏡を額へ固定した老人。名札には“ハーグ”。
「グリッサの紹介状だ」
「ふむ……で、こいつが噂の毛玉か。……おお、見事なふわふわ!」
「距離、近っ」
《危険度:毛サンプル採取》
案の定ハーグはポケットから小さなハサミを取り出す。
「一本だけ、な? 一本だけでいい」
「一本が一生を分けることもあるんだぞ!」
「大げさな毛玉だな!」
リナがすっと間に入る。
「鑑定だけでお願いします」
「商売っ気のない客は嫌いだが……よし、台の上に乗れ」
台は冷たく、四方に奇妙な装置が並ぶ。水晶玉、真鍮の円盤、回転する金属枠。壁には“危険:毛焦げ注意”。
「これは?」
「魂と能力を測る“多層共鳴測定機”だ。見た目はガラクタでも魂は映す」
《名前の割に見た目がガラクタ》
「黙れナビ」
金属枠が回り始め、耳の奥がわずかに震えた。ハーグはダイヤルを微調整しながら俺の毛の揺れを凝視する。
「……やはりユニーク魔物。しかも属性適応率が異常に高い」
「いいこと?」
「良くも悪くも、だ。進化の余地が多すぎる。だが進化先は全部“ふわふわ系”だ」
「戦闘型じゃないのか……」
「抱き枕型、クッション型、寝具型……」
《推奨:抱き枕型》
「黙れ」
「ところで……一定温度を保てるんだな?」
「まあ」
「なら茶葉を包む湯保温袋にぴったりだ!」
「俺の存在価値が台所用品に……」
さらに回転が上がり、真鍮盤がカタカタ鳴る。
「痛みは?」
「くすぐったい」
「なら大丈夫。――出たぞ、初期所見」
ハーグは羊皮紙に書き付け、項目を読み上げた。
「種族:ユニーク魔物(フワスライム)。主スキル:吸収。副機能:嗅覚アーカイブ/毛玉コア。適応属性:熱・電・衝・滑・吸着・遮念ほか。進化候補:ふわ盾、抱き枕、騎乗毛布……なんだこれは」
《妥当》
「妥当なの?」
「最後に匂いを嗅げ。嗅覚アーカイブの挙動を見たい」
「どうやって?」
「この瓶を開ける。危険なものではない」
ぱち、と栓が抜け、柑橘と金属の混じる匂いが広がる。毛先が反射的に揺れ、内側で何かが開いた。
《記録:匂いタグ“柑金-73”。既知の錬金触媒の派生。黒手袋系統に類似》
「黒手袋?」
ハーグの眉がわずかに動く。
「最近王都筋で騒がれている“黒手袋印”の錬金ギルドが使う触媒の一種だ。……深入りは勧めん」
「向こうから絡んでこなけりゃいいけどなぁ」
鑑定は終わり、結果は巻物にまとめてギルドにも提出されることになった。
「ありがとな。……毛は諦める」
「最初から諦めて」
「代わりにこれをやる」
小瓶が二つ手に乗る。渋木と蜜の香り。
「毛用の栄養オイルだ。乾燥地や寒冷地でもふわ度を保てる。金はいい、試供品だ」
「やさしい」
「商売だ」
外へ出ると、リナが肩の力を抜いて笑った。
「どうだった?」
「ろくでもない。でも腕は確か」
《収穫:進化候補リスト/匂いタグ》
「進化は抱き枕以外でお願いね」
「努力する」
◇
昼の鐘が鳴るころギルドに戻ると、新しい依頼票がびっしり。紙の端が風でぱたぱた揺れる。
「『北門外の廃小屋調査』……なんか嫌な予感」
《危険度:中。獣害または違法実験の痕跡の可能性》
「違法実験は勘弁」
「でも等級“銅”で受けられるし、報酬も悪くない」
「行くか」
「即決!?」
《推奨準備:空瓶・紐・炭筆。匂いタグ照合に有用》
「仕事できるナビ」
受注を済ませ、バルドの工房に寄る。鉄と油の匂い、赤く脈打つ炉。
「ユニーク。昨日の装備の件、試作だ」
出てきたのは、俺の体を傷めない柔らかベルト、小さなコア用ポーチ、薄い透明の“雨避け膜”。
「軽い。助かる」
「金は今度でいい。その代わり、毛の状態を定期的に見せろ」
「診察料が独特」
◇
北門を出ると、麦の匂いが濃くなった。風が畑を撫で、土道に車輪の跡が続く。
「廃小屋、あの林の向こう」
「匂い変化。湿った木、古い油、獣の毛」
《微弱な“柑金-73”混入》
「黒手袋、関与?」
《断定不可。追跡推奨》
谷の底に小さな小屋。屋根は潰れ、壁は斜め。勝手口は錆びた鎖で雑に留められていた。
「開けるよ」
「待て。粉を撒く」
静電毛で小麦粉を霧にして室内へ。白い線が浮かび、床の糸と天井の小鐘が姿を現した。
「罠だ」
「音で仲間を呼ぶタイプ。鐘の接点を吸着毛で固定」
《処理完了》
足を踏み入れる。埃、カビ、古紙。棚には瓶、机には紙束。リナが紙を拾い上げる。
「“配合試験”“粘度調整”……錬金の記録っぽい」
瓶の一つを開ける。甘い匂いの奥に金属。
《匂いタグ“柑金-73”一致。成分:柑橘油/金属触媒/動物性脂》
「動物性脂……嫌な予感」
奥の部屋でリナが声を潜めた。
「モフ、見て。檻」
小さな鉄檻。中は空だが、灰色の細い毛が数本。
クーの顔が浮かび、コアのあたりがきゅっとなる。
「試供……いや、素材採取?」
《断定不可。ただし採集対象が“毛”である可能性は高》
「毛を狙うな」
そのとき入口側でカラン。風で鳴るには重い音。
「誰か来た」
《足音二。軽装と重装》
「リナ、隠れる」
俺は棚の影に広がり、リナは窓際の幕へ。
扉が軋み、二人が入る。昼に裏庭で絡んできた若いのの片割れと、黒手袋のフード男。
「残り物は?」「親方筋に渡すのは“柑金-73”の配合表と毛素材の履歴。もう匂いは抜けた」
「ここも畳む。証拠は――」
フード男が鼻をひくつかせ、動きを止める。
「……今、毛の匂い」
「野犬か?」
「違う。もっと柔らかい」
「粉も撒かれてる。誰かいたな」
やばい。俺は吸着毛で粉を回収しつつ床下の隙間へ。リナが息を殺す。
フード男が棚を倒し、ガラスが砕ける。甘い匂いが強くなる。
「出てこい。見つければ高く売れる」
「誰に」
「錬金王だ」
空気がひやりとした。
「合図」
俺は弾力毛をぎゅっと縮め、バネの反発で粉塵を梁へ弾く。
ぱん、と白が弾け、視界が真っ白。
「ぐっ!」「視界……!」
「今!」
リナが飛び出し、糸を一閃。固定しておいた鐘は沈黙。俺は“滑り止め毛”で二人の足を絡め、弾力で転倒させる。
《警告:外にもう一人。重装》
「撤退」
リナが窓を蹴破る。俺は布のように広がって彼女の肩を包み、外へ滑り出た。斜面を駆け下り、茂みへ転がり込む。
重い足音。鎧の男が窓から顔を出し周囲を睨む。
「逃げたか。……道筋を消せ」
「了解」
室内で火打ち石の音。ほどなく黒煙が上がる。
「証拠隠滅……!」
「消火は無理。ギルドに報告」
《推奨:匂いタグの瓶を一本確保》
「もう持ってる。走る!」
◇
門が見えたころ、リナの息が上がる。俺は保温毛を冷却方向へ倒し、体温上昇を抑える。
「助かる……! あと少し!」
門兵の笛が鳴り、見張り台から旗が振られた。追っ手は林の縁で止まり、それ以上は来ない。
ギルドに駆け込み、グリッサが保安担当を呼ぶ。バルドも顔を出した。
「詳しく」
俺とリナは、見たもの嗅いだものを順に報告。瓶、檻、黒手袋、火。
「黒手袋……やはり王都筋が絡むか」
保安の男が硬い顔で頷く。
「行動は正しい。瓶は預かる。ユニーク、助かった」
「毛に礼を言って」
「礼を言う。毛に」
グリッサが柔らかく笑う。
「怪我は?」
「ない。少し焦げ臭いだけ」
「宿で休んで。報酬と危険手当は追加するわ」
廊下の角でハーグが腕を組んで待っていた。
「匂いを追ったな。馬鹿をする」
「馬鹿は褒め言葉?」
「時々な。あの触媒の派生、私も調べたい。毛一本、よこせ」
「絶対に嫌だ」
「栄養オイルを倍にする」
「交渉が巧妙になってる」
リナが吹き出した。
◇
夕方、屋台の灯りがともる。香ばしい匂いが腹を鳴らす。
「今日は宿で休もう」
「異議なし」
宿の部屋で、俺は毛を広げ、床の埃をさらりと集める。窓から涼しい風。クーが足元に転がり、鼻先でつつく。
「ただいま、クー」
「きゅ」
リナがベッドに腰を下ろし、俺を両手で持ち上げる。
「今日も、よく頑張りました」
「褒めはいくらでも受け付ける」
《ログ:鑑定結果取得/黒手袋痕跡検知/火災回避。撫で回数:二十七。満足度:高》
「ナビ、ほんとに毎回それ言う?」
《業務です》
目を閉じると、昼間に見た檻と灰色の毛がよぎる。コアが少し痛む。
だから決めた。――毛は、誰かを傷つけるためじゃなく、守るために使う。
明日は、もっと上手くやる。撫でと、頭脳と、毛の合成で。
夜、共用の休憩室で毛のメンテをしていると、厨房のおばちゃんが顔を出した。
「これ、余ったスープ。体の芯から温まるよ」
「いただきます」
湯気の香りだけで保温毛がぬくもる。おばちゃんは俺をむぎゅっと抱きしめ、頬ずりした。
「かわいいわぁ」
《もふ度:上昇》
部屋へ戻る途中、掲示板に赤札が貼られた。“黒手袋の印に注意”。
「広がってるね」
《情報共有の速度は上昇》
「負けないように、こっちも準備だ」
就寝前、毛玉コアの棚卸し。弾力、静電、保温、滑り止め、吸着、断熱――残量を確認して、合成の練習をする。
《推奨:保温×断熱→“温度安定毛・仮”》
「名前ダサいけど便利だな」
リナの手のひらが「わ、ちょうどいい」と笑った。
灯りを落とす。壁の向こうで街の音が遠くなる。毛一本一本が、今日の出来事を覚えているみたいに温かい。
《明日予定:装備更新と情報整理。注意:変な機械に挟まれないように》
「ナビ、フラグを立てるな」
俺は丸くなった。コアがゆっくり明るくなって、静かに沈んでいく。ユニーク魔物、フワスライム。二日目――進捗、良好。
明日は今日よりも、少しだけ賢く、少しだけやさしい毛になる。
撫では薬、笑いは盾、毛は道具であり誇りだ。
世界は広い。けれど、手のひらの温度から始められる。
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かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
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