【完結】あなたの正しい時間になりたい〜上司に囚われた俺が本当の時間を見つけるまで〜

栄多

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あなたの正しい時間になりたい

透明人間

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「こないだのポスターの件、大丈夫だったか?」
「うん。ありがとうございます。特色を入れてもう一回色校正出してもらうことにしました」
「再校待ちか」
「はい…俺は大丈夫。副島さんこそ忙しいのにアドバイスありがとうございました」
「お前がいるから正気を保って頑張れる」
「ふふ、正気なんて大げさ!」
「本当だ。今週は本当に疲れた。癒してくれ、澪緒」
「もちろん」
二人でホテルの清潔なベッドの上になだれ込む。

 澁澤澪緒ふじさわみおは、不倫なんて時間の無駄だと思っていた。単に二股の相手にされているだけだろう?とも。
でも実際自分がその恋に身を置く立場になると、なぜか澪緒と相手の 副島崇史そえじまたかしだけは、そういうものにカテゴライズされない特別な存在だと思ってしまう。

不倫なんて時間の無駄。
二股の相手にされてるだけ。
今もその考えは変わらない。
なのにその恋に、いまだに溺れ続けている。


「副島さん…あなたの正しい時間になりたいです」

澪緒は、ベッドで煙草を吸う上司の副島に、そう訴えた。
既婚者でディレクターとして多忙な毎日の副島に重いと思われるのは百も承知。
でもそう願わずにはいられないほど、目の前の男を愛している。
澪緒はゆっくり紫煙を吐く副島の横に縮こまるようにして座る。

正しい時間。
それは今の身を潜める関係ではなく、正々堂々とこの世を闊歩かっぽできる関係。
それは恋人であったり、結婚であったり。

決して叶えられることはない願いだと分かっている。それでも漏れ出てしまった本心に、副島はなんと返事をするのだろうと澪緒は想像する。

ーー無理だよ、俺は妻も子どももいる。
ーーそういう話は子どもが自立してからな。

しかし副島がかけてきた言葉は想像のどれとも違っていた。

「澪緒がそう思ってくれてるのは俺の心の支えだ。俺は君を大切にする」
「副島さん…」
「こんなに大切にしたいと思えるのは澪緒が初めてだ。可能な限り澪緒を優先する。けれどこの恋には限界があることを、大人であるお前には理解して欲しい」
言外に滲ませたお前はまだ子供と言う指摘。
澪緒はそのことにチリッと傷つく。
だがこれは社会の先輩である副島からのアドバイス。
こんなことで傷ついたり怒ったりしちゃいけないと思い直す。

「そうだ、澪緒。ボーイフレンドを作れ。正しい時間になれない俺の、せめてもの罪滅ぼしだ」
「は…?そんなの…無理!副島さん以外に好きな人なんて、できない」
「俺と行ける場所は限られてる。同年代のボーイフレンドとカラオケ行ったり、ハメ外したり、そういう普通の生活がデザイナーにとっては大切だ。生活者目線は大切だと、常に会社でも言ってるだろう?」
「…分りました」
「澪緒」
副島が澪緒を抱きしめる。

少し狭いけど東京の街並みが一望できて、モダンなインテリアで統一されたこのホテル。でも副島の華やかさの方が勝って、何度訪れても違和感を感じた。

住宅雑誌に掲載されたたこともある、広々とした戸建ての副島の家を思い出す。
妻子の待つその場所の方がやはり副島にフィットしていて、澪緒は自分の身が真っ二つに裂けるような苦しさに襲われた。

「澪緒、可愛い。俺は生まれてくる時期を間違えた。本当に後悔してる。俺は一生涯かけてそのことを償う。本当に大好きだ。泣くな、澪緒」
「なら…なら、今現代美術館でやってる展示、一緒に観に行きたい」
「もちろんだ。俺もあの展示は見たかった。澪緒の願いは何でも叶える」
「絶対」
「ああ。絶対だ」

本当は海に行きたかったんだけど、と澪緒は心の中で思う。
澪緒の言う行きたい場所は、常に副島が常識的な時間に帰宅できるよう、考え抜いた結果導き出される場所。
会う時間が限られていて、日焼けなんかできるわけもない副島に海に行きたいなんて言えるわけがなかった。

カーテンの隙間から漏れる外の光。
何度、このホテルで愛し合ったことだろう。

でも、澪緒を大切にする、澪緒を最優先する、澪緒とは絶対に離れたくないーーそう言ってくれても、一度も愛してるとは言わない副島。

「そろそろ時間だ。ランチに行こう」
澪緒の返事を待たずに副島は着替え始めた。
「澪緒」
「ん?」
「何度も同じことを確認して悪いが…誰にも言ってないだろうな?男同士で、ましてや不倫なんて、バレたら身の破滅だ」
「副島さんにとって、俺はそんなに隠したい存在?」
ジャケットを羽織る副島の動きが止まる。
しばしの沈黙に澪緒が耐えられなくなったところで、副島が背を向けたまま口を開いた。

「まさか。許されるなら、この日本一可愛い澁澤澪緒は俺の恋人だと、世界中に言ってまわりたいよ」 

正しい時間になりたいという願いは、肯定も否定もされず、空中分解した。

澪緒は自分が透明になってゆく気がした。
誰にも認知されない愛を持った、透明人間に。
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