『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~

チャチャ

文字の大きさ
79 / 99
第5章地球と異世界、二つの台所と再会の味

第26話 内庭の家族鍋、火を分ける順番

しおりを挟む
 翌朝。魔都城の内庭。小川が石を撫で、柳が風をほどく。私は夜のうちに描いた「香りの地図」を広げ、火床三つの位置を指で確かめた。
 ——旗は低く、湯気は胸の高さ。十拍は真ん中。

「結衣、川風は南西。香りは右回り。火加減、手前は“子ども鍋”で」

「了解。左が“祖母鍋”、奥が“主鍋”。——ぷりんは日陰に二十」

 グラドが大鍋を肩に担いで現れ、そっと置く。

「護衛線は薄く見せる。……耳の鍋、合図は任せろ」

「頼りにしてます」

 火を入れ、野菜の下処理。モゴイ芋は角を落とし、ナミロ玉は甘みが出るまでゆっくり。肉団子は“子ども鍋”用に塩を弱く、香はあとから。握りは二口サイズで、角のない丸。

 小川の橋の向こうに、控えの楽が小さく鳴る。黒衣の使いが進み出て、短く告げた。

「——御前。ご家族と共に」

 現れたのは、昨日の外套の“彼”。今日は裾を短くして動きやすい装いだ。その後ろに、角飾りを品よく結んだ女性、杖をつく大きな祖母、腕を組んだ年頃の娘、そして眠たげな幼子を抱いた侍女。護衛は距離を置き、空気は張りつめて、けれど——小川の音が緊張をほどく。

「本日は“家族の鍋”です。——家族の順番でお迎えします」

 私は耳の鍋を“トン”。十拍。湯気が胸の高さで丸くなる。

「まずは“子ども鍋”。——どうぞ」

 侍女が幼子の器を受け取り、一口。ほっと息が漏れる。

「……飲んだら、目がやさしくなった」

「甘みは根っこ、塩は耳たぶ。喧嘩をしない配合です」

 年頃の娘が半歩よってきて、鍋を覗き込む。

「玉ねぎ、きらい」

「大丈夫。これは“ナミロ玉”。香りは甘く、泣かない玉ねぎの親戚」

「……泣かない?」

「試しに、十拍だけ鼻で味わってみる?」

 私は小皿にほんの少しだけすくい、差し出す。娘は鼻先を近づけ、ゆっくり吸い込む。十拍。
 おそるおそる一口——目尻が、少しだけほどけた。

「泣かない……かも」

「泣きたい日は、ぷりんが手伝うから」

 祖母が杖で“トン”。鍋の音を値踏みするように、私を見る。

「塩、弱い」

「はい。祖母鍋は“手前で塩、奥で甘み”。——お好みなら、角のある塩を一粒だけ」

「角のある塩?」

「海の塩。角があるぶん、言い分が通りやすい」

「ほう……」
 祖母は角塩をつまみ、舌にのせる。頷き、鍋をひと混ぜして返す。

「よかろう。火は、わしが見る」

「お願いします。火見番がいる家は、焦げません」

 外套の“彼”が静かに笑った。袖の奥で親指がわずかに立つ。家族の輪が一歩、鍋へ近づいた。

 私は主鍋の蓋を少し開け、香葉油をひとかけ。湯気が丸さを増す。

「御前、どうぞ。——家の順番で」

「では、子から」

 彼は家族の器が満ちるのを見届け、最後に自分の椀を受け取る。ひと口。十拍。
 頬の影が、わずかにほどけた。

「……帰った気がする」

「ようこそ。今日は、あなたの家の台所です」

 そのとき。橋の向こうから、砂を蹴る足音。
 黒衣の使いが振り返り、眉をひそめる。
 走ってくる細身の青年が、両手を上げて叫んだ。

「記録官カーディンの代理です! 王都より通達——“旧在庫の手順、暫定版”。本日から市場でも適用!」

「早い」
 私は器を置き、紙束を受け取る。図の余白は大きく、書き足せるよう余白が生きている。

「御前、王都も“家庭”に寄ってきています。——穴は塞げます」

「よい。市場の掟に“十拍”を入れろ」

「承知」

 娘が結衣の袖をつつく。

「さっきの……“鼻で味わう”の、家でもやっていい?」

「もちろん。十拍がむずかしければ、五拍でも」

「五拍なら、できる」

「できたら、ぷりん一口」

「やる!」

 笑いが湧き、丸い湯気が一段やわらぐ。
 私は握りを配り、祖母に火を預け、御前の器をもう一度満たした——その瞬間だった。

 空気が、ひと筋だけ変わった。
 ——金属でも香木でもない。薄いビニールと保冷剤の匂い。

「師匠、いまの匂い……」

「うん。——地球の、台所」

 内庭の奥、観音扉の隙間がきらりと光り、細い影が一歩、二歩。
 手に持つのは銀色の保冷バッグ。肩から下げたのは、地球の街で見た布トート。

「す、すみません! 配送の方に“ここで合ってます”って言われて——」

 短い前髪、見覚えのある瞳。
 私は柄杓を胸に当て、喉の奥から名前が出るのを、十拍でやっと抑えた。

「……凛?」

「先生——カスミ先生、ですよね!」

 結衣が吸い込んだ息を落とし、目を丸くする。
 御前の家族が思わず一歩、私の背に身を寄せる。護衛の手がわずかに柄に触れる。
 私は耳の鍋を“トン”。十拍。湯気を胸の高さで保つ。

「落ち着いて。——いま、家の鍋の最中。順番で歓迎します」

「は、はいっ。これ、約束の“あれ”、持ってきました!」

 凛が保冷バッグを掲げる。角も翼もない手。けれど、その震えは、長い道のりを越えてきた手の震えだ。

「御前」
 私は振り返り、正面から告げる。

「“家族の鍋”は、家族が増えることがあります。——今日、私の“家族”が一人、着きました」

 外套の男はほんの少し、目を細めた。
 そして、短く頷く。

「ならば席を。——家は、増えるものだ」

「ありがとうございます」

 私は凛に小さな握りを渡し、笑う。

「十拍、鼻で味わって。——泣いたら、ぷりんを一口」

「先生、泣かせにきてる……!」

 笑いが弾け、内庭の風が丸くなる。
 旗は低く、湯気は胸の高さ。
 “家族の鍋”は、焦がさずに——ひとり、またひとりと、席を増やしていく。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

辺境貴族ののんびり三男は魔道具作って自由に暮らします

雪月夜狐
ファンタジー
書籍化決定しました! (書籍化にあわせて、タイトルが変更になりました。旧題は『辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~』です) 壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。 辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。 しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。

異世界へ誤召喚されちゃいました 女神の加護でほのぼのスローライフ送ります

モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎ 飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。 保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。 そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。 召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。 強制的に放り込まれた異世界。 知らない土地、知らない人、知らない世界。 不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。 そんなほのぼのとした物語。

現代知識と木魔法で辺境貴族が成り上がる! ~もふもふ相棒と最強開拓スローライフ~

はぶさん
ファンタジー
木造建築の設計士だった主人公は、不慮の事故で異世界のド貧乏男爵家の次男アークに転生する。「自然と共生する持続可能な生活圏を自らの手で築きたい」という前世の夢を胸に、彼は規格外の「木魔法」と現代知識を駆使して、貧しい村の開拓を始める。 病に倒れた最愛の母を救うため、彼は建築・農業の知識で生活環境を改善し、やがて森で出会ったもふもふの相棒ウルと共に、村を、そして辺境を豊かにしていく。 これは、温かい家族と仲間に支えられ、無自覚なチート能力で無理解な世界を見返していく、一人の青年の最強開拓物語である。 別作品も掲載してます!よかったら応援してください。 おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。

家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜

奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。 パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。 健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。

異世界転生したので森の中で静かに暮らしたい

ボナペティ鈴木
ファンタジー
異世界に転生することになったが勇者や賢者、チート能力なんて必要ない。 強靭な肉体さえあれば生きていくことができるはず。 ただただ森の中で静かに暮らしていきたい。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

ありふれた話 ~追放された錬金術師は、神スキル【物質創造】で辺境に楽園を築きます。今さら戻ってこいと言われても以下略

ゆきむらちひろ
ファンタジー
「追放」「ざまぁ」「実は最強」「生産チート」「スローライフ」「可愛いヒロイン」などなど、どこかで見たことがあるような設定を山盛りにして、ゆきむら的に書き殴っていく異世界ファンタジー。 ■あらすじ 勇者パーティーで雑用兼ポーション生成係を務めていた錬金術師・アルト。 彼は勇者から「お前のスキルはもう限界だ。足手まといだ」と無一文で追放されてしまう。 失意のまま辺境の寂れた村に流れ着いたアルトだったが、 そこで自身のスキル【アイテム・クリエーション】が、 実はただのアイテム作成ではなく、 物質の構造を自在に組み替える神の御業【物質創造】であることに気づく。 それ以降、彼はその力で不毛の土地を肥沃な農地に変え、 枯れた川に清流を呼び戻し、 村人たちのために快適な家や温泉まで作り出していく。 さらに呪いに苦しむエルフの美少女を救い、 お人好しな商人、訳ありな獣人、腕利きのドワーフなどを取り入れ、 アルトは辺境を活気あふれる理想郷にしようと奮闘する。 一方、アルトを追放した勇者パーティーは、なぜかその活躍に陰りが見えてきて……。  ―・―・―・―・―・―・―・― タイトルを全部書くなら、 『追放された錬金術師は、神スキル【物質創造】で辺境に楽園を築きます ~今さら戻ってこいと泣きつかれても、もう遅い。周りには僕を信じてくれる仲間がいるので~』という感じ。ありそう。 ※「小説家になろう」「カクヨム」「アルファポリス」に同内容のものを投稿しています。 ※この作品以外にもいろいろと小説を投稿しています。よろしければそちらもご覧ください。

土属性を極めて辺境を開拓します~愛する嫁と超速スローライフ~

にゃーにゃ
ファンタジー
「土属性だから追放だ!」理不尽な理由で追放されるも「はいはい。おっけー」主人公は特にパーティーに恨みも、未練もなく、世界が危機的な状況、というわけでもなかったので、ササッと王都を去り、辺境の地にたどり着く。 「助けなきゃ!」そんな感じで、世界樹の少女を襲っていた四天王の一人を瞬殺。 少女にほれられて、即座に結婚する。「ここを開拓してスローライフでもしてみようか」 主人公は土属性パワーで一瞬で辺境を開拓。ついでに魔王を超える存在を土属性で作ったゴーレムの物量で圧殺。 主人公は、世界樹の少女が生成したタネを、育てたり、のんびりしながら辺境で平和にすごす。そんな主人公のもとに、ドワーフ、魚人、雪女、魔王四天王、魔王、といった亜人のなかでも一際キワモノの種族が次から次へと集まり、彼らがもたらす特産品によってドンドン村は発展し豊かに、にぎやかになっていく。

処理中です...