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4章 記録 (アーカイヴ) 編・前半
第27話 旧炉室、調律停止と灰の脱出
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輪を裂いた瞬間、炉室全体の鳴りが一段落ちた。
仮面の術師の袖が止まる。嵐祓いの構えが一瞬だけ緩む――そこが隙だ。
「枠を落とし切る!」
俺は最後の台座へ走り、楔を抜く。ロゥナが床下から石を押し上げ、台座の荷重を受け替えた。
セリューナは帯を胸に当て、鈍りの膜をさらに広げる。
《補助“風名の帯”/鈍化領域:炉室半径二十歩/持続短》
嵐祓いが巻き返してくる。風刃と土突の複合。
俺は刃の縁だけを拾って受け流し、足を止めない。土の突き上げはロゥナが底を落として殺す。
最後の枠が傾ぎ、石鈴が床を転がった。鳴りは出る。だが、帯が吸う。
「調律、停止……!」
セリューナの声に、仮面の術師が肩をすくめた。
「良い手際だ。ならば回収だけにしよう」
術師は袖から細長い箱を取り出し、炉室奥の黒い台へ手を伸ばした。
台には灰色の石匣。側面に“β配列”の刻印――副片だ。
「触らせるか!」
俺が踏み込むより早く、増援の鎖が天井から降りた。
嵐祓い五人が輪を組み、術師の前に風壁を張る。鈴は鳴らない。帯の膜が抑え込んでいる。
「右へ誘う!」
セリューナが霧を偏らせ、風壁の縁に乱れを作った。
俺はそこへ身体を滑り込ませ、鎖の内側で刃を振り下ろす――鎖が切れ、輪が崩れる。
ロゥナが同時に床を上げ、術師の足場をわずかに傾けた。袖口から零れた黒粉が自分の足に絡み、術師の踏み替えが遅れる。
「今だ、箱!」
俺は石匣へ手を伸ばし、両腕で抱える。重い。だが、動く。
術師の手が空を切り、初めて仮面の奥の息が乱れた。
「返してもらおう」
男が袖を払う。灰色の輪――総鈴が再点火する。
炉室の鈴語が逆流し、帯の膜を食い破ろうと牙を立てた。
「持たない!」
セリューナが叫ぶ。「撤退線を開ける!」
「任せて」
ロゥナが拳を床へ。
炉室の縁から通風坑へ、土の橋が伸びる。たわまない、短い橋。その代わり寿命は短い。
「行け、レク」
「二人は?」
「すぐ後ろ」
俺は石匣を抱え、橋を駆ける。風が背を叩き、粉塵が渦を巻く。
背後で鈴の長い余韻が昇り、総鈴が追ってくる。
「帯を貸して」
セリューナが追いつきざまに肩へ指を置き、帯の文字列を一瞬だけ俺の呼吸に合わせる。
無音の風が足元へ滑り込み、橋の先の段差を一息で越えた。
「閉じる!」
ロゥナが橋の基部を崩し、炉室の縁が土の波で塞がる。
総鈴の波は土に吸われ、追撃が一拍遅れた。
第三層の横坑へ飛び込み、第一斜坑へ向けて走る。
鈴の鎖が時折きしむが、帯が鳴りを鈍らせる。
前方に人影――夜勤の見張り。槍を向けるが、俺たちの目を見てすぐ引いた。声にならない声で「行け」と唇が動く。
地上への昇り口で、最初の薄明が坑道に差し込んだ。
冷たい鈴の街が目を覚まし始める。鐘楼の影が長い。
「外壁を回る。追手が出る前に抜ける」
俺は石匣を抱え直し、息を整える。重みは肩にくるが、手は離さない。
門外の荒地で、一度だけ振り返る。
仮面の術師は追ってこなかった。代わりに、鈴の波が街の上空に薄く広がっていくのが見えた。
調律は止めた。だが、街の鈴網は生きている。彼らはまた“繋ぎ直す”だろう。
「勝ちは、今だけ。次の場で上書きする」
セリューナが帯を緩め、深く息を吐いた。
ロゥナは石匣へ掌を添え、耳を澄ます。「眠ってる。副片は“大地の息”をまだ保ってる。間に合ったわ」
東の雲が白くなる。
俺は石匣の蓋の封印を確かめ、旅装の上から固く固定した。
「書庫の都へ戻る。黒閲覧階級の目録を引き剥がす。――本片の場所を出す」
「二人目が見張ってる」
「分かってる。だからこそ、今」
荒地の風が強まり、粉塵が低く流れた。
足元の影が短くなる。夜は明けた。
◇
昼前、外門近くの宿で短く体を拭い、簡易の手当てをする。
掌の切り傷に薬草を当てると、じわりと熱い。
セリューナが新しい耳栓の紙片を折り、帯の文字列を細く写し込んで渡してくれた。
「鈴に近づくときはこれを。直接帯を使うより目立たない」
「助かる」
ロゥナは窓辺で地図を広げ、土粉で印を打つ。
「黒閲覧の扉は二つ。北二区の塔と、外縁に新しい目録庫。どちらも鈴の守りが濃い」
「目を引く餌が要るな」
俺は石匣に視線を落とす。
「副片は渡さない。だが“持っていると見せる”ことはできる」
「囮ね」
セリューナがうなずく。「囮と本命で扉を分散させる。帯は私が持つ。レクは司書ブローチで一般層から潜る。ロゥナは地下から地脈で扉を“撓ませる”」
「撓ませられるのか」
「短時間なら。扉は壁じゃない、通路。通路は、地の上に立ってる」
方針が決まる。
俺は椅子の背で肩甲を締め直し、剣の縁を布で拭った。
窓の外で、書庫の都の塔が薄く鳴る。鈴の音は相変わらず乾いている。
そのとき、胸の帯が微かに震え、透明な息が耳を撫でた。
――走り続けて。風はまだ、あなたの名を測っている。
セフィアの調子。
俺は短く目を閉じ、頷いた。
「行こう。記録を“守る”連中から、奪われた記録を取り戻す」
街路へ出る。塔の影が規則正しく石畳に落ち、鈴の縁だけが白く光っていた。
次の扉は、こちらから開ける。
仮面の術師の袖が止まる。嵐祓いの構えが一瞬だけ緩む――そこが隙だ。
「枠を落とし切る!」
俺は最後の台座へ走り、楔を抜く。ロゥナが床下から石を押し上げ、台座の荷重を受け替えた。
セリューナは帯を胸に当て、鈍りの膜をさらに広げる。
《補助“風名の帯”/鈍化領域:炉室半径二十歩/持続短》
嵐祓いが巻き返してくる。風刃と土突の複合。
俺は刃の縁だけを拾って受け流し、足を止めない。土の突き上げはロゥナが底を落として殺す。
最後の枠が傾ぎ、石鈴が床を転がった。鳴りは出る。だが、帯が吸う。
「調律、停止……!」
セリューナの声に、仮面の術師が肩をすくめた。
「良い手際だ。ならば回収だけにしよう」
術師は袖から細長い箱を取り出し、炉室奥の黒い台へ手を伸ばした。
台には灰色の石匣。側面に“β配列”の刻印――副片だ。
「触らせるか!」
俺が踏み込むより早く、増援の鎖が天井から降りた。
嵐祓い五人が輪を組み、術師の前に風壁を張る。鈴は鳴らない。帯の膜が抑え込んでいる。
「右へ誘う!」
セリューナが霧を偏らせ、風壁の縁に乱れを作った。
俺はそこへ身体を滑り込ませ、鎖の内側で刃を振り下ろす――鎖が切れ、輪が崩れる。
ロゥナが同時に床を上げ、術師の足場をわずかに傾けた。袖口から零れた黒粉が自分の足に絡み、術師の踏み替えが遅れる。
「今だ、箱!」
俺は石匣へ手を伸ばし、両腕で抱える。重い。だが、動く。
術師の手が空を切り、初めて仮面の奥の息が乱れた。
「返してもらおう」
男が袖を払う。灰色の輪――総鈴が再点火する。
炉室の鈴語が逆流し、帯の膜を食い破ろうと牙を立てた。
「持たない!」
セリューナが叫ぶ。「撤退線を開ける!」
「任せて」
ロゥナが拳を床へ。
炉室の縁から通風坑へ、土の橋が伸びる。たわまない、短い橋。その代わり寿命は短い。
「行け、レク」
「二人は?」
「すぐ後ろ」
俺は石匣を抱え、橋を駆ける。風が背を叩き、粉塵が渦を巻く。
背後で鈴の長い余韻が昇り、総鈴が追ってくる。
「帯を貸して」
セリューナが追いつきざまに肩へ指を置き、帯の文字列を一瞬だけ俺の呼吸に合わせる。
無音の風が足元へ滑り込み、橋の先の段差を一息で越えた。
「閉じる!」
ロゥナが橋の基部を崩し、炉室の縁が土の波で塞がる。
総鈴の波は土に吸われ、追撃が一拍遅れた。
第三層の横坑へ飛び込み、第一斜坑へ向けて走る。
鈴の鎖が時折きしむが、帯が鳴りを鈍らせる。
前方に人影――夜勤の見張り。槍を向けるが、俺たちの目を見てすぐ引いた。声にならない声で「行け」と唇が動く。
地上への昇り口で、最初の薄明が坑道に差し込んだ。
冷たい鈴の街が目を覚まし始める。鐘楼の影が長い。
「外壁を回る。追手が出る前に抜ける」
俺は石匣を抱え直し、息を整える。重みは肩にくるが、手は離さない。
門外の荒地で、一度だけ振り返る。
仮面の術師は追ってこなかった。代わりに、鈴の波が街の上空に薄く広がっていくのが見えた。
調律は止めた。だが、街の鈴網は生きている。彼らはまた“繋ぎ直す”だろう。
「勝ちは、今だけ。次の場で上書きする」
セリューナが帯を緩め、深く息を吐いた。
ロゥナは石匣へ掌を添え、耳を澄ます。「眠ってる。副片は“大地の息”をまだ保ってる。間に合ったわ」
東の雲が白くなる。
俺は石匣の蓋の封印を確かめ、旅装の上から固く固定した。
「書庫の都へ戻る。黒閲覧階級の目録を引き剥がす。――本片の場所を出す」
「二人目が見張ってる」
「分かってる。だからこそ、今」
荒地の風が強まり、粉塵が低く流れた。
足元の影が短くなる。夜は明けた。
◇
昼前、外門近くの宿で短く体を拭い、簡易の手当てをする。
掌の切り傷に薬草を当てると、じわりと熱い。
セリューナが新しい耳栓の紙片を折り、帯の文字列を細く写し込んで渡してくれた。
「鈴に近づくときはこれを。直接帯を使うより目立たない」
「助かる」
ロゥナは窓辺で地図を広げ、土粉で印を打つ。
「黒閲覧の扉は二つ。北二区の塔と、外縁に新しい目録庫。どちらも鈴の守りが濃い」
「目を引く餌が要るな」
俺は石匣に視線を落とす。
「副片は渡さない。だが“持っていると見せる”ことはできる」
「囮ね」
セリューナがうなずく。「囮と本命で扉を分散させる。帯は私が持つ。レクは司書ブローチで一般層から潜る。ロゥナは地下から地脈で扉を“撓ませる”」
「撓ませられるのか」
「短時間なら。扉は壁じゃない、通路。通路は、地の上に立ってる」
方針が決まる。
俺は椅子の背で肩甲を締め直し、剣の縁を布で拭った。
窓の外で、書庫の都の塔が薄く鳴る。鈴の音は相変わらず乾いている。
そのとき、胸の帯が微かに震え、透明な息が耳を撫でた。
――走り続けて。風はまだ、あなたの名を測っている。
セフィアの調子。
俺は短く目を閉じ、頷いた。
「行こう。記録を“守る”連中から、奪われた記録を取り戻す」
街路へ出る。塔の影が規則正しく石畳に落ち、鈴の縁だけが白く光っていた。
次の扉は、こちらから開ける。
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