人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~

九十九清輔

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第十九章 櫛風沐雨

第一一四話 シスター・カトリーヌの過去

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 十二年前。
 ガラリアの南方植民地・マウラータにて、内戦が勃発した。
 属領籍の問題、参政権の問題、そして宗教対立。
 これら複数の問題を放置したまま、駐留軍を擁するガラリアは、武力を背景とした圧力を以て、マウラータの直接統治を行っていた。
 この様な杜撰なやり方が現地住民達の反感を呼び、反感は敵愾心を生み、やがて地下で力を蓄えていた民兵組織の、武装蜂起を誘発した。
 内戦勃発後、僅か一年で、風光明媚だった港街のマウラータは、爆炎が立ち昇る焦土と化した。

 一年後、内戦に巻き込まれたカトリーヌは、七歳にして家と両親を失う。
 焼け焦げた瓦礫と人畜が散らばるマウラータを、一人彷徨う事になったのだ。
 頼る人はおらず、食べる物も無く、飲む物も無く、帰るべき場所も無い。
 爆風の熱と、銃弾の飛び交う甲高い音に怯えながら、瘦せこけたカトリーヌは、逃げ惑う事しか出来ない。
 そんな状態が幾日も続き、孤独と恐怖と憔悴で、何時しか涙も枯れ果てていた。

 その日もカトリーヌは、当て所無く彷徨っていた。
 しかし積み重なった疲労と空腹、渇きの為か、足が思う様に動かない。
 平衡感覚も危うくなり掛けた頃、瓦礫に躓き地面に倒れ込んでしまう。
 そこは擂り鉢状に穿たれた、カノン砲による着弾痕だった。

 鈍い痛みを堪えつつ、カトリーヌは身体を起こそうとする。
 でも、起き上がる事が出来ない。
 その程度の気力も、体力も、既に残されていなかったのだ。
 身体に力が入らない、どうしても立てない。
 拭い難い絶望の中、やがてカトリーヌは全てを諦め、目蓋を閉じた。



「……おい、どこだっ! ふざけるな! どこにいる! マグノリアッ!」

 その時、どこか遠くで響く、男達の野卑な怒鳴り声を聞いた。
 同時に足音が近づいて来るのを感じる、街を襲った兵士――駐留軍だろうか。
 逃げなければ……一瞬、そんな風に思う。
 だけどすぐに、別の考えが頭の中に湧き上がる。
 逃げたとして、どうなるのか。
 父親も、母親も、帰る家も、もう無い。
 もう限界で、立つ事も出来ない。
 だったらもう――
 
「――大丈夫か? 意識はあるな」

 低く掠れた、錆びた声が耳朶を打った。
 硬い地面と後頭部の間に、手のひらが差し込まれるのを感じる。
 カトリーヌは微かに目蓋を開いた。
 漆黒の修道服を纏った黒い瞳のシスターが、こちらを覗き込んでいた。
 驚くほどに、綺麗な顔だと思った。
 だけど、凄く綺麗なのに、厳しそうで、冷たそうで、少し怖いと思った。
 シスターは身を屈めると、片手で自身の懐を探る。
 水筒を取り出した。

「水だ。慌てず、ゆっくりと飲め」

 言いながらシスターは、カトリーヌの口許で水筒を少しずつ傾けては、水を飲ませた。
 まともな水を飲むのは三日ぶりかも知れない、カトリーヌは水筒から流れ込んで来る生ぬるい水を、それでも懸命に飲み込む。

「あそこだ! あそこにいるぞ! 畜生、何をやってやがる!?」

「……なんだソイツは! まさか街の生き残りか!?」

「ガキか!? そんなガキに構っているんじゃない!」

 複数の荒々しい足音と、男達の怒鳴る声にカトリーヌは怯え、咳込みむせる。
 後頭部を抱えていた手がそっと離れ、水筒が横に置かれる。
 滲み歪む視界の中で、黒いシスターは、ゆらりと立ち上がった。

「いきなり勝手な行動を取りやがって! 何が『軍医』だ!」
 
「この街に民間人は『いない』! 『いない』事になっているんだ! そんなガキは放っておけ!」

「軍規を乱しやがって、この疫病神が!」

 苛立つ兵士達は威嚇する様に、手にした後装式ライフルを構えて怒鳴った。
 仁王立ちのシスターは背後の兵士達を肩越しに見遣り、低い声で言った。

「――貴様らは『教皇聖下』になったつもりか?」

「……なにっ?」

 着弾痕の底に倒れているカトリーヌの位置から、シスターの顔は見えない。
 ただ、ライフル銃を構える兵士達の表情に、動揺の色が浮かぶのを見た。 

「私は『教皇聖下』の命を受け、マウラータへ来た――状況を見極めよとな。貴様ら『ガラリア駐留軍』の命令を、聞いてやる義理は無い」

「寝ぼけた事を抜かすな! 指示に従え! 急に動くな!」

「お前は軍規を無視したんだぞ!?」

「戦時下の軍法に照らせば、そのガキ諸共、お前を処分する事も可能だ!」

 兵士達はライフルのマズルを突き出し、恫喝する様に叫んだ。
 黒衣を纏ったシスターが、ゆっくりと振り返った為だ。

「――処分? 軍法だと? この地域にはつい最近まで、人の営みがあった事を示す痕跡が幾つも残されている。そしてこの子供だ。民間人への無差別攻撃を行ったのだろう、貴様らの部隊は。反乱が勃発したとしても、そんな事が許される筈も無い、愚連隊風情が軍法を語るな、ガラリアの恥さらしがっ……」

 鋼の様に硬質な声だった。
 兵士達の方へ向き直ったシスターは続ける。

「既に貴様らは、私に銃口を向けている――撃つのか? ならば私も容赦しない。貴様らの報告通りなら、ここは誰も存在しない筈の土地だ、民間人はおろか、マウラータの解放ゲリラもな。ここでの死は、全て無かった事になる、ガラリア的にはな」

「なっ……!?」

「ふ、ふざけるなっ……!」

 突き放す様なシスターの物言いに、兵士達は当惑の声を発する。
 当然だろう、銃を突きつけているのだ。
 この状況で逆らうなど、正気では無い。
 本国より派遣されて来た、宗教かぶれで世間知らずの『軍医』が。
 しかしシスターは、冷徹な声で低く告げた。

「私は『教皇聖下』の命にのみ従う。この子は私が保護する。貴様ら愚連隊には相応の……」

 金属の擦れる音、そして軋む音が、カトリーヌの耳に届いた。
 何度も聞いた音だ、その音を覚えている。
 兵士達が銃撃の意思を固め、狙いを定めるべく銃床を肩に固定した音だ。
 ――その直後。
 カトリーヌの傍らに立つシスターが、激しい砂利の飛散と共に、姿を消した。
 顔に砂粒が当たり、思わず目蓋を閉じる。
 何が起こったのか、何が起こるのか。
 いや解る、じきに銃声が響くのだ。
 カトリーヌは、閉じた目蓋を開く事が出来ない。

 しかし、銃声の響く瞬間は訪れなかった。
 程無くして、ズタ袋が地面に落ちる様な、重い音を聞いた。
 更に喉の奥から絞り出される呻き声が、周囲から湧き上がるのを耳にする。
 ライフルを手に倒れ伏した兵士達が、身動き出来ぬまま呻いているのだ。
 痙攣しながら泡を吹く兵士達を見下ろし、黒衣のシスターは言い放った。

「命は取らん……が、私に銃口を向けた以上、打ち込んだ『針』も抜かん。全身に及ぶ麻痺は、一〇時間程度続くだろう。貴様らは言っていたな? この区域に『人はいない』と。その可能性を祈れ……」

 ◆ ◇ ◆ ◇

 カトリーヌを抱き上げたシスターは、すぐにその場を離れた。
 そのまま数キロ移動し、やがて崩れ落ちた街角の半壊した家屋に立ち入る。

「……私は『マグノリア』だ、君の名前を教えてくれ」

 床の上へ座らせたカトリーヌにシスターは、水筒を差し出しながら言った。
 先の兵士から奪った水筒だった。

「カ、カタリナ……です」

 カトリーヌは、震える手で水筒を受け取りながら答える。
 シスター・マグノリアは水を飲む様に促すと、質問を幾つか投げ掛けて来た。
 両親について、住んでいた家について、親戚や知り合いについても質問された。
 カトリーヌは水を飲みながら、両親が死んだ事、家が燃えた事、知り合いや親戚もいなくなった事を告げる。
 シスター・マグノリアは頷き、懐から缶詰を取り出すと蓋を開けた。
 中に詰まったバタービスケットをカトリーヌに手渡し、口を開く。

「――カタリナ。可能ならば君を助けたい。しかしマウラータはこの状況だ、ここで生活を続ける事は出来ない。私と共に『帝都イーサ』へ来て欲しい」

 シスター・マグノリアの言葉を聞きながら、カトリーヌは手の上に置かれたビスケットを口に入れる。
 仄かな甘味と塩気、そしてバターの香りが口の中に広がる。
 何日ぶりのまともな食料だろう。
 
「――ただ、最寄りの軍港は、ガラリアの駐留軍が占拠している。ここから徒歩で数日移動し、正規軍のキャンプに合流、そこから渡航する事になる」

 低い声で話すシスター・マグノリアの顔を、カトリーヌは見つめた。
 整った、綺麗な顔だ。
 芝居小屋で見た女優さんよりも、ずっと綺麗だ。
 でも、冷たそうで、少し怖い、そんな風にも思える。
 ただ……鈍く光る黒い瞳が、どこか寂しそうだった。
 そう、シスター・マグノリアは、とても寂しそうに見えた。

 それは私も同じだ……寂しい。
 どうしようも無く寂しい。
 父も、母も、街の人達も、もう誰もいない。
 爆撃に巻き込まれて血を流し、倒れ、冷たく固まり死んだのだ。
 帰るべき家も燃えて無くなった、他に行く当ても無い。
 だけどマウラータに留まれば、飢えて渇いて死ぬしか無い。
 子供心に、その事実は理解している。
 
 カトリーヌはビスケットを頬張りながら、涙を流した。
 甘くて、仄かに塩の味がするビスケット。

 私はまだ生きている……そう思う。
 こんなに辛くて、寂しくて、それでもまだ生きている。
 眼前のシスターに救われて、生きている。
 カトリーヌはシスター・マグノリアの顔を見ながら頷いた。
 寂しげな黒い瞳を見つめ、何度も頷いたのだった。

 ◆ ◇ ◆ ◇

 海岸沿いに広がる崩壊した街を、シスター・マグノリアと共に歩き続ける。
 遠方で響く砲火の音を聞きながら、焼け落ちた建物を縫う様に歩く。
 ガラリア駐留軍を警戒しつつ、足の痛みに耐えながら、目的地を目指す。
 半ば愚連隊と化した駐留軍の一団に囲まれ、恐怖に震えた事もあった。
 不意の銃撃を受けてシスターが負傷し、もう駄目かと思った時もあった。
 それでもシスターは、それら全ての苦難を排して歩み続けた。

 何があろうとカトリーヌを庇い、カトリーヌを守った。
 決してカトリーヌを、見捨てようとしなかった。
 気づけばシスター・マグノリアの纏う黒い修道服は、ボロボロに傷み、至る所が流血に汚れていた。

 ようやく街を抜ければ、眼前には乾燥した荒野が広がっていた。
 正規軍のキャンプ地まで、残り数十キロ。
 食べる物も飲む物も、僅かしか無かった。
 しかしシスター・マグノリアは、その大半をカトリーヌに譲った。
 休憩時、シスターは岩の陰に腰を下ろし、カトリーヌに水筒を手渡す。
 ありがとうございます……カトリーヌはそう言って、水筒を受け取る。

「――カタリナ、もうすぐキャンプ地に着く。キャンプ地に着けば、安全が保証される。その後、ガラリアへ渡って貰う事になる。そして皆の前で、マウラータで何が起こったのかを話して欲しい。この内戦を終わらせる為に、力を貸してくれ」

 シスター・マグノリアは静かにそう告げる。
 カトリーヌは頷き応じる。

「はい……シスター・マグノリア……」

「ありがとう、カタリナ」

 シスター・マグノリアは謝意を口にすると、懐からピルケースを取り出す。
 青い丸薬をザラザラと手のひらに乗せ、それを口に投げ込む。
 カトリーヌはその様子を見ながら、シスターの怪我を想う。
 そう――背中と肩口を負傷しているのだ。
 私を守る為に負った傷だ。
 その為に、薬を服用しているのだろうか。

「傷は……痛みますか? シスター・マグノリア……」

「大事無い、平気だ」

 カトリーヌの問いにシスター・マグノリアは、口内の丸薬をゴリゴリと咀嚼しながら答える。
 しかしその背中も、肩口もささくれ、傷ついている。
 修道服の下に着込んだ白いシャツが、ドス黒く変色している様が見える。
 カトリーヌは手にした水筒に口を着ける事無く、そのまま差し出した。

「シスター・マグノリアも……お水、飲んで下さい……」

「大丈夫だ、それはカタリナが飲めば良い」

 シスター・マグノリアは首を振る。
 カトリーヌは顔を伏せた。

「だけど……」

「構わない、気にしなくて良いんだ」

 気づいた時には、涙が零れていた。
 せっかくお水を分けて貰ったのに。
 だけど止める事が出来ない。

「わ、私は……シスターに、何も返す事が出来ません……」

 父が言っていた、受けた恩は返しなさいと。
 母も言っていた、恵みをもたらしてくれた全てに感謝しようって。
 恩も返す事も、感謝する事も、出来ない。
 私の為に、こんな怪我まで負わせてしまって。

「なのに私、何も出来なくて……私の為に……シスターは怪我をしたのに……ごめんなさい……」

「それは違う」

 大きな岩に背中を預け、シスタ・マグノリアは軽く首を振り否定する。
 そのまま、遠い景色を見遣った。

「私は、事に於いて胸を張れると――そう信じて此処に在る。己が裡に在る尺度に照らし、正道を歩んでいる。だから今この瞬間、カタリナの助けになっているのなら――それだけで私は満たされる」

「……」

 風が吹き、ウィンプルの下から零れた長い黒髪が流れた。
 その髪を、右手で撫でつけながら続けた。

「欺瞞でも、傲慢でも無く、私がカタリナの助けとなっているのなら……私は幸せだ」

 シスター・マグノリアは、黒い瞳でカトリーヌを見る。
 そして、寂しげに微笑んだ。

 ◆ ◇ ◆ ◇

「……そうやって私は、シスター・マグノリアに救われたんです」

 ソファに座るカトリーヌは、涙に濡れた赤い眼を伏せ、そう呟いた。
 レオンとシャルルは向かい側のソファに腰を下ろし、耳を傾けていた。
 円形闘技場の地下に設えられた、控え室だった。
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