二十五席目の君 ― Cafe Twenty-Five

チャチャ

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第10話「二十五日、君に告げる」

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 9:23。店の角を曲がると、ガラスの向こうで湊が一度、うなずいた。世界で一番速い頷きは、今日も優勝候補。

 扉の前。私は深呼吸を二回。逃げ腰に見える三回目はやめた。
 鍵穴に金具が触れる音。二回、静かに回る。扉が二分だけ開く。焼き上がったばかりの層から、甘い蒸気がこちらへ流れ込む。胸の奥が、瞬間的にほぐれた。

「おはようございます」

「おはようございます。――二十五日、ようこそ」

 湊が、薄い白箱を差し出す。25のエンボスが、朝の光でやわらかく浮いた。

「“見てる時間”の端を、少しだけ。会議の前に、背中で溶かしてください」

「受け取ります。返却は15:25で」

「合言葉みたいで助かります」

 私は箱を胸に抱え、二分を使い切る前に、紙片を渡した。二十五文字の宿題、当日版。

《二分で借りた甘さを、十五時二十五分で返す。》

 湊は目で読み、口の端だけで笑って、指で25を小さく描くように頷いた。扉が閉まる。私は踵を返す。
 走る。香りを背にしたまま、でも前を見る。

   ◇

 本社25階。エレベーターの数字が一つずつ点灯して、息がほんの少し、早くなる。
 会議室前のガラスに、私の顔。眠そうではない。いける。

 10:00、着席。安全衛生委員会。議題は多く、言葉は硬く、空調はやや強い。私は“総務語→日本語”の通訳に徹し、配布資料の“適正化”を、現場の手触りに合わせて並べ替える。二十五分区切りのメモが、机の上で静かに積み重なる。

 議題の合間、上席から打診が来た。
「本社常駐、前向きに検討を」
 私は、わずかに姿勢を正し、用意しておいた言葉を出す。

「直近一四週間(おおよそ三か月)の猶予をいただけますか。並行稼働で、移行に必要な手順書を25項目に整理してお渡しします。最終判断は12/25の委員会で」

 沈黙。上席がペンを持ち替え、細い笑みを作る。

「――そこまで整えるなら、良い。条件付き承認だ」

「ありがとうございます」

 数字を味方にした“合意”は、胸の内側に小さく灯る。私は手帳の12/25に◎を付けた。選ぶ練習は、続けられる。

 会議後、葵から短いメッセージ。

《猶予ゲットおめ。十五時二十五分に“交換会”、楽しんで来い》
《端っこは正義》

 私も短く返す。

《端で蘇生されてくる》

   ◇

 15:20。店の角を曲がると、黒板の前に小さな人だかり。
《二十五分ごとに一皿。整理券25枚。二十五日だけ旧価格。層は数えません。二十五分、いっしょに見ててください。》
 その下に、子どもの字で貼り紙が増えている。

《“見てる時間”すき(7さい)》
《二十五分、静かにできた(母)》

 胸のどこかが、紙片の糊でやさしく留められる。

 鈴。
 窓際の25番席が空いていた。四角い光が、午後の色で落ちている。湊が、整理券の束を片付けながら近づいた。

「おかえりなさい」

「ただいま」

「――結果、聞かせてください」

 私は、胸ポケットから会議メモの一枚を出す。

「三か月の猶予。手順書を25項目にして渡す約束。12/25で最終決定。ちゃんと選ぶ時間をもらいました」

「よかった」

 湊の声が、深く落ちる。私は続ける。

「無理だったら、ここで言うつもりでした。今日は、うまくいった。だから、返します」

 薄い白箱を差し出す。
 湊は受け取り、代わりに、スタンプカードを出した。丸は、いつの間にかたくさん埋まっていて、でも25まではまだ遠い。
 彼は、最後の欄の下、余白にペン先を置いた。
 ゆっくりと、滲まないように書く。

You filled my 25.

 英語の25の横に、細い日本語が添えられる。

「“二十五番目の理由”は、あなたです」

 胸に、音のない音が立った。数字が、言葉に変換される瞬間って、こんなに静かだ。

「続けるんですね」

「はい。大家さんは段階的改定を受け入れてくれました。二十五分ごとに一皿、整理券25、二十五日は旧価格。ここを、続けます」

 私はうなずく。喉の奥が少し熱い。
 湊が、ほんのわずかに表情を整える。

「それで――個人的な方も、言わせてください。25番席で」

 頷く。タイマーは押さない。数字に甘える代わりに、今は自分の耳で聴く。

「侑里さん。
 あなたが二分だけ香りを吸って走っていく背中が、僕にはずっと、店を続ける理由に見えていました。
 “数字のせい”で始めたことばかりの中で、あなたは、僕の“自分で選ぶ”の練習相手になってくれた。
 だから――好きです。ここで、あなたと、この店を続けたい。二十五に支えられながら、でも、二人で決めていきたい」

 言葉が落ちる間、光が一回、揺れた。
 私は、ふっと笑って、手元のクラフト紙を裏返す。二十五文字の枠を、指の腹で確かめる。
 そして、書いた。

《二十五番席で、あなたと、日常を続けたい。》

 ぴったりだ、と言われる前に、湊が笑った。
 声が出ない。代わりに、端を用意してくれた。薄い板。フォークの音が、店内の空気をやわらかく割る。

「端で、蘇生」

「最強の言い訳です」

 笑いながら、私は会議の報告書をポケットに戻す。ここでは、もっと大事な報告が済んだ。
 窓の外、商店街の掲示板に人が立ち止まる。黒板の前には、整理券の裏に書かれた**“今日の見てる時間、よかったこと(25文字以内)”**が、クリップでひとつ、またひとつ増えていく。

《二十五分、夫婦で黙って座れた》
《端を子どもに譲れた(父)》
《二十五秒の写真、ぶれなかった》

 世界が、静かな単位で甘くなるのを、目で見ている。

「侑里さん」

「はい」

「“九時二十五分、二回で開く”を、これからもしょっちゅう、合言葉にしてもいいですか」

「いいです。私の方は“十五時二十五分に返す”を、しょっちゅう使います」

「貸し借りのバランス、二十五対二十五で」

「公平」

 湊が笑い、私も笑う。
 息が合う。音のない拍手みたいに。

 レジ奥から、スタンプの音がひとつ。ぽん。
 今日の丸は、4/25。足りない。だから、続けられる。25という枠に、これからゆっくり、日常を入れていく。

 ふと、葵からメッセージ。

《で、どうなったの》(秒で)
《端で蘇生。25に告白された。生還》
《生還おめ。二十五階より強い場所、見つけたね》

 私はスマホを伏せ、窓の四角に指先をかざした。光は、数字みたいに、手のなかに入らない。でも、寄りかかれる。

「――ねえ、湊さん」

「はい」

「もし二十五個、丸が埋まったら、その日に、どこか行きませんか。25分で着くところでいい。市場でも、公園でも。Room 205でも」

「205」

「似てるだけで嬉しい番号です」

「では、二十五回目のスタンプの朝、5:25発のバスで」

「語呂、強い」

 私たちは笑って、端を噛んだ。甘さが、これからの25を少しずつ埋めていく。
 層は数えない。見てる。焦らない。二十五分。
 ――そして、選ぶ。二人で、やわらかく。

――――

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