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5章 焔哭山と火の贖罪
第28話 黒閲覧の扉と、焔哭山の名
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午下り、書庫の都に戻った。
計画は三つに分かれる――囮・本命・地脈の撓み。
「私は外縁の新目録庫で“囮”。帯で鈴網の注意を引く」
セリューナが風名の帯を締め直し、薄く笑う。
「レクは北二区の塔へ正面から。司書ブローチで下層まで潜って」
「地下から扉を“撓ませる”のは私がやる」
ロゥナが掌に土粉を乗せ、静かに頷いた。
「目標は黒閲覧階級の本片目録。十刻で合流、無理なら撤退合図で解散だ」
◇
北二区三塔目。閲覧室を抜け、階段を二層、さらに下。
踊り場の壁に取っ手のない扉、鈴穴が三つ。胸のブローチをかざし、短く呼吸を整える。
《アクセス:閲覧者識別/暫定許可》
《副キー不足:位相同調を要求》
耳奥で微かな“合いの音”。――セリューナが囮を始めた。塔外縁で帯が鈴網を引いている。
俺はその隙に、鈴穴へ風を流し込む。指先で三度、間を置いて叩く。
《スキルログ:〈流転制御〉—“風孔の指(タップ)”》
《鈴位相:一時同調/警報抑制・短》
扉がわずかに引く。薄闇。冷たい羊皮紙の匂い。
棚列の中に、黒い卓と無人の鈴台――その背後で、空気の密度が変わった。
「閲覧許可証を」
低く掠れた声。棚影から、墨色の外套をまとった“司書”が出た。仮面はない。眼だけが静かに濡れている。
「核片“本片”の目録を見に来た。黒閲覧だ」
ブローチを示す。司書の視線が一瞬だけ泳ぎ、鈴台に手を伸ばす。
鈴が鳴る前に、床がわずかに波打った。ロゥナだ――地下から地脈を撓ませ、鈴孔の舌を押し上げて“鳴らない鈴”にする。
「……閲覧を開始します」
司書は振り返り、奥の抽斗を引いた。墨で縁取られた革表紙。角は真新しい。
開くと、黒いインクで記された短い行が目に刺さった。
> “本片・封冠/搬送先:焔哭山(えんこくざん)・熔脈冠座
経由:書庫の都(再封印)→灰の鉱山都市(予備鈴網)→焔哭山麓・黒陣
移送責任:黒閲覧・二名(仮称:カンビオ/セラ)
調律予定:三日後・辰刻”
胸が熱くなる。やはり火山――焔哭山。
さらに下に、細い注記。
> “副片β:回収未済/奪回優先。”
俺は目録を閉じ、司書へ返す。「写しを――」
「禁じられています」
「なら、名だけでいい。責任者の仮称“セラ”。それと“黒陣”の位置」
司書の喉仏が上下した。ためらい。次いで、絞り出すような声。
「南街道を二日。熔岩地帯の手前で風が止む窪地……“黒陣”はそこに。鈴は鳴らない。音は全部、火に落ちる」
その瞬間、棚列の端で鈴が一つだけ鋭く鳴った。
背すじを冷たい糸が走る。――囮側の鈴網、破られた。
「二人目が動いた」
セリューナの気配が遠くできしむ。俺は司書の肩に短く手を置いた。
「ここは君に任せる。鈴を鳴らすな。鳴らせば、全て焼かれる」
「……記録は、守られるべきだ」
「奪われた記録も、だ」
踵を返して棚列を抜ける。階段へ向かう手前、空気が沈んだ。
半月を横倒しにした仮面――灰の鉱山で見た“二人目”が、そこにいた。黒い外套の裾が無風に揺れる。
「こんにちは、来訪者」
仮面の奥で笑い声が乾く。「君は本当に、よく走る」
「走りながらでも斬れる」
剣を半ば抜く。
同時に踊り場の石が“ふくらむ”。ロゥナの撓み。足の置き場は、一本線だけ。
「セリューナは?」
「囮は十分。後で合流――早く」
風が袖口から漏れて、耳に触れた。帯の合図だ。
仮面の術師が手を上げる。鈴は鳴らない。代わりに紙片が踊った。
墨で満たされた札が数十、鳥のように舞い、刃の縁を持ってこちらへ突っ込んでくる。
踏み出し、線の上だけを行く。紙の刃は薄いが、骨を切る鋭さがある。
剣で受けず、風で滑らせる。《流転制御》で刃の角度を一度だけずらせば、紙同士が勝手に噛み合い、空中で絡まって墜ちる。
「器用だね」
「紙で殺す趣味のほうが器用だ」
仮面の指がわずかに動き、紙片の一枚が鈴墨に変わる。墨は床へ落ち、線を描いた。
線が輪になり、俺の足首を締め上げる。――封輪。鈴を使わない鈴。
地がうねった。ロゥナだ。輪の下だけ、石が沈む。締め付けが緩む瞬間に一歩、抜ける。
刃を仮面に――届かない。術師は半歩退き、棚の影へ溶けた。
「また会おう、レク・エルディアス」
「次は、焔哭山で」
言い置き、影がすうっと薄くなる。鈴は最後まで鳴らなかった。
俺は階段を駆け上がり、塔の外へ出る。小走りで裏路地へ――霧が一筋、指へ結ばれた。
「こっち」
セリューナが手を引く。帯は胸元で熱い。
ロゥナが地面の撓みを閉じ、塔の根を静かに冷やす。
「目録は?」
「焔哭山。三日後、辰刻。仮名は二つ目、“セラ”」
「黒陣の座標も取った。地図に落とせる」
ロゥナが走りながら地図に土粉で印を打つ。
「なら――走るだけだ」
◇
夕刻。街道宿の手前、丘陵の影で小休止。
包帯を巻き直す間に、帯が小さく震えた。風の調子が、わずかに温い。
――南は熱い。走り切れるなら、名をもう一つ返そう。
セフィア。
俺は息を吐き、立ち上がった。
「目的は焔哭山・熔脈冠座。副片は回収済み。残るは本片」
「三日あれば着く。地脈は北から南へ素直に落ちてる」
ロゥナが空を見上げる。「ただし、火の領域に入れば鈴は役に立たない」
「だから、走る前に“用意”を一つ」
セリューナが帯を緩め、俺の耳に紙片の栓を貼る。
「水で聴覚を保護。熱に酔いにくくする。喉にも膜を」
「助かる」
背の袋の底で、灰色の石匣――副片が短く鳴った。大地の息は、まだ静かだ。
俺は剣の縁を布で拭き、空の色を確かめる。日が沈む。南風が、夜の熱を運んでくる。
「行こう。三日後の辰刻までに、黒陣を踏む」
「焔哭山まで、走り切る」
「そして――奪われた記録を取り戻す」
足を出す。風は背を押す。
焔哭山の名が、遠雷のように胸の奥で鳴った。
計画は三つに分かれる――囮・本命・地脈の撓み。
「私は外縁の新目録庫で“囮”。帯で鈴網の注意を引く」
セリューナが風名の帯を締め直し、薄く笑う。
「レクは北二区の塔へ正面から。司書ブローチで下層まで潜って」
「地下から扉を“撓ませる”のは私がやる」
ロゥナが掌に土粉を乗せ、静かに頷いた。
「目標は黒閲覧階級の本片目録。十刻で合流、無理なら撤退合図で解散だ」
◇
北二区三塔目。閲覧室を抜け、階段を二層、さらに下。
踊り場の壁に取っ手のない扉、鈴穴が三つ。胸のブローチをかざし、短く呼吸を整える。
《アクセス:閲覧者識別/暫定許可》
《副キー不足:位相同調を要求》
耳奥で微かな“合いの音”。――セリューナが囮を始めた。塔外縁で帯が鈴網を引いている。
俺はその隙に、鈴穴へ風を流し込む。指先で三度、間を置いて叩く。
《スキルログ:〈流転制御〉—“風孔の指(タップ)”》
《鈴位相:一時同調/警報抑制・短》
扉がわずかに引く。薄闇。冷たい羊皮紙の匂い。
棚列の中に、黒い卓と無人の鈴台――その背後で、空気の密度が変わった。
「閲覧許可証を」
低く掠れた声。棚影から、墨色の外套をまとった“司書”が出た。仮面はない。眼だけが静かに濡れている。
「核片“本片”の目録を見に来た。黒閲覧だ」
ブローチを示す。司書の視線が一瞬だけ泳ぎ、鈴台に手を伸ばす。
鈴が鳴る前に、床がわずかに波打った。ロゥナだ――地下から地脈を撓ませ、鈴孔の舌を押し上げて“鳴らない鈴”にする。
「……閲覧を開始します」
司書は振り返り、奥の抽斗を引いた。墨で縁取られた革表紙。角は真新しい。
開くと、黒いインクで記された短い行が目に刺さった。
> “本片・封冠/搬送先:焔哭山(えんこくざん)・熔脈冠座
経由:書庫の都(再封印)→灰の鉱山都市(予備鈴網)→焔哭山麓・黒陣
移送責任:黒閲覧・二名(仮称:カンビオ/セラ)
調律予定:三日後・辰刻”
胸が熱くなる。やはり火山――焔哭山。
さらに下に、細い注記。
> “副片β:回収未済/奪回優先。”
俺は目録を閉じ、司書へ返す。「写しを――」
「禁じられています」
「なら、名だけでいい。責任者の仮称“セラ”。それと“黒陣”の位置」
司書の喉仏が上下した。ためらい。次いで、絞り出すような声。
「南街道を二日。熔岩地帯の手前で風が止む窪地……“黒陣”はそこに。鈴は鳴らない。音は全部、火に落ちる」
その瞬間、棚列の端で鈴が一つだけ鋭く鳴った。
背すじを冷たい糸が走る。――囮側の鈴網、破られた。
「二人目が動いた」
セリューナの気配が遠くできしむ。俺は司書の肩に短く手を置いた。
「ここは君に任せる。鈴を鳴らすな。鳴らせば、全て焼かれる」
「……記録は、守られるべきだ」
「奪われた記録も、だ」
踵を返して棚列を抜ける。階段へ向かう手前、空気が沈んだ。
半月を横倒しにした仮面――灰の鉱山で見た“二人目”が、そこにいた。黒い外套の裾が無風に揺れる。
「こんにちは、来訪者」
仮面の奥で笑い声が乾く。「君は本当に、よく走る」
「走りながらでも斬れる」
剣を半ば抜く。
同時に踊り場の石が“ふくらむ”。ロゥナの撓み。足の置き場は、一本線だけ。
「セリューナは?」
「囮は十分。後で合流――早く」
風が袖口から漏れて、耳に触れた。帯の合図だ。
仮面の術師が手を上げる。鈴は鳴らない。代わりに紙片が踊った。
墨で満たされた札が数十、鳥のように舞い、刃の縁を持ってこちらへ突っ込んでくる。
踏み出し、線の上だけを行く。紙の刃は薄いが、骨を切る鋭さがある。
剣で受けず、風で滑らせる。《流転制御》で刃の角度を一度だけずらせば、紙同士が勝手に噛み合い、空中で絡まって墜ちる。
「器用だね」
「紙で殺す趣味のほうが器用だ」
仮面の指がわずかに動き、紙片の一枚が鈴墨に変わる。墨は床へ落ち、線を描いた。
線が輪になり、俺の足首を締め上げる。――封輪。鈴を使わない鈴。
地がうねった。ロゥナだ。輪の下だけ、石が沈む。締め付けが緩む瞬間に一歩、抜ける。
刃を仮面に――届かない。術師は半歩退き、棚の影へ溶けた。
「また会おう、レク・エルディアス」
「次は、焔哭山で」
言い置き、影がすうっと薄くなる。鈴は最後まで鳴らなかった。
俺は階段を駆け上がり、塔の外へ出る。小走りで裏路地へ――霧が一筋、指へ結ばれた。
「こっち」
セリューナが手を引く。帯は胸元で熱い。
ロゥナが地面の撓みを閉じ、塔の根を静かに冷やす。
「目録は?」
「焔哭山。三日後、辰刻。仮名は二つ目、“セラ”」
「黒陣の座標も取った。地図に落とせる」
ロゥナが走りながら地図に土粉で印を打つ。
「なら――走るだけだ」
◇
夕刻。街道宿の手前、丘陵の影で小休止。
包帯を巻き直す間に、帯が小さく震えた。風の調子が、わずかに温い。
――南は熱い。走り切れるなら、名をもう一つ返そう。
セフィア。
俺は息を吐き、立ち上がった。
「目的は焔哭山・熔脈冠座。副片は回収済み。残るは本片」
「三日あれば着く。地脈は北から南へ素直に落ちてる」
ロゥナが空を見上げる。「ただし、火の領域に入れば鈴は役に立たない」
「だから、走る前に“用意”を一つ」
セリューナが帯を緩め、俺の耳に紙片の栓を貼る。
「水で聴覚を保護。熱に酔いにくくする。喉にも膜を」
「助かる」
背の袋の底で、灰色の石匣――副片が短く鳴った。大地の息は、まだ静かだ。
俺は剣の縁を布で拭き、空の色を確かめる。日が沈む。南風が、夜の熱を運んでくる。
「行こう。三日後の辰刻までに、黒陣を踏む」
「焔哭山まで、走り切る」
「そして――奪われた記録を取り戻す」
足を出す。風は背を押す。
焔哭山の名が、遠雷のように胸の奥で鳴った。
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