死が二人を分かたない世界

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魔界編:第13章

暴かれる

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 僕がもう意識を手放したと思ったのか、それとも聞かせたかったのか……。

『誤魔化すようなことして、ごめん』

 そんな言葉、ユキが言うのは初めてだ。
 いつも言いたくない事や、詮索されたくない時、ユキは誤魔化したり話を逸らしたりしてたから、今回もそうなんだろうって思ってたけど……。

 触れることを許してくれていたのに、急に怖くなった理由はなんなのか、気にならないはずがなかった。
 ユキが忘れられないひどい過去を、全部上書きしてあげたいのに……僕は空回ってばかりだ。

 菖寿丸なら、何か知っているだろうか。

 そんな事を思いながら意識を手放したせいか、気付けば暗闇と、深い霧の中に立っていて、あぁこれは夢だ……と、気付かせてくれる。

「菖寿丸……居るんだよね?」
 思い返せば、覇戸部からユキを救ったあの日から、菖寿丸の声を聞いていない。
 何度か僕から呼びかけてみたけど、反応もなかった。

 あの時助けてくれたこと、せめてお礼だけでも伝えたい。
 そんな事を思っていたら、目の前の霧の中に菖寿丸の存在を感じた。
「そこに……」
 思わず言葉に詰まった。菖寿丸の存在を感じる場所には、少し濃度の濃い霧がある程度で、本人が見当たらない。

「菖寿丸?」
 また僕に姿を隠そうとしてる? いや、これは
なんだか様子が違う気がする。
 話しかけても返事がなく、ただその濃い霧はゆらゆらとしている。まるで、形を保てていないような……。

 ゆらっと霧が動いて、僕の頭に触れた。
 腕を伸ばされたんだと分かった、そして何かを伝えようとしている事も。
 それを受け入れるために目を瞑ると、周りの景色は一瞬で変わった。

 満開に咲く梅の花と、そして今よりもずっと幼い容姿をしたユキの……雪景の姿が目の前にあった。
 夢で最後に会った頃と変わらない姿で、眉尻を下げて不器用な笑顔を見せる表情が、すでに懐かしかった。
 ああ、何かいいことがあったんだ……ずっと見てたから、ずっと好きだったから、その表情ですぐに分かった。

「今日は小松が、野駆けに連れ出してくれたんだ」
 あぁ、あの人の話か……。
 誰のことを言っているのかすぐに分かった。雪景の新しい世話役の人で、身内ではなく外部の人をあてがわれるのは珍しいって話をしていた。
 稚児上がりで年上だけど元服しておらず、小松丸って名前だと聞いていた。

 雪景の元に来てまだ半年くらいだったけど、雪景はその人を兄のように慕っているって言っていて、ちょっと嫉妬したような記憶がある。

 その話を聞いたのは、つい最近だったはず。それも、僕が魔界に来る少し前だ。
 なのに、僕はその人と外へ出かけた話を知らない……聞いた記憶のない話だ。

「小松丸が外に? 早くに教えてくれていれば迎えに行けたのに」
「ごめん、突然のことだったから……」
 嬉しそうだった雪景の顔が、一瞬曇った気がした。あぁ……これは、菖寿丸の記憶なんだ。

「もう一度外に出る事が出来るなら、逃げられるよう手配するから」
「本当に? 菖寿が迎えにきてくれるのか?」
「必ずいく!」
 パァッと雪景の表情が明るくなって、その顔を見てすごく嬉しいって気持ちになった。
 でも、それは菖寿丸の感情だ。中から見ている僕の感情は、やっぱり少しの嫉妬が混じっていた。

 僕だってずっと、助けたいって思ってたのに……。

 そして菖寿丸を責めるような気持ちになった。
 同じ時代に産まれていながら、雪景の居る場所を把握しておきながら、どうしてすぐにでも助けに行かなかったのかと。

「でも、ちょっと怖いな……」
 また雪景の顔が曇って、心配になる。この感情はあまりにも菖寿丸とシンクロして、雪景の目の前にいるのは自分だと錯覚してしまう。

「小松に後ろから抱きつかれて、力が強くて怖かったんだ」
 守るように自分を抱いた雪景に、手を差し伸ばそうとした瞬間景色が暗転した。

 でもまたすぐに視界は開けて、今度はたくさんの梅の花が散っていた。
 雪景が悲しんでいることが分かって、どこにいるのかと探したら、池に向かって入っていくところだった。
「ゆきまる! なにやってるんだ!」
 衣が濡れるのもいとわずに、池の中へ入っていった菖寿丸が雪景の手首を掴んだ。
「菖寿……どうして」
「どうして拒むんだ? もう俺に会いたくない?」
 驚いた顔をした雪景の表情が、歪んで涙が溢れてくる。

 菖寿丸の拒むって意味が僕にはすぐに分かった。
 雪景はどうしても会いたくない時に夢に入れてくれないから……。
 確か、あの女のニュースを見たあの日の夢でも、僕は雪景に拒まれて夢から追い出された。

 心配して、今すぐにでも抱きしめてあげたいと思った僕とは裏腹に、菖寿丸は雪景の手首を掴んで池の外まで引っ張っていく。
 力が弱い雪景は、少し抵抗していたけれどずるずると引っ張られて、池の端まで連れ出された。

「何があった?」
 その口調は少し強くて、雪景が怯えたのが分かった。自分が入っている器が行う態度に、苛立ちが募っていく。

「どうしよう……菖寿丸、私は小松にアレをされたんだ」

 自分の思考では、雪景が何を言っているのか分からなかった。なのに、菖寿丸がすぐにその言葉の意味を理解したせいで、僕までそれを理解してしまったんだ。

 ああ、雪景の体は……彼が兄と慕った人から奪われたのだと。

 激昂するような強い感情が菖寿丸の中で渦巻いていて、今にも雪景に対して怒鳴り散らすのではないかと思った。
 でも菖寿丸は予想に反して、優しく雪景を抱きしめた。

「菖寿……」
 雪景の頼り切ったような、すがるような声に胸がえぐられそうだった。
 信じていた人に、慕っていた人に無体を働かれて、どんなに傷ついただろうか。
 そして、雪景がそれを相談していたのは、頼っていたのは菖寿丸だったって事も、ショックだった。

「どうしよう、私は子を産まなければいけないのか?」
「……」
 泣きそうな、切実そうな声で言った雪景の言葉に、僕も菖寿丸を一瞬思考が停止した。

「……ゆきまる、大丈夫だ、男は子を産めない」
「本当か!?」
 あぁ、そうだ。雪景は年齢に反して余りにも知識がなかった。世の中を知らない、外の世界を知らない。
 純粋で、無垢で、そんな雪景に知識を与えていたのは菖寿丸だったんだと分かった。

 安心したようにホッとする雪景とは裏腹に、僕と菖寿丸の胸の内はジリジリと焦げた。

「嫌じゃなかったのか?」
「嫌にきまってる! 怖いし、痛いし、苦しいし……でも、我慢しないと小松が殺されてしまう」
 殺される……? 抱かれなければ殺されるから、雪景はその人を受け入れたっていうのか。
 いくら慕っていたとはいえ、雪景の様子から合意だったとは思えない。

 初めての時にユキに愛されて、大切にされた分、その大切な人が傷つけられた事実は、やっぱりショックだった。
 それでも雪景の様子からは、千年経っても忘れられないほど酷いことをされたようには見えなかった。

 菖寿丸は僕に何を見せようとしている? 何を伝えようとしている?

 また景色は暗転して、ハラハラと散る梅の花が視界に入る。
「もう嫌だ、アレはしたくない」
「だったら我慢することはない!」
「駄目だ、小松が死ぬのは嫌だ……もう誰かが死ぬところは見たくない」
 雪景の悲痛な叫びに、目元を真っ赤に腫らして涙する姿に、胸が引き裂かれそうだった。

「でも、こんな体じゃ……真里にも会えない」
 あぁ、あぁ! そうだ、僕はしばらく雪景に会えなかった時期があったんだ。
 だから、雪景が僕を夢から追い出したあの日……僕は久しぶりに君に会えたのが嬉しかったんだ。
 なのに君は絶望した声で、世の中を恨むような目で泣きながら僕に言ったんだ。

『兄のように慕っていたのに、裏切られた』
 ……と。

 また景色が暗転して、次に映ったのはあの日と同じ恨むような雪景の瞳。
「裏切られた……信じてたのに」
「一体何が」
 雪景は梅の花弁が敷き詰められた池に、半身を浸けていた。
 菖寿丸がまた池から引っ張り出そうと手を伸ばすと、雪景は強くその手を払った。
 ショックだった……菖寿丸の感情がそう伝わってきた。

「話したくない」
 拒絶を含んだ低い声は、幼さは抜けて今のユキを彷彿とさせた。
「困っているなら力になりたい……」
 菖寿丸は払われた手をもう一度取って、両手で包み込むように握った。

 雪景その手を握り返して、長い沈黙が流れた。
 菖寿丸はただ雪景が話し出すのを待つように、手を握っていた。

「小松がまた……私の部屋に来て、またアレを」
「――ッ!」
 好きな人の体が、好きなように弄ばれているのを聞くのは辛すぎる、悔しくて、どうして止められないんだって焦燥感で、相手をどうにかしてやりたいとさえ思ってしまう。

 次第に雪景は真っ青になってガタガタと震え出して、いつもと違う様子に、菖寿丸は息を飲むように雪景の手を握った。

「小松に捕まえられて、私の上に……あの女が……!」
 震える雪景は、口元を押さえて込み上げてきたものを隠した。菖寿丸がそれを見ないように、雪景を抱きしめる。

 雪景は何度も嘔吐く様子を見せるけれど、夢の中では吐くものも吐き出せない。息が速く荒くなって、苦しそうで、何度も倒れそうになるのを菖寿丸が支えて落ち着くように言い聞かせていた。

 その光景を僕はただ茫然と見ていることしかできなかった。理解が及ばなかった。
 だって、菖寿丸が『あの女』とは誰を指すのかを察してしまったから……それが実の母親だなんてことが、到底現実として受け入れられなかった。
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