2 / 30
あなたの正しい時間になりたい
透明人間
しおりを挟む
「こないだのポスターの件、大丈夫だったか?」
「うん。ありがとうございます。特色を入れてもう一回色校正出してもらうことにしました」
「再校待ちか」
「はい…俺は大丈夫。副島さんこそ忙しいのにアドバイスありがとうございました」
「お前がいるから正気を保って頑張れる」
「ふふ、正気なんて大げさ!」
「本当だ。今週は本当に疲れた。癒してくれ、澪緒」
「もちろん」
二人でホテルの清潔なベッドの上になだれ込む。
澁澤澪緒は、不倫なんて時間の無駄だと思っていた。単に二股の相手にされているだけだろう?とも。
でも実際自分がその恋に身を置く立場になると、なぜか澪緒と相手の 副島崇史だけは、そういうものにカテゴライズされない特別な存在だと思ってしまう。
不倫なんて時間の無駄。
二股の相手にされてるだけ。
今もその考えは変わらない。
なのにその恋に、いまだに溺れ続けている。
「副島さん…あなたの正しい時間になりたいです」
澪緒は、ベッドで煙草を吸う上司の副島に、そう訴えた。
既婚者でディレクターとして多忙な毎日の副島に重いと思われるのは百も承知。
でもそう願わずにはいられないほど、目の前の男を愛している。
澪緒はゆっくり紫煙を吐く副島の横に縮こまるようにして座る。
正しい時間。
それは今の身を潜める関係ではなく、正々堂々とこの世を闊歩できる関係。
それは恋人であったり、結婚であったり。
決して叶えられることはない願いだと分かっている。それでも漏れ出てしまった本心に、副島はなんと返事をするのだろうと澪緒は想像する。
ーー無理だよ、俺は妻も子どももいる。
ーーそういう話は子どもが自立してからな。
しかし副島がかけてきた言葉は想像のどれとも違っていた。
「澪緒がそう思ってくれてるのは俺の心の支えだ。俺は君を大切にする」
「副島さん…」
「こんなに大切にしたいと思えるのは澪緒が初めてだ。可能な限り澪緒を優先する。けれどこの恋には限界があることを、大人であるお前には理解して欲しい」
言外に滲ませたお前はまだ子供と言う指摘。
澪緒はそのことにチリッと傷つく。
だがこれは社会の先輩である副島からのアドバイス。
こんなことで傷ついたり怒ったりしちゃいけないと思い直す。
「そうだ、澪緒。ボーイフレンドを作れ。正しい時間になれない俺の、せめてもの罪滅ぼしだ」
「は…?そんなの…無理!副島さん以外に好きな人なんて、できない」
「俺と行ける場所は限られてる。同年代のボーイフレンドとカラオケ行ったり、ハメ外したり、そういう普通の生活がデザイナーにとっては大切だ。生活者目線は大切だと、常に会社でも言ってるだろう?」
「…分りました」
「澪緒」
副島が澪緒を抱きしめる。
少し狭いけど東京の街並みが一望できて、モダンなインテリアで統一されたこのホテル。でも副島の華やかさの方が勝って、何度訪れても違和感を感じた。
住宅雑誌に掲載されたたこともある、広々とした戸建ての副島の家を思い出す。
妻子の待つその場所の方がやはり副島にフィットしていて、澪緒は自分の身が真っ二つに裂けるような苦しさに襲われた。
「澪緒、可愛い。俺は生まれてくる時期を間違えた。本当に後悔してる。俺は一生涯かけてそのことを償う。本当に大好きだ。泣くな、澪緒」
「なら…なら、今現代美術館でやってる展示、一緒に観に行きたい」
「もちろんだ。俺もあの展示は見たかった。澪緒の願いは何でも叶える」
「絶対」
「ああ。絶対だ」
本当は海に行きたかったんだけど、と澪緒は心の中で思う。
澪緒の言う行きたい場所は、常に副島が常識的な時間に帰宅できるよう、考え抜いた結果導き出される場所。
会う時間が限られていて、日焼けなんかできるわけもない副島に海に行きたいなんて言えるわけがなかった。
カーテンの隙間から漏れる外の光。
何度、このホテルで愛し合ったことだろう。
でも、澪緒を大切にする、澪緒を最優先する、澪緒とは絶対に離れたくないーーそう言ってくれても、一度も愛してるとは言わない副島。
「そろそろ時間だ。ランチに行こう」
澪緒の返事を待たずに副島は着替え始めた。
「澪緒」
「ん?」
「何度も同じことを確認して悪いが…誰にも言ってないだろうな?男同士で、ましてや不倫なんて、バレたら身の破滅だ」
「副島さんにとって、俺はそんなに隠したい存在?」
ジャケットを羽織る副島の動きが止まる。
しばしの沈黙に澪緒が耐えられなくなったところで、副島が背を向けたまま口を開いた。
「まさか。許されるなら、この日本一可愛い澁澤澪緒は俺の恋人だと、世界中に言ってまわりたいよ」
正しい時間になりたいという願いは、肯定も否定もされず、空中分解した。
澪緒は自分が透明になってゆく気がした。
誰にも認知されない愛を持った、透明人間に。
「うん。ありがとうございます。特色を入れてもう一回色校正出してもらうことにしました」
「再校待ちか」
「はい…俺は大丈夫。副島さんこそ忙しいのにアドバイスありがとうございました」
「お前がいるから正気を保って頑張れる」
「ふふ、正気なんて大げさ!」
「本当だ。今週は本当に疲れた。癒してくれ、澪緒」
「もちろん」
二人でホテルの清潔なベッドの上になだれ込む。
澁澤澪緒は、不倫なんて時間の無駄だと思っていた。単に二股の相手にされているだけだろう?とも。
でも実際自分がその恋に身を置く立場になると、なぜか澪緒と相手の 副島崇史だけは、そういうものにカテゴライズされない特別な存在だと思ってしまう。
不倫なんて時間の無駄。
二股の相手にされてるだけ。
今もその考えは変わらない。
なのにその恋に、いまだに溺れ続けている。
「副島さん…あなたの正しい時間になりたいです」
澪緒は、ベッドで煙草を吸う上司の副島に、そう訴えた。
既婚者でディレクターとして多忙な毎日の副島に重いと思われるのは百も承知。
でもそう願わずにはいられないほど、目の前の男を愛している。
澪緒はゆっくり紫煙を吐く副島の横に縮こまるようにして座る。
正しい時間。
それは今の身を潜める関係ではなく、正々堂々とこの世を闊歩できる関係。
それは恋人であったり、結婚であったり。
決して叶えられることはない願いだと分かっている。それでも漏れ出てしまった本心に、副島はなんと返事をするのだろうと澪緒は想像する。
ーー無理だよ、俺は妻も子どももいる。
ーーそういう話は子どもが自立してからな。
しかし副島がかけてきた言葉は想像のどれとも違っていた。
「澪緒がそう思ってくれてるのは俺の心の支えだ。俺は君を大切にする」
「副島さん…」
「こんなに大切にしたいと思えるのは澪緒が初めてだ。可能な限り澪緒を優先する。けれどこの恋には限界があることを、大人であるお前には理解して欲しい」
言外に滲ませたお前はまだ子供と言う指摘。
澪緒はそのことにチリッと傷つく。
だがこれは社会の先輩である副島からのアドバイス。
こんなことで傷ついたり怒ったりしちゃいけないと思い直す。
「そうだ、澪緒。ボーイフレンドを作れ。正しい時間になれない俺の、せめてもの罪滅ぼしだ」
「は…?そんなの…無理!副島さん以外に好きな人なんて、できない」
「俺と行ける場所は限られてる。同年代のボーイフレンドとカラオケ行ったり、ハメ外したり、そういう普通の生活がデザイナーにとっては大切だ。生活者目線は大切だと、常に会社でも言ってるだろう?」
「…分りました」
「澪緒」
副島が澪緒を抱きしめる。
少し狭いけど東京の街並みが一望できて、モダンなインテリアで統一されたこのホテル。でも副島の華やかさの方が勝って、何度訪れても違和感を感じた。
住宅雑誌に掲載されたたこともある、広々とした戸建ての副島の家を思い出す。
妻子の待つその場所の方がやはり副島にフィットしていて、澪緒は自分の身が真っ二つに裂けるような苦しさに襲われた。
「澪緒、可愛い。俺は生まれてくる時期を間違えた。本当に後悔してる。俺は一生涯かけてそのことを償う。本当に大好きだ。泣くな、澪緒」
「なら…なら、今現代美術館でやってる展示、一緒に観に行きたい」
「もちろんだ。俺もあの展示は見たかった。澪緒の願いは何でも叶える」
「絶対」
「ああ。絶対だ」
本当は海に行きたかったんだけど、と澪緒は心の中で思う。
澪緒の言う行きたい場所は、常に副島が常識的な時間に帰宅できるよう、考え抜いた結果導き出される場所。
会う時間が限られていて、日焼けなんかできるわけもない副島に海に行きたいなんて言えるわけがなかった。
カーテンの隙間から漏れる外の光。
何度、このホテルで愛し合ったことだろう。
でも、澪緒を大切にする、澪緒を最優先する、澪緒とは絶対に離れたくないーーそう言ってくれても、一度も愛してるとは言わない副島。
「そろそろ時間だ。ランチに行こう」
澪緒の返事を待たずに副島は着替え始めた。
「澪緒」
「ん?」
「何度も同じことを確認して悪いが…誰にも言ってないだろうな?男同士で、ましてや不倫なんて、バレたら身の破滅だ」
「副島さんにとって、俺はそんなに隠したい存在?」
ジャケットを羽織る副島の動きが止まる。
しばしの沈黙に澪緒が耐えられなくなったところで、副島が背を向けたまま口を開いた。
「まさか。許されるなら、この日本一可愛い澁澤澪緒は俺の恋人だと、世界中に言ってまわりたいよ」
正しい時間になりたいという願いは、肯定も否定もされず、空中分解した。
澪緒は自分が透明になってゆく気がした。
誰にも認知されない愛を持った、透明人間に。
0
あなたにおすすめの小説
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
【完結】トラウマ眼鏡系男子は幼馴染み王子に恋をする
獏乃みゆ
BL
黒髪メガネの地味な男子高校生・青山優李(あおやま ゆうり)。
小学生の頃、外見を理由にいじめられた彼は、顔を隠すように黒縁メガネをかけるようになった。
そんな優李を救ってくれたのは、幼馴染の遠野悠斗(とおの はると)。
優李は彼に恋をした。けれど、悠斗は同性で、その上誰もが振り返るほどの美貌の持ち主――手の届かない存在だった。
それでも傍にいたいと願う優李は自分の想いを絶対に隠し通そうと心に誓う。
一方、悠斗も密やかな想いをを秘めたまま優李を見つめ続ける。
一見穏やかな日常の裏で、二人の想いは静かにすれ違い始める。
やがて優李の前に、過去の“痛み”が再び姿を現す。
友情と恋の境界で揺れる二人が、すれ違いの果てに見つける答えとは。
――トラウマを抱えた少年と、彼を救った“王子”の救済と成長の物語。
─────────
両片想い幼馴染男子高校生の物語です。
個人的に、癖のあるキャラクターが好きなので、二人とも読み始めと印象が変化します。ご注意ください。
※主人公はメガネキャラですが、純粋に視力が悪くてメガネ着用というわけではないので、メガネ属性好きで読み始められる方はご注意ください。
※悠斗くん、穏やかで優しげな王子様キャラですが、途中で印象が変わる場合がありますので、キラキラ王子様がお好きな方はご注意ください。
─────
※ムーンライトノベルズにて連載していたものを加筆修正したものになります。
部分的に表現などが異なりますが、大筋のストーリーに変更はありません。
おそらく、より読みやすくなっているかと思います。
死神に狙われた少年は悪魔に甘やかされる
ユーリ
BL
魔法省に悪魔が降り立ったーー世話係に任命された花音は憂鬱だった。だって悪魔が胡散臭い。なのになぜか死神に狙われているからと一緒に住むことになり…しかも悪魔に甘やかされる!?
「お前みたいなドジでバカでかわいいやつが好きなんだよ」スパダリ悪魔×死神に狙われるドジっ子「なんか恋人みたい…」ーー死神に狙われた少年は悪魔に甘やかされる??
今日も武器屋は閑古鳥
桜羽根ねね
BL
凡庸な町人、アルジュは武器屋の店主である。
代わり映えのない毎日を送っていた、そんなある日、艶やかな紅い髪に金色の瞳を持つ貴族が現れて──。
謎の美形貴族×平凡町人がメインで、脇カプも多数あります。
【完結】執着系幼馴染みが、大好きな彼を手に入れるために叶えたい6つの願い事。
髙槻 壬黎
BL
ヤンデレ執着攻め×鈍感強気受け
ユハン・イーグラントには、幼い頃から共に過ごしてきた幼馴染みがいる。それは、天使のような美貌を持つミカイル・アイフォスターという男。
彼は公爵家の嫡男として、いつも穏やかな微笑みを浮かべ、凛とした立ち振舞いをしているが、ユハンの前では違う。というのも、ミカイルは実のところ我が儘で、傲慢な一面を併せ持ち、さらには時々様子がおかしくなって頬を赤らめたり、ユハンの行動を制限してこようとするときがあるのだ。
けれども、ユハンにとってミカイルは大切な友達。
だから彼のことを憎らしく思うときがあっても、なんだかんだこれまで許してきた。
だというのに、どうやらミカイルの気持ちはユハンとは違うようで‥‥‥‥?
そんな中、偶然出会った第二王子や、学園の生徒達を巻き込んで、ミカイルの想いは暴走していく────
※旧題「執着系幼馴染みの、絶対に叶えたい6つの願い事。」
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(2024.10.21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる