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2章 水の精霊と孤島の試練
第11話「土の気配と、封印の谷――大地に眠る記憶」
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静謐の湖に別れを告げ、俺たちは再び港町ルエルの陸地に戻った。
空は晴れ渡り、潮の香りが懐かしいように漂っている。昨日までの試練が嘘のように、町の人々は穏やかな日常を取り戻していた。
「ふぅ……水の試練、ほんとに大変だったね」
フェリスが深呼吸をして空を仰ぐ。隣ではセフィアが草花を眺めながら、楽しそうに鼻歌を歌っていた。
「でも、よかったじゃない。あのセリューナって水の精霊さん、優しそうだった」
「そうだな。あの人――いや、あの精霊と契約できて、本当に良かった」
俺は腰に下げた水色の石を撫でる。セリューナとの契約の証。それは冷たくも温かく、まるで心の奥に触れるような感覚を宿していた。
港町の宿に戻った俺たちは、ギルドに顔を出すことにした。
受付嬢のリーネが俺の姿を見て、驚いたように目を丸くする。
「レクさん!? 無事だったんですね……!」
「ああ。ちょっと、島の方で色々あってな。報告を兼ねて顔を出したよ」
「本当に良かった……実は、ギルド長から預かり物があるんです。『次に来たら渡してくれ』って」
差し出されたのは、封蝋付きの手紙だった。
その表には、ギルド長・バルグの名が記されている。
中を開くと、そこには一言――
『“封印の谷”へ行け。次なる精霊は、眠っている。』
まるで俺の旅路を知っているかのような文面に、思わず眉をひそめた。
「“封印の谷”って……どこかで聞いたことがあるような」
フェリスが首を傾げると、リーネが小さくうなずいた。
「王都の東にある山岳地帯のことです。何年も前から、土が腐るように痩せていっていて……今では誰も近づかない“禁域”と呼ばれているそうです」
「土が痩せる……それって、精霊の力が失われてるってことか?」
セフィアがふと表情を引き締めた。
「もしかすると、そこに――土の精霊が……」
俺の胸に、ひとつの確信めいた予感が走った。
次なる精霊は、“土”。
俺は静かにうなずき、ギルドに礼を告げると仲間たちに声をかけた。
「行こう。“封印の谷”へ。次の出会いが、俺たちを待ってる」
✳✳✳✳
俺たちは港町ルエルを後にし、ギルドの馬車を借りて王都東部の山岳地帯へと向かった。
“封印の谷”は、王都からも距離があるため、丸一日以上かけての移動になる。
道中、フェリスが馬車の荷台で地図を広げ、手元のノートにメモを取っていた。
「封印の谷って、かつて“緑の守護域”って呼ばれてたらしいの。昔は肥沃な大地と、豊かな鉱石が採れたって文献にあるわ」
「じゃあ、何かの原因で一気に荒れたってことか?」
俺が問うと、フェリスは小さくうなずいた。
「そうみたい。五十年ほど前から異変が起きて、土が枯れて、魔物が出没するようになったって……。原因は不明だけど、誰かが“封印”という形で抑え込んだらしいの」
「それが土の精霊の異常と関係してるなら……手遅れになる前に行かなきゃな」
セフィアが小声で「うん……」と頷く。風の精霊である彼女も、自然の歪みに敏感に反応しているようだった。
山間の道を越えた頃、空気が急に変わった。
湿気が重く、どこか“腐った土”の匂いが漂っている。
地面はひび割れ、枯れ木が点在し、鳥の声さえ聞こえない――まるで“死んだ森”だ。
「……ここから先が、“封印の谷”だな」
俺たちは馬車を降り、徒歩での探索に切り替える。
踏み込んだ瞬間、地面がわずかに軋んだ。
足元の土が“呻くような音”を立てている。
「うわっ、なんか気持ち悪い……!」
フェリスが顔をしかめ、セフィアも眉をひそめた。
俺はその土を少し掘り起こし、手のひらに乗せてみた。
色は黒ずみ、わずかに震えている。――まるで“意思”を持つかのように。
そのとき。
ズズ……ズン……!
遠くで、地面が隆起する音がした。
土が盛り上がり、その中から、巨大な“泥の魔獣”が這い出してきた。
目は爛々と光り、身体から“精霊核のようなもの”が不気味に浮かび上がっている。
「……あれ、まさか……!」
俺の中で、セリューナとの記憶が反応した。
それは、“偽の精霊核”。
かつて禁忌の研究によって作られ、精霊の力を模倣しようとした危険な代物。
「来るぞ、構えろ!」
俺は剣を抜き、魔力を全身に巡らせた。
✳✳✳
泥の魔獣――それは巨大なゴーレムのような姿をしていた。
全身が湿った黒土で覆われており、そこかしこに不安定な魔力の波動が渦巻いている。
中心部には、赤黒く輝く“精霊核もどき”が埋め込まれていた。
「こんなもん、自然界に存在しないわよ……っ!」
フェリスが震えながら杖を構える。
セフィアは風の刃を展開し、俺の背を守る位置に回った。
「この魔力、セリューナのと似てるけど……なんか、捻じ曲がってる!」
「精霊の力を“真似しただけ”の偽物だ。けど、力だけは本物と変わらねぇ」
俺は剣を構え、魔獣の動きを読む。
ゴウン、と巨体がゆっくりとこちらに向かって動き出す。
「フェリス、援護頼む! セフィア、風の盾で防御を!」
「任されたっ!」
「了解、レク!」
魔獣が大地を踏みしめるたびに、腐った土煙が舞い上がる。
俺は剣に水の魔力を込め、一気に間合いを詰めた。
――ザシュッ!
剣先が泥の外皮を切り裂いた……が、すぐにズルリと“再生”する。
「ちっ、再生系か!」
「“精霊模倣核”がある限り、無限に再生するよ!」
フェリスの警告に、俺は核の位置に目を凝らした。
「なら、やるしかない。核を……直接、叩く!」
俺は風の加速魔法を使い、一気に跳躍。
泥の魔獣の胸部へ剣を突き刺す。
ゴゴゴ……ッ!
内部で爆ぜる音とともに、魔獣が大きく仰け反った。
その隙に、セフィアの風刃が核を包み込む。
「レク! 今っ!」
「――浄化・水環!」
俺はセリューナから授かった新スキルを発動する。
剣から放たれた青白い波動が、核に触れた瞬間――
シュウゥゥ……ッ!
黒い核が音もなく消え、魔獣の身体が崩れ落ちた。
土は、まるで安堵したように、大地へと還っていった。
「……終わった?」
フェリスが呆然とした表情で問いかける。
「ああ。けど、あの“偽核”は……誰かが作ったものだ」
俺は崩れた土の中から、微かに残る核の破片を拾い上げた。
それは、かつて見たことのある紋章に似た意匠が刻まれていた。
「――誰かが、精霊の力を弄んでる」
俺の中に、静かに怒りが灯った。
✳✳✳
偽の精霊核の破片を手に取った俺は、それを布に包み、丁重に収納した。
「この紋章……どこかで見たことがある気がするんだけど……」
フェリスが破片を覗き込み、眉をひそめる。
「うーん、はっきりしないけど……王都の文献室で見た古代魔道具の図に、似たような模様があったような……」
「魔道具か……」
俺はしばし考えたが、すぐに視線を封印の谷の奥へと向け直した。
この谷には、まだ“土の精霊”の気配が残っている。
それは確信に近い直感だった。
静まり返った森の奥、地形が不自然に盛り上がった小さな丘がある。
その中心に、石で組まれた“祠”のようなものが建っていた。
――ガァァァ……ン……
誰も叩いていないはずの祠の奥から、重く、低い音が響いた。
「……今の音、何?」
フェリスが小声でつぶやく。
「たぶん、呼ばれてる。俺たちを“試そう”としてるんだ。次の精霊が」
俺は剣を収め、ゆっくりと祠の前に進み出た。
祠の中は、ひんやりとしていて、異様な静けさに包まれていた。
石壁の至る所には、蔓草が絡みつき、長い間誰も踏み入れていないことがわかる。
だがその中心――台座の上には、淡く金色に光る“石の芽”のようなものが浮かんでいた。
「……これが、土の精霊の核……?」
セフィアがつぶやく。
だがその瞬間、空間が揺らいだ。
重たい空気が、足元から這い上がってくる。
次の瞬間、俺たちの視界がぐにゃりと歪み――
視界が、土の色に染まった。
土埃と砂の匂い。
どこまでも続く地下空間のような場所。
「ここは……“試練の場”か?」
俺の声が反響する。
そして、地響きのような声が、ゆっくりと語りかけてきた。
『問いに答えよ――汝、“命を育む土”の本質を知るか』
土の精霊――その意識が、俺の心に直接語りかけてきたのだ。
✳✳✳✳
――『命を育む土とは、何か』
静寂の空間に、重く厳かな声が響いた。
それは、ただの問いかけではなかった。
心の奥、価値観そのものを試す“精霊の問い”だった。
「土の本質……」
俺はゆっくりと目を閉じ、思いを巡らせた。
土は、種を育て、命を生み出す場所だ。
そして、命を終えたものを還し、また次の命を迎える。
始まりであり、終わりでもある。
「命の土は……“受け入れること”じゃないかと思う」
俺の答えに、空間がわずかに震えた。
「どんな存在でも、良いも悪いも、過ちも、痛みも……すべてを受け入れて、包み込んで、また次へつなげる。そんな懐の深さが、土の本質なんじゃないかって」
長い沈黙。
だがその先で、優しくも力強い響きが返ってきた。
――『……良き答えだ。我が名は、ロゥナ。眠れる大地の守り手。お前の歩み、しかと見届けた』
その声とともに、空間に変化が起きた。
祠の内部が再び見え、台座の上にあった“石の芽”が、淡い緑色に脈動を始める。
「……土の精霊、ロゥナ……!」
俺は台座に近づき、その“精霊核”にそっと触れた。
だが。
――ズンッ!
足元の地面が大きく揺れた。
「な、なんだ!?」
土が割れ、そこから巨大な“岩石獣”のような魔物が姿を現した。
だが、その魔物の動きはぎこちなく、どこか“操られている”ような雰囲気を纏っていた。
「レク、あれ、誰かに……!」
「ああ。ロゥナの力が封じられてる。そのせいで、土の守りが暴走してるんだ!」
俺はすぐに剣を抜いた。
「……ロゥナに、もう一度会うためには、まずあいつを倒す!」
フェリスとセフィアも構える。
土の守護者の残滓を鎮める戦いが、今、始まろうとしていた。
✳✳✳
岩石獣――それは、土塊と鉱石の塊を無理やり繋ぎ合わせたような異形の存在だった。
腕のように伸びた岩盤を振り回し、祠の柱をひと振りで粉砕する。
「動きが重そうだけど、一撃がヤバい……!」
フェリスが叫びながら距離を取る。
セフィアはすでに風を纏い、俺の側に飛んできた。
「レク、あいつ……守るべきものがわからなくなってる」
「ああ……ロゥナの加護が弱まって、自我も崩れてるんだろうな」
俺は剣に水の精霊魔力を込めた。
「なら、こっちから“正しい記憶”を叩き込んでやる!」
跳躍と同時に繰り出した一撃が、岩石獣の胴体をかすめる。
だが、その傷口はすぐに土で再構成されてしまう。
「やっぱり……“守護者の再生”を持ってるか!」
「核を、探すしかない!」
フェリスの叫びに、俺たちは攻撃と分析を同時に行った。
動き、反応、再生のテンポ……そのすべてから導き出されたのは、
――“右胸の内部”に核が埋め込まれているという結論。
「そこだッ!」
俺は風魔法の加速を受けて一気に距離を詰め、
剣を大きく振りかぶる。
「――浄化・水環・貫穿(パージ)!」
新たに覚えた応用技を炸裂させ、剣先が岩塊の中へ突き刺さる。
――グアァァ……!
核に届いた瞬間、岩石獣が苦しげにのけぞり、そのままガラガラと崩れ落ちていく。
残ったのは、青緑色に光る“微かな核の欠片”。
それが祠の中心へとふわりと浮かび――“石の芽”のような精霊核と重なった。
……ドクン。
空間が脈動し、祠全体が暖かな土色に包まれる。
「……ロゥナ」
その名前を口にした瞬間、
小さな揺れとともに、祠の奥から“石像の少女”が現れた。
その少女は目を閉じ、眠るように静かに立っていた。
だが、ほんの一瞬――
彼女のまぶたがわずかに揺れ、唇が小さく開いた。
『……芽吹きのとき、ま……だ……』
その声を最後に、少女の姿は再び“静かな石像”へと戻っていった。
✳✳✳✳
祠の奥、再び石像と化した少女――土の精霊ロゥナは、まるで眠りに就いたまま待ち続けているようだった。
「……“まだ”って言ってた」
フェリスがぽつりとつぶやく。
「ああ。たぶん、まだ俺たちは“芽吹き”に足るものを手に入れていないんだろう」
俺はロゥナの眠る祠を見つめながら、胸の奥に確かに残った“揺らぎ”を感じていた。
――土の精霊ロゥナ。
彼女は目覚めの時を待っている。
人が、そして世界が、再び命を根づかせるための“力”を持てるようになるその時を。
「でも、会えただけでも十分。あの子は、レクに“答え”を聞いたんだから」
セフィアがふわりと笑って言う。
「次に来たときは、きっと起きてくれるよ」
「ああ。その時には……ちゃんと、俺たちが“芽吹き”を見せてやろう」
俺は静かに祠へ一礼を捧げ、仲間たちと共に谷を後にした。
振り返ると、かつて荒れ果てていた大地に、ほんのわずかだが“緑の芽”が顔を覗かせていた。
「おお……!」
フェリスが目を見開く。
それは、小さな小さな命の兆し。
けれど、それこそが――
土の精霊が目覚めを待つ理由。
命は、ここにまだ息づいているのだ。
*
港町へ戻った俺たちは、精霊核の破片と“偽精霊核”の痕跡を王都ギルドへ送るための準備を整えた。
ギルドのリーネはそれを受け取ると、まじめな顔で頷く。
「確かに預かりました。王都ギルドの上層に報告します」
「それと……“精霊の力を模倣する技術”について、調べてほしい」
「はい。おそらく、それは禁忌に関わる問題です。慎重に進めます」
リーネの言葉に、俺も真剣に頷いた。
精霊たちの歪み――その裏には、まだ明かされぬ“何か”がある。
そしてその“何か”は、きっと俺のユニークスキルや、この世界の成り立ちにも関係しているはずだ。
「……次は?」
セフィアが俺に尋ねた。
俺は少し考えてから、静かに言った。
「“北東の鉱山帯”に行ってみよう。たぶん、次に向かうべき場所は――そこだ」
風が優しく吹き抜ける。
それは、まるで新たな旅路の始まりを告げるように――
---
空は晴れ渡り、潮の香りが懐かしいように漂っている。昨日までの試練が嘘のように、町の人々は穏やかな日常を取り戻していた。
「ふぅ……水の試練、ほんとに大変だったね」
フェリスが深呼吸をして空を仰ぐ。隣ではセフィアが草花を眺めながら、楽しそうに鼻歌を歌っていた。
「でも、よかったじゃない。あのセリューナって水の精霊さん、優しそうだった」
「そうだな。あの人――いや、あの精霊と契約できて、本当に良かった」
俺は腰に下げた水色の石を撫でる。セリューナとの契約の証。それは冷たくも温かく、まるで心の奥に触れるような感覚を宿していた。
港町の宿に戻った俺たちは、ギルドに顔を出すことにした。
受付嬢のリーネが俺の姿を見て、驚いたように目を丸くする。
「レクさん!? 無事だったんですね……!」
「ああ。ちょっと、島の方で色々あってな。報告を兼ねて顔を出したよ」
「本当に良かった……実は、ギルド長から預かり物があるんです。『次に来たら渡してくれ』って」
差し出されたのは、封蝋付きの手紙だった。
その表には、ギルド長・バルグの名が記されている。
中を開くと、そこには一言――
『“封印の谷”へ行け。次なる精霊は、眠っている。』
まるで俺の旅路を知っているかのような文面に、思わず眉をひそめた。
「“封印の谷”って……どこかで聞いたことがあるような」
フェリスが首を傾げると、リーネが小さくうなずいた。
「王都の東にある山岳地帯のことです。何年も前から、土が腐るように痩せていっていて……今では誰も近づかない“禁域”と呼ばれているそうです」
「土が痩せる……それって、精霊の力が失われてるってことか?」
セフィアがふと表情を引き締めた。
「もしかすると、そこに――土の精霊が……」
俺の胸に、ひとつの確信めいた予感が走った。
次なる精霊は、“土”。
俺は静かにうなずき、ギルドに礼を告げると仲間たちに声をかけた。
「行こう。“封印の谷”へ。次の出会いが、俺たちを待ってる」
✳✳✳✳
俺たちは港町ルエルを後にし、ギルドの馬車を借りて王都東部の山岳地帯へと向かった。
“封印の谷”は、王都からも距離があるため、丸一日以上かけての移動になる。
道中、フェリスが馬車の荷台で地図を広げ、手元のノートにメモを取っていた。
「封印の谷って、かつて“緑の守護域”って呼ばれてたらしいの。昔は肥沃な大地と、豊かな鉱石が採れたって文献にあるわ」
「じゃあ、何かの原因で一気に荒れたってことか?」
俺が問うと、フェリスは小さくうなずいた。
「そうみたい。五十年ほど前から異変が起きて、土が枯れて、魔物が出没するようになったって……。原因は不明だけど、誰かが“封印”という形で抑え込んだらしいの」
「それが土の精霊の異常と関係してるなら……手遅れになる前に行かなきゃな」
セフィアが小声で「うん……」と頷く。風の精霊である彼女も、自然の歪みに敏感に反応しているようだった。
山間の道を越えた頃、空気が急に変わった。
湿気が重く、どこか“腐った土”の匂いが漂っている。
地面はひび割れ、枯れ木が点在し、鳥の声さえ聞こえない――まるで“死んだ森”だ。
「……ここから先が、“封印の谷”だな」
俺たちは馬車を降り、徒歩での探索に切り替える。
踏み込んだ瞬間、地面がわずかに軋んだ。
足元の土が“呻くような音”を立てている。
「うわっ、なんか気持ち悪い……!」
フェリスが顔をしかめ、セフィアも眉をひそめた。
俺はその土を少し掘り起こし、手のひらに乗せてみた。
色は黒ずみ、わずかに震えている。――まるで“意思”を持つかのように。
そのとき。
ズズ……ズン……!
遠くで、地面が隆起する音がした。
土が盛り上がり、その中から、巨大な“泥の魔獣”が這い出してきた。
目は爛々と光り、身体から“精霊核のようなもの”が不気味に浮かび上がっている。
「……あれ、まさか……!」
俺の中で、セリューナとの記憶が反応した。
それは、“偽の精霊核”。
かつて禁忌の研究によって作られ、精霊の力を模倣しようとした危険な代物。
「来るぞ、構えろ!」
俺は剣を抜き、魔力を全身に巡らせた。
✳✳✳
泥の魔獣――それは巨大なゴーレムのような姿をしていた。
全身が湿った黒土で覆われており、そこかしこに不安定な魔力の波動が渦巻いている。
中心部には、赤黒く輝く“精霊核もどき”が埋め込まれていた。
「こんなもん、自然界に存在しないわよ……っ!」
フェリスが震えながら杖を構える。
セフィアは風の刃を展開し、俺の背を守る位置に回った。
「この魔力、セリューナのと似てるけど……なんか、捻じ曲がってる!」
「精霊の力を“真似しただけ”の偽物だ。けど、力だけは本物と変わらねぇ」
俺は剣を構え、魔獣の動きを読む。
ゴウン、と巨体がゆっくりとこちらに向かって動き出す。
「フェリス、援護頼む! セフィア、風の盾で防御を!」
「任されたっ!」
「了解、レク!」
魔獣が大地を踏みしめるたびに、腐った土煙が舞い上がる。
俺は剣に水の魔力を込め、一気に間合いを詰めた。
――ザシュッ!
剣先が泥の外皮を切り裂いた……が、すぐにズルリと“再生”する。
「ちっ、再生系か!」
「“精霊模倣核”がある限り、無限に再生するよ!」
フェリスの警告に、俺は核の位置に目を凝らした。
「なら、やるしかない。核を……直接、叩く!」
俺は風の加速魔法を使い、一気に跳躍。
泥の魔獣の胸部へ剣を突き刺す。
ゴゴゴ……ッ!
内部で爆ぜる音とともに、魔獣が大きく仰け反った。
その隙に、セフィアの風刃が核を包み込む。
「レク! 今っ!」
「――浄化・水環!」
俺はセリューナから授かった新スキルを発動する。
剣から放たれた青白い波動が、核に触れた瞬間――
シュウゥゥ……ッ!
黒い核が音もなく消え、魔獣の身体が崩れ落ちた。
土は、まるで安堵したように、大地へと還っていった。
「……終わった?」
フェリスが呆然とした表情で問いかける。
「ああ。けど、あの“偽核”は……誰かが作ったものだ」
俺は崩れた土の中から、微かに残る核の破片を拾い上げた。
それは、かつて見たことのある紋章に似た意匠が刻まれていた。
「――誰かが、精霊の力を弄んでる」
俺の中に、静かに怒りが灯った。
✳✳✳
偽の精霊核の破片を手に取った俺は、それを布に包み、丁重に収納した。
「この紋章……どこかで見たことがある気がするんだけど……」
フェリスが破片を覗き込み、眉をひそめる。
「うーん、はっきりしないけど……王都の文献室で見た古代魔道具の図に、似たような模様があったような……」
「魔道具か……」
俺はしばし考えたが、すぐに視線を封印の谷の奥へと向け直した。
この谷には、まだ“土の精霊”の気配が残っている。
それは確信に近い直感だった。
静まり返った森の奥、地形が不自然に盛り上がった小さな丘がある。
その中心に、石で組まれた“祠”のようなものが建っていた。
――ガァァァ……ン……
誰も叩いていないはずの祠の奥から、重く、低い音が響いた。
「……今の音、何?」
フェリスが小声でつぶやく。
「たぶん、呼ばれてる。俺たちを“試そう”としてるんだ。次の精霊が」
俺は剣を収め、ゆっくりと祠の前に進み出た。
祠の中は、ひんやりとしていて、異様な静けさに包まれていた。
石壁の至る所には、蔓草が絡みつき、長い間誰も踏み入れていないことがわかる。
だがその中心――台座の上には、淡く金色に光る“石の芽”のようなものが浮かんでいた。
「……これが、土の精霊の核……?」
セフィアがつぶやく。
だがその瞬間、空間が揺らいだ。
重たい空気が、足元から這い上がってくる。
次の瞬間、俺たちの視界がぐにゃりと歪み――
視界が、土の色に染まった。
土埃と砂の匂い。
どこまでも続く地下空間のような場所。
「ここは……“試練の場”か?」
俺の声が反響する。
そして、地響きのような声が、ゆっくりと語りかけてきた。
『問いに答えよ――汝、“命を育む土”の本質を知るか』
土の精霊――その意識が、俺の心に直接語りかけてきたのだ。
✳✳✳✳
――『命を育む土とは、何か』
静寂の空間に、重く厳かな声が響いた。
それは、ただの問いかけではなかった。
心の奥、価値観そのものを試す“精霊の問い”だった。
「土の本質……」
俺はゆっくりと目を閉じ、思いを巡らせた。
土は、種を育て、命を生み出す場所だ。
そして、命を終えたものを還し、また次の命を迎える。
始まりであり、終わりでもある。
「命の土は……“受け入れること”じゃないかと思う」
俺の答えに、空間がわずかに震えた。
「どんな存在でも、良いも悪いも、過ちも、痛みも……すべてを受け入れて、包み込んで、また次へつなげる。そんな懐の深さが、土の本質なんじゃないかって」
長い沈黙。
だがその先で、優しくも力強い響きが返ってきた。
――『……良き答えだ。我が名は、ロゥナ。眠れる大地の守り手。お前の歩み、しかと見届けた』
その声とともに、空間に変化が起きた。
祠の内部が再び見え、台座の上にあった“石の芽”が、淡い緑色に脈動を始める。
「……土の精霊、ロゥナ……!」
俺は台座に近づき、その“精霊核”にそっと触れた。
だが。
――ズンッ!
足元の地面が大きく揺れた。
「な、なんだ!?」
土が割れ、そこから巨大な“岩石獣”のような魔物が姿を現した。
だが、その魔物の動きはぎこちなく、どこか“操られている”ような雰囲気を纏っていた。
「レク、あれ、誰かに……!」
「ああ。ロゥナの力が封じられてる。そのせいで、土の守りが暴走してるんだ!」
俺はすぐに剣を抜いた。
「……ロゥナに、もう一度会うためには、まずあいつを倒す!」
フェリスとセフィアも構える。
土の守護者の残滓を鎮める戦いが、今、始まろうとしていた。
✳✳✳
岩石獣――それは、土塊と鉱石の塊を無理やり繋ぎ合わせたような異形の存在だった。
腕のように伸びた岩盤を振り回し、祠の柱をひと振りで粉砕する。
「動きが重そうだけど、一撃がヤバい……!」
フェリスが叫びながら距離を取る。
セフィアはすでに風を纏い、俺の側に飛んできた。
「レク、あいつ……守るべきものがわからなくなってる」
「ああ……ロゥナの加護が弱まって、自我も崩れてるんだろうな」
俺は剣に水の精霊魔力を込めた。
「なら、こっちから“正しい記憶”を叩き込んでやる!」
跳躍と同時に繰り出した一撃が、岩石獣の胴体をかすめる。
だが、その傷口はすぐに土で再構成されてしまう。
「やっぱり……“守護者の再生”を持ってるか!」
「核を、探すしかない!」
フェリスの叫びに、俺たちは攻撃と分析を同時に行った。
動き、反応、再生のテンポ……そのすべてから導き出されたのは、
――“右胸の内部”に核が埋め込まれているという結論。
「そこだッ!」
俺は風魔法の加速を受けて一気に距離を詰め、
剣を大きく振りかぶる。
「――浄化・水環・貫穿(パージ)!」
新たに覚えた応用技を炸裂させ、剣先が岩塊の中へ突き刺さる。
――グアァァ……!
核に届いた瞬間、岩石獣が苦しげにのけぞり、そのままガラガラと崩れ落ちていく。
残ったのは、青緑色に光る“微かな核の欠片”。
それが祠の中心へとふわりと浮かび――“石の芽”のような精霊核と重なった。
……ドクン。
空間が脈動し、祠全体が暖かな土色に包まれる。
「……ロゥナ」
その名前を口にした瞬間、
小さな揺れとともに、祠の奥から“石像の少女”が現れた。
その少女は目を閉じ、眠るように静かに立っていた。
だが、ほんの一瞬――
彼女のまぶたがわずかに揺れ、唇が小さく開いた。
『……芽吹きのとき、ま……だ……』
その声を最後に、少女の姿は再び“静かな石像”へと戻っていった。
✳✳✳✳
祠の奥、再び石像と化した少女――土の精霊ロゥナは、まるで眠りに就いたまま待ち続けているようだった。
「……“まだ”って言ってた」
フェリスがぽつりとつぶやく。
「ああ。たぶん、まだ俺たちは“芽吹き”に足るものを手に入れていないんだろう」
俺はロゥナの眠る祠を見つめながら、胸の奥に確かに残った“揺らぎ”を感じていた。
――土の精霊ロゥナ。
彼女は目覚めの時を待っている。
人が、そして世界が、再び命を根づかせるための“力”を持てるようになるその時を。
「でも、会えただけでも十分。あの子は、レクに“答え”を聞いたんだから」
セフィアがふわりと笑って言う。
「次に来たときは、きっと起きてくれるよ」
「ああ。その時には……ちゃんと、俺たちが“芽吹き”を見せてやろう」
俺は静かに祠へ一礼を捧げ、仲間たちと共に谷を後にした。
振り返ると、かつて荒れ果てていた大地に、ほんのわずかだが“緑の芽”が顔を覗かせていた。
「おお……!」
フェリスが目を見開く。
それは、小さな小さな命の兆し。
けれど、それこそが――
土の精霊が目覚めを待つ理由。
命は、ここにまだ息づいているのだ。
*
港町へ戻った俺たちは、精霊核の破片と“偽精霊核”の痕跡を王都ギルドへ送るための準備を整えた。
ギルドのリーネはそれを受け取ると、まじめな顔で頷く。
「確かに預かりました。王都ギルドの上層に報告します」
「それと……“精霊の力を模倣する技術”について、調べてほしい」
「はい。おそらく、それは禁忌に関わる問題です。慎重に進めます」
リーネの言葉に、俺も真剣に頷いた。
精霊たちの歪み――その裏には、まだ明かされぬ“何か”がある。
そしてその“何か”は、きっと俺のユニークスキルや、この世界の成り立ちにも関係しているはずだ。
「……次は?」
セフィアが俺に尋ねた。
俺は少し考えてから、静かに言った。
「“北東の鉱山帯”に行ってみよう。たぶん、次に向かうべき場所は――そこだ」
風が優しく吹き抜ける。
それは、まるで新たな旅路の始まりを告げるように――
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