【完結】あなたの正しい時間になりたい〜上司に囚われた俺が本当の時間を見つけるまで〜

栄多

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あなたの正しい時間になりたい

澁澤澪緒

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 ニャー、ニャー、と猫の鳴き声が目覚まし時計のように澪緒の耳元で響く。
窓を開けたまま寝てしまったようでわずかに夏の気配をまとった風がカーテンを揺らし、そのカーテンが澪緒の頬をくすぐった。
目を開ける。
焦点の合わない視界に飛び込んできたのはお気に入りのブルーのソファ、ベージュのフローリング、写真集やデザイン指南書が並んだ本棚、ベランダで行儀良く座る野良猫の『麦』。
澪緒が勝手につけた名前だ。
壁掛け時計を見上げる。時間は7:00。
前日にどんなにツラいことがあっても時間通りに起床できてしまうサラリーマン体質が憎い。

「ニャー」
澪緒はゴロゴロ転がってベランダにいる麦に近づく。
「おはよ…まだいてくれたのか」

澪緒は昨日の自分を⌘Zコマンドゼットで消してしまいたかった。
昨日、あなたの正しい時間になりたいという澪緒の渾身の願いは見事にスルーされた。
帰宅してから堰を切ったように号泣し、もう死んでしまいたいと思ってベランダに出たらそこで麦が寝っ転がって涼んでいた。
澪緒は死ぬ代わりに麦にはミルク、自分にビールを与え、世界一つつましい飲み会を始めた。


「ニャー」
「昨日は荒れて悪かったな。野郎同士の不倫の相談なんてお前にしかできなくてさ…既婚者にウザがられないメッセージの文字数なんてお前に分かるわけないのにな。夜行性だからどうしても甘えちゃうんだ。ありがと」
「ニャン」
「観念して会社行くか…」
「ニャー」
「お前も、もうどっか行くのか?」
「ニャン」
「お前も…俺以外の相手がいるんだな?」
澪緒の大きな瞳に枯れ果てたはずの涙がにじむ。
麦は返事をせず、まだ床に寝転がっている澪緒の額を前足でフニフニした。
「いないのか?」
「ニャン」
「引き止めて悪かった。もう行っていいぞ。また来いよ、良いミルク用意しとくから」
「ニャン!」
麦は目的地を見定め、ベランダを飛び越え颯爽と走って行った。
この街のどこかにある次のベランダへ行くのだろう。

重い目をこすりながらサニタリーの鏡の前に立ち顔を見ると、普段はくっきり二重の目が半分隠れるほどに腫れていた。
「やっぱり腫れてる…」
麦と共に夜風に吹かれて乾かした髪はくしを入れなかったせいで鳥の巣のようになっている。
身長173㎝50㎏の細身がまた細くなった。
広告代理店のデザイナーと言う職業柄、残業、休日出勤は当たり前。
今週その激務に耐えれるだろうかと思う。

寂しい。

正直な気持ちだった。

それでもやっぱり副島と別れる気にはなれないのは、男しか愛せないことをひた隠しにして生き、誰といても孤独だった時期に戻りたくなかったから。

「うっわサイアク、化粧水切れてる…」

楽しかった美術大学を卒業し新卒で入社した中堅広告代理店・有川デザインオフィス。
澪緒はそこで運命の男・副島と出会った。
ただひとつ想定外だったのは、その男が既婚者だったこと。

澪緒と副島の始まりは会社の飲み会。
可愛い系男子の澪緒はそれなりに女子から狙われていたが、自分にしなだれかかってくる女子に一切下心を抱かない澪緒の本質を、副島はめざとく見抜いた。

『澪緒くんの都合の良い男でいいから、澪緒くんの特別になれたら嬉しい』

上司であり社内のトップディレクターの副島から懇願するような誘いを受けた時は信じられない思いと共に天にも昇る気分だった。

孤独だった自分に副島は愛を教えてくれた。
初めて、男に抱かれた。

『痛いだろ?ゆっくりでいい』

『澪緒、大切にする』

『今の俺には澪緒しか必要ない』

言葉と体の愛撫で溶かされる日々。

猛スピードで副島に落ちていった。
副島と会う場所を作るため実家のある下町を離れこの西東京の街のマンションで一人暮らしも始めた。
ここで何度も副島を受け入れた。
副島のアドバイス通り、服にも気を使うようになり髪も金髪にした。
金髪はパッチリ二重のやや童顔な澪緒の顔をいかにもデザイナーな洗練された見た目へと変貌させた。
すっかり自分の体が抱かれる仕様になった頃には、入社当時の野暮ったさがすっかり消えていた。


 澪緒はとりあえず乳液だけを塗り、髪を整える。
普段の朝ならもっと入念に身だしなみを整えるけど今日はマスクでごまかすことにする。
副島がいるのは同じ部署。本当はいつ何時でも綺麗でいたいけど。
 
「うっわ!コーヒーも切れてる!…あぁ…バチが当たったかなぁ…もう…」

出かける前に写真投稿のSNSをチェックする。
学生時代の友人、好きなアーティスト、会社の同僚、先輩、数々のアカウントの最後に、副島。

副島のアカウントには、今日も自分の写真は載っていない。以前1度だけ載った事はあるが、それは入社式の集合写真。個人として認識されたものではない。

澪緒はそれを思い出すたびまた自分が透明人間になった気がした。
でも自分たちの写真をSNSにアップして世界中にバラ巻くわけにはいかない。
どこからボロが出るかわからない。
これはきっと澪緒との仲を継続したいと言う副島の意思の表れ。
奥さんを犠牲にして成り立ってる関係だから、このくらいの寂しさは降りかかってきて当然だ。

「カフェラテ飲も…」

不貞行為は澪緒を奇跡のように美しくしたが、代わりに澪緒をすっかり自罰的な思考に変えていた。
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