『今日も平和に暮らしたいだけなのに、スキルが増えていく主婦です』

チャチャ

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83話『迷いの声と、そっと差し出す地図』

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 「……田仲、お前、奥さんに相談とかってするタイプか?」

 仕事帰り、会社のエントランスを出たところで、同僚の小谷がぽつりとつぶやいた。
 雄一は一瞬、足を止める。

 「どうした、急に」

 「いや……今日、上司に呼び出されてさ。別部署に異動の話があったんだけど……昇進ってわけでもないし、家からも遠くなるし。正直、悩んでる」

 「なるほどな……」

 雄一はうなずきつつも、ふと麻衣のことが頭をよぎった。

 (“心の羅針盤”か……あいつなら、こういうとき、どう言うかな)

 

 「奥さん、なんて言うと思う?」

 そう尋ねられて、雄一はしばらく考えてから答えた。

 「たぶん、“どっちを選んでも、ちゃんと納得できるように過ごしてね”って言うと思う」

 「……は?」

 「なんていうか、“正解”よりも、“納得できる選択”のほうが大事って、よく言うんだよ。失敗しても、意味があれば悪くないって」

 小谷はしばらく黙っていたが、ふっと笑った。

 「……いい奥さんだな。俺のとこ、最近ちょっとギクシャクしててさ。家で相談って雰囲気じゃなくて」

 「じゃあ、今度一緒にウチ来るか? うちの嫁、カフェのパートしててさ。コーヒーと甘いもん出して、“うんうん”って聞いてくれるぞ」

 「マジか、それ……救われるかもしれん」

 

 ***

 

 その頃、自宅では――

 「ママ~! ひなのね、明日ピアノの発表会のおけいこ!」

 「わあ、大事な日ね。がんばれーっておまじない、今のうちにかけとく?」

 「うんっ!」

 そう言って、麻衣はそっとひなのの頭に手を当てて、にっこり。

 「“ひなのの音は、きっとお空にも届きますように”」

 「とどくかなー?」

 「ぜったい、届くよ」

 そのやり取りを見ていた悠翔が、少し照れながら口を開いた。

 「……俺もさ、なんか“お守り”みたいな言葉もらえたら、テスト前に思い出せる気がする」

 「ふふ、それなら“こころの地図”のおまじないだね」

 「え、なにそれ」

 「“どこで迷っても、ちゃんと帰る道はある”っていう魔法の言葉よ」

 「……わりといいな、それ」

 

 夜、雄一が帰宅して、麻衣に小谷との会話を話すと、麻衣は驚きもせず、ただ静かに微笑んだ。

 「ちゃんと、“相談してくれてありがとう”って伝えた?」

 「……忘れてたかも」

 「じゃあ、明日それだけ伝えて。たぶん、それだけで少し軽くなるから」

 

 (……ああ、やっぱり麻衣はすごいな)

 雄一は内心で感心しながら、冷蔵庫を開けた。

 そこには、プリンがひとつ。

 「お、これって……?」

 「ごほうび。“心の地図”使ったお礼ってことで」

 「いや、俺はまだ方向音痴のままだと思うけどな……」

 「ふふ、それでも誰かの“迷い”をちょっと照らすくらいは、できてるかもね」

 

 そして――

 その翌日、小谷がふらりと訪れたカフェで、麻衣が静かに笑って迎えた。

 「あの……田仲の奥さんですよね?」

 「はい、ようこそ」

 メニューを渡しながら、麻衣は優しく言った。

 「迷っても、立ち止まっても、道は続きますよ。ゆっくりでも、大丈夫です」

 その言葉に、小谷は少し目を見開いて、それから小さくうなずいた。

 

 “心の羅針盤”は今日も、誰かの中でそっと動いている。


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